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その10 その日は近い

 浮彫が施された、透き通るような白磁。

 そこに注がれた琥珀色の茶に口をつける。

 舌の上に広がる淡い渋みや苦みの後から、えも言えぬ香気とともに、甘みがにじみだしてくる。



 ――趣味がいいですねえ。



 そう思う。

 紅茶も、カップも。そして彼自身も。

 派手な衣装で飾りあげながら、すこしも下品ではない彼――女装の麗人リリシス・アスタールに、わたしはつくづく感心する。


 と、わたしの視線に気づいたのか、リリシスは扇で口元を隠してくすりと笑う。



「マニカ渡りのシルクよ。なかなか着心地もいいわよ。お一つどうかしら?」



 などと、商売人の真似をして、ウインク。

「あとで生地を房室へやに送るわ」言ってふわりと笑った。


 お礼を言いながら、思う。

 なんというか、年上の素敵な女友達が出来たようで、ちょっとうれしい。



「……あきれるか、感心したものか、難しいところです」



 と、その様子を見ていてつぶやいたのは、銀髪の元医師メッシ・ブレナス。

 昨日に続いて、今日はこのふたりにお茶会に招かれてる。


 侍女アラはお留守番だ。

 いつもの彼女なら、しつこく連れて行けとせがむところだけど、彼女なりになにか察するところがあったらしい。不承不承ながら、大人しく残ってくれた。



「なぁに? 妬いてるの、メッシ?」


「気持ちの悪いことを言うんじゃありません。よくも婦女子と簡単に打ち解けられるものだと思っただけです」



 軽くしな・・を作る女装の麗人に、銀髪の元医師は病的に白い肌を青ざめさせて身震いした。



「まあ、メッシは堅物ですものねぇ」


「そうなんですか?」



 尋ねると、リリシスは「ええ」とうなずいた。



「なんというか、陛下以外眼中にない! って感じね。陛下一筋で男も女もまるで顧みないの」


「お前じゃあるまいし、男は余計です」


「おふたりは仲がよいのですね」


「そうね」「そんなことありえませんっ!」



 肯定と否定の言葉が一度に返ってきた。



「ブレナス家は王宮医師の家柄だから、役目がら希少な薬をそろえとく必要があるのよ。で、あたしの家は、それを取りそろえる能力がある。身分は低くても、国王へのダイレクトな繋がりコネだし、そんなメリットもあって深い仲になってるのよ」


「おい、私とお前が深い仲であるかのようなもの言いはやめないか」


「そんなっ! 昔はあんなに愛し合ったじゃない……」


「レニ様の前で悪質な嘘を語るなっ!」



 色素が薄いのか、今度は顔を紅潮させて怒る銀髪メッシ

 わたしは、その会話を聞いて、声を震わせた。



「……ほ、ほ、本当ですのっ!」


「誤解ですよレニ様っ!?」


「そっちじゃありません! メッシ様の男色ホモ趣味には興味ないです! 希少な薬をそろえられるって本当ですのリリシス様っ!?」


「わかってませんよねレニ様!?」



 薬っ! 鉱物っ! 実験っ! 実験っ!!



「そういえば、いろんな研究してるのよね、あなた……欲しい?」


「欲しいですっ! 買いますっ! のらくら狸――じゃない、お父さまがっ!!」


「のらくら?」



 銀髪メッシが首をかしげているのはさておき、わたしの様子にリリシスはくすりと笑う。



「いいわよ。未来のお妃さまに目をかけてもらえるなら、それもプレゼントしましょうか……まあ、お兄さんがユーリ君じゃ、ハートラント家がこれを恩に着て、ってのは期待できないけど」



 なにかみんなの語るお兄さま像が化物じみているんだけど、どういうことなのか。



「あの……お兄さまって、どんな存在なんです?」


「ライバルです」



 と、即答したのは銀髪の元医者メッシ。

 ごごご、となぜか病みながら燃えている。


 ああ、王様の一の側近とか、第一の理解者とか、そんなポジションを争うライバルってことか。


 ……王様を巡って争う恋のライバルとかじゃないよね?


 研究施設おうさまはぜったいゆずらないよ。







 女装の麗人リリシスは素晴らしい話し手だった。

 相手を退屈させず、また知識も話題も広い。ときどき銀髪メッシをいじって怒らせるのは、たぶんわざとやってる。



「そういえば」



 と、わたしはふと気になって、尋ねてみることにした。



「桜の季節もそろそろ終わりですね。すみれの季節はいつごろくるのですか?」



 ぶばっ。

 女装の麗人が、口につけていた紅茶を噴いてしまった。


 こっそりと、クーデターの決行日を聞いたつもりだけど、陛下をどうせいあいしゃにたとえたのはまずかったのだろうか。



「レニ様、そのたとえは……いかがなものかと」


「申し訳ありません」



 頬をひくつかせながら注意する銀髪の元医者に、わたしは頭を下げた。

 むせていたリリシスは、目に涙を浮かべながら笑いをこらえている。



「もう……ほんとに面白い方なんだから」



 いや、面白くしようと思ったわけじゃないです。



「いつごろなんですか?」



 あらためて問うと、女装の麗人はにこりと笑った。



「そうね。あたしが今日、あなたをお茶会に誘ったのはね……明後日・・・またお茶会をしましょう、と誘うためよ」



 なるほど。決行は明後日ってことか。

 その時には、王宮はひと騒ぎだ。だからわたしはリリシスが責任を持って保護する、という段取りになってるみたい。



「侍女も連れて来てよろしいですか?」



 侍女の安全も確保してくれるのか、と尋ねる。

 女装の麗人は笑顔でうなずいた。



「ええ。あのおもしろい侍女ちゃんも、ぜひ連れて来てちょうだいな。メッシもいっしょよ」


「くっ、私が病弱でなければ!」



 銀髪の元医者はなにやら口惜しがっている。

 陛下といっしょに居られないのが、そんなに悔しかったんだろうか。







 女装の麗人リリシスと銀髪の元医者メッシ。

 ふたりとの楽しいお茶会は、あっという間に時間が過ぎた。

 会をお開きにして、自分の房室へやに戻ってきたのは、日も沈みかけたころだった。



 ――帰ったら、アラさんにまた恨み事を言われますわね。



 ずいぶんとお楽しみでしたね。アラはイケメンといっしょの空気を吸うこともできませんでしたのに、みたいな。

 まあ、明後日はリリシスたちといっしょに居られるのだ。それを知ればたちまち機嫌を直してくれるだろう。


 今日はいろいろと収穫があってよかった。

 政変クーデターには、あんまり協力できることはないけれど、王様の足は引っ張りたくない。



 ――だんな様だしね!



 なんて考えながら、房室へやの前まで戻ってくる。

 ときおりすれ違っていた下男や侍男も、銀月宮の端まで来ればほとんど見なくなる。


 そんな寂しい房室の前に、人が立っていた。

 侍女じゃない。もっとずっと体格がいい。


 近づいてみて、誰だかわかった。

 黒々とした口ひげの、彫りの深い顔立ち。侍従長オジサマだ。



「侍従長。わたくしに御用ですか? わたしの侍女はどうしてるのかしら」



 首をかしげるわたしに、侍従長はあの、とろけるような渋い声で言った。



「侍女の身柄は、わたくしがお預かりしております。レニ様」



 近づいて来て、丁寧に一礼する侍従長。

 その目には、猛禽もうきんを思わせる獰猛どうもうな光が秘められている。


 つぎの瞬間、侍従長の姿が視界いっぱいに迫ってきて。



「――あなた様も、お連れしなくてはなりません」



 わたしの意識は、そこで唐突に途切れた。




 

ここからずっとレニのターン!

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