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Travelers・Link  作者: ミカヅキ
 第五章:シュヴァルツ
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第十三話:禍乱の足音

 少年が私の頬を撫でる。

 少年が、毎朝見るような顔で笑う。

 大丈夫だ、と、少年は言う。

 俺が守るから、と、少年は言う。

 少年は言う。

「おれたち、ともだちになろう」



第十三話:禍乱の足音



「ジュンちゃんがいない?」

 魔物を全て討伐し、後始末に追われる軍人が忙しなく歩き回るパーティー会場だった場所。煌びやかな内装は爪痕と牙と魔術痕でぼろぼろに剥がれ、シャンデリアは床に落ち、粉々に砕けている。参加者は皆避難しきっていた。負傷者は、実際に魔物と戦った軍人を除いてはゼロである。

 残すは後処理だけとなった会場の中心で部下に指示を出していたリックは、駆け寄ってきたレオンとアカザの言葉を反復し、顔を顰めた。そんな彼に、二人は詰め寄って叫ぶ。

「いねぇんだよ! どこにも!」

「ジュンは勝手に一人でどっか行く子じゃない! もしかしたら魔物に連れていかれたのかも……アークハット村の時みたいに……!」

「んなこと分かってる、疑ってるわけじゃない、落ち着け」

 リックは二人の方を押し返し、そう静かに告げた。声音は固い。リックは二人の方を押し返し、そう静かに告げた。

「分からないことが多すぎる。なんで街中、しかも城の中なんかにいきなり魔物が現れることが出来たのかも含め……、今は俺一人の判断じゃ何も言えない、国王の指示を――」

 そう返して、リックは首を回す。全体の指揮を執っているはずの国王を探したのだろう。しかし、目当ての姿を見つけた彼は、目を見開いた。

「――ッアーサー!!」

 叫んで、彼はレオンとアカザの間を抜けて駆ける。それを追うように顔を向けた二人が見たのは、蒼白な顔で国王に駆け寄るリックと――


 ――そのリックよりも顔を白くして、口を抑えて蹲る、国王アーサーの姿だった。


「――っが、ふ……っぅ」

 ごぽ、と、液体が泡立つような音と、アーサーの口を抑える指の隙間から漏れ出す赤い液体。それだけで、異常を察するには十分すぎる。震える足はやがて己が体重さえ支えられなくなったように、がくりと力が抜けた。

 倒れ込みかけた体をリックが抱き留める。

「ああクソッ、だから無理するなって……ッおいそこの! 救護班を! アーサーを医務室へ!」

「は、はい!」

 リックからの指示を受けた軍人が慌てて扉へと走り去った。あまりの展開に、レオンとアカザは何も言えなくなる。扉から先程の軍人が、応援を呼び担架を持って来るのが見えた。

「……今は、何も出来ない。悪いが、今日は……俺の家に、戻っててくれるか」

 国王を軍人達に預けたリックは、彼等が国王を丁重に担架に寝かせて運んで行く背中を苦い顔で見届けて、再びレオンとアカザに向き直ってそう告げる。アカザが何かを言おうとして、それでも口を噤んだ横で、レオンが目を見開いて「そんな」と戦慄いた。

「待ってろって言うの!? ジュンが今も危ない目に遭ってるかもしれないのに!」

「……っレオン、それは……」

 詰め寄るレオンに、リックが一瞬目を見開いて、先程までの苦い顔をさらに苦くする。言葉を探すように、口を何度か開閉させ、漸く絞り出すように言葉を落とした。

「……今、国は動けない。お前達も、ジュンちゃんが何処にいるのか分からないんじゃ、動きようがないだろ。今は無理なんだ」

「でも……っ!」

「レオン!」

 なおも食い下がるレオンを止めたのはアカザだった。肩を掴み、引き寄せる。そこで初めて、レオンはアカザを見た。不安定に揺れる青の瞳に、アカザの顔が映る。

「リックの言葉は正しい。……お前、ちょっと変だ。遺跡の時みてぇな……、

……大丈夫だ、ジュンちゃんは簡単にやられねぇし、大人しく捕まってるようなタマじゃないだろ」

 レオンが己の口に手を当てる。俯き、よろめいて――後ろに倒れこみかけて、寸でのところで踏みとどまった。

「……ごめん、リック。国王様も、大変なことになってるみたいなのに、オレ……」

「いや、気にすんな。友達が居なくなったんだ、動転するのは仕方ない」

 リックの顔が少し緩む。騒動が起こってから、初めて見せる笑顔だった。俯いたレオンの頭を優しく撫でる。

「俺の家には迷わず帰れるな?」

「……ああ」

「ならいい、事が進展したら伝えに行くよ」

 アカザの返答に頷いて、リックはまた軍人の輪に戻っていく。

 レオンは俯いたままだった。俯いたまま、片手で己の頭を抑えていた。アカザがレオンの頭を軽く小突き、「レオン」と呼び掛ける。

「気にすんなって、リックも言ってたろ? 動転するのは当たり前だって……。帰ろうぜ、悔しいけど、俺達がここでやれることは無いんだ。ジュンちゃんのことが分かったらすぐ行けるように、今は休もう」

「……うん、」

「よし! ほら行くぞ!」

 アカザが何とか絞り出したような明るい声で、レオンの手を引いて歩き出す。引っ張られながら歩き出したレオンは、未だに片手で頭を抑えていた。


「(――オレ、なんであんなこと言ったんだろう)」

 歩きながら、しかしレオンは前方など見えてはいなかった。頭を支配するのは、先程の己の言葉。考えるより先にそれは出ていた。

「(『国王なんかよりジュンを優先して』って言ったようなものだ。国王様とリックは仲良しみたいだったのに。国王様は明らかに大変だったのに。よりにもよってリックに。

……いや、)」


 ――オレは、その意味を込めてああ言ったんだ。


 レオンは頭を抑える片手に力を込める。頭痛を我慢するような仕草で、しかし、レオンが抑えたいのは頭痛ではない。頭に響くのが、ガンガンとした痛みだったならまだ良かった。

 響くのは声だ。自分よりも低く掠れた声。しかし、声質はよく似ている。レオンが遅い声変わりを迎えれば、そんな声になるだろう。そういった類の声だ。


“守らなきゃ”

“守らなきゃいけないのに”


「(……うるさい、)」

 レオンは目を閉じて、頭を抑える片手に力を込める。髪がくしゃりと音を立てた。その音をかき消して、周りの全ての音をかき消して、声は何度も繰り返す。


“守らなきゃ”

“守らなきゃ”

“マモラナキャ、コンドコソ”


「……うる、さい……」

 ――そんなこと、言われなくても。

 レオンは眉を顰めて、目を開く。見えるのはボロボロになった廊下を歩く、己の手を引くアカザの背中だ。

 それに何故だか、とても安堵を覚えた。



 痛い。浮上しかけた意識の中で、純の頭に、真っ先に浮かんだ言葉はそれだった。

 深刻な痛みではなくて、物理的に体が痛い。具体的に言うと体の側面が痛い。硬い床に寝かされているような、そんな痛みだ。

 ――こんなことが、前にもあった気がする。そう、ぼんやりと思う。その時はもっとゴツゴツしていた気がする、とも。

 今回は地面が平たいらしいだけ痛みは少ない。しかし、冷たさが増している。つまりは、寒い。その寒さと、埃っぽさで、鼻が刺激されて仕方がなかった。やがて、彼女はそれに耐えきれなくなる。

「――くしゅんっ」

「うわ汚い」

 思わず出たくしゃみに、女子にするにはあまりに失礼なツッコミが入った。

「……ツッコミ?」

 ――長い長い現実逃避を終えて、純はゆっくりと目を開く。漸く、自分がいる場所を視覚的に見た。どこかの屋敷の一室であろうか、恐らく長らく使われていないのだろう、随分と埃っぽい部屋だ。明かりのひとつも付いていないのか実に暗い。床は灰色の石畳で、所々にヒビが入っている。横向きの視界で見える家具といえば、床と同じ色をした壁に沿って置かれたいくつかの本棚と、木でできた簡素で小さい机と椅子ワンセットくらいのものである。どうやら窓は無いらしいと、純は察した。

 そして、もう一つ、いやもう一人、純の視界に映るのは。

「いつまで寝そべっているつもりです~? 汚い床で寝る趣味があるとは知りませんでした~」

 それは、とても、聞き覚えがある喋り方である。しかしながら、その声音は記憶よりも幾分か高い。起き上がると、純の傾いた視界は正常に戻る。その視界で、まじまじと目の前の人物を眺めた。灰色の髪を三つ編みにし、眠そうな赤い瞳の、整った顔立ち。

 そんな特徴を備えた、『少年』が、純の目の前で腕を組んで椅子に座っている。

「……………………、ハザマ?」

「何です」

「……縮んだ?」

 目の前にいるのは、確かにハザマその人である。しかし純のよく知る大人であるはずの彼は――同年代よりは大人びているものの――確かに、齢15程の少年となっていたのだった。

「目を覚ましてまず第一の疑問点がそれとは、全く貴女の能天気さには呆れを通り越して尊敬すら覚えますね~」

「えっと……くしゅっ」

 ハザマの毒舌になにか返そうとして、開いた口から出たのは間抜けたくしゃみだった。ずっと鼻をすする。寒い、と、二度目の感想を抱いた。

 それは当然といえば当然で、純は未だ、パーティーのために借りたドレスなのである。肩と背中を晒したデザインは、暖房のひとつもない冷たい石の部屋ではあまりに心許ない装備であった。

「……やれやれ」

 溜息を吐いて、少年の姿のハザマは立ち上がり己の上着のチャックに手をかける。長い丈のそれを脱いで純にかけ、己自身はインナーであろう黒のタンクトップ姿に落ち着いた。

「あ、ありがと……でもハザマが寒いんじゃない? これじゃ」

「貴女とは鍛え方が違いますから問題ありません~」

「ぐ……」

 言葉通り、ハザマの体はタンクトップ越しでも引き締まっているとよくわかる。15歳ほどの見た目であるのに、均等の取れたしっかりとした筋肉を備えており、思わず見惚れそうになるほどだ。細マッチョという奴だろうかと、純は悔しさに歯噛みしながら見上げた。

 肩にかけられたハザマの上着に袖を通すと、彼自身の匂いがする。

「……さて、暖を確保出来たところで貴女の状況を端的に説明致しましょうか。まず貴女、どこまで把握出来てますか~?」

「どこまで……」

 上着のチャックを上げながら、純は記憶を辿る。

「えーと……確かパーティーに参加して、魔物がいきなり現れて、光るものを見つけて……


……あの時のイケメン!」


 ハニーブロンドの髪をハーフバックにした――日中に会ったあの男とぶつかったのだと、純は鮮明に思い出した。その後、意識が途切れたことも。

 ハザマがやや呆れた目で純を見下ろす。

「……その覚え方はどうかと思いますが、まあいいでしょう」

「あの人が私をここに連れてきたの?」

「連れてきたというか、端的に言うと拉致ですね」

 攫われたんですよ、貴女。

 ハザマが呆れ顔で言うそれに、純は目を丸くした。

「……拉致」

「拉致です」

「……なんで?」

「ワタクシが知ったことじゃないです~。本人に聞いたら如何ですか」

「本人?」

 部屋を見渡すが、窓さえない石の壁に囲まれた――ひとつだけハザマの後方に鉄の扉はあるが――狭い部屋があるだけで、人の姿はハザマと純を除いて見当たらない。

 本人なんてどこに、そう言いかけて、純はその鉄の扉がガチャンと音を立てたのを聞いた。


「気付くのが早いね。流石と言っておこうか」


 ぎぎぎ、と、耳障りな音を立てて扉が開く。その先に立っていたのは、こんな廃墟のような建物さえ己が背景と変えてしまう、美麗な顔立ちの男。

 しかしその笑みは、純が日中に見た人の良さそうな柔らかさなど欠片もない。代わりに湛えているのは、獅子に似たライトブルーの瞳の奥、支配者の威圧だ。優しさの仮面を剥がして冷たい本性を覗かせたその表情は、底冷えするような美を孕んでいる。

 ――イケメンは冷たい顔をしてもイケメンなんだなぁ、と、純は半ば現実逃避に考えた。

「隔離はなるべく早くしたんだけどな。騎士様は実に耳が早い」

「お褒めに預かり光栄ですね~」

「……まぁ、弱体化くらいは成功したようだ」

 男とハザマが何を話しているのか、純は全くわからない。ただ、ハザマが鋭く睨みつけるその圧に――そして、この男が自身をこの場所へ誘拐したという事実に、警戒は解くことなく睨みつける。

「……弱体化しているか、試してみますか?」

 ハザマもまた、その眼光を緩ませることなく、右手を前に突き出す。一瞬の後、その手には純もよく見覚えのある赤い刀が握られていた。

 対する男は、肩を竦ませて笑いを深める。

「遠慮しておこう、君と戦うのは骨が折れそうだ……無駄な労力は費やさない主義でね」

 そして、彼の目線はハザマの隣の純に向けられた。

「そもそも、『ヤマダジュン』をここに連れてきた時点で僕の目的は八割ほど達成されている。余計なものが付いてきたのはまあ、誤差の範囲だろう」

「……目的?」

「この僕に命じておいて本人が遅刻とは腹立たしいことこの上ないが、癇癪持ちの幼児に何を言っても仕方が無い」

 純が反復した言葉に男は答えにならない答えと笑みで返し、芝居がかった仕草で両手を広げる。

「とはいえ、待っている間は君達も暇だろう? 玩具をくれてやるよ」

 男の影が、こぽりと泡立つように蠢いた。本人が動かない限り動かないはずのそれらは、蠢いて、広がって、やがて質量を得たように、ぼこぼこと嫌な音を立てて隆起していく。

「……あ、なたは、何なの……?」

 影だった黒いものは色々な形に変形していく。四つ足の獣の形に、蛇のような形、鳥のような形。その中心で、男は笑う。恐ろしいほど、美しく。


「――スペルビア。『傲慢』の、スペルビアだ」


 形作られた影はやがて黒以外の色を得る。そのどの色よりも遥かに目を引く――赤い刻印を、その身のどこかに携えて。

 現れたのは、魔物の群れだった。

「っ……!? イケメ、じゃない、スペルビアが魔物を作った!?」

「違います、魔物はそんな風に創られません。趣味の悪い見た目ではありましたがあれは召喚です」

「召喚……って、まさか」

 ハザマにバッサリと言い切られ、純の脳裏に浮かんだのはかのパーティー会場での騒動だ。

「あの時の魔物は、あなたが……!」

 睨む純とハザマの視線を一笑に付し、スペルビアは踵を返す。

「時間まで、大人しくこの屋敷で待っているがいい。せいぜい魔物に食われぬよう奮闘することだな」

 開いたままの扉から出ていったスペルビアが、後ろ手に扉を閉める。

 ――扉が閉まりきると同時に、魔物が一斉に飛びかかってきた。

「説明は後です、片付けますよ」

 真っ先に飛びかかってきたキラーラビットを、ハザマは刻印ごと真っ二つに叩き切る。断末魔のひとつも上げることなく、兎を模した魔物は光の粒となって消えた。

「……ワタクシ、こうもコケにされたのは久し振りです」

 ハザマの声がいやに低い。子供の姿になって、どちらかというと高くなっている筈であるにもかかわらず、だ。その顔を見ようと振り向いて、純は思わず悲鳴を出しかけた。


「あのお綺麗な顔を更に男前にして差し上げなければ腹の虫が収まりません。

――邪魔をしやがるなら容赦致しませんが、誰から塵になりますか?」


 感情がない筈の魔物が後退った。正直純も後退りたかった。



 ――十分もかかっていないだろう。

 魔物は一匹残らず光の粒と化して、部屋は静けさを取り戻す。溜息混じりにハザマはさっきまで振るっていた赤い刀を空気に溶かすように消した。

「さて、とりあえずは一段落ですが……

……何故微妙に距離を置いているんですかね、純」

「……キノセイジャナイカナ」

 ハザマは意外と短気だと、純は密かに心のメモに書き加えておく。そんな純を怪訝に見ながらも、ハザマはかつかつと扉の前まで歩いていき、がちゃりと扉を開く。どうやらその先にあるのは長い廊下のようだった。この部屋は、それなりに大きい屋敷の一室であるらしい。打ち捨てられた貴族の屋敷にでも連れてこられたのだろうかと、純は首を捻りつつハザマの背中を追い、部屋から出る。ハザマは一度右と左とに顔を向けて、溜息を吐いた。

「……まあ、案の定あの男は居ませんね」

「どこかに居るのかな……いや、それより私はレオンたちのとこに帰らないと」

「恐らくあの男、今は『ここ』のどこにも居ませんし、貴女は簡単には帰れません」

「え?」

 それはどういうこと、と、その疑問を口にする前に、ハザマは普段より低くなった目線――とはいえ純よりは少しばかり高い――で廊下の壁に規則正しくくり抜かれた窓を見た。それに倣い、純もそれらを見やる。

 窓の奥は、黒だ。景色は見えない。

「……すっかり、夜も、更けたね……?」

「違います。よく見なさい」

 またもバッサリと切り捨てられ、う、と呻きながらも純は窓のひとつに歩み寄る。一、二歩進んだあたりで、ふと違和感に気付いた。

 ――景色が見えない。

 近付いているのに、窓から見えるものが変わらない。

 窓の目の前に純は立った。景色は見えない。窓の先にあるのは『黒』だけだ。

 これは、夜空なんかじゃない。そのことを察するには十分すぎる違和感だった。

「……これは、一体……」

「端的に言うと、この屋敷に閉じ込められています~。結界というやつですね」

「結界……」

 その言葉で純が思い出すのは、先日使ったホワイトオニキスだ。しかし、あの時は透明な壁に包まれているような状態だった。

「結界、と言いましても、宝石を使う簡易的なものとはワケが違います。身を守るためのものでもありません。結界というよりは、空間隔離と呼んだ方がいいかもしれませんね~」

 言いながら、ハザマはカツカツと靴を鳴らして廊下を歩いていく。廊下の壁には、先程純達がいた部屋の扉を含め、五つ程度の扉が並んでいる。それに加え、廊下の両側の突き当たりに一つずつ扉があるようだ。

 ハザマはどんどん歩いて、やがて片側の突き当たり、扉の前に辿り着く。そのノブに手を掛け、躊躇いなく扉を開けた。

 その先にあったのは、部屋ではなく――同じような廊下であった。

「……変わった造りの、家だね……?」

「そんなわけが無いでしょう」

 バッサリと切り捨てるハザマは呆れ顔を向けながら扉を閉めた。それから純に向き直り、腕を組む。ハザマのいつもの言動は、少年になっているからか、見ていると妙な感覚を覚えてしまう。

「我々が今いるこの屋敷は、実在する屋敷を模した――或いは起点にした、異空間です~。異空間ですから、まともな『屋敷』の構造はしていませんし、術を解かない限りワタクシ達はここから出ることが出来ません。ワタクシがこんな姿をしているのもこの術のせいですあの野郎顔を重点的に殴ってやる」

「さ、殺意が明確……、いやそれより、その姿が結界……空間隔離? のせいって?」

 純は改めて、目の前のハザマの姿を上から下までまじまじと眺めた。齢15ほど、大人の姿の面影を色濃く残しつつも、その顔には子供らしい僅かな丸みと、あどけなさがある。身長は、落ち着いて見ると160cm半ば程だろうか、アカザと大体同じくらいに見えた。髪はやはり長い三つ編みではあるが、大人の時は腰くらいまでだったのが、今は肩甲骨のあたりまでの長さになっている。

「……まず何故ワタクシがここに居るのかを説明しましょうか。先程も言ったように、貴女はあの男に攫われてこの異空間に閉じ込められました~。ワタクシは貴女に魂の欠片を埋め込んでいるので、ある程度貴女の居場所や状態がわかるのですが」

「え、何それ初耳」

「言ってませんからね~。別に変な事に使ったりしませんから安心しなさい、そもそもワタクシそんなことに興味はありません~。

……話が逸れました。ともかく、ワタクシは貴女に対して認知能力があります。が、その認知が一瞬薄れました~。恐らく、空間隔離によって貴女の存在が一時的に『別次元』のものになったことが原因でしょう~。ワタクシは異常を感じて、パスを辿って貴女の所へ行こうとしました」

「パス?」

 聞きなれない言葉に純は首を傾げる。ハザマは、「今あまり必要な単語ではないですが」と前置きして、口を開いた。

「縁、とも言います。生き物は生きる中で、絶対に誰かとの繋がりを持ちます~。それは或いは良縁、或いは因縁、或いはお互い覚えていないような、道端で肩をぶつけたくらいの、微弱なものも含めて……自分以外の他者との繋がりの事ですよ。ワタクシと貴女との間にも、当然『パス』は存在します」

 ――成程。とりあえず、パスとやらについては理解した。純は頷いて、先を促すようにハザマを見る。その意図を読み取ったのかは定かではないが、彼はまた口を開いた。

「さて、話を戻しましょう。貴女の所へ行こうとしたんです、が、空間隔離が進んでいたせいか、パスを辿って物理的にワープすることはできませんでした。パスで行えたのは貴方がどの空間座標にいるか把握するくらいです。

……なので、貴女に与えた刀を使うことにしました」

 言われて、純は何も持たない己の掌を見下ろした。今は何も握られていない、が、この手には赤い刀を握ることが出来る。ハザマに分け与えられた力によってだ。

「アレはワタクシの物ですから、アレにはワタクシの記憶や思念がある程度宿っています~。

……さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからが問題でして、ワタクシ、あの刀を一番使っていた時期が、『コレ』なんですよね」

 コレ、と言って、ハザマは己の胸に手を当てた。純は改めて、目の前のハザマを見る。


「……つまり?」

「刀の記憶を使って異空間に出現した結果、刀の記憶の姿になりました」

 ハザマが思い切り顔を顰めて吐き捨てた。


「…………大変だね?」

 そんな原理で、人は縮んでしまうのか――その言葉を飲み込んで、純は月並みな一言を零す。そもそもハザマは人ではないし、神だし、伸縮可能なのかもしれない。そう、自分を無理矢理納得させた。

「そんなわけが無いでしょう」

「心読まないで」

「顔に出てるんですよ貴女は……ワタクシは本体ではありません。生身でここに来れていたらこんなことにはならなかったでしょうね」

「えっ」

 また新事実が出てきた。間抜けな声をあげた純に、ハザマはわざとらしく溜息をつく。

「ここは、外と完全に隔離されています。閉ざされた世界に、閉じたまま入ることは、空間を切り裂くような能力がない限り不可能です。ワタクシは貴女の異常に気付くのが少し遅かった。

……ですからワタクシは、隔離世界の中にある物質――この場合刀ですが、これに、内包される記憶から『ハザマ』を再構築しました。『この』ワタクシは言うならば、『ハザマ』と同じ思考回路と記憶を持った分身体です。外から入れないなら中で創ってしまおうという、まあ、即興の強硬策ですよ」

 そう言って、ハザマは苦虫を噛み潰すような顔をして、純を見た。

「純、貴女はどうやらまだ微妙に危機感が薄いようですが、ワタクシが居るから安心とは思わないでください」

「……え?」

「もう一度言いますが、ワタクシは『分身体』です。本体と比べればあまりに脆く、不安定だ。加えて本体は外からこれ以上の干渉ができない。

……実に腹立たしいが、あの優男の言ったことは正しい。ワタクシは、この場において、弱体化しています。なおかつ、彼奴は『時間まで』と言った」

 ハザマが純の両肩を掴む。痛みを感じない程度に、しかし、緊迫が伝わるには十分なほどの力を、彼はその手に込めた。

「『時間』に、何を仕向ける気なのかわからない。その上あちら側はいくらでも増援を呼べる。……いいですか、純。この状況は実に危険です。我々は一刻も早くこの空間から出る術を見つけなければならない」

 純の背中に嫌な汗が伝う。ハザマから上着を借りているのに、己の肌が粟立っているのがわかる。

「……純。さっきも言ったように、ワタクシは分身体です。本体ではない。今優先されるべきは、生身である貴女だ。……ですから、いいですね」

 ハザマの赤い瞳が、真っ直ぐに純を見据える。


「――いざとなったら、ワタクシを使い捨てなさい」



 朝日がパルオーロの城壁を照らす。

 城から見える街の景色は相変わらず平穏だ。街の中、しかも城に魔物が現れるという――『魔物は居住地には現れない』という絶対神話を覆すほどの――異常事態が起こったが、混乱は憂いていたよりは少なかった。これも、アーサーの懸命な措置のおかげだろう。リシュール祭は水を差されてしまったが、参加者に怪我人は一人もいない。国民はアーサーを信頼するが故、冷静を保っていられる。

 ――だが。

 溜息を吐いて、リックは壁にもたれかかった。城の廊下は静かだ。彼を除いて誰も居ない。

「……アーサーの部屋の前にいたって、意味無いのにな」

 もう一度息を吐いて、リックは己のすぐ横の扉を見る。国王の寝室を護る金の飾りで彩られた赤い扉は、白い城内ではよく目立った。

「(……アーサーの発作は、よくあるといえばよくある。想定内だ。でも、血を吐くのは、久し振りだった)」

 ずるずると、リックは壁に背を預けたままへたり込む。そのまま、膝に頭を埋めた。

 前触れも無く城内に現れた魔物、倒れた国王、消えた少女。頭が痛くなる話ばかりだ。国民の混乱という、最悪の事態を逃れただけだ。まだ何も、解決しちゃいない。リックは心の中で呻いて、歯軋りをする。

 ――その時、扉を開く音が静寂を壊した。

「……っ」

 ばっと振り返ったリックの目に入ったのは、寝室の扉を開いて立つ男。長い赤の髪を後ろでひとつに括り、青い瞳は国の長の威厳を湛えている。

「お前……」

「リック、例の二人を呼んでくれ。……お前の従弟とその友達の少年だ」

「!」

 国王のマントを翻して、コツコツと澱みない足取りで男は歩き出す。

「っ待てよ! それは……」

 声を張り上げたリックに、男は足を止めた。顔だけ振り向いて、彼は口を開く。

「国王命令だ」

「……!」

 その言葉だけで、リックには十分だった。姿勢を正し、敬礼をする。


「御意のままに、国王様」

 その声を聞き届け、男はまた、一歩踏み出した。

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