我が家の兄姉
「恋愛の相が出てるよん」
ちゃらけたように果恋は微笑むと、目の前に座る暁にデコピンを喰らわした。
同時にそれぞれ別の作業をしていた兄弟達が面白半分で二人の周りに集まって来た。いつも以上に行動が素早い。暁は他の四人の兄姉をキッと睨み付けた。どうせ言うことすることはいつもと同じなくせにわざわざ集合なんかしやがって――。
「暁君もやっと恋に目覚めたか。兄としてとても嬉しい」
冷やかしが大好きな人達なのだ、彼の兄姉達は。何も分かってない高校生の柊馬鹿兄はいつもいつも暁を怒らせることばかり言っている。しかし四つも年が離れているので絶対に口喧嘩では暁が負けてしまう。右目を眼帯で覆っていて隻眼の柊だが、それでもなおバイトのホストでは人気らしい。
「でも十二で恋愛は早すぎよ。まだ恋と愛が区別つかない年齢だもん」
何を威張っていうのか沙羅姉は。と、暁から溜め息が零れ落ちた。大学生の彼女は家事全般をこなす家庭的な女性だが、とても心配性なのが玉に瑕。暁を心配してくれるのは嬉しいが、時々未来の不安事まで考えてしまうからそれはそれで大変だったりする。
彼女の隣りでは唯一座って動かなかった鉄兄が時折、鼻で笑っている様子が窺えた。何とも語りがたい男であるこの長兄こそ我が家の大黒柱的存在だが、決して他の兄弟のようにどんちゃん騒ぎをするような性格ではない。冷静沈着の、何とまあ二十二才で司法試験に受かった天才中の天才。検事歴が六年にもなるエリートなのだ。
その彼を果恋がニヤリと横目に見た。
「クロちゃんよりも先に彼女なんか作っちゃ駄目だからね」
即座に鉄の顔がピキーンと動いた。今の果恋の発言は暁にではなく、一つ年上で双子同然の鉄に向けられた言葉だったのは言うまでもない。表情をあまり崩さずに果恋を一瞥した。かと思いきや彼女の視線の方が攻撃力が強かったらしく、さっと鉄は元の位置に顔を戻した。
果恋はというとソファーに奥深く座り込んで目の前の末弟に深々と占い結果について話し出した。
「ツキ、あんたは水瓶座のB型でしょ。今週のラッキーカラーはシルバーホワイトらしいからちゃんと身に着けとくのよ、いい?」
最後には念を押されて渋々コクリと頷いた暁は疲れてテーブルに顔を垂らした。シルバーホワイトってどんな色なんだ、という疑問が未だ消えないらしい。
しかし最悪なことに今から学校ではないか、という衝撃的真実を時計を見て思い出してしまった。目をパンッと見開かせ通学鞄を引ったくると直ぐに家を出た。その時間僅か九秒。
ドアの開いて閉まる音が聞こえた果恋と柊だけが呑気にいってらっしゃいと見送りの言葉を呟いた。中学生は部活というものがあるから大変なのだ。昔はそうだった自分達を思い出して二人はしみじみと感じた。
ダイニングでは、新聞を読んでいる鉄がもうそんな時間か、と驚いた。
沙羅は皿洗いを再開させた。五人分ともなるとさすがに多い。しかし月曜日のため家を出るまでの時間はまだたっぷりある。
これが琴瀬家の一日の始まり。波瀾万丈な兄弟達が住む家の一般的な朝である。
果恋が占いをするようになったのは舞台芝居の仕事で占い師の役を任された時からだった。あれはもう九年も前のことで、暁が物心ついたころには占いで始まる朝というのが定着化していた。家族の誰もがそれを認めていたし、ないとなると変な気にも感じてしまう。それほど果恋の占いというのは大切なものになっていった。
「澪」
空手部の朝練は大概三十分ほどで終わる。体育館の裏口にある水飲み場で暁は休憩していた。
「どうした?」
蛇口から出る水を止めて澪は振り返った。
目線の先にいる暁は教室に行く準備万端で腕を組み、木にもたれかかって待っている。構いなく降り注ぐ太陽が眩しい。澪は目を限りなく細めた。
「シルバーホワイトってどんな色だっけ?」
真顔で聞く同級生に澪は唖然とした。何を朝から聞くのかと思えば。
「どんな色だっけって……。シルバーホワイトだろ?」
少し考えた後、澪は台に置いてあったタオルで手を拭いた。
「白い銀色じゃない?」
真剣に考えることでもないので澪はサッと受け流した。
しかし暁は納得がいかないのかうむむと未だ悩んでいる。
「俺もそれは思ったんだけどさ、白い銀色って想像できないんだよね。ほら銀色自体キラキラしてるだけで白っぽいし」
何かこう、という曖昧な暁の説明がイマイチ澪には伝わらない。
「絵の具の銀色と白色を混ぜてみれば?」
「銀色なんか持ってないよ」
澪の提案にすぐさま返事を返す。
思考に入り浸った暁はジーっと何でもないところを見つめて考えた。シルバーホワイトとは一体何物なのだ。一向に埒が開かない。
仕舞には澪が呆れ顔になった。そんなことで悩んでたら人生なんか悩みで埋め尽くされているだろう。大したことで真剣に考えようとする暁も暁だが。
「気になる……」
「辞書にでも訊いてみれば」
素っ気なくそう言うと行こうぜ、と澪は暁を誘った。他の部員達は沃さと先に行ってしまって二人しかいない。
聞けるものなら訊いてみたいよと暁はうなだれた。
無言で暁は澪の方に歩き出した。腕は組んだままで顔は下を向いている。
頑固というのか積極的というのか諦めが悪いというのか。全ての兄姉から何かしら受け継いだ性格を暁は持っている。頑固は鉄で、積極的は沙羅、諦めの悪さは柊からだ。そして悩ませる結果になるものを差し出したのは自称舞台女優の果恋から。
「あっ、実は白髪色とか」
突然の澪の発言に、えっと横を向いた。無言の歩行が続きに続いて下駄箱についた時のことだ。暁の上靴を取り出した手が止まった。
「……どこから白髪という言葉が?」
周りには誰もいない。
「ほらシルバーってさ老人って意味もあるじゃん。んでホワイトと言えば……な」
そう言われればそうかもしれない。暁に迷いの心が浮遊する。
しかしもしそうであったらラッキーカラーは白髪色。どんなものを身に付けろというのか。暁は靴を履きながら心中で果恋に訴えかけた。
「まあ白髪って白だけど」
隣で呟く澪の言葉に暁は余計混乱させられてしまった。
一体シルバーホワイトとは何色なのか。ただ誰か教えてくれと暁は四六時中ココロで叫んだ。
家の玄関には奇妙な物共がきちんと整列して並んでいた。そのどれもが日本製ではなくメイド・イン・インド、とかエジプトとかアフリカとか、時には世界に一つしかなく価値はあるが高級ではないというよく分からない物があったりする。これは定期的に増えていく習性にあり、大概果恋の風水知識か沙羅の見た目感覚で置かれている。しかし誰も可愛いとか美しいだとか安らぐとか誉め言葉は贈らない。言うとしたら気持ち悪い、怖い、変、不気味など限度がなくなるようなものなので言葉にはしない。
そしてまた今日、一つ仲間が増えた。今度はメイド・イン・チャイナ……だろうかと柊は考えながら何も記されていないその物を見つめていた。
「姉貴、何だよこれは一体」
鑑定中の果恋はうひょひょひょ言いながら物体を触っているが決して良い光景なんぞではない。悪く言うと黒魔術のミサ状態だ。果恋が今人の命に手をかけようとしている――それを平和な日本的にしたものだった。
「すっごーい! 見てよラギこれ」
虫を見つけた幼子が親に言うような台詞である。
「父さん達また凄いの送ってきたじゃない。万里の長城から出てきた像だって」
発掘してたら出てきたので送ります、と添えらた手紙に書いてあった。
よくもまあこんな物を我が家に送ろうなんて思ったな、と別の意味で両親を感心した。人型の像というか作り物で、歴史の教科書で見たことがあるような物体だった。沙羅姉よりは小さいだろうが暁よりは大きな人型像。
「出てきた…って世界遺産を勝手に持ち出していいもんなんだろうか……」
おいおいと何故か柊の顔が少し青ざめる。いくら研究員だからと言って自宅に発掘物を送るとなるとそれは罪ではないだろうか。ちょっとばかしそんなものの目の前にいるのが怖い。
「年代物ね」
でなかった金槌で割って捨ててしまいたいところだ、と柊は思った。よくもまあ玄関を土で汚してくれたもんだ。掃除をさせられるのは僕なんだぞ、と密かに怒り散らした。
「何だそれは?」
仕事から帰ってきた鉄は途端に目を疑わせた。もちろん人型像に。そして玄関を掃除している柊と虫眼鏡で嫌らしく物体を観察している果恋を。
「お帰り。見てよ見てよ! 人!」
確かに人型だがはしゃぎ過ぎだ。しかも不気味以外の何物でもない。鉄は目を見開いた。
「親父からか?」
柊が寂しく頷く。
「またろくでもないものを。兵馬俑の兵士だろ……これ」
突如、果恋と柊は鉄の方にふいと振り向いた。
実の名はそういうのかと二人揃って感心した。流石の天才長兄。親が中国にいるということを知らずしてズバリと当ててしまった。
「お兄ちゃん、お帰り。早かったのね」
奥からやってきた沙羅もやはり奇妙な物体に目が行ってしまった。いつものことではあるが今回は視線が同じくらいなことにびくりと震えた。
「……あれよね。あの中国の」
こちらも流石大学生なだけあって頭は良い。
いつの間に、と沙羅は驚いた。一時間前はなかったはずだ。台所にいる間に何が起こったのか、少しびっくりなハテナが浮かんで消えない。
「これどこに置く?」
暢気に果恋は三人に尋ねるが、当の彼等はそれどころではない。鉄と柊の男連中は明日の粗大ゴミに出してしまいたいとさえ考えた。またいつもは乗り気の沙羅もあまりの巨大さに言葉を失った。
「ここでいい?」
果恋が提示したのは玄関入ってすぐ真ん前の位置だ。それまでにあったはずのナウマン象の牙の一部、とされた物はなくなっていた。
こんな所に置くのか、と誰もが呆然としたが反対はしなかった。室内に持ち込まれでもしたら余計に困る。
「泥棒避けにはなるよ」
柊は隣で難しい顔をしている鉄に囁いた。確かにそうかもしれないと鉄は目を瞑った。