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第九話 許されざる感情(後)

 食事の準備が調うと、テキアはゼジッテリカの前の席に着いた。こうやって食卓で向かい合うのは久しぶりのことだ。だから時間ができたのだろうかと、ゼジッテリカはこっそりテキアの様子をうかがった。もしかしたら例の点検がテキアの部屋にも入ったのかもしれないが。それでも来てくれたのは嬉しい。

 けれどもその背後を守るようにバンが立ったため、ゼジッテリカはできるだけ顔を上げないように食事を再開させた。シィラは先ほどと同じく、ゼジッテリカの斜め後ろに陣取っている。見えなくてもその気配は何となくわかった。

「テキア殿はゼジッテリカ様が不安になってるのではと、心配なさってるのですよ」

 じきにテキアの食事が運ばれてくると、不意にバンは笑顔でそんなことを言い出した。相も変わらず怪しい恰好に怪しい瞳。しかしそれよりもその発言の方に驚いたゼジッテリカは、喜びに緩んでいた顔をやや歪ませた。

 迷惑をかけてしまった。そう思うと胸の奥がざわざわとして、テキアの顔をまともに見られなかった。すると手前のテキアからため息が漏れる。

「バン殿、食事の席で余計なことは」

「おや、失礼しました。つい女性の方がいらっしゃると口が軽くなりますな」

 テキアはちらりと呆れた視線をバンへと向けたが、バンの方は意に介した様子もなかった。何事にも動じないのは護衛としては重要な素質かもしれない。だがこの場においては、それは憎たらしいものでしかなかった。

 喜びに水を差されたゼジッテリカは、視線を下げながらひたすらスプーンを動かす。野菜を煮込んだスープからはまだ、かすかに湯気が上っていた。

「そうそう、シィラ殿」

 しかもバンの話は止まらなかった。何もすることがなくて暇なのだろうか? とにかく話し相手が欲しいらしいバンは、同じく手持ちぶさただと思われるシィラへとそう声をかけた。彼女が小さく、はい、とだけ返事するのが聞こえる。そこからは少なくとも、嫌悪も何も感じ取れはしなかった。

「申し訳ありませんが先ほどの話、立ち聞きさせていただきました」

「先ほどの話、ですか?」

「薄い扉でして、耳の良い私には聞こえるんですよね。魔物についての話です」

 バンはそう言うとにやりと口角を上げた。気にしないようにしていても、どうしてもバンの様子は視界に入ってくる。また何か企んでいるのだろうかと、そう思わせる表情だった。

 そうなだけに不安になって、ゼジッテリカはシィラの方を一瞥した。聞かれてまずい話だとは思わなかったが、何か問題があるのだろうか? 食事を進ませようと努力するも、スプーンは透明なスープをかき混ぜるばかりだ。

「ああ、そのことですか。知り合いに詳しい方がいるので、その人に聞いたんです」

「ほお。それはずいぶん博識なご友人ですな」

「バン殿」

 何かを強調するようなバンの声音に、またもやテキアの冷たい声がかかった。普段ゼジッテリカの前では見せることのない、おそらく仕事上の顔だ。するとそうまでされてようやく気づいたのか、バンは片眉を上げると肩をすくめた。そしてその拍子にずれた眼鏡の位置を正す。だがそんな一連の動作も、ゼジッテリカには妙にわざとらしく感じられた。

「これは申し訳ありませんでした。ゼジッテリカ様の前では穏便に、ですよね。では話題を変えましょうか。そうそうシィラ殿には恋人はいらっしゃらないのですか? まだお若い方のようにお見受けしますが」

 しかし次にバンが選んだ話題というのは、これまた食事の手を止めるには十分な力を持っていた。ゼジッテリカは息を呑み、スプーンを動かす手すらも止める。

 普段シィラについては何も聞けていなかっただけに、それをあっさりと打ち破ったバンに目が釘付けとなった。またそれは、何故かテキアも同様のようだった。不自然な体勢のまま固まって、視線だけでバンを見上げようとしている。

「バ、バンさん?」

「あなたのような美しい方を、若い殿方たちが放っておくわけはないかと思いまして。まあ、わたくしはもうそれなりに年を取ってますが」

「は、はあ」

「実際のところはどうなのですか? ああ、女性にこういう話題は失礼でしたかね」

 聞いておいてからバンは、ははっと、軽く笑った。それは言葉とは裏腹に、全く失礼だと思っていない笑い方だった。シィラはと言えば困惑した顔で頬に手を当て、答えあぐねている様子だ。リリディアムとの一悶着でも思ったが、どうやらこの手の話題は苦手らしい。

 シィラはこの場をどう切り抜けるのか、内心でゼジッテリカは冷や冷やとした。今回ばかりはテキアの注意も役に立たなさそうだ。彼は完全に沈黙を守っている。

「私は流れの技使いですから。ですからそのような決まった方、というのは特に」

「おや、それはもったいないですね」

「はあ」

 結局は無難に答えたシィラに、バンは心底恨めしそうな視線を向けた。確かに流れの技使いというのは家族を持ちにくいと、ゼジッテリカも聞いたことがあった。やはり定住しない点が大きいのだろう。ならば恋人も同様だと考えてもおかしくはない。

 もっともこれがシィラの場合となると、妙に違和感はあった。見た目だけならただのか弱い女性なのだ。声をかけてくる男性は多いに違いない。

「そういえばテキア殿も、決まった方がいらっしゃらないことで有名ですよね?」

 ついでバンはテキアへと、話の矛先を向けた。食事を再開しようとしていたテキアは、またその手を止めて顔をしかめる。ゼジッテリカはそんなテキアを見ていられなくて、あちこちへと視線を彷徨わせた。

 その話題については、あえて誰も触れてなかったのだ。聞きたくても聞けなかったのだ。結局食事を続けることでしかごまかせなかったゼジッテリカは、のそのそと柔らかいパンを口へ運ぶ。

「家の再興がありますから、今はそれどころでは」

「しかし再興するならばやはりファミィール家を盛り立てるのも必要なのでは? あなたとゼジッテリカ様だけではやはり心許ない」

「それは、確かにそうですが」

 バンはどこまで切り込むつもりなのだろうか? そう思わせる程的確な質問に、ゼジッテリカはひっそりと拳を握った。テキアが誰とも結婚しない点については、以前から皆が色々と噂していた。やれ実は許されない恋をしてるだのやれ実は女性が嫌いだの、使用人たちでさえこそこそと話し合っているくらいだ。だから誰もが気になっている話題ではあった。

 だがそれを、ここで当人に聞くのかと、それがゼジッテリカには解せなかった。テキアが本当は何を考えているのかはわからないが、それをゼジッテリカの前で口にするとは思えない。テキアの性格を考えれば、それはなおさらのことだった。

「その辺については、この件が終わったら考えます。今はこの命を守ることの方が大切ですから。それに守る対象を増やすのは、護衛の観点からも問題だと思ってます」

 テキアはやや声に怒りをにじませると、そうばっさり切り捨てた。よく考えてみればその通りだ。ファミィール家が狙われているというのに、そのファミィール家を増やすようなことは危険行為でしかない。魔物に狙われている現状では、何をするにもそれを解決してからでなくてはならないのだ。

 そう考えると何故だか安心してきて、ゼジッテリカは一口スープをすくった。野菜の味が染みこんだそれは、口に含むとわずかに甘みが感じられる。ゼジッテリカ好みの味だ。

「ではシィラ殿はいかがですか?」

「……は?」

 それでもバンはめげなかった。いや、めげないどころかとんでもない提案を言い放った。たぶん、とんでもない提案だ。バンの怪しい瞳を見ていればわかる。

 そう思ってゼジッテリカが黙していると、その前でテキアが怪訝そうに首を傾げた。いかがとはどういうことかと、そう問いかけたいらしい。ゼジッテリカも内心では同じ気持ちだった。ここで突然シィラの名前が出てくる意味がわからない。

「ちょっとバンさん」

 だが当のシィラは違ったようだ。彼女の慌てた気配が、ゼジッテリカの背中にしっかりと伝わってきた。一歩前へ乗り出してきた彼女の髪が、ゼジッテリカの頭に触れる。

「どうしてそこで私の名前が出てくるんですか!?」

「いや、特定の方がいらっしゃらないというので。それにシィラ殿なら護衛も必要ないかと思いましてね。どうです? 悪くない話だと思いますが」

 シィラとバンのやりとりを脳内で繰り返して、ようやくゼジッテリカも彼が言わんとすることを理解した。理解した途端動揺して、思わずシィラとテキア、バンを順に見てしまった。

 考えてもみなかった。けれども現実になれば素敵な提案だった。もしそうなったとすれば、ずっとシィラはこの屋敷にいてくれることになる。こんな生活が、一人ではない生活が、平和になってからも続くのだ。

 それはなんて幸せなことだろうか。そんな未来を想像して、ゼジッテリカは思わず満面の笑みを浮かべるところだった。それでもかろうじて浮かべずにすんだのは、困惑したテキアを見たからだ。眉根を寄せたテキアは嘆息して、テーブルの上で視線を往復させている。

「バンさん、私のような者ではテキア様には不釣り合いですよ」

「おやそうですか? しかしゼジッテリカ様も懐かれてるようですし、その方が今後のためにもよいかと思ったのですが」

 バンは悪びれた様子もなくそう言うと、また大袈裟に肩をすくめた。その墨色の髪が揺れて、派手な上衣の表面を滑る。その様をぼんやりとゼジッテリカは眺めた。

 確かにバンの言う通り、シィラがファミィール家に入ってくれるのならゼジッテリカは嬉しい。だがもちろん、当人たちの意思は尊重すべきだと思った。だからこの話題も素直に喜べなくなった。

 シィラはともかくテキアは割と彼女を気に入ってると、そう思っていたのだけれど。でも結婚を考える類のものではなかったらしい。そういう機微はまだゼジッテリカにはよくわからなかった。ただこのバンの発言が問題を引き起こしたことだけは、それだけは理解できる。

「考えておきます」

 すると一言、顔を上げたテキアはそう言った。途端バンが間抜けな程目を丸くして、ついでシィラの方へと眼差しを向けた。けれどもゼジッテリカはシィラを見なかった。シィラがどんな顔をしてるのか、今はまだ確かめたくない。この場で希望を粉々に打ち砕かれるのだけは、せめて避けたかった。

「テ、テキア様?」

「そんなに驚かないでください、シィラ殿。冗談ですよ。この家のことをそう軽々と押しつけるつもりはありませんから」

「あ、あの……」

「いい話だと思ったんですがねえ」

 ゼジッテリカは黙々とスプーンを動かした。スープを混ぜてはすくって、口へ運ぶという単純な動作を繰り返した。しかし悲しいことにあれだけ美味しく感じられたはずのものが、何だか今は味気なく思える。魔物を倒したら、そうしたらシィラは去ってしまう。その事実をまざまざとつきつけられたようで、あらゆるものが色を失ったみたいだった。

 命の危険がなくなったら、今度はまた一人になる。テキアはもっと忙しくなって、シィラはどこかへ行ってしまう。この賑やかな屋敷はゼジッテリカたちと使用人だけになる。そんな未来を想像しただけで、目の前が真っ暗になった。

 今まではただ今を乗り切るのが精一杯で、後のことまで考えてなかったのだ。バンの一言がなければ、もしかしたら本当に間際になるまで気づかなかったかもしれない。

「これ以上ぶしつけな質問は控えてください、バン殿」

「いやいや、申し訳ない。ちょっと気になっていたものでして。大丈夫ですよ、他言はしませんから」

「当たり前です。ゼジッテリカのことも考えてください」

 今さらになってのテキアの注意も、ゼジッテリカにはむしろ棘にしかならなかった。誰かが死ぬのは嫌だが事件は解決して欲しくない。そんな複雑な心境に浸りながら、ゼジッテリカはひたすら食事を続けた。

 テキアの小さなため息が、妙に耳に痛かった。

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