その8 兄たちの事情
「レニ殿よ。そう怒らんでくれ」
「知りません!」
薄暗い寝室。
ベッドの上でシーツを奪い取って丸くなりながら、ED王に背を向ける。
屈辱の寸止めの後、いろいろあってこの男はしばらく苦しみもがいていのだが、わたしの怒りは晴れない。
「レニ殿、そなたの怒りは当然のことだ。この通り、非礼は幾重にも詫びる。いや、それ以前に男として己のふがいなさにが許せん。汗顔の至りだ。レニ殿はこれっぽっちも悪くない。本当に魅力的な女性だ。ただ、一瞬“兄御に瓜二つだ”、などという思いが頭をよぎったら、うまくいかなくなってしまったのだ」
「どうせわたくしは男の兄さまと変わらない平坦胸ですわよ!」
「あ――いや違う! そうではない! まずかった! 言い誤りだ! 余の本意ではない!」
ED王が謝ってるけど、聞こえない。
だいいち、わたしが男の兄さまに似てるんじゃない。
兄さまが女のわたしに似ているのだ。そこは絶対に譲れない。
「すまぬ! この償いは何でもする! だから機嫌を直してくれレニ殿よ!」
「――なんでも?」
「ああ、なんでもだ! だから――」
「では、後宮にわたくしの研究施設を作ってくださいましっ!」
がばり、とはね起きて、王様に向き直る。
「らぼ?」
「わたくしの研究実験のための場所ですわ! 作ってくださいますか!」
「お、おう。任せるがよい。余の名誉にかけて、かならずらぼを建ててやろう」
「ありがとうございます! ステキですわ陛下!」
幸せに、目の前がぱあっと開ける。
――これで後宮でも実験三昧できる! 王様かっこいい! 王様ステキ! 全裸だけど!
心の中で喜び震えながら、わたしは王様に優しく語りかける。
「いたしかたないことですわ。陛下は剣の修練でお疲れでしたもの。上手くいかないこともありますわ。さあ、このままではお風邪を召されます。どうぞご着衣を」
「……かたじけない」
微妙に納得いかなそうな表情で、王様はようやく服をまとった。
雄偉な体格に、鉄片のような筋肉。体毛は薄く、ギリシャ彫刻の英雄みたいだ。
怒りで吹き飛んでいたどきどきがぶり返してくる。
と、わたしも全裸だったことに、いまさら気づいた。急に恥ずかしくなってくる。
「陛下。どうか後ろを向いてくださいまし。わたくしも服を着させていただきます」
「う、うむ」
王様に向こうを向いてもらい、シーツを脱ぐと、ベッドの上に広がっていた下着をつけ、ドレスと格闘する。
途中喜びのタガが外れて鼻歌を歌いそうになって、かろうじて自重した。
と、確認しなくちゃいけないことを思い出した。
「陛下。お尋ねしてよろしいでしょうか」
「うむ。聞いてくれ」
機嫌を取るように、王様はうなずく。
なんというか、奇妙な力関係が成立してしまった気がする。
「今回の陰謀、兄さまはいつから加わっていたのでしょうか」
「最初からだ」
予想通りの言葉だった。
「いまから三年前になる」
王様は語り始めた。
三年前、十七で即位した王様はまだ血気盛んだった。
だから、宰相に牛耳られ、政務が思うように行かないことにいらだち、宰相の排斥を考えた。
もちろん、現在のように周到なものじゃない。玉座を独占した後のことなど考えない、大量の流血をともなう政変だ。
「余の意を察し、密かにいさめたのが、ほかならぬユーリであった」
いさめた、というが、生易しいものではない。
直接的な暴言さえ伴った直諌である。
当時十四歳だった兄は、美少女めいたやわらかな容姿に似合わぬ強い口調で、こう言ったのだという。
「心中のほど、お察しいたします。しかし、頑是ない子供のように権力を求めて、陛下はなにをするおつもりですか。政権を奪った後のことをお考えなのですか。それにすら思案をめぐらさず、ただ目の前の邪魔ものを振り払う、そのことのみをお考えであれば、陛下の暴虐は宰相閣下に十倍するでしょう。巻き込まれる家臣も民も、不幸なことでございます」
テメーの考えはわかってるぞ。
クーデターすんのもいいがその後考えろ。
ガキみたいに権力欲しがるだけなら大義なんてどこにもねえよ。宰相よりタチ悪いぞ。
これだけ言ってよく生きてるものだ。兄さまハンパない。
「恥じ入る思いだった。顔から火が出るかと思った。だから余は考えたのだ。政権を奪うのではない。正す方法を」
慎重に。極めて慎重に、王様は計略を練った。
飽いたふりをして、もともとままならない政務から身を引き、同性愛に溺れるふりをして後宮に人材を集めた。
それも、兄の協力あってのことだという。
「ただ、まあ、最初が最初ゆえな。どうもユーリには苦手意識があってな……」
なるほど。
王様がED王と化したのもそのあたりが理由か。
あ、思い出したらむかむかが。研究所研究所研究所……よし。
「ありがとうございますわ。事情はおおよそわかりました。しかし動機は。兄さまはなぜ陛下に積極的に協力しているのでしょう。王宮の権力闘争とは無縁の家でしたのに、なぜ、あえて危険を冒すようなまねを」
「ハートラント家は密かに力を蓄えている。いずれ宰相も無視できなくなるであろう。それゆえ、ユーリも父御も、あえて政争に身を投じたのだ」
知らない話だ。
というか、あののらくら狸のお父さまが、そんな甲斐性と根性があるなんて意外だ。
「でも、なぜ我が家はそれほど急に力を?」
首をかしげると、王様は不思議そうな表情になる。
「そなたの功績ではないのか? なにやら新たな冶金術やら土を肥やす方法やらを開発したと聞いたが」
わたしのせいだった。
すみません。実験好きなだけで、成果には興味がなかったもので。
ちゃっかり利用してたのか、あののらくら狸。
――と、すると。
と、思い至る。
お父さまや兄さまは、わたしを守るために。
ハートラントの富以上に、それを生み出すわたしが宰相に狙われるだろうことを予測して、あえて危険を冒したのだ。
――つまり、すべてはわたくしから始まった……と、いうことなのでしょうか。
自覚はまったくない。
だが、いま黄金宮殿で巡らされている謀略の糸の出発点は、間違いなくわたし。
「……ありがとうございます。すべて、納得がいきましたわ」
心の中で、父と兄に感謝して、それからわたしは王様に頭を下げた。
「うむ。なによりだ。レニ殿。この件、くれぐれも内密にな」
「もちろんですわ」
わたしの返事にうなずいて、王様はあたりに目を配る。
かなり長時間話し込んでしまったらしい、眠気がそろそろと忍び寄ってきている。
「さて、侍男たちも寝静まったころだろう。いまのうちに房室まで送ろう」
立ち上がると、王様はわたしの前に立って手を差し出してくる。
その手を取って、わたしは笑顔でこう言った。
「ええ……こんどは、陛下のお泊まりをお待ちしておりますわ」