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第五話 疑念の狭間(後)

 シィラとゼジッテリカが去っていくのを、ギャロッドは横目で見送った。不思議な女性だ。あれだけのことを言われてたじろがないとは、やはりただ者ではないのだろう。どうやらゼジッテリカは彼女を信用しているようだし、直接護衛としては適任だった。

 いや、適任すぎると言うべきか。だからこそ警戒するべきだった。確かに彼女にはゼジッテリカの命を奪う機会が幾度となくあっただろうが、しかしそれだけを理由に信じられるものでもない。信用されるためにあえて動いてない、という可能性もあるのだ。

 扉が閉まる音を耳にして、ギャロッドは細く息を吐き出す。

「すみませんね、ギャロッド殿。ゼジッテリカがいてはまともな話ができないでしょう」

「いえ、そんなことは。しかしテキア殿、一つうかがいたいのですが」

 ギャロッドは額当てに指先だけ触れると、テキアの切れ長の瞳を真っ直ぐ見据えた。シィラはもう近くにはいないだろうから、はっきり尋ねることができる。いや、いてもかまわないという気さえしていた。もし彼女が魔物ならば、人間の聴力など基準にはできないのだ。

「テキア殿は、本当に彼女を信頼しているのですか?」

 確認したかったことはそれだった。いや、実を言えば彼女だけでなく護衛全てに言えることだった。それはギャロッドを含めて、だ。魔物にとってみれば、狙う先で護衛を募集しているならそこに潜り込む方が手っ取り早いだろう。その危険性を彼はどう判断しているのか? その辺りをギャロッドは聞いてみたかった。

 するとテキアは苦笑しながら短い髪を撫でつけた。その黒い瞳には不思議な光が宿っており、胸の内を容易にはうかがわせない。ギャロッドは固唾を呑んで返る言葉を待った。するとテキアの視線が一瞬、扉へと向けられる。

「そうですね、信頼はしていません。ですが頼りにはしています」

「は?」

「彼女がゼジッテリカに危害を加える気がないのは、わかっていますから」

 そうはっきり言い切ったテキアは、机へと向かった。そしてその上に放られている書類をまとめて、うっすらと口の端をつり上げる。しかしギャロッドはますます困惑した。テキアがそう確信する理由が謎だ。肝心なところが説明されていない。思わず眉根を寄せたギャロッドは、テキアの手元を見つめながら口を開いた。疑問は難なく声となって出ていく。

「何故そんなことがわかるのです?」

 問われたテキアは、顔を上げてギャロッドを見た。何故わからないのか、と尋ねるかのような視線だった。だが彼は思い直したように唇を結び、わずかに眉根を寄せて考え込む。沈黙は、すぐに破られた。

「それくらいなら彼女の気でわかります。負の感情は気に表れやすい。それを全く露出させない者などいないと、そう言っても過言ではないかもしれません。あなたにはわかりませんか?」

「……オレは気の察知が苦手なので、そこまでは」

 テキアはそう言いながらまとめた書類を机の脇に置いた。その動きを目で追いながら、ギャロッドはしばし考える。

 テキアの戦闘能力はそれほど高くないと、ギャロッドは噂で聞いていた。しかし能力が高くないわけではないようだった。おそらくは気による情報処理を得意としているのだろう。それならば疑問は解けた。護衛の基準はそれだ。テキアはその能力でもって護衛を選び出していたのだ。もっとも口で言う程たやすい作業ではないと思うが。

「テキア様、いらっしゃいますか?」

 すると背後の扉を叩く音がして、若い男の声が廊下から聞こえてきた。どことなく上品なものを感じさせるこれは、十中八九シェルダのものだ。何回か顔合わせをしたことがあるからギャロッドでもわかる。彼は屋敷内警備の隊長だった。

「はい、どうぞ。開いてますよ」

 だからテキアがそう返事すると同時にギャロッドは扉から離れた。シィラは器用に彼の横をすり抜けて出ていったが、シェルダもとはいかないだろう。

 それにそのまま突っ立っていては、シェルダはギャロッドの後ろに隠れてしまう。大柄なギャロッドと違って、シェルダは細身だった。防具も簡素であまり大きくない。とは言ってもかなりの値打ち物らしいから、やはり腕の立つ技使いなのだろう。

「失礼します、テキア様。実は屋敷内警備のことなんですが――」

 部屋に入るなりそう口にしかけたシェルダは、テキアとギャロッドを見比べて眉をひそめた。その踏み出しかけた細い足も中途半端な位置で固まっている。妙な反応だなと思い、ギャロッドは首を傾げた。今日はやけに疑問が生まれる日だ。

「どうかしたんですか? テキア様もギャロッドさんもそんな怖い顔をされて」

 妙な体勢で固まったシェルダは、そのままの恰好でテキアとギャロッドを交互に見た。そんなに怖い顔をしているだろうかと、ギャロッドはテキアを一瞥する。しかしテキアの表情は先ほどよりも柔らかいくらいだった。とは言ってもゼジッテリカに会っている時よりは、ずっと硬くなっていたが。

「そんなに怖い顔をしていますか?」

「えーっと、その、強ばっているように見えます」

「そうですか」

「その、何かあったんですか?」

「いえ。我々の中に魔物が潜んでいる可能性があると、そういう話をしていたんです」

 シェルダに尋ねられたテキアは、あっさりとその話題を口にした。ギャロッドも驚くくらい躊躇いがない言葉に、シェルダは妙な体勢のままさらに硬直する。当然の反応だ。動揺しない方がおかしいのだ。そう、あの時のシィラのように。

「テ、テキア様……」

「念のため考えておくべきでしょう。シェルダ殿、あなたも気にしておいてください」

「それはつまり、僕も疑われていると?」

 シェルダはぎこちない動きで体勢を立て直すと、ようやく真っ直ぐと立った。顔色は悪いがその翡翠色の瞳は険しい光を帯びている。穏やかそうな彼だが、さすがに気に障ったのだろう。

 だがゆるゆると首を横に振ったテキアは、シェルダの様子など意に介していないようだった。机の表面を軽く撫でてほんの少し瞳を伏せる。生成色のそれは、黒服を纏ったテキアとは対照的だった。

「誰が、とは言いませんし言えません。誰が誰を疑っているのかもわかりません。気である程度は判断できますが。しかし私たちは魔物の能力などほとんど知らないのですから、用心するに越したことはないでしょう」

 冷静なテキアの発言に、こわごわとシェルダはうなずいた。そう言われれば激昂することもできない。そもそも雇い主なのだから逆らうことはできないのだが。

 では何故シィラは頼れるのだろうか?

 ふとその事実に気がつきギャロッドは困惑した。魔物がいないとは言い切れない。疑うしかない。だがシィラはゼジッテリカを傷つける気がないと、そうテキアは断言する。そういった負の感情を発していないと。

 それは、つまり、こういうことではないだろうか? 彼女が発していない負の気配を、他の護衛は幾ばくかは発していると。そんなことが本当にあり得るのだろうか?

「そ、そうですね」

「仕方のないことなのです。ファミィールを守り抜かなければならないのですから」

「そう、ですね」

 ギャロッドが考え込んでいる間、シェルダは力無い返事を繰り返していた。どちらかと言えばシェルダに同情気味だったギャロッドは、そんな彼を気の毒そうに見やる。

 変わり者が多いこの護衛の中で、シェルダは割と常識人に近い方だった。孤高の副隊長やらすぐわめく副隊長やら、とにかくやっかいな者ばかりなのだ。

 そういう意味ではギャロッドと彼が屋敷外、内の隊長に選ばれたのは納得できることだった。いくら実力があっても向き不向きというものがある。集団を把握したりまとめるのに適さない者が、この護衛にはかなりいた。もっとも流れの技使いなど大概一人で仕事を引き受けるのだから、単独行動を好むのは仕方のないことかもしれないが。

「ええ、本当残念なことに。しかしこの空気が、ゼジッテリカに伝わらなければいいのですが……」

 テキアはつぶやいて、一瞬目を伏せた。普段怖いくらい冷静な彼も、ゼジッテリカのこととなるとずいぶん人間らしくなる。ギャロッドはやや視線を逸らして唇を結んだ。

 確かに、まだ幼い少女にこの空気は辛いだろう。ただでさえ魔物に狙われるという心臓が縮み上がる状況に置かれているのだ。なのにそれに加えどこに魔物が潜んでいるかわからないだなんて、恐怖で絶叫したとしてもおかしくはなかった。

「ならば――」

 すると俯いていたシェルダが顔を上げた。ギャロッドは彼へと視線をやり、その硬い横顔から棘にも似た何かを感じ取る。普段のシェルダとは違った。おそらくそれは、流れの技使いがよく浮かべる一種の表情だ。

「ならば一番怪しいのは彼女ではないですか?」

 シェルダが口にしたのは、先ほどギャロッドが尋ねたことと同じだった。内心笑い出しそうになりながら、ギャロッドは慌ててさらに唇を強く結ぶ。思考回路が似ているのだろう。ならばこれから仕事がやりやすいなと、ほんの少し安堵した。ただし、シェルダが魔物でなければの話ではあるが。

「シィラ殿、ですか?」

「ええ、ゼジッテリカ様を部屋の外へ連れ出すとか、考えられないことをしていますし」

 うなずいたシェルダは眉根を寄せて肩をすくめた。もしその話が本当だとしたら確かにおかしい。怪しんだとしても無理のないことだった。ゼジッテリカの部屋が一番安全なのだし、それを前提に警備体制を整えているのだ。そんな根本を崩されては他の護衛が困る。

「先ほどギャロッド殿も同じことを言ってましたよ」

「は? ああ、そうなのですか」

「ええ。ですが彼女がもしそうなら、既にゼジッテリカの命はありません」

「ああ……それもそうですね」

 そうテキアに説明されて、シェルダは軽く相槌を打った。けれども表情では納得していないようだった。部屋から連れ出したことが相当引っかかっているのだろう。ひょっとしたら今も、そのことについて相談しに来たのかもしれない。

 直接護衛。それは相当重要な役回りだ。それでいてこうした問題もはらんでいる。普通の仕事ならばそんなことまで気にすることはないのだが、ここはファラールを支えるファミィール家だ。多くの者が集い、多くの者の思惑が交差している。そんな中護衛の選出をやってのけたテキアには、さすがファミィール家の者だと拍手するべきだろうか。

 だがそこである重要な事実を思いだし、ギャロッドは辺りを見回した。直接護衛、それはゼジッテリカだけについているのではないのだ。テキアにだって存在している。

「そう言えばテキア殿、バン殿は?」

 ギャロッドはその直接護衛の名を口にした。テキアの直接護衛はバン=リョウ=サミーというちょっと風変わりな男だ。しかし腕は確かで、ここらにいる流れの技使いの間ではなかなかの有名人だったりする。ギャロッドもはじめその名前を聞いた時は驚いたものだ。さすがはファミィール家だなと感嘆の声を上げそうになった。

「ああ、バン殿ですか。彼には屋敷内を一通り見てもらっています。戦闘が終わったようなので」

「ちょ、ちょっとテキア様、直接護衛と離れてどうするんですか! 意味ないですよ!」

 テキアがそう答えると、すかさずシェルダが顔をしかめてそう声を上げた。その細い体からは若干力が抜けている。

 それはそうだろう。魔物が潜んでいるかもと話している最中、その直接護衛は屋敷内をうろうろとしていたのだ。危険だと警告する割に自分に対する警戒心が薄い。ひょっとしたら彼は、ゼジッテリカのことだけを心配していたのかもしれなかった。テキアがいなければ大変なことになるというのに。

「そうですよテキア殿。いくらテキア殿が技使いであるとはいえ、相手は魔物なんですから」

 思わず脱力したギャロッドも、苦笑しながらそう注意してみた。三十も半ばだろうに、テキアは時々そういう無謀なことをしていた。冷静なのに、だ。そのアンバランスさは彼故なのか、それとも金持ちの常識のなさがそうさせるのか、ギャロッドには判断できない。

「常に誰かと一緒、というのはなかなか慣れないものでして。つい機会があると、ね。ですからゼジッテリカやシィラ殿を尊敬しますよ。まあ屋敷内ですし大丈夫でしょう。バン殿もすぐ戻ってきますし」

 どう答えるのかと待っていたら、テキアはそう告げて苦笑いを浮かべた。先ほどの話の時とは打って変わった様子だ。ギャロッドは思わずシェルダと顔を見合わせて、何とも言えずに曖昧な表情になる。

 やはりこの仕事は前途多難だ。

 そう感じさせるのに十分なものを、テキアも携えていた。ギャロッドはこぼれそうになるため息を、何とか飲み込んだ。

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