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12.魔族の花嫁と彼の一番の罪



 息もつけないような沈黙が、長く続いた。

 リーは本当に呼吸を止めていたかもしれない。それくらいなんの音も聞こえなかった。

 告げるまでは彼の反応が怖かった。けれど一度言葉にしてしまえば、存外すっきりとした心地になった。

 硬直したままの彼を見つめ、静かに答えを待つ。

 どんな答えだったとしても今なら受け入れられそうだった。

 いや、正しくは、好いてもらえるまで想い続ける覚悟が決まったと言うべきか。

 自分のあきらめの悪さに笑いそうになった時、ヒュッという息を吸う音が聞こえた。


「――やめてくれ!!」


 今まで一度も聞いたことのない、リーの悲痛な叫び声。

 耳に突き刺さるような鋭さを持ったそれに、私は衝撃のあまり握っていた手を離してしまった。

 リーは自分を落ち着けるように、荒い息を吐き出す。

 それでも彼の表情を見れば、ほとんど意味のないことだったとわかってしまう。

 紅い目は燦々と輝き、憤りを燃やしていた。


「君は何も知らないからそんなことが言えるんだ。僕はもう“優しいリー”じゃないと何度言えばわかる?」


 リーの声は怒りを抑えているかのように震えていた。

 つい今しがた言ったばかりだというのに、また、そうやって頭から決めつける。

 激情を持て余していたのは私だって同じこと。

 一度勢いのついた気持ちはもう止まり方がわからない。

 知らないから、知らないからと線を引こうとする彼に、私だって言いたいことは山ほどあった。

 今、お互いの抱えているものすべてを吐き出さなければ、この先一生わかりあえないような気がした。


「私は、どんなリーでも知りたいと言ったわ。何度言えばわかってくれる?」

「わからない。わかるわけない。そんなに知りたいなら思い知ればいい。……後悔しようと知るものか」


 いつになく冷たい言葉を吐くリーに、驚くよりも怯えるよりも、挑む気持ちが勝った。

 一歩も引かずにリーを睨む私から、彼は一度視線を外し、フィレアの花束をベッド脇の書机の上に置いた。

 そのなんてことはない動作がこの場に不釣り合いなほど丁寧で、思わず目で追ってしまう。

 ゆっくりと顔を上げたリーは、強い強い視線で私を射抜いて。

 ああ、ようやくだ、と私は思った。

 ようやく、本当のリーを見せてもらうことができる。


「ねえフィア、考えたことはある? 僕は吸血鬼で、君は人間だということの意味を」

「どういうこと?」

「僕は捕食者で、君は生贄だ」


 穏やかではない単語に、私は眉をひそめる。

 リーは捕食者なんかじゃない、と胸を張って言えるけれど、まずは話を聞かないことには進まない。

 それでも私は、何を聞いたって、リーを見る目は変わらないという自信があった。


「魔族の花嫁は、魔族の血に穢される。魔族の精に耐えられるよう、魔族の子を孕めるよう、身体を作り変えられる。バケモノに、なるんだよ」

「バケ、モノ……?」


 その言葉は、すぐには頭に入ってこなかった。

 バケモノ、という言葉をリーが使ったことへの衝撃が強すぎて、理解が遅れたとも言う。


「そうだよ。人間にとって魔族はバケモノだろう? どの国と交流を持っても、散々言われたからわかっているよ。人間と魔族は本来、交わるべきではないんだ。それでも無理を通そうとするなら、高いほうが低いほうに、堕ちるしかない」


 人間と魔族、どちらが高いも低いもない、という言葉は今告げたところで意味はなさそうだ。

 要は、私がリーとの間に子どもをもうけるためには、私はリーの血によって人ではない存在へと変異しなくてはいけないらしい。

 異種族婚について、詳しく教えてくれる人はいなかった。人間の世界では知られていないことが多すぎる。

 詳細はわからないけれど、身体が作り変わる際、痛くなければいい……などと考えてしまうのは、話が唐突すぎて実感がわかないからだろうか。


「僕は君をバケモノにしたくなかった。最初はただの義務感から、交流を持つようになってからは妹のように思えて。君をバケモノの血から開放してあげたかった。人間として当たり前の幸福を手に入れてほしかった」


 すべてを過去形で語るリーは、一度固く瞳を閉ざした。

 そうして次にその紅の瞳が私を映した時、そこに宿っていたものは、


「君の知らない僕の罪を教えてあげよう」


 懺悔、だ。


「僕は、君をバケモノにしてしまいたいと、願ったことがある」


 リーの告白は、まさに寝耳に水だった。


「君が十四歳の時だよ、覚えている? 軽く体調を崩すことはよくあったけれど、あれほどまで症状が重かったのは四歳の時以来だっただろう」


 覚えている。忘れられるわけがない。

 僕を置いていかないで、という母に縋る幼子のような声を。

 何度でも思い出す。あの時のリーを。そうして思う。彼をひとりにするわけにはいかないと。


「本気で、死んでしまうかと思ったよ。置いていかれると思った。今にも消えてしまいそうな命の灯火に、心が凍るようだった」


 その時のことを思い出したのか、リーの瞳は潤みを増し、弱々しく揺らいでいる。

 嘘のない反応が、私の心にあわい光を灯す。


「耐えられなかった。君の死を受け入れられなかった。それは、僕が元凶だからだとか、妹のように大切に思っているからとか、そんなかわいらしい感情ではなくて……魂ごと縛りつけるような、執着だった」


 彼が話すたび、彼の瞳の奥に感情を見つけるたび、心に灯った光が強く明るくなっていく。

 全身にまで行き渡る熱を持った光の名前を、私は知っている。

 希望。そして、幸福だ。


「人として死ぬか、バケモノとして生きるか、どちらが幸せかなんて本人が決めることなのにね」


 最後まで話を聞かなければと思うのに、反論したくて仕方なくて、ぎゅっと拳を握りしめた。

 死ぬことで得る幸せなんて、私は認めない。

 死ぬかもしれないと思った翌日、窓から見えた朝日に感動した。心配してくれた母の胸で涙をこぼして、父のちょっとした冗談に笑った。

 生きていなければ、何もできない。喜びも悲しみも感じられない。感謝の気持ちも伝えられない。

 笑い合う幸福は、語り合う幸福は、すべて生の上で成り立つものだ。


「指を噛んで、出た血を君に飲ませようとした。君が口を開いて、今だ、って思ったとき。『リー、だいじょうぶよ』って君が言ったんだ。その声に、僕への気遣いと、心の底からの信頼が込められていたから。今まさに裏切ろうとしていた自分の、罪深さを自覚した」


 記憶にない、ということはほとんど無意識での言葉だったんだろう。

 まさかそれがリーの暴走を止める結果になるとは、思ってもいなかったに違いない。

 もしその時、吸血鬼にされていたとしても、きっと私は彼を責めたりはしなかっただろうけど。


「それから、ずっと君の手を握って、僕は命じていた。君の中にほんのわずか紛れ込んでいる自分の血に。フィアを殺すな、フィアを害すな、と。その甲斐あってか明け方には君の容態は快調に向かって、峠は越すことができたようだった。浅かった呼吸が落ち着いた君を見ながら、僕は思った。傍にいてはいけない。このまま傍にいれば、きっと僕は君を穢してしまう。君を、同じバケモノへと堕としてしまう、と。だから僕は、逃げた。君を守るために」


 どうして私は何も覚えていないんだろう。

 昏睡していたのだから仕方ないとわかっていても、考えずにはいられない。

 もし、その時、リーに声をかけることができたなら。

 きっと私は、ありがとうと、告げたのに。


「違う……僕は、君を傷つけて、自分が傷つきたくなかっただけだ。何より大切な君を、何からも守ってあげようと誓った君を、僕が穢してしまうなんて、許せるわけなかった。……許せるわけが、ないんだ」


 ずっとひとりで抱えてきたんだろう。ずっと罪の意識に責め苛まれてきたんだろう。

 私をかわいがってくれていたからこそ、私を……愛してくれていたからこそ。

 自分のしようとしたことが、許しがたかったんだろう。


「お願い、フィア。僕を怖がって。僕に怯えて、目を背けて、涙をこぼして。嫌だと、やめてと、拒絶して。そうすれば僕は、何もできないから」


 ああ、リーはとてもとても嘘つきだ。

 拒絶して、と言うくせに、私を見つめるその瞳は拒絶を恐れている。

 真逆の願いを口にして、自分から私を守った気になって。それが一番私を傷つけるとも知らないで。

 最初から、人間としての身を捨ててでも結婚する覚悟があるのかと、問うてくれていれば。

 私はきっと、リーの望む答えを返していただろうに。


 呼吸の音すら聞こえない、静けさの中。

 見上げたリーの顔が、八つも年上の男性とは思えないほどに情けなくて、笑いそうになった。

 水の膜が張った瞳は赤々と輝いていて、こんな時だというのに見惚れてしまう。

 女神にしか作り出せないような極上の宝に、今、私だけが映っている。

 それに無上の喜びを感じるのだから、もう、とっくに私の心は決まっているということだ。


「リーは、どうしてそんなに自分を貶めるのかしら。リーは私を救おうとしてくれただけでしょう? そんなの、私からしたら罪でもなんでもないわ」


 もう一度、リーの手を包み込みながら告げれば、彼はわかりやすく狼狽えた。

 手は明らかに震えていて、視線を落ち着きなくさまよわせて。

 私が、どんな答えを出したのか、予想がついてしまったんだろう。


「あれは、僕の勝手だった。僕が君を失いたくなかったから」

「それだけ私のことを想ってくれていたということなら、私はうれしいわ」

「フィア、だめだ。僕は……」

「リーと本当の夫婦になるために、リーに近しい存在になれるなら、それはとても素敵なことに思えるのだけど」


 嘘偽りなく、心の底からの本心を言葉にする。

 元々、リーに救ってもらった命だ。リーと一緒にいるためなら、たとえ人でなくなったとしても、後悔なんてしない。

 もう私は決めてしまった。この手を絶対に離さないと。

 私とリーは婚約者で、もうじき夫婦になる身で。

 その上リーも私のことが好きだというなら、誰にも何にも遠慮することなんてない。


「バケモノに、なっても?」

「リーを、この国の人たちを、バケモノだと思ったことなんて一度もないわ」


 まっすぐ、彼を見上げる。そらすことは許さないと言うように。

 信じられないなら、信じられるようになるまで言葉を尽くすしかない。態度で表すしかない。

 私にとって、リーはバケモノなんかではないのだと。

 思慕を映した瞳から、すべて余すことなく伝わればいいと思った。


「君が……そんな眼で、僕を見るから、僕は……」


 ぽとり、と。

 透明なしずくが、ひと粒流れ落ちた。

 それはまるで宝石から宝石が生まれでたかのようで。

 奇跡を目の当たりにした私は、まばたきすら惜しんだ。


「君が、どうしようもなく、いとしいんだ……」


 リーの身体が前に傾く。私の肩口に頭が載せられて、体重が預けられる。

 包み込むように握っていた手は、いつのまにか指を絡ませられていた。

 心と、心が、今確かに結び合わされたのだと。



 じんわりと胸に広がっていく幸福感に、私もひとつ涙をこぼした。







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