刺繍の勇者
黄金の輝きを持ち、鋼より強靭で軽いアルテマは神の金属とも称される。アルテマはアルティア地方でしか採掘できない希少金属のため古くから重宝された。
アルティア王国はアルテマの採掘と、それを精巧に加工する独自の技術により、貿易国家として名を馳せていた。
アルティア王歴七〇五年、隣国の軍事国家グランダムはアルテマ鉱山とその加工技術を手に入れるため、アルティア王国に向け侵攻を開始。二国間の戦争は周辺国までも戦火に巻き込み、後に十年戦争と呼ばれるほど長期化した。
しかし十年戦争以降は、およそ三百年にも渡って大きな戦も無い平和な時代が続く。貿易により国は栄え、多様な文化も花開いた。かつては武器として重用されたアルテマも、今では装飾品のための貴金属として扱われ、アルテマを武器に加工する技術も次第に衰退した。誰もがこの平穏な日々が永遠に続くものと信じて疑わなかったのである。
†
時は流れ王歴一〇〇〇年。王国では王歴千年を祝う千年祭が各地で催された。かつてはアルテマの採掘で栄えながらも廃坑が続いて人口も千人足らずとなった鉱山の町セレスでも、祭を明日に控えて町人総出で慌ただしく準備が進められていた。
「だから!その飾りはもっと右だって! 」
真夏の太陽の下、少女が脚立に乗った青年に、大声で指示を出している。彼女の名はカリーナ・ロイス。腰まで伸びた髪は太陽に照らされて金色に輝き、色白で小さく整った顔はまるで人形のようだ。しかし大声を張り上げる女性らしくない態度がその美貌を台無しにしていた。
青年は脚立の上で額の汗を拭きながら、眼下のカリーナを睨み返した。
「さっきから、ゴチャゴチャうるさいぞ! そんなに気になるならお前がやればいいだろ! 」
カリーナとは対照的に、小麦色に日焼けしたその青年の名はレヴィン・キーランド。カリーナと同い歳だが、小柄な体格と童顔が相まって、年齢より幼く見えた。
「そっか、カリーナは高いところ苦手だったな」
彼は印象的な黒い瞳を一瞬細めると、意地悪な笑みを浮かべた。
「はぁ?ちょっとレヴィン、今のは聞き捨てならないわよ」
カリーナは腰に手を当てると、眉間に皺を寄せて睨みつけた。荒くれ者の多い鉱山の街で育ってきただけに、その姿も様になっている。
「煙突に登って下りられなくなったのを、私に助けられた弱虫はどこのだれでしたっけ? 」
「俺はお前に助けてくれなんて言った覚えは無いぞ。第一、お前だって屋根から下りられなくなって泣いてたじゃないか! 」
レヴィンは頭に来て語気を強めた。
「泣いてたのはレヴィンの方でしょ? 」
お互い大人しく引き下がるような性格ではないだけに、作業そっちのけで言い争いは続いた。
「まーた始まったよ、夫婦喧嘩が」
カリーナ達の様子を、遠目でにやけながら見ているのは幼馴染のスピーノだ。
「スピーノ、お前も手を動かせよ。さっきからサボってばっかじゃないか」
スピーノに苦言を呈したのは、町一番の大男コルトだった。鈍臭いと幼馴染のスピーノ達からからかわれる事が多いコルトだが、実は人一倍真面目なのだ。
「騒ぎを聞きつけてそろそろ来るぞ。あいつが」
「二人ともいい加減にしないか」
コルトが予言した通り、罵り合う二人の間に一人の青年が割り込んできた。長く伸びた黒髪を片側で三つ編みで束ねたその青年は、深いため息をつくと呆れ顏で二人を見た。青年の名はカルタス・アズール。カルタスもカリーナ達と同じ年齢だが、落ち着いた立ち振る舞いから大人びて見える。
「いつまで下らない昔話をしているんだ。日没まであと二時間しか無いというのに。みんなを取りまとめる俺の身にもなってくれ」
カルタスの言葉は、その整いすぎた顔立ちのせいで常に冷たい印象を与えた。そして頭の回転が早く思慮深いが故に、短絡的なレヴィンとはいつも喧嘩が絶えなかった。
「お前は良いよな、そうやって指示しているだけなんだから。カリーナもそう思うだろ? 」
レヴィンは同意を求めたが、カリーナは二人に気を遣ったのか、苦笑いを返すだけだった。
「俺たち朝からずっとこの暑い中休まずに働かされてるんだぜ」
「だからどうした。俺は半年も前から準備してきたんだぞ。第一おまえは…」
カルタスはいつもレヴィンに対して、まるで聞き分けのない弟を諭すように説教じみた言葉を並べようとする。それを予感したレヴィンは、咄嗟にカルタスの言葉を遮った。
「そもそもこんな小さな町で、何でこんなに盛大な式典をやる必要があるんだ。あーあ、やってらんねえ」
そう言い放つと装飾用の赤い布をカルタスに放り投げた。
赤い布には長髪の戦士が馬にまたがり、剣を振りかざしている姿が金糸で刺繍されている。カルタスは刺繍の絵柄を指でなぞるとレヴィンを見上げた。
「ここは勇者グレン生誕の町だ。明日は王都からの来賓もある。お前ももう子供じゃないんだからそれくらい分かるだろう? 」
勇者グレン。アルティアの国民なら誰もが知っている名前だ。十年戦争において劣勢にあった祖国を救った英雄とされている。
言い伝えによると華奢な体格でありながら身の丈ほどの大剣を構え、まるで稲妻のような早さで戦場を駆けると、近寄る敵を一刀両断に切り捨てたという。
人々はグレンを十年戦争の英雄と讃え、彼が携えたその大剣を覇剣グレンダイン(グレンの稲妻)と呼んだ。そして勇者グレンの名とその大剣は、後の世まで伝説として語り継がれることとなった。
「カルタス!早く来い。長老がお待ちかねだ」
カルタスの五つ歳上の兄アリストの、野太く力強い声が公園に響き渡った。
人望の厚いアリストはこの町の若者らを取りまとめる立場にいる。
「いつまでも仲良しの幼馴染みじゃないんだぞ」
カルタスは冷めた口調でそう言うと、カリーナに赤い布をそっと手渡した。
「カリーナもそろそろ自覚しろよ」
レヴィンは子供扱いされたことに怒りを覚えた。
「カルタス!お前、いつからそんなこと言うようになったんだよ!昔は……」
カルタスは長い前髪のすき間から鋭い眼光で一瞥すると、強い口調で言い返した。
「いいか、もう一度言う。日没まで二時間だ。頼んだぞ」
そう言い残してカルタスは広場で話し合う長老達の元へと足早に立ち去った。
レヴィンは拳を強く握りしめ、カルタスの背中を追った。カリーナはその険しい眼差しに気がつくと、子供をなだめるような声で話しかけた。
「ほら……カルタスもさ、責任ある仕事を任されて、ちょっと気が立ってるんじゃないかな」
「ああ、分かってるさ。あいつも立場ってもんがあるんだろう。だからってあんな言い方はないだろ」
「きっと私たちじゃ分からない重圧みたいなものがあるんだよ」
「そうだな、鍛冶屋の息子とは背負ってるものが違うだろう
からな」
レヴィンは自嘲気味に鼻で笑った。
「違うよ。そういう意味じゃないって」
慌てて弁解するカリーナの姿に、レヴィンは思わず吹き出しそうになった。
「さぁ、もう少しだ。続けるぞ」
一転穏やかな表情になったレヴィンは、カリーナに目で合図をすると再び作業を始めた。