プロローグ
重なり合った枝葉で朝日が遮られた町外れの林道。
普段なら人通りも疎らな道が、甲冑を身にまとった物々しい姿の兵士達で埋め尽くされている。
殺気立つ兵士達と対峙しているのは、たった一人の女だった。
その女の顔は汗ばみ、腰まで伸びた美しい金髪は、かき乱れて頬や額に張り付いている。
かつて町一番の美人と言われた女の顔は、返り血を浴びて今や見る影もない。
女の右手に握りしめられていたのは、自分の背丈ほどあろうかと思われる大剣だった。その両刃は鋭くジグザグに折れ曲がり、まるで稲妻のような形をしている。
林道に積み上げられた骸の山を目の前にして、兵士達は恐怖のあまり動けないでいた。
「死神だ…」
兵士の一人が思わず呟いた。
目の前で華奢な女が大剣を軽々と持ち上げ、まるで稲穂を刈り取るように一瞬にして兵士達の首を狩り取ったのだ。
「ぶ、武器を捨てろ!そのままゆっくり地面に置いてこっちへ来い。へ、変な気を起こすんじゃないぞ!」
小隊長らしき兵士が叫ぶ。しかしその声は震え、明らかに怯えていた。
彼を怯えさせていたのは、女の驚異的な強さだけではなかった。
女の握りしめた大剣が日陰にも関わらず、まるで陽光に照らされているように金色に輝いていたからだ。
一方で女も限界を感じていた。倒しても倒しても、兵士は無尽蔵にやってきた。これ以上抵抗してもそれはただ死期を引き延ばすに過ぎないことを悟っていた。
(もう十分よ…)
女は自分に言い聞かせるように呟いた。そしてゆっくり呼吸を整えると、覚悟を決めて兵士達に話しかけた。
「これ以上抵抗はしない。その代わり子供の命は助けると約束してくれないか」
兵士らは顔を見合わせた。小隊長らしき男がそれに答える。
「よ、よし分かった。将軍にはそう伝えよう。さぁ抵抗は止めてその剣を置け」
女が冷静に周囲を見回すと、兵士たちはすかさず目を逸らした。自分に向けられた槍の穂先はどれも震えている。
女は目を閉じ深く息を吐き出すと、兵士を目で制しながらゆっくりと剣を足下に置いた。すると先ほどまで黄金に輝いていた剣は徐々にその光を失い、やがて錆びまみれの古びた剣となった。
「さぁ、約束だ。子供たちを……」
その時、空気を切り裂くような鋭い音を立て、一本の矢が女の頬をかすめた。
「お前たち!騙したな! 」
チッと舌打ちして兵士達の後方にある茂みから射手が姿を現した。その弦にはすでに第二の矢が宛てがわれており、鋭い矢尻は女の胸元を狙っていた。
(甘かった!)
女は素早く屈むと大剣を手に取った。剣は再び輝きを取り戻し、その光は彼女の全身を包み込んで行く。
「一斉にかかれ! 」
女は一斉に飛びかかって来る槍を、まるで川魚が銛を交わすように身体をよじらせてかわし続けた。そして攻撃が止んだ一瞬を逃さず、剣を横一文字に振り切った。
ブンと鈍い音が立つと同時に、兵士達の首は宙で回転し、血しぶきを上げながら地面へ落ちて行く。
その早業に恐れを成して敗走し始める兵士にも、女は高く飛び上がり背中から容赦ない一撃を加える。兵士は首から腰にかけて斬り裂かれた。
騒ぎを聞きつけてさらに大勢の兵士がやってきた。彼らは接戦を嫌って一斉に矢を放つ。しかし女は膝が擦れるほどに重心を下げると疾走しながらそれをかわした。
すべり滑り込むようにして兵士の間を駆け抜けた瞬間、胴体と下半身とに別れた死骸が女の背後に転がった。
凄惨な光景に瞬きすら忘れる兵士達。彼らはまるで恐ろしい怪物に出会ったかのように一瞬で戦意を失い、目前に迫ってきた死の恐怖に打ち震えていた。
女は彼らに睨みを利かせつつ大剣を正面に構え、ゆっくりと歩き始める。兵士達は足音を立てることすら恐れるようにゆっくりと後退を始めた。次第に女の歩調が早くなるにつれ、中にはつまずいて転がる者や、腰を抜かしてその場に座り込む者などが出始めた。
「お、女一人に何を狼狽えている!それでも誇り高きアルティアの兵士か!」
小隊長らしき男が叫ぶが、兵士達は一目散に敗走を続けた。兵士達の背後から斬りかかろうと、女が大剣を振りかざしたその時だった。
「それ以上近づけば子供達の命は無いぞ」
声は女の背後から聞こえた。振り向くとそこには二十人ほどの兵士が剣や弓を構えており、中央に立っている若い男が廃坑を指差していた。
彼は他の兵士より身分が上なのだろう。ただ一人、鎧の上から膝下まである濃紺の外套を身に纏っている。
女は焦った。なぜなら男が指差すその廃坑の奥に、幼い二人の娘を匿っていたからだった。
「やはり子供達はこの中か。抵抗を続けるなら子供達を今すぐ引き摺り出し、目の前で首を刎ねてやってもいいんだぞ」
女は迷った。自分の命は惜しくない。ただ降参したとしても子供の命は助かるだろうか。いや、奴らの狙いは王を脅かす存在である自分達を抹殺すること。降参しても子供達が助かるという保証は無い。
(ならば助ける術はただ一つ!)
女は覚悟を決めた。踵を返すと廃坑に向けて全速力で駆けて行く。前後から雨のように飛んで来る無数の矢を剣で払い除けるが、そのうち数本は脚や肩をかすめた。しかし女は痛みに顔を歪めながらも留まること無く走り続ける。
「行かせるか!大人しくここで死ね!」
男が振り下ろした剣を、女は背後に跳んでかわす。と同時に男の顔に向けて水平に斬りつけた。体勢を崩しながらも剣先は男の左目をかすめた。
「うおぉぉ、俺の、俺の目がぁ!」
男は左目を押さえてその場にうずくまった。
「ガライ様!大丈夫ですか」
「俺のことは気にするな!早く女を殺せ!将軍が到着する前に片付けるのだ!」
女は振り返りもせず一目散に廃坑に駆け込んだ。坑内は明かりも無く真っ暗だったが、剣が放つ明かりが松明代わりとなって行く先を照らした。
少し進んだ所には坑道があり、その横に地盤沈下で出来たと思しき横穴があった。それは大人一人がやっと通れるほどの幅しかなく、そこに子供達を隠れさせていたのだった。
「お母さん! 」
暗闇に今にも泣きそうな女児の声が響く。
「二人とも何があってもそこから動いたら駄目よ」
女は暗闇に向かってそう言うと、大剣を頭上に大きく振り上げた。
(剣よお願い。どうか二人を守って)
女が剣を振りあげると、剣はますます輝きを増し、坑内はまるで昼間のような明るさになった。
地面に剣を振り降ろされた剣は大きな金属音を響かせ、穴の入り口を塞ぐように真っ直ぐ地面に突き刺さった。
女はそれが抜けないことを確かめるとそっと手を離した。すると先ほどと同じように剣は徐々に輝きを失い、再び錆びにまみれた剣となった。
背後まで迫った兵士達の足音に振り向く。その瞬間、槍が女の胸を貫いた。激痛が走り叫び声を上げそうになったが、子供達に聞かしてはなるまいと必死で声を押し殺した。続けて繰り出された剣が喉元を深く掻きると、女は血を吹き出しながら仰向けに倒れた。
血だまりの中、女は手を伸ばし指先で剣に触れた。だが剣は二度と輝くことはなかった。
遠ざかる意識の中、女は願った。二人で手を取り合って、どうか母の分まで生きて欲しいと。