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第一話 ファミィール家の護衛

 外から思い出したように聞こえてくるのは、男たちの獣のごときうなり声だった。いや、実際それはまさにうなり声だった。ただ彼らは血気盛んなだけであって誰かを威嚇しているわけではない。少なくとも今は、彼らの目の前に敵はいないはずだった。そう、いてはならないのだ。そのために男たちは雇われているのだから。

「でもうるさいよねえ」

 窓を振るわせる耳障りな声から意識を遠ざけ、ゼジッテリカは手にした人形を抱きしめた。彼女と同じ明るい金髪の人形は、しかし記憶にあるよりは幾分薄汚れている。その頭を撫でながら、彼女は唇をとがらせた。

 一人きりの部屋は暖かいはずなのに寒い。まだ十も越えない少女にとっては広すぎる部屋だ。しかも今は念のため光量を落としているため、普段よりもずいぶん寂れた印象だった。ここは寒すぎる、この空気は冷たすぎる。

「でもさ、この部屋にさ、他の人が入ってくるんだって。テキア叔父様が言ってたんだ。嫌だなあ」

 だが他人がここへ足を踏み入れることを、ゼジッテリカはよしとしていなかった。ここは彼女にとって聖域だ。この部屋に入っていいのは今は亡き父と母、そして叔父のテキアだけ。その他は何人たりとも入れたくなかったのだが、そう我が侭も言っていられない状況になってしまった。不満だが仕方がない。

 父サキロイカが亡くなったのは、五日前のことだった。

 それまでずっと病床についていたサキロイカは、突然帰らぬ人となった。死因は明らかとされていないが皆は影で噂している。彼が死んだのは魔物のせいだと、魔物に殺されたのだと。

 幼いゼジッテリカに気を遣っているのか大っぴらに話されることはないが、彼女は誰に尋ねることもなくとうに知っていた。使用人の言葉をさりげなく耳に入れるのは彼女の得意技だ。だから心配したテキアが護衛を雇うと言い出すのを、止めることはできなかった。

 ファミィール家で今残されているのはテキアとゼジッテリカだけ。

 テキアがゼジッテリカを守ろうとするのはわかる。ゼジッテリカが死んでしまえばファミィール家の未来はないに等しい。テキアだけでは難しいこともあるのだろう。とは言ってもこの部屋に誰かを入れるというのは、やはり気持ちが悪かったが。

「部屋の外で見張ってくれればいいのに」

 人形の髪を指ですくって、ゼジッテリカはつぶやいた。寒々とした部屋でもここは彼女だけの部屋。彼女のための部屋。気まぐれにテキアが様子を見に来るだけの、人形と遊ぶためだけの部屋だ。護衛を入れるなどとんでもない。

「護衛ってさ、技使いだよね? そうだよね、たぶん。じゃないと魔物と戦えないもんね。でも技使いってきっと乱暴な人が多いんだろうなあ。あ、テキア叔父様は違うけど」

 人形をベッドの端に座らせて、ゼジッテリカは首を傾けた。肩の上で跳ねる癖のある髪が、頬をかすめてくすぐったくなる。彼女はほんの少し口元をゆるめながらもう一度窓を見た。

 まだ男たちの声は続いている。おそらく屋敷の外を警備する者たちだろう。相手が魔物なだけに鼓舞が必要なのだ。魔物を相手にできる人間などそう滅多にいるものではない。前にテキアがそう言っていたのを彼女は覚えている。

「ゼジッテリカ」

 すると背後の扉を叩く音が聞こえた。この落ち着いた声はテキアのものだ。彼女はベッドから飛び跳ねるように降りて、扉へと向かう。ひらひらと揺れる黄色いドレスが足下にからみついた。

「テキア叔父様!」

 扉を開けるとそこにはテキアが立っていた。黒い髪は短いながらも丁寧に整えられ、切れ長の瞳はほんの少しだが優しく細められている。彼女が今、唯一頼ることのできる大人だ。

「ゼジッテリカ、お前の直接護衛が決まった」

 しかし入るなりテキアは開口一番にそう言った。浮き上がりかけていた気持ちは一気に沈み、ゼジッテリカは再びベッドへと足を向ける。その背中に注がれるテキアの視線は優しかった。優しいだけに辛く、彼女は唇を結んで人形を抱き上げる。

「もう決まっちゃったの? 早いね」

「いつも傍にいるんだ、女性でなければならないだろう? 女性でかつ戦闘能力が高い者というのは、技使いでもなかなかいないんだ」

「そうなんだ」

 テキアの言うことはもっともだった。そもそも技使いは少ない。技使いというだけで高いお給料がもらえるのだとか、職には困らないのだとか、彼女も何度か聞いたことがあった。

 しかしその技使いでも魔物に対抗できる者というのは多くないようだ。その上今回は性別限定なのだからますます少ないのだろう。いくらテキアが破格の依頼料で募集したとしても、限界というものがある。

「それで叔父様。その人どんな人? まさかおばあさんとかじゃあないよね?」

 ベッドの端に腰掛けたゼジッテリカは、人形を抱えたまま首を傾げてみた。すると扉の傍にたたずんだままのテキアは、懐から一枚の紙を取り出す。そしてそれを彼女の方へと向けてきた。

「これを見ればわかる、ゼジッテリカ」

「なあに? それ」

「絵師に描かせたものだ」

「そんなことまでしてるの? 叔父様」

「いささか人数が多いのでな、仕方ないんだ」

 テキアが近づいてくる様子はない。仕方なく立ち上がったゼジッテリカはゆっくりと彼の傍に寄った。いつもそうだ。テキアはゼジッテリカの部屋の奥までは来ない。まるで見えない壁でもあるかのように、扉の前で立ち止まるのだ。彼女が来てとお願いしなければずっとそのままでいる。何時間でも。

「え? こ、この人――」

「どうかしたのか? ゼジッテリカ」

「だって、この人、その……若いよ?」

「見た目通りの年齢かはわからないさ。技使いの中には四十を過ぎても若者のように振る舞える者がいるからね」

 ゼジッテリカは渡された紙をまじまじと見た。そこに描かれているのは二十歳ほどの女性のようだった。テキアの言葉を借りれば、実は彼より年上だったという可能性もあるようだが。

「そっか」

「だが彼女は実力試験で十番目の成績なんだ。女性の中では最も上にいる」

 そう説明されて彼女は耳を疑った。上から十番。護衛を結局何人雇ったのかはわからないが、すごいことのように思えた。絵に描かれている女性は若いだけでなくいかにも弱々しい感じなのだ。使用人として給仕をしていても違和感がない程に。

「夕方には連れてくる。いいな?」

「……うん」

 紙を見下ろしたままゼジッテリカはうなずいた。断れるわけがない。彼女だって死ぬのは嫌だし、彼を困らせるのも嫌だった。むしろ始終傍にいるのが外にいるような男ではない、そのことに安堵すべきところだろう。見た感じでは大人しそうな女性だった。これなら適当にあしらうこともできるかもしれない。

 小さくうなずいて彼女は人形を強く抱いた。窓の外では耳障りな叫びが、いまだに続いていた。




 手入れされた煌びやかな廊下を進むのは、二十歳ほどの女性だった。黒く長い髪は後ろで結ばれており、それが歩くたびに左右にふわふわと揺れる。肌は陶器のようになめらかで白く、その瞳は穏やかながらも深みのある黒だった。

 誰が見ても美しいと褒め称えるような女性。いや、少女と呼んでも差し支えはないかもしれない。一見したところでは大人の落ち着きを纏っているが、顔立ちだけ見ればまだかすかに幼さが残っていた。黒目がちな瞳のせいもあるだろう。またこの場には相応しくないくらい、華奢なせいかもしれなかった。

 そう、彼女はこの屋敷に相応しくなかった。

 普段ならば問題ない。屋敷に仕える使用人には見目麗しい者もいたし、強くはない者たちもたくさんいた。しかし現状は違う。魔物に狙われたファミィール家の娘ゼジッテリカを守るため、多くの護衛がここを行き交っていた。彼らの多くは強靱な肉体を誇示し、また得意げに武器を携帯している。それなのに彼女は華奢な上に丸腰だった。どう考えても守られる側だ。

「お嬢さん」

 だから彼女にそう声をかける男がいても、不思議はなかった。穏やかな声音に振り返った彼女は、不思議そうに小首を傾げる。その様は優雅で淀みがなかった。男の口から甘いため息が漏れ、その手が彼女の肩へと伸びる。

「こんなところでどうしましたか? お嬢さん。ここは今危険なんですよ?」

「はあ」

 まるで自分が守るとでも言いたげに、男は手に力を込めた。それでもぴんと来ないのか彼女は頭を傾けたまま。瞬きを繰り返す様は子どものようでもあった。

 男はもう一方の手で髪をかき上げた。自慢の髪なのだろう。確かに手入れの行き届いた鳶色の髪は絹のように滑らかで、女性なら誰もがうらやましがる程だった。恰好さえ物々しくなければ町で女の子を引っかけることくらい造作もないだろう。顔もそれなりに整ってはいたし、物腰も落ち着いていた。

 けれども彼女はなびかなかった。いや、口説かれているという現実を認識していないように見えた。ただ不思議そうに小首を傾げたまま、目の前にいる男を見上げている。

「君のような人がこんな所にいては危ない。見たところ使用人ではないようだけれど、お客様か何かで? ああ、私のような者が話しかけてはまずかったかな」

「いえ……」

 彼女の瞳に困惑の色が混じった。男の手は彼女の肩を捉えたまま。そのことが気になるのか時折眼差しを向けながら、彼女は何かを伝えようとしているようだった。しかし男はそれを言わせず、ただ自分の言葉を重ねていく。

「申し訳ない。しかし君のような人をこの場に一人取り残すのは気が引けてね。どうだろう、私に送らせてもらえないだろうか? なあに、怖いことはないよ。確かに私はこんな恰好だが、雇われた護衛の一人なのでね。君に危害を加えたりはしない」

「あの」

「いやいやそれ以上言わなくていい。詳しい事情は聞かないよ。君にも色々あるだろうからね」

 男は完全に自分の世界に浸っていた。だから気づかなかった。第三者がその背後に現れ、冷たい視線を向けていることに。先に気がついたのは彼女の方だった。男の肩越しに見えた赤毛の女性を、黒い瞳が真っ直ぐに見つめる。

「そこのあんた」

「はい何か……って、え?」

「仕事中に女の子口説いてどうするのよ」

 男は振り返り、瞳を瞬かせた。二人に近づいてきたのは背の高い女性だった。百七十は越えているだろう。癖のある赤毛を短く整え、身動きのしやすそうな簡易な防具を身につけている。一目で護衛とわかる恰好だった。その眼差しも鋭く、男を突き刺さんばかりだ。

「え、いや、私は――」

「問答無用。邪魔なの、わかる? 仕事中に色恋云々やってる奴はあたし大嫌いでね」

「き、君の好き嫌いは聞いていない」

「うるさい、仕事の邪魔だって言ってるの。こんなことしてる場合じゃないでしょう? あんただって護衛なんだから」

 赤毛の女性には勝てないと悟ったのか、はたまた気配に押されたのか、じりじりと後退した男は踵を返して去っていった。その際華奢な女性の肩を叩くことを忘れない辺りは、諦めが悪いというか何というか。

「あーあ、ああいうのうざったいのよね。すっきりした」

「その、ありがとうございます」

 男の背中を見送りながら、赤毛の女性はにひひと笑った。黒髪の女性は慌てて小さく頭を下げる。赤毛の女性はそんな彼女を、上から下まで一通り眺めた。

 少女と呼んでも過言でない女性は、一見したところ変わった服装をしていた。羽織った上着は戦闘があればあっさり汚れてしまいそうな白で、その合わせの部分だけ黒く縁取りされている。その中に着ているのも白い服だった。下は焦げ茶色のズボンで、伸びやすそうな素材ではある。

 つまり護衛にしては簡素だった。しかし使用人にしては妙で、かといって客人にも見えなかった。要するにこの場には似つかわしくなかった。

「あんた、まさか護衛?」

「え? ああ、はい。そうですが」

「そんな顔して護衛なんてするの!?」

 赤毛の女性は驚きに声を上げた。お忍びの客人あたりが妥当なところだと思っていたからだ。しかし彼女はあっさりとうなずき、驚く女性を見上げて不思議そうに首を傾げている。

「そんな顔って、ひどいですマラーヤさん」

 そして彼女はそう言った。赤毛の女性――マラーヤは笑い飛ばそうとして、しかしできずに唖然とする。

「……ど、どうしてあたしの名前を」

 マラーヤの声はうわずっていた。名乗ってもいないのに名を呼ばれれば仕方がないだろう。それもこんな得体の知れない者に呼ばれたとなれば、狼狽もする。

「先ほど各隊長、副隊長のリストを見せていただきました。あ、私はシィラ。ゼジッテリカ様の直接護衛に選ばれた者です」

 得体の知れない黒髪の女性――シィラはそう告げてふわりと微笑んだ。まるで花が咲くようなというのはこのような笑顔を言うのだろうかと、そう思わせる程温かで穏やかな微笑だった。先ほどの男が見ていれば、感嘆の吐息を漏らしたことだろう。

 しかしシィラの目の前にいるのは女性で、しかも見目は気にしないマラーヤだった。マラーヤはただ告げられた事実に驚き、茶色い瞳を見開いている。

「あ、あんたがあの!?」

「はい、ですからよろしくお願いします。屋敷内警備の副隊長さん」

 シィラはもう一度頭を下げた。マラーヤはそんな彼女をまじまじと見下ろし、複雑な思いを込めた息を吐き出す。

 ただマラーヤは驚いていた。屋敷内警備を担当することになったマラーヤは、主立った役職の者と顔合わせを済ませていた。みな屈強そうな男たちか、そうでなければそれなりの装備をした女だった。シィラのような者はいない。魔物を相手にするのに、こんな軽装をする馬鹿者は普通いない。

「……マラン」

「え?」

「マランって呼んで。あたしはその方が好きなの」

「はあ、わかりました、マランさん」

 けれどもマラーヤは関係ないことを口にしていた。いや、おそらく動揺のためだろう。彼女の口元は強ばっていて、声はやや震えていた。だから普段口うるさく言っていることしか言葉にならなかったのだ。

「ではこれからよろしくお願いしますね、マランさん」

「うん、ああ、こっちこそよろしく」

 再び挨拶をしてくるシィラに、とりあえずマラーヤもそう返した。二人の双眸は互いを捉えたまま、威嚇するでもなくただ認識し合っている。変わり者の二人だった。そして同時にそのことを理解している二人だった。

 よろしくと繰り返す声が、人通りのない廊下に不自然な程響いた。

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