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鬼ヶ里  作者: saki
3/12

幕間

 火が跳ねる音がする。

 しかし、煩くはない。何処か安心できるような、穏やかな音だった。

 志乃が目を覚ますと、そこは何処かの家の中のようだった。

 四方には大きな棚があり、重厚な存在感を放っている。部屋の中心には囲炉裏があって、二間をぶち抜いたような一室の出入り口近くには釜戸まであるところから、所々生活感がある。

 志乃は囲炉裏の傍に寝かされていた。布団は薄く、繕って手直しされている様からあまり上等なものではないようだ。

 静かに身を起こせば、身体に激痛が走った。

 思わず呻けば、その身体に包帯が巻かれているのが目に入った。

 そこで漸く、自身が死にかけていたことを思い出した。満身創痍で只管走り続け、雪山に足を踏み入れたのだ。そして、そこから先の記憶が曖昧になっていた。

 不意に戸が開けられ、志乃はびくりとした。

 入って来た少女は志乃が目覚めているのを見て、「目が覚めたんだ」と言った。

 穏やかな声だった。聞いたことのないような、とても柔らかな声音だった。

 風で軋む戸を閉め、用心棒を立て掛ける。外から戻ってきたことを証明するかのように裾には雪が付いていて、履物の雪を払うと床へと上がってきた。

そして、顔を上げた少女を見て志乃は動きが止まった。呼吸どころか思考も停止した。

 角だ。

 可憐な顔立ちには似つかわしくない、不釣り合いな程大きい角が右目の少し上から生えている。そして、そのすぐ下からは右目を走る大きな傷跡がついている。

 刀傷だ。鋭利な刃物で一刀された痕が残っていた。

 余程酷い顔をしていたのだろう。少女は小首を傾げた。そしてすぐに理解したのか、あぁと呟いた。

 華奢な手が角を撫でる。妙な光景だった。背徳感さえもある。

「何で、鬼がここに……」

 志乃の声は震えていた。無意識の内に手は刀を探し、少視線は少女から逸らせずに睨みつける。

「おかしなことを言うのね。私の家だから、とかしか言いようがないわ」

「だって、鬼は滅んだ筈だ。昔、鬼は人間に悪さをして、それで人間が鬼を滅ぼしたんだろう」

「誰がそんな与太話を広めたの?」

 少女は心底不思議そうにしている。

「確かに先に大きな戦乱はあった。けど、鬼はまだ生きているし、それに、それは……。まぁ、良いわ」

 歯切りの悪い言葉に違和感が生じる。一瞬だが彼女の瞳は虚ろになり、押さえようのない何かが確かにあった。

「それで、君は私をどうしたいの? 殺したいの? それで英雄にでもなりたいわけ?」

 にやりと笑んだそれにはからかいを含めたものを感じる。本気からそう言っているわけではなく、子供を見守る年長者のそれだった。

「当り前だ。鬼は殺す。生かしておくわけにはいかない」

「何故?」

「何故って……」

 問われ、言い淀む。明確な理由などはない。しかし、鬼はこの世に存在してはいけないとそう教わって育ったのだ。害を為すものを野放しにしておいていいわけがない。

「わからないなら、それで良いわ。けど、どうしてそうしないといけないのかということは自分で考えた方が良いわ。理由もなにもなく殺しをするだけだったら、それはただの人殺しよ」

「貴様は鬼風情が人間と同じだと言いたいのか」

「当り前よ。同じ生き物よ」

「ふざけるな。貴様らなどと一緒にするわ」

殺してやると言わんばかりの視線に彼女は怯むことはない。ただ不敵に笑んだだけだった。

「凄い顔。君の方が余程鬼みたい」

「俺を愚弄するつもりなのか」

「まさか。けど、悪いことは言わないわ。君に私は殺せない」

「ぬかせ。今すぐに殺してやる」

「あら、どうやって?」

 無造作に上げられた手には刀が握られていた。それは、まぎれもなく志乃の愛用している刀だった。

「俺の刀。返せ」

 手を伸ばすが、身体が思うようには動かない。少し動いただけで激痛が走った。

 息が詰まる。

 呻き声が漏れた。

 傷を押さえながら少女を見れば、彼女はただこちらを見つめていた。その真っ直ぐな瞳に志乃はたじろぐ。

「君はもう少し己を知った方が良い。己の力と、相手の力。そして、今自分が置かれている立場を理解した方が良い」

 顔の横を何かが過る。

 首に何かが押し付けられた。

 刀が小さく鳴った。

 全く反応ができなかった。

 彼女には何の動作も無かった。例え万全の状態であったとしても、見切ることのできない速さで刀を向けられた。

「ほら、ご覧。私はその気になればいつだって君を殺せるのだよ。それに、そんなことをしなくても君を見つけた時に放置しておけば、何もしなくとも君は勝手に野垂れ死になっただろうね。そして今頃は雪に埋もれているか、それか狼どもの腹の中だ。それとも、冬眠しなかった熊の餌食になっていたかもしれないね」

 喉が鳴る。

 冷や汗が流れた。

 この状況は極めて危険だ、というのが本能的に解る。

 殺気など込められていない。刀を向けられてはいるが、鞘に入っている。しかし、彼女の気分一つで自身がどうにかなるのだという、全ては彼女の匙しだいなのだというのが伝わってくる。

 これが、鬼。生き物としての格の違いというものが、こんな動作一つでまざまざと見せつけられる。

「君は私に生かされている。こうやって寝所を提供し、あまつさえ傷の手当までしてあげた。つまり、皆まで言わなくてもわかるでしょう?」

 喉がいがらっぽい。

 声が出せない。

 沈黙だけが流れる。

 張りつめた緊張感がある。これまでした命のやり取りとは比べものにならないほどの緊迫感。

 この場は既に彼女に支配されている。彼女に命を握られているのだ。

 圧倒的なまでの力の差の中、身動き一つさえできない。

 じっと見つめてくる静かな視線を感じながら、志乃はゆっくりと顎を引いた。

 すると、彼女は身を屈めて志乃へと手を伸ばす。

 緊張のあまり、志乃の身体は強張った。しかし、彼女は気にすることなく手を伸ばし、志乃の頭の上に置いた。そして、そのまま頭を撫でる。よくできました、と。

 それだけで空気が緩んだ。

 身体が弛緩していく。

 張りつめていたものが抜け出し、ふぅっと息を吐き出した。

「何をそんなに緊張しているんだか。ちょっと苛めすぎちゃったわね。ごめんね」

 茶目っ気たっぷりな笑みに、「いや」と返す。喉が渇いていたからか、しわがれて何処か引き攣った声だった。

「こちらこそ無礼を詫びたい。命の恩人に失礼をした」

 頭を下げれば、彼女は「案外律儀なのね」と言った。そして、手にしていた刀を放ってくる。

 慌てて掴み、腕の中に抱きこむ。何をするんだという視線を向ければ、彼女はふふと笑んだ。

「返すわ。君は私に危害を加えないだろうし」

 心を読まれたことに志乃は顔をかっと赤らめた。

 それは実際にどうこうするということではなく、気持ちとしてという意味だ。既に彼女に劣っているということを痛感させられた、刃向う気さえも起きないだろうということを暗に言われているのだ。

「それで、ここは何処なんだ」

 羞恥のあまりつっけんどんに言うが、少女はにやりと笑んだだけだった。

「ようこそ、鬼ヶ里へ。私は鬼愧(きき)。一応、薬師をやっているわ」

「鬼ヶ里?」

 聞いたことのない響きだった。鬼ヶ島というのはあるが、里というのは耳にしたことがない。

「そう。先の大戦から生き延びた鬼達が住まう土地、それが鬼ヶ里。ここは外れの方だから周囲に家はないけれど、中心に行けばもっと鬼達が居るわ。とはいっても、あの大戦でもともと少なかった同胞たちは殺され、昔から比べると大分数も減ってしまったから、もう百には満たないんだけれどね」

懐古するような言葉だった。事実を言っているというよりは、何処か懐かしがっているその響きに疑問を覚えた。

「鬼は長命だって聞いたが、結局お前は何才なんだ?」

 先の大戦とは言ったものの、それは既に人々の頭の中から忘れられつつある程前のことだ。それこそ、百年ではきかず、数百年以上も前の。

「あら、女性に年齢を尋ねるのは禁句よ。思わず手が滑って(はらわた)を引きずり出されても文句は言えないわよ」

「怖っ。ねぇよ、そんな恐怖場面。思いっきり殺る気満々だろうが」

「嘘よ、嘘。本気にしないで。多分、包丁が頭に飛んでいくくらいだから」

口調こそ軽いが、目が笑っていなかった。冗談などではない。あれは本気の目だった。

「どっちにせよ、笑えないな」

 鬼がどれほどのものなのか想像もつかないが、あそこであえて腸云々を口にするあたりが現実的すぎる。つまりは、実際にできるということなのだろう。

蒼褪めていると、鬼愧は「それで、君は?」と尋ねた。

「名前だよ、名前。君の名前を聞いていなかったなぁと思って」

 外見の年齢でいうのなら、どう見ても志乃の方が年上だ。だが、鬼愧の年下に対するような口調とあの発言からして、見た目が関係ないのだとしたらこの少女はかなりの年上なのだろう。

「俺は志乃だ」

「志乃、ね。うん、良い響きだわ」

 これから宜しくと手を出され、一瞬戸惑った。

 顔色を窺えば裏のなさそうな笑みを向けられ、恐る恐るその手を握る。

 温かかった。

 生きている温度だった。当り前のことだが、目の前の少女は彼女自身が言うように、同じように生きているのだと理解した。

 不思議と心地よいそれに、志乃はほうっと息を吐き出して瞳を閉じた。


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