夜明け
日が昇りセレスの町は朝を迎えた。辺りが明るくなるにつれ、町の被害も判明してきた。礼拝堂を含む焼失した建物は二十件余り、死者は約四十名、行方不明者約三十名、集会場に運び込まれた負傷者は余りにも多く、把握できないほどであった。
ベルタ長老はアリストから被害の報告を受けると、一言そうかとつぶやき、悲しげに女神像を見つめた。いつもなら一日の幸運を願って女神セレスへの祈りを捧げに多くの町民が訪れる礼拝堂も、今は無惨な姿をさらし瓦礫のなかに焼け焦げた女神像が悲しげにたたずんでいるだけであった。
町中に人々の嘆きの声が響くなか、広場には五十体を超える敵の遺体が転がっていた。アリストやカルタスの指示で敵の遺体は、台車に乗せられて次々と運び出されていた。昨夜は虫の息の者も居たが、結局誰一人として朝を迎えられたものは居なかった。無縁墓地には敵兵を埋葬する為の大きな穴が掘られた。
騒々しく走りまわる人々のなかで、ただ一人たたずむ長老のもとにアリストが駆け寄った。
「それで何か分かったか」
長老の問いかけにアリストは無言で頷くと、敵が持っていた鞘を長老に差し出した。そこにはグランダムの紋章が彫ってある。
「やはりやつらの仕業だったか」
長老は鞘をまじまじと見つめたあと、運ばれていく遺体を目で追った。
「これまでも両国の小競り合いに巻き込まれてきたが、これほどの被害が出たのは初めてだ」
長老は深くため息をつくとアリストに尋ねた。
「このことはすでに知らせてあるのか」
「はい。襲撃を知らせる狼煙はすでに上げましたが、念のためラグレイトに早馬を飛ばしました」
セレスから早馬で三時間の位置にある南部最大の都市ラグレイト。ここには王立軍が駐屯しており、これまでグランダムの襲撃を受けた際は狼煙を上げれば、ほどなく数百人規模の援軍が派遣されてきた。
そこへカルタスが報告にやってきた。
「三十名ほどの行方不明者ですが全員が女子供で、恐らく捕虜として連れ去られたものではないかと思われます」
「なぜ罪も無い人々がこのような目に合わねばならんのだ……」
報告を聞いた長老は、目を閉じたまま頭を抱え込んだ。
「しかし敵はあの劣勢の中、なぜ撤退の足手まといになる捕虜を捕らえたのでしょうか。これには何か裏があるように思えてならないのです」
カルタスは長老に疑問を投げかけた。
「ではお前の言う裏とは何なのだ」
長老はカルタスに尋ねた。
「それはわかりません。ですが余りにも呆気ない幕引きでしたし、侵攻というには敵は寡兵でした。もしかしたら最初から捕虜の確保が目的だったのでは」
そう言うとカルタスは腕を組んだまま考え込んだ。アリストはカルタスの顔を覗き込むと尋ねた。
「では敵は捕虜を使って我らをおびき寄せようとしているのか」
「それは考えすぎじゃろう」
長老は強く否定するようにゆっくりと首を横に振った。
「とにかく今はさらわれた者の安否が心配です。ラグレイトからの援軍が到着次第、我々も奪還作戦に移りたいと思います。よろしいですね」
アリストは長老が頷いたのを確認するとカルタスに告げた。
「今すぐ隊のみんなを集めてくれ」
†
カリーナは窓から差し込む朝日の眩しさで目を覚ました。起き上がって辺りを見回すと、そこは間違いなく自分の部屋のベッドだった。
いつもと変わらない朝だ。そう思って再びベッドに倒れ込んだ。
しばらくするとお婆が水差しとコップを持って部屋に入ってきた。
「おお、気がついておったか」
お婆はコップに水を注ぐとカリーナの枕元に置いた。
「ありがとう。おばば様」
ハーブの香りがする水をそっと口に含んだ。柔らかな香りとともに、徐々に昨夜の記憶が蘇ってきた。カリーナは右手を何度も広げたり閉じたりしたあとに、手のひらをじっと見つめていた。
「昨夜のこと、思い出したのか……」
カリーナが無言でうなずくと、お婆はその手を皺だらけの両手で優しく包み込んだ。
「お前のこの手がわしらを救ってくれたんじゃ」
「声が……聞こえたの」
カリーナは消え入りそうなか細い声で、ぽつりとつぶやいた。
「声? 」
お婆の問いかけにカリーナはうなずいた。
「そう、女の人の声。それもどこか温かくて懐かしい声。剣を握った瞬間、みんなを守ってあげなさいって聞こえた気がしたの」
お婆はただ黙って話を聞いていた。
「私、何故かその声に逆らえなかったの。……ううん本当はね、そのまま声に身を委ねていたかった。そして気がついたら声に従って剣を握ってた」
「そうしたら次の瞬間……」
カリーナは両手で顔を覆うと身体を震わせた。大粒の涙がいくつも頬を伝った。
お婆はその涙を指で拭った。
「そうか、そんなことがあったのか……大変じゃったな」
そして深く息を吐くと、優しい眼差しでカリーナを見つめた。
「お前にはいつか話さなければならないと思っておったのだ。英雄グレンとあの剣の話、そしてお前の両親の話を」
「私の両親の話……」
カリーナは涙を浮かべた目でお婆を見つめた。
「いまから三百年も昔、わしのひいひい婆さん、いやもっと昔の話じゃな」
お婆は子供に昔話を聞かせるように、ゆっくりと優しい声で語り始めた。
歴代屈指の名君と名高かったレパード王が崩御されて間もなく、アルティア国内では後継者争いが勃発した。
国内は正室の子であるベクトル王子を後継者に推す諸侯と、側室の子マグナス王子を後継者に推す諸侯とに分かれた。粗暴な性格のベクトル王子は国を治める器に非ず、慈悲深く文武両道に優れるマグナスこそ国王にふさわしいと言う声は日に日に高まっていた。そんな混乱をグランダムが見逃すはずはなく、直ちに侵攻を開始したのであった。
指揮系統の統一がままならなかったアルティア軍は連敗を重ね、わずか一年で領土の大半を失うこととなった。
ここに来てようやく後継者争いは終焉を迎える。国の行く末を憂いたマグナス王子が、ベクトル王子への臣従を誓い、自ら兵を率いてグランダムに対峙したのだ。
それでも国力に勝るグランダムの勢いを止めることはできなかった。じわじわと領土は浸食され続け、アルティアは開戦三年目にしてとうとう王都を残すのみとなった。
「そこにグレンが現れたのね」
「うむ。英雄の登場で戦況は一変した。その後のグレンの活躍は知っての通りなのじゃが……」
お婆はもう一つのコップに半分ほど水を注ぐと一気に飲み干した。
「しかしこの英雄潭には続きがある」
「続き? 」
「グレンはやがてアルティアから追われる身になったのじゃ」
カリーナは思わず身を乗り出した。
「国を救った英雄なのに、どうして? 」
「それは……」
お婆はしばらく黙り込んだ。
「それは、グレンが女だったからじゃ」
「まさか! 」
カリーナは言葉を失った。
「驚くのも無理はない。このことを知るのはわしを含めて数えるほどしかおらんはずじゃて」
彼女はアルティアで最も名が知れた鍛冶職人の末娘として生まれた。彼女には二人の兄がおり、やがて次兄は十年戦争に徴兵された。父は長身で体格の良い息子に合わせて貴重なアルテマ鉱石をかき集め大剣を鍛えた。しかし出征して間もなく息子は大剣と共に帰ってきた。小さな骨となって。
父親は悲嘆に暮れたが、戦況が芳しくない中、非情にも長男に出征の命令が下る。手先が器用な長男を跡継ぎとして期待していた父親の落胆は激しかった。華奢で争いを好まぬ長男が戦場に赴けば命を落とす事は目に見えていたからだ。
「そこで彼女は決断したのじゃ。兄の代わりに自分が戦場に赴くと 」
置き手紙を残し大剣を携えて彼女は町を出た。そして戦場では兄グレンの名を騙って戦った。やがてグレンはマグナスが率いるグランダム討伐軍に加わった。戦場での獅子奮迅の働きを認められ、やがてマグナスの片腕として仕えることとなった。
「おそらくマグナスは、グレンが女性である事を早くから見抜いていたはずじゃ。それでもマグナスは性別を超えて彼女を信頼しておったのじゃろう。そのうち二人は恋に落ちた」
マグナス指揮の元、アルティア軍は連戦連勝を続け、わずか二年足らずで元の領土を回復した。マグナスとグレンは英雄扱いされたが、次第にベクトル王は彼らに危機感を覚えるようになった。
そしてある日ベクトル王はマグナスに反逆者の汚名を着せて暗殺することを画策する。身の危険を感じていたマグナスはグレンを連れ国外に逃れようとする。しかしグレンのお腹の中にはすでに小さな命が宿っていた。身重のグレンを連れてマグナスは逃走するも、ベクトル王の執拗な追撃の前についにマグナスは殺害され、グレンも逃亡中に致命傷を負ってしまう。
故郷のセレスにたどり着いたグレンは息も絶え絶えに事の顛末を語ると、やがて父親の腕の中で静かに息を引き取った。しかしお腹の子供は奇跡的に助かったという。それからグレンの子孫は名を変え、この町でひっそりと暮らした。剣はグレンダイン(グレンの稲妻)としてその悲劇を伝えると共に代々引き継がれていった。
だがある日、グレンの子孫の存在は今の国王ベクトル八世の知るところとなった。その存在を恐れた国王はこの町に暗殺者を遣わした。グレンの子孫はグレンダインを手に応戦するが、抵抗も虚しく殺されてしまう。
「それがお前の父と母じゃ。父親はお前と妻を庇い、全身に矢を受けて亡くなった。そして母親はあの坑道の奥に幼いお前を隠すと、敵が通れぬよう地に剣を突き刺したまま絶命しておった。その後も暗殺者達は生き残りが居ないか町中を探しておった。わしがその目をかいくぐって坑道へ行くと、お前は健気にも母の言いつけを守って、じっと洞窟の奥で息を殺して隠れておったのじゃ」
痛いほどの悲しみと、やり場の無い怒りでカリーナの胸は張り裂けそうだった。
その後アルティア兵はグレンダインを力ずくで引き抜こうと試みるが、どんなことをしても無駄だった。また剣に触れた者は、ことごとく原因不明の病や事故で急死した。そこで国王は忌々しい大剣を祠ごと封印した。
「そのグレンダインの封印をお前が解いたのじゃ」
カリーナはあの時自分を導いた懐かしい声は母のものであったことを悟った。
そっか、母は私が来るのをずっと待ってたんだ。そう思うと我慢していた涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
お婆はそっとカリーナを抱き寄せて囁いた。
「よしよし、いい子じゃ。いい子じゃ」
母に甘える幼子のように、カリーナはお婆の胸の中で声を上げて泣いた。




