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仕事の流儀

作者: まみれ

 プロフェッショナルには並大抵の努力ではなれない。


 何事も当たり前なのだが、並大抵の努力で希望している職種や地位に立てるのであれば苦労はしないし、高度な専門知識が要求される環境があるからこそ、専門学校や予備校、大学において専門的な学科が設立されていくのだと思う。特に専門学校に関しては細分化や多様化が進んでいて、一時期はラップの専門学校が出来るという話まで出てきていた。もっとも、実際に音楽系の専門学校ではDJ科なるものがあると聞く。それを切り取ってみるだけでも専門学校の多様化が見て取れる。そうして専門学校を選んで入る学生たちは「俺はその道のプロになる」と意気込んで入っていく。その道にプロになれることが約束されている訳ではないと思うが、高い志を持って入学を決意するということはほぼ間違いあるまい。


 そんな私も大学はかなり専門的な学科を卒業して、それに関する資格をも取った。でも、結局そちらへは進まなかった。「この業界では多分生き残れない」と思い、その業界でプロを目指すことを諦めてしまった。先にも書いたことだが、並大抵の努力ではなれない職種であることは確かなのだけれど、業界同士のコネ採用や業界団体とそこの傘下にある団体のブラックさ…など、知りたくなかった現実まで知ってしまった、ということもある。ただでさえ体を壊してしまったことがある身で、そのような環境に自分の身を置いて行けば再び体を壊してしまう、と判断したのだ。学生時代はその業界で補助的な仕事をしたこともあったが、学生のアルバイトと本職では訳が違う。学生に対しては厚遇するものの、正職員に対しては雀の涙程度の給与しか渡らない。そういう現実を見てしまいその業界に身を置いて働くことに嫌気がさしてしまった、というのも事実だ。


 では、そのあとは結局どうしたかと云えば、資格だけは学問のためということで取得したということにして、他業種への就職を選択した。そこで入った企業では自律神経失調症の一歩手前までいってしまってその業界のプロになることは出来なかったのだけれど、その時に他の同年代の人間は体験したことがないであろう事態に遭遇した。


 ある日、普段通り起きて出勤しようとしたところ、体調が明らかにおかしい。会社にすぐ連絡をし、休みを貰って病院へ足を運んだ私。立ちくらみと腹の痛みを申告したところ腸炎という診断を受け、薬をもらって小姑みたいな事務員のもとで少しでも仕事を覚えようと、低脳なりに仕事を覚えようと努力もした。社用車を4回潰してヤンキー上がりだらけの他部門との仲が険悪になったり、事務員の小姑の嫌味にうんざりしながらも何とか仕事を続けていた。それでも残念なことに体調が回復することはなかったので、公休日に病院へ足を運ぶことになった。二度目の通院だ。このときに胃潰瘍の疑いをかけられて肛門科へ送られた訳なのだけれど、その時の検査が今までになかったくらい凄まじかった。


 皆さんは肛門鏡という道具をご存じだろうか。包み隠さず言うならばアヌスを広げて腸内を見る道具だ。アヌスをくぱぁと拡張する道具なので、人によってはその手のプレイに使うような道具だと思ってしまいがちだし、もしかすると実際にそういう使い方をしている人がいるかも知れないけれど、これはれっきとした医療器具だ。かくいう私もこれが登場したときはアメリカンポリスみたいな屈強な男が出て来て何かされるのではないか、とそれ相応の覚悟したものだけれど、それにパンチをかける空気が出来上がるまでそんなに時間はかからなかった。


 そんなことを考えているうちに私は看護師のおばちゃんに下半身を剥かれ、どのような体勢で肛門鏡挿入時の対処法を静かに説明した。次に待ち構えるのはメインイベントであるおばちゃんによる肛門鏡の挿入。アヌスに異物を入れられるという初めての感覚にひぎぃ! と声を上げそうになるが、ここはグッと我慢。男の子だもんね、それくらい我慢できるもんね。それはさておき、これは立派な医療行為なのだけれど、クスコ・イン・オペレーティングな状態の中で医療行為の常識を根底から覆すような一言がおばちゃんの口から発せられたのだ。


「はい、力抜いて! 胎児みたいな体勢になって! 胎児みたいな体位が大事!」


 念の為にもう一度ピックアップ。


「胎児みたいな体位が大事!」


 すばらしい、韻だ。


 まるで普段はヒップホップを嗜んでいるかのようなすばらしいライム。そして母の温かさのようなものを感じさせるリリック。私は感動し、涙すら流しそうになった。これは痛みによる涙なんかじゃない。韻踏合組合という韻を最大限活用したヒップホップグループの名前すらも超越するようなライム。まさか病院でこれほどのリリックやライムに触れることになるとは思ってなかったわ。すげーよ、おばちゃん。


 プロには並大抵の努力ではなれない。おばちゃんは看護のプロだ。しかし、それに加えて言葉選びのセンスやライムの才能も間違いなくあわせ持っている。専門課程で得る技術や学科だけでなく、その上に何かを持ち合わせていること。これは大きいことだ。おばちゃんの一件を見てそのことを認識することが出来た。ありがとう、おばちゃん。


 その後の僕はといえば、先にも書いたとおり社内で腫れ物扱いされて本当の自律神経失調症になってしまったのでそそくさと退職、当時は再就職もすんなり決まったのでそれからは清々しく過ごすことが出来た。おばちゃん、もう二度と会うことはないだろうけど、いまも元気にしてますか? 母性を感じさせるリリックや絶妙なライムは健在ですか? 僕があの肛門科のお世話になることはもう無いのだろうけど、他の患者さんにも持ち前の才能を発揮してほしいな…と、遠い国から実家がある東側の空を眺めながら思うのだった。

肛門科は怖くないよ。

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