逃げる者と追う者
シオンは円形の柱が規則的に立ち並ぶ解放廊下を通り抜け、芝生に覆われた中庭に出た。
中央にある薔薇の蔓が巻き付いたドームのベンチに腰をかけると、バトラーに連れられて初めて城を訪れた日のことを思い出す。
あの日も満開の薔薇の香りがむせるほどに充満していて、まるでおとぎ話に出て来るお城のようだと目を輝かせたのを覚えている。
なぜ自分は軍人になろうと思ったのだろう。王室への復讐の為か、それとも無意識のうちにバトラーの背中を追いかけていたのか。それも今となってはどうでも良いことだった。復讐と言う目標を失ったシオンは心にぽっかりと大きな穴が開いたような感覚に襲われていた。
「剣を捨てた私に存在価値はあるの?」
誰に問いかけるでも無くぽつりと呟いた。
その時シオンは城内の異変に気がついた。何やら城兵達の様子がおかしい。嫌な胸騒ぎを感じドームから出ようとしたところで、十人ほどの城兵が集まってきてシオンを取り囲んだ。
「お前はシオンか」
「そうだが、一体何の用だ」
城兵達は槍の穂先を一斉にシオンに向けた。
「反逆罪で貴様を捕らえる。抵抗せず大人しくせよ」
「反逆罪だと?全く身に覚えが無いことだ。説明してもらおう」
シオンは思った。これは何かの間違いだ、国王へのお目通りさえ許されればきっとこの状況も打開できるだろうと。
「国王殺害の容疑だ」
その言葉にシオンは一瞬頭を強く殴られたような感覚を覚えた。
「国王殺害だと?ベクトル王が亡くなったのか」
「よくも白々しい。お前が剣でひと刺しにしたのではないか」
剣?シオンは腰の剣に手をやったが、先ほど国王の面前で置いてきたことを思い出して奥歯を噛んだ。
「それは何かの間違いだ。サイラス様を呼んでくれ。釈明をしたい」
「私ならここだ」
サイラスが城兵の背後から姿を現した。
「サイラス様。これは何かの間違いです」
シオンは必死に訴えかけた。しかしサイラスは意に介さずといった表情を浮かべた。
「これはお前の剣だろう。国王を突き刺した状態で見つかったのだぞ。これをどう言い訳するつもりだ!」
サイラスは剣先から柄までべっとりと血で染まった剣をシオンに見せた。
「それは確かに私の剣です。しかしそれは誓いの証として国王に捧げたもの。王に刃を向けることなど……」
シオンが話し終えるのを待たずにサイラスは言い放った。
「弁解は軍事法廷で聞こう。これだけの証拠を前に言い逃れは出来んと思うがな」
サイラスはシオンを連行するよう城兵に命じた。しかし彼はあることに気付いたらしく「待て」と言って城兵の動きを止めた。
「そもそもお前は本当にシオンなのか。まさか間者と入れ替わっているのではあるまいな」
「何をおっしゃるか。私はシオンです。どうか信じて下さい」
「ならば兜を脱げ。シオンならば顔に大きな疱瘡の跡があるはずだ」
サイラスは口元に笑みを浮かべている。その表情はまるでこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
もう言い逃れは出来ない……
シオンは覚悟を決めると兜に手をかけ、ゆっくりと脱いだ。兜の下からは白銀の髪とともに端正な女性の素顔が現れた。
「お、女!?」
城兵達がざわつく。明らかに動揺している様子だ。
「やはり間者であったか。お前がシオンと入れ替わり国王を手にかけたのだな」
「違う私は……」
シオンは弁解しようとして口をつぐんだ。もう何を言っても無駄だと悟ったのだ。
「この女を地下牢に連れていけ。法の下で裁きを下すのだ」
城兵達は槍をシオンに向けると、彼女を地下牢のある方へ誘導を始めた。
シオンはサイラスの方を振り返った。彼は相変わらず口元に笑みを浮かべたままこちらを見ている。
謀ったなサイラス
シオンの心の奥で再び復讐の炎が燃え上がった。
周りを見回して冷静に状況を確認する。城兵は槍をシオンに向けつつもその意識は穂先に向いていない。
サイラスの側に居た城兵がシオンの両脇を抱えようと近づいてきた。その瞬間サイラスの周りを固める城兵が居なくなったのをシオンは見逃さなかった。
今だ!
シオンは瞬時にかがみ、槍の穂先から逃れると近寄ってきた城兵の腰から剣を抜いた。
「貴様!何をする!」
城兵が槍を向けようとするが至近距離のシオンを捉えることができない。シオンは前転して城兵の足下をくぐり抜けるとサイラスの懐に飛び込んだ。
サイラスは咄嗟に腰の剣を抜こうとしたが、シオンが一瞬早く彼の剣を押さえ込んだ。そして背後にまわるとサイラスの喉元に剣を当てがった。
「シオン正気か?俺にこんなことをしてタダで済むと思っているのか! 」
「私は正気だ。正気を失ったのはサイラスお前だ。国王を、実の父親を手にかけるとは」
「何だと?自分が犯した大罪を、あろう事か王子である俺に着せようとするのか。笑止千万だ」
「黙れ!私はこのままお前と刺し違えてもいいのだぞ」
シオンが剣をより強く押し当てると、サイラスの喉元から一筋の血が流れた。
「道をあけろ!さもなければサイラス王子の首が飛ぶぞ! 」
シオンの殺気に押されて城兵が道を空け始めた。シオンはサイラスの首に剣を当てがったまま、城兵の間を抜けると城門に向かってゆっくりと後ずさって行く。
やがて正門近くまで差し掛かるとサイラスに門を開けるよう命令した。
「門番!命令だ、今すぐ門を開けろ! 」
門番はサイラスの命令に従った。樫の木で作られた重厚な城門は、ギシギシと音を立ててゆっくりと開いた。
「シオン、逃げてどうするつもりだ。このまま上手く逃げおおせたとしても、国王殺しの罪は消えないぞ」
「お前が働いてきた悪行は全て天が見ている。いつか必ず天誅が下るだろう」
そう言ってシオンが門を潜ろうとした時だった。城門の外から一本の矢が空を切る鋭い音を立て、彼女の背後に向けて飛んできた。シオンはサイラスの腰にかかった剣を抜くとその矢を払ったが、サイラスはその隙に乗じてシオンの腕をかわすと、城兵らの中に逃れた。
「ギリアムはいるか!」
サイラスに呼ばれて、城兵の集団からひと際体格の大きい兵士が名乗り出た。
「サイラス様、お呼びでしょうか」
「ギリアム、奴を切れ!国王を手にかけた大罪人を許すな」
「ここは私にお任せを。奴を一刀のもとに斬り伏せてご覧に入れます」
そう言ってギリアムはシオンの方に歩み寄ると、腰の剣を抜いてシオンを挑発した。
「まさかお前が女だったとはな。だがよく見るとなかなかのべっぴんじゃねえか。これが終わったら俺の女にしてやるよ。どうだ悪い話じゃないだろう? 」
ギリアムは片手に携えた大剣を肩に乗せると下衆な笑い声をあげた。
「昔からお前のその笑い方が気に食わなかったんだよ」
シオンは両手に剣を構えるとギリアムに剣先を向ける。
「その強気な顔が女の顔になってゆく様を拝んでやろう。さぁ可愛がってやるからかかってこいよ」
ギリアムが片手で手招きをする。シオンは腰を落として構えると大地を蹴り上げ、低空飛行をする鳥のような動きで一瞬で間合いを詰めた。
「覚悟しろ!ギリアム」
シオンが下段から鋭く切り上げた一太刀をギリアムは受け止めると、彼女の腹に蹴りを食らわした。シオンは地面に叩き付けられると二回、三回と回転した。
「むははは。女の太刀など痛くも痒くもないわ。白銀のシオンと恐れられたお前も、仮面を取ればただの小娘だったな」
シオンは苦痛に顔を歪めながらゆっくりと立ち上がった。そしてゆっくりと両手を広げ剣を天に向けてかざした。
それはバトラーが強敵に対峙した際に繰り出したとされる一撃必殺の大技、大鷲の構えだった。
「アルティアの大鷲、バトラーの真似事か。非力な小娘に真似ができる訳無かろう」
「ならば今度はお前からかかってこい。その煩わしい歪んだ口から切り刻んでやる」
「言わせておけば図に乗りやがって! 」
ギリアムは大地を震わすほどの巨体を揺らしシオンに向かっていく。シオンは上段から第一の太刀を繰り出すが、またもギリアムはそれを受け止めた。
「無駄と言ったはずだ」
余裕の笑みを浮かべるギリアムにシオンは第二の太刀を繰り出す。しかしそれも彼の大剣で受け流された。
ギリアムが反撃しようとした瞬間、シオンの第三の太刀がギリアムの鼻先をかすめた。その刃は彼の口角を切り裂くと、続けて繰り出された第四の太刀が彼の首元を貫いた。その一連の動きはあまりの早さゆえに、何が起こったのか誰にも理解できないほどであった。
「そん……馬鹿ぬぁあ」
ギリアムは声にならないうめき声を上げると、前のめりになって倒れた。シオンは息が絶えてすでに死体となった足下のギリアムを一瞥すると、城門の方へ駆けていった。
「急いで格子門を落とせ!」
サイラスは外側の格子門を落とすよう命令した。格子門がゆっくりと降り始める。このままでは城門と格子門の間に閉じ込められてしまう。シオンは身体を横に回転させながら格子門の下に滑り込んだ。格子門の鋭く尖った杭がシオンの頬をかすめるも、ギリギリのところで門を潜ることに成功した。
「ええい、再び門を上げよ!シオンを追撃するのだ!」
格子門が再び上がり、サイラス達がくぐり抜けたときには、シオンは五十段近くもある階段を殆ど降りかかっていた。
サイラスは城兵から槍を取り上げるとシオンに向かって投げる。槍はシオンの肩をかすめて地面に突き刺さった。
「矢を放て!休まず射ち続けろ!」
上から雨のように矢を浴びせるもシオンは剣でそれを払った。そして城下に繋いであった馬に跨がると、一目散に駆けていった。
「シオン!俺はどんな手を使っても、地獄の果てまでお前を追いつめてやるからな」
サイラスの声は城下に響き渡ったが、シオンは一度も振り返ることはなかった。
†
カリーナ達が乗ったボッツ号はついに陸地が見えるところまでジャナンに迫っていた。
「ついにジャナンが見えてきたな」
スピーノはルッツに話しかけた。
「ああ、もうすぐだ。お前達もそろそろ上陸の準備をしろよ」
「短い間だったけど本当に世話になったな。皆を代表して礼を言うよ」
「いいさ。色々あったが俺も楽しかったぜ。ところでスピーノ、お前はユーノスに着いたらその後どうするんだ」
スピーノは一瞬表情を曇らせて考え込たが、すぐにいつもの明るい表情に戻って答えた。
「もしもアルティアに戻れたらの話だが……やっぱり親父の貿易商を継ぐかな。ルッツはこれからも船乗りを続けるんだろ?」
「ああ、俺はそれ以外に能が無いからな。それよりお前が語ってたあの夢……」
「幻の大陸……だろ?もちろんあの夢も追いかけるさ。だけどまずは貿易商で一旗揚げて、それからだ」
「じゃあその時は俺を呼んでくれ。俺もそれまでにもっとでっかい船を手に入れておくからよ」
「なら俺はアルティアで一番の富豪になって、ルッツ船長の為に漕ぎ手を大勢雇ってやるぜ」
二人はそう言って笑い合うと、互いに固い握手を交わした。
「おいらのことも忘れないでくれよ」
そう言って二人の間にひょっこりと顔を出したビッツの頭を、ルッツは笑いながら手荒に撫でた。
一方カルタスは上陸を前にして不安を募らせていた。
「いくら入港が自由とはいえ、港から内陸に行く際には旅券を求められるかもしれない。けれど国を追われた俺たちにそんなものあるはずが無い。せめて身分を証明できるものがあればいいのだが」
そう言ってカルタスはいつものように腕を組むと長い思考に入った。
「あのさ、これなんか役に立つんじゃないかな」
そう言ってカリーナは袋から一枚の封筒を取り出した。封筒の表には証明書とだけ書いてある。
「きっとこれだ、ちょっと見せてくれ」
カルタスは封筒を開けて中から書類を取り出すと文面を確認した。
「どう?もしかして違った?」
カリーナは不安そうにカルタスに訊ねた。
「違うも何も……」
カルタスは書類を持ったまま何故か言葉を失っている。レヴィンはカルタスから書類を取り上げると読み上げた。
「なになにえーっと……これはこの者達がアルティア国の使節団であることの証明である。この者達に危害を加える者があれば、アルティア国に宣戦したものと看做す……ってなんだこれ!?」
「カリーナ、これ以外に何か入ってなかったか?」
「あ、あとこれも入ってたよ」
カリーナが手渡したのは大振りな造りの首飾りだった。それはアルティア王室の紋章をかたどってあり、裏にはアルティア国使節団と彫り込まれていた。
「使節団……お婆って一体何者なんだ……」
三人は首飾りを見つめたまま言葉を失った。
†
カリーナ達がお婆の話をしている頃、お婆ことリンダ・ロイスは自室で物思いにふけっていた。
リンダの膝元には航海日記と書かれた書物が広げられている。
「この旅はあの子達にとってきっと苦難の連続になる。命の危険にも晒されるだろう……じゃがそれを乗り越えたとき、あの子達は見つけるだろう。自分達の命の重さ、生きることの真の意味を」
リンダはふと何かを思い出したように立ち上がると、地下室に降りて行った。そして鎧が入っていた木箱に手を入れるとそこから金属の箱を取り出した。そこには金色に輝く短剣が入っていた。リンダは短剣を取り出すと鋭く尖った刃先を見つめて呟いた。
「お前の未来を守るため為になら、わしは命を投げうってもよいのだ」
そのとき空を切り裂くような稲光が走った。雷鳴は窓ガラスをびりびりと振るわせ、その地響きは地下室にいるリンダの身体にも伝わった。
「お前を止めるのはわしか、それとも……」
リンダは地響きに身じろぎもせず、じっと刃を見つめていた。
これで1章は終わりです。
お付き合いいただきありがとうございました。
2章は1週間程度あけたのちに再開します。




