王都アルタニア
アルティア王国の首都、王都アルタニア。建国の地として最も古い歴史を持ち、王国の繁栄の礎を築いた巨大都市である。
街の中心部から放射状に伸びる道路に沿って、蜘蛛の巣状の都市が形成されており、立ち並ぶ建築物は風格と威厳に満ちている。街の周りには堀と運河が幾重にも巡り、さらに巨大な城壁が街を覆い隠すようにそびえ立つ。街全体が巨大な城郭となっており、その姿はまるで要塞のようでもあった。
街は中央に向けて高台となっており、そこには精巧な石造りの外壁と、天を貫くように尖った屋根を持つ荘厳な城がそびえ立っている。現国王ベクトル八世が居住するアルタニア城である。
アルタニア城の玉座の間は、濃紺のカーペットが敷かれた大理石の床が広がり、装飾天井から連なる幾何学的な柱が左右対象に立ち並ぶ。部屋の中央には黄金の玉座が据えられ、背後には王家の紋章である双頭の龍が描かれている。
その玉座に鎮座している男こそがベクトル八世。周辺国を武力によって併合し、領土を王歴史上最大にまで拡張した人物である。黒獅子王との異名を持つ彼の頭髪はすでに白髪の割合が多くなっているが、五十代とは思わせないほどに肌艶が良い。眉間に刻まれた深い皺から、これまでの人生における苦悩が窺われる。
「ファレンよ。反逆者らのその後の足取りはどうなっている」
「はっ。奴らは昨日の朝セレスを出発し、ベルナへ向かいました。恐らく海路で国外への逃亡を図るものと思われます。今朝すでにガライ将軍とバトラー将軍が船団を率いて出発し、現在反逆者共を追跡しているところです」
王の前に跪く男の名はファレン将軍。東方の国ヴェイロンへの遠征において、わずか三万足らずの軍勢で十万を越すヴェイロン軍を打ち破り、国内外にその名を轟かせた人物である。非情な事でも知られ、逆らう者の一族郎党は容赦なく処刑し、主要な都市もそのほとんどが焦土と化したとされている。燃えるような赤い髪と、常に深紅の鎧を身に纏うその姿から別名、深紅のファレンと呼ばれている。
「バトラー将軍にはあらかじめ指示をしておいたが、船団とは大げさな。それはサイラスの指示か」
王は玉座の肘掛けにもたれかかりファレンに問いかけた。
「はい。全てはサイラス様のご命令です」
「グレンダインが解封された今、力でねじ伏せようとすれば、悲惨な結末を迎えるやもしれぬ。ランサーが犯した過ちから何も学んではおらんのか」
王は深く目を閉じると、独り言のように語り始めた。
「あれから十二年。あの日なぜ私は非情に徹しなかったのか。自らが蒔いた災いの種を、このような形で刈り取る日が来るとはな……」
ため息を吐き出す王は、眉間の皺をより一層深くした。
「父上は甘いのですよ」
玉座の間の扉が開き、甲高い声が鳴り響いた。
声の主はアルティア王国の皇太子サイラス。二十歳半ばにして軍部の実権を握っている。その容姿は若き日の父に似て威風堂々としたものだが、不敵な笑みを浮かべた表情が、滅多に笑みを見せる事が無い父とは印象を異なるものにしている。
開け放たれた扉を背にして、サイラスが王の元へと近づく。
「雑草は根こそぎ抜かなければ、性懲りも無くまたすぐに生えてくるものです。あんな小さな町如き、一気に殲滅すればよかったものを、まさかこの期に及んで臆されたのか」
「伸びすぎた雑草だけ刈り取れば良いのだ。お前は何でも力で解決しようとするが、力だけでは民を統べることは出来んと教えたはずだ」
その言葉を聞いて彼は一層声を張り上げた。
「何をおっしゃる。力による支配の模範を示してくれたのは貴方ではないですか」
サイラスは信じられないといった身振りをして見せた。王に跪くファレンにも目をやったが、彼はうつむいたままだった。
王はゆっくり首を振った。
「力を行使するのは力を恐れる者に対してのみだ。力で対抗しようとする者に力を行使すれば、互いに大きな犠牲を払う事になろう。とにかくグレンの末裔と剣は穏便に始末するのだ。最悪どちらかを始末出来ればよい。決して無闇に刺激して敵に回すことなどあってはならぬ」
「誇り高きアルティア軍が、たかが小娘と如何わしい剣ごとき、何を怖れる必要がありましょう。私がこれからそれを証明して見せましょう」
「お前は分かっておらんのだ。グレンの末裔が剣を解封したという、事の重大さを。グレンダインの持つ力の恐ろしさを」
「大げさな」
サイラスは鼻で笑うと両腕を腰に当てた。
「……さては奴らを見逃すおつもりか」
「否定はしない。多くの兵の血を無駄に流すことになるくらいならば、このまま見逃すのも賢明な選択肢だ」
「その甘さが、後々自らの首を絞めることにもなりかねませんよ」
サイラスは口元に微笑を浮かべると、王に背を向けた。
「おまえもいずれは国家の運営に関わることになるが、今のままでは安心して託すことはできん。己の無力を知るまではな」
サイラスはその言葉に一旦足を止めたが、振り返る事無くその場を足早に立ち去った。
王はサイラスの背中を見届けると、独り言のように呟いた。
「私の最大の後悔は、権力を持つ者に最も必要な、謙虚さや慈愛をあいつに教える事ができなかったことだ……」
ファレンはその言葉にも反応することなく、ずっとうつむいたままだった。
アルタニア城の廊下を、サイラスは肩で風を切るようにして歩いていた。通り過ぎるものは皆彼に跪いた。
向こうから銀色の甲冑をまとった騎士が歩いてきた。屋内外に関わらず常に兜を冠っている彼の名はシオン。兜の下からは銀色に近い色の頭髪が垂らされており、その容姿から白銀のシオンとの異名を持つ。
シオンはサイラスの為に道を開け頭を垂れた。
「今戻ったのか。で、戦果のほどはどうだ」
サイラスはシオンに目をやることなく、後ろに腕を組んだまま報告を待った。
「はっ。北方の異民族は根絶やしにいたしました」
その声は透き通るように繊細だった。そのことからシオンは女性ではないかという噂も立っていたが、サイラスにはそんな事どうでもいいことだった。任務に忠実な家臣。彼に対する評価はそれ以外の何者でもなかった。
「そうか、ご苦労であった。これからも国の為に励めよ」
サイラスは頭を下げたままのシオンを一度横目で見るとその場を後にした。
†
港町ベルナのカリーナ達は、ボッツ号の甲板で出航の時を待っていた。出航を見送るのはルッツの叔父とその家族の数人だけだ。
「あれ?ビッツの姿が見えないな」
レヴィンは辺りを見渡すがやはりビッツの姿は見当たらない。
「あいつは叔父の家に預けることにした。ついて来れなかった事にきっと腹を立てたんだろう」
ルッツはまるで気にしていないかのように、慌ただしく狭い船内を行き来している。
彼は甲板に立つと風にたなびく青い成人旗を見上げた。
「風も良い。さぁ出発だ」
ルッツが綱を引き三角の帆を上げると、帆は風をはらんで翼のような形になった。
旅立ちを祝うかのように、鳴き声とともに渡り鳥が空を駆けていく。
手を振って見送る叔父の一家に、ルッツらも手を振って答えた。
船は風を受けてどんどん岸から離れて、見送る叔父一家の姿も徐々に小さくなるとやがて見えなくなった。ルッツは巧みに舵を切って港の外へと船を導いていく。
カリーナは船の先端に立ち、両腕を広げ全身で風を感じていた。
「風が気持ちいいね」
髪をかき分けるその横で、レヴィンとスピーノも気持ち良さそうに風に髪をなびかせていた。
「そうだな。そう言えば船に乗るの初めてだ」
レヴィンはそう答えたが、横からスピーノの視線を感じると、そそくさとその場を離れた。
「あれ?レヴィン、どこに行くの? 」
「スピーノに聞けよ」
そう言うとカリーナの横で意味ありげな含み笑いをするスピーノを睨みつけた。
カリーナは二人を交互に見たが、そのやり取りの意味が理解できずに首をかしげた。




