その11 始まりの合図
目が覚めると、知らない部屋で寝かされていた。
――つかまっちゃいましたか。
意識を失う直前の状況を思い出して、息を吐き出す。
思い出すと、心なしか首筋が痛い。そこを打って当て落とされたのだろう。
「レニ様」
と、見なれた無表情が、上からのぞき込んできた。
すまし顔の青髪少女。侍女のアラだ。見た感じ、特に怪我なんかはなさそうだ。
「アラさん。無事でしたの。よかったですわ」
「申し訳ありません。アラが不甲斐ないばかりに」
半身を起こし、微笑みかけると、彼女は落ち込んだ様子で頭を下げる。
わたしはゆっくりと首を横に振った。
「相手が殿方ですもの。アラさんを責められませんわ」
「いえ、あのダンディなボイスにメロメロになっているところを為す術もなく当て落とされて」
「よし、ちょっと反省しましょうか」
あんまりにアレな攫われ方に、半眼で言った。
いや、結果は変わらないんだろうけど、過程って大事だと思う。
「はあ、それにしても……」
ため息をつきながら、あたりを見回す。
見たところ、家具や調度のたぐいに、特定の手がかりになりそうな紋章などはない。
ただ、全体的にかなり豪奢できんきらきんな色彩だ。ちょっと、いや、かなり趣味が悪い。
チョコレートに砂糖とカスタードクリームとはちみつをぶちまけたような、胃がもたれそうな装飾だ。
「アラさん。ここはどこです?」
「ワシの屋敷だっ!」
わたしの問いに応えるように、唐突に扉が開いた。
飛び込むように入ってきたのは、きんきらに飾り立てたゴージャスな衣装に、負けず劣らずアクの強い顔をした、灰色の髪を後ろに撫でつけた初老の男だ。
「あなたは」
「知らぬか。このワシを」
わたしの問いに、男は口の端をニイ、とつり上げた。
「超傲慢! 超有能! あからさまに私腹を肥やす辣腕宰相! 我こそが偉大なるサンシール王国の偉大なる宰相! ジョナサン・ミッフェルバインである!」
……なんというか、すがすがしいまでに悪そうな人だ。
「あなたが、侍従長にわたしを攫わせたのですか?」
「その通りだ! 文句はあるか!? なかろう! この国ではワシが法だ! 今後もそうあり続ける! そのために小娘! 貴様には見せしめになってもらうぞっ!!」
叫びながら、あからさまに悪い表情。
侍女がわたしを守るように抱きついてくる。
その様子を見て、宰相は悪代官のようなわかりやすい悪党の笑みを浮かべた。
「なあに心配ない! ちょっと輪姦されて死体になってもらって、侍女もろとも銀月宮の小川に浮いてもらうだけだ! 陛下とは今後も仲良くしなくてはいかんからな! がははははっ!」
えげつないことをサラっと言われて、思わず身をかばう。
だが、宰相はそんなわたしを思いきり鼻で笑った。
「安心しろ! ワシはあからさまに巨乳びいきだからなっ! 貴様らのような貧相な小娘どもは抱く気にもならんっ! それではセバス! 手配は任せるぞっ!!」
言いながら、颯爽と部屋を出ていく宰相と入れ替わりに、入ってきたのは黒々とした口ひげの、彫りの深い顔立ちの男。侍従長だ。
「侍従長」
わたしがつぶやくと、侍女が「レニ様の敵! がるがる!」とばかりに噛みつくような表情を男に向ける。
強く抱きしめてくる侍女に身をまかせながら、わたしは問う。
「――宰相閣下に通じていたんですか」
「その通りでございます」
渋い声で、侍従長はこちらに一礼した。
なるほど。疑いだせば、怪しいところが見えてくる。
「わたくしが陛下のところへ飛び込んだ時、密かに人払いをしたのはあなたですか」
「そうですな。陛下との仲も進展したようでなによりです……だからこそ、見せしめとしての価値ができたというもの」
「えっ?」と、狐につままれたような表情になった侍女に抱かれながら、わたしは納得してうなずいた。
ほんとに後宮は魔境だ。
いろんな思惑が渦巻いてる。
「まさか、まさかレニ様、アラに黙って陛下と結ばれて……おめでとうございます裏切り者っ!」
結ばれてません。
駄侍女は黙ってて。空気読んで。あと心の傷掘り返さないで。
無駄に沈んでいきそうな思考を振り払って、わたしは侍従長を詰問する。
「陛下がその地位につけた以上、侍従長、あなたは陛下に相当信頼されてるはずです」
「ですな。陛下も愚かな方だ」
侍従長はそう言って鼻で笑った。
「わたくしはしょせん、どこまで行っても宰相閣下に逆らえない男だ。陛下は結局、それを理解できなかった」
「どういうことです?」
「どういうことも何も――わたくしは宰相閣下の側近として、あらゆる悪行に手を染めてきました。それこそ、宰相が罰せられるなら、わたくしを許すことなどありえない。それほどに、宰相と悪を共有している。陛下はそれを掴めなかった。だから宰相から送られてきたわたくしを信じてしまった。愚かなことだ」
うん。こいつ嫌いだ。
王様を悪く言うなんてとんでもない。
それに。わたしは思う。
王様はたぶん、承知の上で、あえてこの男に侍従長の地位を預けたのだ。
そんな気持ちも知らないで、保身のために裏切るなんて、浅はかに過ぎる。
「あなたこそ、愚かですわ」
だから。
わたしは視線をまっすぐ侍従長に向けて、告げる。
「わたくしを凌辱しようが殺して晒そうが、もう遅い。すでに手はずは整っています。それどころか、この一件は政変決起の、格好のきっかけでしょう。それを予測せず、肝心な時に後宮から離れてこんなところでのんびりしてる時点で、あなたは愚か者ですわ」
まあ誘拐も他人に任せられない危ない橋なんだろうけど、それでもずさんにすぎる。
――ひょっとして。
わたしは思う。
そこまで宰相たちを驕らせたのは、王様が三年待った、その間やりたい放題やらせた結果なのかもしれない。
だったら、最初からクーデターのゆくえは決まっていた。
そして、わたしが吐き出した予言が呼び寄せたように。
息せき切って部屋の中にかけ込んできた男が、侍従長の前に膝をつき、叫んだ。
「セバス様っ! 国王陛下が宰相誅伐の勅令を下されましたっ! 後宮の侍男たちがなだれ込んで黄金宮殿を制圧! 官僚たちは国王に恭順の意を示しておりますっ!」
「なにっ!?」
「それから、近衛軍府で宰相派将軍バルス様が罷免! 兵権は神鷲師を率いたアレイ・コランダムが引き継いだ模様!」
「西方でも不穏な動きがっ! ハートラントが魔法のように兵を集めていますっ!」
あっという間に詰みである。
気持のいいほどの手際。侍従長が後宮を離れたのが致命傷だ。
そのために侍男たちを抑えることが出来なくなり、やや早まった感のあるクーデターの初期消火が出来なくなった。
「くっ。ならばレニ様、貴女を通行手形に本領へ脱出するまでだ! お前たち、女どもを閉じ込めてついてこい!」
部下たちに言い残すと、侍従長はあわてて出て行った。
王国西南には、宰相が強引に拡大した自領がある。そこまで逃げられれば、反乱は大規模なものになってしまう。
そこまで考えて、ハートラント軍にけん制と逃亡者の捕捉を任せていたのだろうが、わたしが捕まってしまったのは計算の外だろう。
「レニ様」
部屋の鍵が閉められる。
その音に、おびえたように。
抱きしめてくる侍女を力づけるため、わたしは笑う。
「たしかに。このままでは、あの男の言う通りになるでしょう。用済みになれば殺されることも、覚悟しなくてはいけません」
だから、と、わたしは言う。
「あがくのです。全力で。いまこの時も、陛下や兄さまたちが――戦ってくれているんですから」
この状況で、なにが出来るか。
考えながら、わたしはぎゅっと拳を握る。
そうだ。このまま大人しくしているなんて性に合わない。
わたしなりの方法で、めいっぱい抵抗してやろうと、心に決めた。
――さあ、反撃開始です!




