STEP.0 トウカイテイオー
1957年、競馬に多大なる貢献をした有馬頼寧氏の急逝を受け、中山グランプリと言う大レースから名を変えて誕生したG1、有馬記念。
それは、中山競馬場の特異なコースか、はたまた神の気まぐれか―。
それまで『燃え尽きた』と言われていたかつてのG1馬が輝かしいばかりの復活を遂げたり、記憶に残る名勝負が数多く生まれるレースでもある。
古くはテレビ中継のカメラから消え、そこから『ナタの切れ味』をいかんなく発揮し大外強襲で勝利を収めたシンザン。
76、77年の2年に渡り繰り広げられたトウショウボーイとテンポイントの激闘で、テンポイントがリベンジを果たしたのもこのレース。
最近では何と言っても、無敗で駒を進めてきた三冠馬、ディープインパクトがまさかの敗戦を喫したのが印象深い。
現在57回のドラマを産み出している有馬記念のその第38回、1993年、12月26日のこと。
中山競馬場は、集いしそうそうたるメンバーたちを前に、独特の雰囲気に包まれていた。
応援する馬が勝つのかどうかと、発走の時をワクワクしながら待つ、ファンの高揚感と、期待に応えなければという関係者たち全員にかかるただならぬプレッシャー。
その中に、綺麗な流星が目立つ鹿毛の牡馬がいた。
トウカイテイオー。
この馬こそ、第38回、有馬記念という『ドラマ』の主役である。
彼は、今までの自分の道程を思い返していた。
新馬戦での快勝、そして単なる良血馬から、皐月賞馬、日本競馬で最も栄光ある日本ダービー馬へと飛翔していく。
当然父に続いての三冠馬の誕生が期待されたが、テイオーに悪夢が襲いかかる。
左第3足根骨骨折・全治6か月。
最大のライバルがいない菊花賞を制したのは、ダービーでテイオーに完敗を喫していたレオダーバンだった。
翌年に大阪杯で戦線復帰すると、並みいる強豪を前にして鞭も使わずに完勝。
天皇賞(春)に駒を進めたテイオーの前に立ち塞がったのは、親子三代天皇賞制覇を成し遂げた白きステイヤー、メジロマックイーン。
テイオーは『地の果てまで駆ける馬』、マックは『天まで駆け登る馬』と称され、この対決は『世紀の対決』と大きな話題を呼んだ。
ところが。
本番の天皇賞(春)、テイオーは鮮やかに勝利を決めたマックとは対照的に、生涯で初めて5着と連を外してしまう。
その後、二度目の骨折が判明。
天皇賞(秋)で復帰したものの、レースは競り合うメジロパーマーとダイタクヘリオスが前半1000m通過が57.5秒と言う、『超ハイペース』を作り出し、折り合いのつかなかったテイオーは、人気薄のレッツゴーターキン他に屈して再び連を外す7着。
次走はジャパンカップへと定められた。
天皇賞(秋)での惨敗、そしてこの年は『史上最高のメンバー』と称される強豪揃い。
テイオーは10.0倍の5番人気であった。
それでも道中4、5番手をスムーズに先行、最後はナチュラリズムとの叩き合いを制して、シンボリルドルフ以来、三頭目の日本馬のジャパンカップ制覇を成し遂げた。
年末には、投票1位で有馬記念に出走したものの、見せ場なく、終始後方の11着。
生涯最低の着順に終わると、翌年になって筋肉を痛めていたことが判明。
休養に入り、宝塚記念での復帰が予定されていたが、またしても骨折。
復帰レースは1993年の末、そう、『奇跡のレース』となった第38回有馬記念になる。
出走馬は、菊花賞馬ビワハヤヒデを始め、ジャパンカップ馬レガシーワールド、天皇賞馬ライスシャワー、前年の有馬の覇者メジロパーマー、ダービー馬ウイニングチケット、牝馬二冠馬ベガ…。
休養明け、それも一年ぶりに出走する馬が、勝てるようなレースではない。
それが常識であり、定石であった。
しかし、レースでテイオーは、最盛期さながらの鋭い末脚を繰り出し、1番人気のビワハヤヒデを半馬身下し、勝利を収めた。
二年前のダービー馬に、一日遅れのクリスマスプレゼント。
鞍上の田原も、思わず男泣きしてしまう程の、劇的な復活劇。
「この勝利は、日本競馬の常識を覆したトウカイテイオー、彼自身の勝利です。彼を褒めてやってください」
と田原は語った。
優勝帯を着けたテイオーはどこか誇らしげで、まだ見ぬ、空の向こうの地を見つめているようにも見えた。
その後、翌年の天皇賞(春)を目指していたテイオーだが、四度目の骨折。
経過が思わしくないことから、レースに間に合わず、引退し種牡馬入りとなった。
しかし、2001年にトウカイポイントがマイルチャンピオンシップを、2005年にストロングブラッドがG1に昇格したばかりのかしわ記念を勝ったものの、両者共に種牡馬としての価値は認められなかった。
そして、2013年現在、トウカイテイオーを父に持つ種牡馬はおらず、競走馬も少ない。
だが、人々は知らない。
ただ一頭、その一頭だけには、テイオーが己の全てを伝えた仔馬の、誕生の時が近付いているのを。
これは、過酷な競走馬の世界に、トウカイテイオーの息子として誕生した、一頭の競走馬の物語である―。




