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滅びの剣と星屑の勇者  作者: タキザワコウ
第二章 〜憂国の騎士団〜
27/32

道師ジン

 国王殺害の汚名を着せられ追われる身となったシオンは、王都を後にしてからというもの食事も睡眠もとらずただひたすら南東へ向かった。

 王都アルタニアから続く海岸線を南東に下るとやがてアジラ砂漠へと繋がる。シオンは砂漠の手前で馬を降りると鎧を脱ぎ捨て、剣だけを腰に携えて軽装となった。砂漠では馬は役に立たない。砂漠を徒歩で超えるのは困難な事ではあるが、追手もまさか砂漠を超えて行くとは思わないだろう。風が吹けば足跡は風紋となってやがて消える。追手から逃れるには砂漠を横断するのが一番安全だとシオンは判断したのだ。


(ついこの間、勝利の凱旋で通った道を、まさかこんな形でまた通ることになるとはね)

 皮肉な運命を思ってシオンは苦笑いした。


 アジラ砂漠はかつて東方の異民族の侵略を防ぐ要害となっていた。しかしシオン率いる遠征軍により異民族が征伐された今では、交易の商人や旅人達を時に迷わせ、時に命までをも奪う灼熱の世界でしかない。

 じりじりと照りつける太陽と、踏み込むたびに埋もれる地表に足を取られて、シオンは徐々に体力を奪われていった。

 二日目には用意していた水も底をついてしまったが、その日の昼すぎに大雨が降ったおかげで喉の渇きは癒された。しかしその晩は濡れた身体のまま寒空の下を過ごすことになり、三日目の朝を迎えたときには高熱を出してしまった。

 日が高く昇るにつれ、高熱と容赦なく照りつける日射のせいで頭が朦朧とし、足下もおぼつかなくなった。すると目の前には見あげるほどの高さがある砂丘が現れて行く手を阻んだ。剣を杖代わりにして乗り超えようと必死に足を踏み出すが、砂に足を取られて体力だけが磨り減っていく。視野がどんどん狭くなりやがて意識も遠のいていった。


(私の命もこれまでか……)

 シオンは膝をつくとそのまま前のめりになって倒れた。


 シオン……シオンよ……


 誰かが頭上で自分の名前を呼んでいる。遠ざかる意識の中、シオンは顔だけを持ち上げて声の主を確認した。目の前に立っていたのは何とバトラーだった。あぁついに私を迎えにきたのかとシオンは思った。


「立てシオン。これ如きで根を上げるとは情けない。それでもアルティアの大鷲の娘か」

 剣の手ほどきを受けた日々で嫌というほど耳にした懐かしい台詞だ。


「やはり私はあなたのように強く成れない……無理よ……」

 シオンは自嘲を込めて笑みを浮かべると、力なく地面に顔を埋めた。


「お前は強い。昔わしにいった言葉を覚えておるか」

「言葉……?」

 うつ伏せたまま声だけを返すシオン。もはや見上げる力も残っていない。


「お前はこう言った。命を捨てて助けてくれた両親の為にも、たとえ泥水をすすってでも生き延びてやると。忘れたか」


「確かに……言ったわね……でももう良いの。今は生きる意味さえ分からないわ」

 例え生き延びたとしてもその先に何があるだろうか。サイラスへの復讐?名誉の回復?シオンにとってそんなことはもうどうでも良かった。


「お前はまだ満足に生きておらん。そんなお前がどうして死ねよう。生きるのだ!誰の為でもない自分自身の人生を」


「自分自身の人生……それはソフィアとしての人生ってこと?」

 シオンはわずかに残った力を振り絞って身体を起こした。瞼を開けるとそこには優しく微笑むバトラーの姿があった。


「そうだ。さぁ立て!お前の人生はこれからだ!」

 そのとき強い風で舞い上がった砂が視界を遮った。シオンは目を閉じてそれをやり過ごす。風が収まり再び瞼を開けたときには、すでにバトラーの姿は無かった。


「ありがとう。父さん……」

 シオンは立ち上がった。いや彼女はシオンではない。この瞬間からソフィアとしての人生を歩み始めたのだ。


 一歩一歩、足を取られながらも力強く砂丘を登っていく。どこにそんな力が残っていたのか本人も不思議に思えるほど、ただひたすら歩みを続けた。

 砂丘を登っていくと一面砂漠だった視界に青空が混じり始める。そして視界の半分を青空が占めたとき、ソフィアはついに砂丘を超えた。


 眼下には砂漠の終わりを告げる、まばらな草原といくつかの小屋が見えた。何度も足を取られ、転がるようにして無我夢中で砂丘を下って行く。呼吸が乱れ、心臓はバクバクと音をたてた。

 砂丘を下りきったところで一度深呼吸をし、ようやく冷静さを取り戻すことができた。周囲を見渡しても人影は見当たらない。小屋にも人の気配は無い。すると集落を抜けた先に橋が架かっているのに気がついた。


「川だ!」

 嬉しさのあまり思わず言葉が口を衝いて出ると、川に向かって一目散に走り始めた。実際には疲労で歩くほどの速度しか出なかったがそれでも懸命に走った。そして橋のたもとまでたどり着くと、草と岩に覆われた土手を勢い良く下っていき、そのまま川に飛び込んだ。

 膝あたりまでしかない水かさのため、岩で足を所々擦りむき砂が舞い上がる。しかしそんなことは気にも止めず、ひたすら川の水で喉を鳴らした。身体中に一瞬で水分が行き渡るのが分かった。


「助かった……」

 そう言って安堵の表情を浮かべると、川底に腰を沈めた。


「がさつな人じゃのう。魚が逃げてしまったではないか」


 声のする方を振り向くと川のほとりの岩場に小柄な老人が座っていた。釣り竿を水面に垂らしているその老人は、白く長いあご髭を摩りながら困った顔をしてソフィアを見ていた。

「すまなかったご老人。喉が渇いていたもので」

 ソフィアは立ち上がると申し訳無さそうにして老人に頭を下げた。


「そんなに慌てなくても川の水は無くなりはせんわい。川だけではないぞ、自然は常に無限の恵みを我々に与えてくれておろう。なのに人間はそれを独占しようとする。なんと愚かなことか、お前さんもそう思わんかね」

 この老人は一体何が言いたいのか。たかが川の水ごときに自然だの人間だの、変わった老人だとソフィアは思った。


 その時、微かだが複数の蹄の音が近づいてくることに気がついた。ソフィアは橋脚まで移動すると、すこし深くなった所を見つけて首まで浸かり、そのまま息をひそめた。蹄の音はやがて橋の手前で止まった。


「おい、そこの老人。この橋を若い女が通らなかったか。鋭い目つきをした白みがかった金髪の女だ」

 若い男の声だ。恐らくソフィアを探している兵士だろう。


「若い女性?はて、朝からここにおるが、そんな者はここを通らなかったよ」


「我らに嘘を申しておるまいな?」

 その男は強い口調で老人を問いただした。


「お前さん達に嘘を言って何になる。わしはただ魚を釣りたいだけだ」

 そう言って老人は釣り竿を引き上げた。


「ああ、また餌だけ取られた。お前さん達が大声をあげるから逃げられてしまったわい」


「そうか、すまなかったな。やはりもっと遠くへ逃げているようだ。お前達、先を急ぐぞ」

 兵士らしき男はそう言うとソフィアが来た方向からゆっくりと橋を渡り始めた。ソフィアはただじっと足音が過ぎ去るのを待った。すると徒歩の兵士が橋桁から身を乗り出し、橋の下を覗き込もうとした。


「おお、居るぞ!」

 突然、老人が大声を上げた。その声に驚き兵士達も足を止める。ソフィアも驚いて水中に潜った。


「岩の向こうに大物がおる」

 そう言うと老人は釣り糸を向かい側の岩影に向けて投げ入れた。


「何だ、魚か。びっくりさせるな!」

 老人の行動に兵士達は苦笑いを浮かべると再び橋を渡り始めた。その間老人は平然と釣り糸を垂らしていたが、やがて兵士達が橋を渡り切ると、老人は手元の小さな石を掴んでソフィアの居る所へと投げ込んだ。


 ソフィアは水面から顔を出し辺りを警戒していたが、足音が聞こえなくなったのを確認すると川辺に上がった。

「ご老人。匿ってくれてありがとう。私は……」

 名前を言いかけてソフィアはその場に力なく座り込むと、意識がそのまま遠のいて前のめりに倒れ込んだ。


 †


「ここは?」

 ソフィアが目を開けるとそこは薄暗い小屋の中だった。粗末な藁の寝床から身を起こして、ヒビだらけの窓から外を見ると既に夜の帳が下りていた。


「おお、気がついたか……急に倒れ込むから驚いたぞ」

 先ほど河原で釣りをしていた老人が歩み寄ってきた。どうやらこの老人に介抱されてここへたどり着いたようだ。


「先ほども匿ってもらったうえに寝床まで貸していただき、何とお礼を言えば良いのか……」

「気にすることはない。それにさきほどもお前さんを匿ったつもりは無い。本当のことを言ったまでだ」

 そう言うと老人は快活に笑った。

「昼からずっと寝ておったからな、さぞかし腹も減っただろう。残り物の粥があるが食べられるか」

「あ、ありがとうございます」

 ソフィアの返事を確認すると、老人は簡素なかまどの前に立ち木の器に粥を注いだ。手渡された粥は青菜が入っただけの水っぽい粗末なものだったが、三日間何も食べていなかったので夢中にかき込んだ。


「お前さんが川に飛び込んだせいで魚は捕れなかったからな。今夜はそれだけだ」

 老人は長く伸びた髪を頭上で束ね、繊維がほつれたぼろぼろの服を纏っている。一見浮浪者のようにも見える容姿だが、不思議なことに不潔な印象は持たなかった。おそらく老人の所作がどこか気品を漂わせているからだろうとソフィアは思った。


 老人は粥を平らげるのを確認すると、欠けた陶器のコップに水を入れてソフィアに渡した。

「これはわしが作った解熱剤だ。今すぐ飲みなさい」

 そう言って老人は紙に包まれた粉薬を手渡した。粉薬を水とともに流し込むと、ソフィアは苦みに耐えきれずに思わず眉間に皺を寄せる。その様子を見ていた老人は愉快な笑い声を上げた。ソフィアは落ち着きを取り戻すと老人に尋ねた。

「私の名前はソフィアといいます。失礼ですが貴方のお名前は?」


「わしの名前はジン。皆はジン爺と呼んでおる。ところでお前さん、どうしてあいつらに追われていたのだ?」


 その時、板戸を激しく叩く音がした。

「ジン様!ジン様!お願いです!開けて下さい! 」


「こんな夜中にどうしたのだ」

 ジンが板戸を開けると、幼い子供を抱きかかえた女性が立っていた。


「うちの息子が夕方から急に腹痛を訴えて、ずっと嘔吐が止まらないんです。意識も朦朧としています。どうか助けて下さい!」

 ジンは必死の形相で子供の異常を訴える母親の肩を優しく摩ると、藁で出来た寝床へと誘った。


「よし、そこに寝かせなさい」

 ジンは子供の腹部を押さえて症状を確認した。指先が患部を押さえつけるたびに子供が苦痛で顔を歪めた。痛いかと尋ねるジンに子供は小さく頷く。


「ふむ……これは何かに当たったようじゃな。何を食べた?」


「羊のスープと、グクルの実のパンです」


「そうか……おそらくこれはグクルの実による中毒だ。グクルの実には中毒症状を起こす成分が含まれておる。幼い子供は解毒能力がまだ発達しておらんからこのような中毒を引き起こしやすいのだ」

ジンは子供に名前を訊ねた。子供は息を荒げながらも名前を名乗った。


「幸い意識はもどりつつあるようだから、食べた実は全て嘔吐したのであろう。明日の朝には治っておるはずだが、念のためわしが作った丸薬を渡しておく。明日は消化の良いものを食べさせ、毎食後この薬を飲ませなさい」

 そう言ってジンは母親に袋に詰めた丸薬を渡した。母親は涙を浮かべ何度も礼を言うと、子供を大切に抱きかかえて家を出て行った。


「やれやれ、医者でもないのにいつも困ったことだ」

 そう言ってジンはコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。


「貴方は医者ではないのですか?」

 ソフィアの問いにジンは振り向くと、首を横に振った。


「その前にわしの質問に答えておらんぞ。どうしてお前さんは追われておるのだ」

一瞬ジンの視線が鋭くなったように思えた。ソフィアはその感覚に何故かバトラーと似たものを感じ取った。


「承知しました。では全てお話しします。少し長くなりますが……」


「暇を持て余した老人にはちょうど良い暇つぶしになる。聞かせてくれ」


 ソフィアは頷くと自らの生い立ちから、復讐の為に偽名を名乗って王宮に入るもサイラスから王殺しの汚名を着せられてしまったこれまでの経緯を全て話した。


「……そうか。なかなか厳しい人生を歩んでおるの。だがこうやって生き延びられたのはお前さんの生命力が人並外れているのだろう。きっと死神に嫌われておるのだな」

 そう言って老人は笑うと、ソフィアのコップが空になっているのに気がつき水を注いだ。


「それでは貴方が何者なのか教えていただけますね」

 ソフィアは身を乗り出しジンに尋ねた。ジンは少し困った顔をすると白い髭を摩った。


「わしか……うむ、天涯孤独なその日暮らしの老人。その答えではダメかね」

 老人の問いかけにソフィアは首を横に振った。

「貴方が醸し出す雰囲気や所作から、ただ者ではないことは私にも分かります。正直にお答えいただけますか」


「そうか。ならばわしも少しだけ答えよう。今は世捨て人となった身だが、十年ほど前は道師サン・ジンと呼ばれておった」


 道師サン・ジン。武道を心得た者でその名を知らぬ者はいないだろう。道師とは武道、天文道、芸道など世のあらゆる道に精通し、世を渡り歩いては国王や民に生きるべき道を授ける者達の総称である。なかでもサン・ジンは歴代最強の道師とも言われ、諸国から師範としての誘いを受けるもそれを断り続けたと聞いている。


「道師様がどうしてこんな所にいるのですか」


 ジンは藁の寝床に腰を下ろすと、ゆっくりとした口調で語り始めた。

「旅に疲れたのだ。仁政を説くために諸国を回って王に謁見したが、どの王もわしの武道にしか興味を示さなかった。失望したわしは生涯をかける意味を見失いかけた。しかし先ほどの母親のように道師の助けを求める民が大勢いる。それにようやく気付かされたわしは民に交じり、残り少ないこの生涯を民のために捧げると誓ったのだ」

 そう言うと、ジンはそのまま横になった。


「お前さんはまだ熱が下がっておらん。今日はそのままゆっくり寝ておれ」

 ジンが蝋燭の火を消すと室内は闇に包まれた。そして窓から差し込む月光だけがソフィアの横顔を優しく照らしていた。

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