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第四話 相見えし敵(後)

 部屋の中にいても、外で戦闘が行われていることは明らかだった。時折聞こえる轟音にあわせて、窓が小刻みに揺れては不穏な音を立てる。その度にどこで爆発が起きたのかと怯え、ゼジッテリカは背中を丸めた。

 今戦っているのは、屋敷外警備の者たちのようだった。屋敷の中も緊張に包まれてはいるが、まだ騒然といった風ではない。落ち着いているとまではいかなくとも、狼狽えた空気はなかった。ということは押し込まれてはいないのだろう。

 ゼジッテリカは震える指先をそっと伸ばして、左隣にいるシィラの袖をぎゅっと握った。まだ大丈夫だとわかっていても怖いものは怖い。不安は消せない。だから自然と体はシィラへと寄っていった。すると重心の移動にともなって、ベッドが軽く音を立てる。

「ねえ、シィラ」

「はい? 何ですかリカ様」

「魔物が襲ってきたの? その、リカを殺しに?」

 沈黙に耐えられずに、おそるおそるゼジッテリカはそう尋ねた。口にするのも躊躇われる言葉だが、静寂に押しつぶされるよりはまだましな気がする。するとシィラはゼジッテリカを見下ろして、ほんの少し頭を傾けた。軽く結わえられた黒髪の先が音もなく揺れる。

「残念ながらそのようですよ。リカ様か、もしくはテキア様を」

「……テキア叔父様は大丈夫なの?」

「彼は技使いですから、簡単には死なないでしょう。それに彼にも直接護衛がいますから」

 ふと思いついてさらに問いかけてみれば、シィラはそう答えて微笑した。よく考えてみればテキアにだって護衛は必要なのだ。技使いであっても、魔物に対抗できる力のある者はそう多くない。テキアがどのくらいの実力なのかゼジッテリカは知らないが、たぶんそこまでではないのだろう。

 自分のことばかり考えていたように思え、ゼジッテリカは恥じ入りたくなった。本当はテキアだって危険なのだ。なのに自分だけが守られるべき存在のように思っていた。テキアだって同じ立場のはずなのに、彼はゼジッテリカを人一倍気遣ってくれている。

 では何故、この屋敷ばかりが魔物に襲われるのだろう?

 するとふとそんな疑問が頭をよぎり、ゼジッテリカは小首を傾げた。金持ちが狙われるのはよくあることだが、魔物に狙われるというのはあまり聞いたことがない気がする。

 しかもファミィール家はかなりしつこく狙われていた。父親だけでなくその家族も、というのは珍しいのではないだろうか? 一度不思議に思うと気になって仕方がなくなり、ゼジッテリカは真下からシィラの瞳を覗き込む。

「ねえシィラ、一つ聞いてもいい?」

「ええ、私が答えられることならば」

「どうして魔物はここを襲ってくるの? どうしてここばかり狙うの?」

 単刀直入に答えてもシィラなら答えてくれるだろうと、ごまかさずに答えてくれるだろうという確信があった。何故だかあった。使用人のように困惑顔でおろおろとすることはないし、かつての父のように辛そうに首を横に振ることもないだろう。

 もし言えなければ、言えないとシィラならちゃんと言ってくれるはずだ。腫れ物のように扱ったりしないし、のけ者にはしない。シィラはゼジッテリカのことを、一人の人間としてちゃんと扱ってくれていた。ただの護衛であるはずなのに。

「リカ様は誰からも聞いていないのですか?」

 そう言って首を傾げると、シィラは左手の人差し指を頬に当てた。右手の袖はゼジッテリカが握っているから動かせないのだ。

 ゼジッテリカは首を縦に振り、続くシィラの言葉を待つ。シィラは言葉を探しているのか、小さくうなりながらあちこち視線を彷徨わせた。明かりを反射するその黒い瞳は綺麗で、ゼジッテリカはずっと見ていたい気持ちになる。

「そうですねえ……。ちょっと難しい話になりますが。このファミィール家はここファラールの中心であり、活気の原動力ともなっています。それはわかりますよね? 彼らはこの星を混乱の渦に巻き込みたいらしいんです。そのためにはファミィール家はいい標的なんですよ。だから執拗に狙ってくるんです」

 しばらくするとシィラはそう説明して、ゼジッテリカの顔を覗き込んできた。が、正直その説明だけではよくわからないところがあった。ゼジッテリカはこの屋敷の外のことをあまりよく知らない。知らされていない。使用人たちの話から断片的に得られる情報だけが、ゼジッテリカの全てだった。

 するとゼジッテリカの様子から理解されなかったことを知ったのか、シィラは困ったように頬をかいた。そして言葉を重ねようと、口を何度か開閉させる。

「えーとですね。この星の経済は、ファミィール家によって成り立っていると言っても過言ではありません。ファミィール家の息のかかった施設も多いですし、そのおかげで成り立っている産業すらあるくらいです。その当主が亡くなっただけでなく弟も、娘も亡くなったとなれば、皆はどう思います? ファミィール家だけでなくファラールの星そのものにも暗雲が立ちこめる、そう思うでしょう? それが彼らの狙いなのです。彼らが欲しているのは皆の不安なのですから」

 シィラの言葉は、今度はすんなりとゼジッテリカにも飲み込むことができた。そこまではっきり言われればさすがに理解できた。だがそれと同時に衝撃も受け、ゼジッテリカは息を呑んだ。心臓の鼓動が速くなる。

 この屋敷が狙われる意味を、自分が死ぬことの意味を、その重みまでもを思い知らされてしまった。彼女はよく実感していなかったが、ファミィールは実はそれほど大きな力を持っていたのだ。

 だからテキアの呼び声でこれだけ多くの護衛が集まった。しかも腕の立つ者たちばかりが。呼びかけたのがファミィール家の者でなければ、きっと魔物相手の仕事など誰も引き受けなかっただろう。

 顔から血の気が引いていくのがわかって、ゼジッテリカは俯いて唇を噛んだ。

 何故今まで皆が必死になってきたのか、是が非でもゼジッテリカを守ろうとしてきたのか、今になってようやくわかった。外へ出たいと言って駄々をこねても、どうしてずっと無視されてきたのか、が。この星の今後にも関わってくるだなんて、そんな大きな話になっているだなんて思いもしなかった。

「魔物は、みんなを、不安にさせたいの?」

 体ごと飲み込まんとする恐怖に抗おうと、ゼジッテリカは俯いたままシィラに尋ねた。何か別のことを口にしていないと、不意にとんでもないことを口走りそうで恐ろしかった。するとシィラはの左手がそっと伸びてきて、袖を握るゼジッテリカの手に重ねられる。

「はい、そうです。彼らは人々の不安や恐怖を欲しています。ですからここが狙われるんです」

 答える声の優しさにふと視線を上げると、黒い瞳にゼジッテリカの姿が映し出されていた。怯える子どもそのものの姿。自分だとは信じたくない弱々しい姿。ゼジッテリカはさらに強くシィラの袖を握り、声を絞り出した。今はとにかく、何であろうと支えるものが欲しい。

「リカ、死なない?」

「ええ、大丈夫です、私が死なせません。そのために雇われたんですから、そのための直接護衛ですから。私があなたを守りますから、だからそんな不安そうな目をしないでください」

 シィラはそう言って破顔すると、前触れもなくゼジッテリカの額に口づけしてきた。あまりに突然のことで、予想外すぎて、ゼジッテリカは声も出せずにただ体を強ばらせる。

 口づけなんて久しぶりだ。母が亡くなる前は、一人は嫌だと駄々をこねるゼジッテリカによくそうしてくれていた。けれどもその後は誰もしてくれていない。サキロイカやテキアはそういう愛情表現をしなかったし、使用人ならばたぶん、したくても恐れ多くてできなかったのだろう。誰も必要以上に触れてくることはなかった。

 だから嬉しかった。母親の面影に触れたようで、温かくてくすぐったかった。

「あなたの笑顔は人々の希望になります。リカ様、私がお守りするのはあなたですが、でも怯えきったあなたじゃあないんですよ。笑ってるリカ様なんです」

「……でも」

「はい?」

「みんなが望んでるのはファミィール家の娘だよね? それはリカじゃあないよね?」

 それなのにゼジッテリカはそう聞いていた。シィラの行為も言葉も素直に受け取りたかったのに、なのに何故咄嗟にそんな言葉が口をついて出たのか、ゼジッテリカにもよくわからなかった。ただ気づいたらそう言っていた。驚いたのかシィラは息を呑み、瞬きを繰り返して閉口している。こんなシィラを見るのは初めてだ。

 不意に窓の外から轟音が響いてきた。戦闘はまだ続いている。戦っている人がいる。皆はファラールのために、ファミィール家存続のために戦っていた。

 しかしその事実がゼジッテリカの心をさらに掻き乱した。彼らが守ろうとしているのはファラールの未来であり、そのためのファミィール家だ。ならばゼジッテリカはそのどこに存在しているのだろう? どこに立っているのだろう?

 ファミィール家の娘という大きな存在、ここで怯える小さな自分、それが上手く重ならずにゼジッテリカは唇を噛んだ。

「リカ様は、それで傷ついていらっしゃるんですね」

 ようやくシィラが絞り出した言葉は、少し寂しげだった。だがその理由がわからない。ゼジッテリカが眉根を寄せて目を伏せると、震えていた指先がゆっくりと撫でられた。シィラの細い指先を、ゼジッテリカはぼんやりと眺める。

「確かに皆さんが望んでいるのはファミィール家の娘としてのリカ様です。ですがこれだけは忘れないでください。リカ様はリカ様であると同時に、ファミィール家の娘なんです。その二つを切り離すことはできないんですよ。皆誰もがそういう幾つもの自分を抱えているんです」

 シィラがそう告げた次の瞬間、ひときわ強い轟音が窓を揺るがした。驚いてゼジッテリカが顔を上げると、シィラの視線は天井へと向けられている。横顔がいつになく神妙だ。そして見たことのない鋭さをはらんでいる。

 しばらく彼女は天井の一点を睨みつけていたが、続けて部屋の周りを丹念に見回し始めた。その異様さにゼジッテリカが瞠目すると、シィラは音も立てずにベッドから立ち上がる。袖を握ったままだったゼジッテリカは、その左手だけが持ち上げられた恰好になった。

「どうやら終わったみたいですよ、リカ様」

「え? ……もう!?」

「雇われた護衛は優秀ですからね。それにあちらの方も、今日は様子見というところでしょうし」

 そう説明したシィラの双眸が、再びゼジッテリカへと向けられた。そこには先ほど見た寂しげな色も鋭さも存在していない。いつもの穏やかなシィラだ。戦闘が終わったことに安堵したゼジッテリカは、袖を離すとゆっくりベッドから立ち上がった。指先に妙な力が込められていたせいで、まだそこは硬く強ばっている。

「そっか、良かった」

 宙ぶらりのままの話題は掘り返さずに、ゼジッテリカはそう答えて無理矢理笑顔を浮かべた。あのシィラの言葉が意味することはわからないが、今はそれより無事だったことを喜ぶべきだろう。

 護衛にどれくらいの被害が出たのかもまだ明らかではない。だがおそらくこのようなことが何度となく繰り返されるはずだ。その度ごとに怯えていてはいけないと、ゼジッテリカは自らを奮い立たせた。

 それがいつまで続くかは、今は考えないでおくことにする。

「それではテキア様のところへ向かいましょう。リカ様の無事をお知らせしないと」

「……うん」

 歩き出すシィラの後を、ゼジッテリカは追った。シィラの背中が記憶にあるよりも遠く見え、少しばかり胸が痛む。それは罪悪感にも失望にも似ていた。漠然とした怒りとも悲しみとも悔しさとも言い切れない感情が、じわじわとゼジッテリカを蝕んでいく。

 自分が何を期待していたのか、シィラに何を求めていたのか、よくわからなくなった。それ故無邪気にすがることもできずに、伸ばされた手をゼジッテリカはあえて無視した。

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