骨董屋
──何て冴えない店なの。
それが彼女が抱いた第一印象だった。
震災後に名だたる有名百貨店が移転されてきたとあって、周囲にはモダンな新しい建物が並んでいるのに、この木造屋だけは前時代の遺物の様だ。
渋谷百軒店は『日』の形に区画されている。道玄坂から脇に逸れ、百軒店坂を登ると右手には、昭和と共に創業された名曲喫茶。他にも新旧混じって石造りの建物が立ち並び、訪れる者を異国の町並みに迷い込んだごとく幻惑させる。
そのはざまに細長く、申し訳なさそうに経っている骨董品店の中に今、女はいた。
今日此処に来たのは人に頼まれたからだ。
でなければ、必要がない限り近代的なものを極力好む彼女が、この小汚い場所に来る可能性は皆無だった。
“どうして「彼女」はこの店を通りがかったのかしら。仕事場の近くでもないのに”
そんな事を考えながら、顔をしかめそうになるのを堪えて狭い店内をぐるりと見回した。
道路向きに設けてあるショウウインドウを含め、店内には所狭しと陶器、家具、柱時計、仏像までもが並べられている。棚の手入れはそれなりにされているが、とにかく並べ方が乱雑でわかりにくい。店主が出てきた奥の出入り口に立ちはだかるガラスのショウケースだけが唯一、最近取り入れられたのか真新しい。中にはそれなりに簪なども並んでいた。
「それで奥様、本日はどの様なものをお探しでございましょうか?」
くたびれてはいるが曲がりなりにもシャツにベスト、スラックス姿の、皮膚の垂れ下がった白髪頭の店主に話しかけられる。女は自分の役割を思い出した。
──そうそう、今日はあたし『六十過ぎの老婦人』なのだったわ。
髪と同じ色の眉をひそめた店主が、決して自分の正体を疑っているわけではないと女は確信していた。今までも完璧に巧くやりおおせて来たし、これからもそれは間違いないに決まっている。演じる事は彼女の一部だった。真実は必ずしも一つじゃなくたっていいのと同じ。
「失礼ですが奥様、もし御用がないのでしたら──」
「え、ああ。御免なさい。あんまりあたくしには珍しい場所なものだから。つい見惚れてしまいましたわ。ここには外国の骨董も多いのね」
店主の不審そうな表情がいくらか和らいだ。やはり余りに黙っていたから、冷やかしか聾唖と思われたらしい。
「実はあたくしの家に、息子宛にいきなり懐中時計が送られてきたのよ。差出人はあったけれど住所もなく、息子も知らないと言うし。気味が悪くて」
やや白髪交じりの日本髪を、思案げに傾ける。
「消印がこの辺りだったものだし、時計は古いもので……。送り主を突き止めたいと思っているの。息子には決まった相手もいるものだから」
「ほほお、となれば送り主は女性だったのですかな」
あら嫌だ、と女は右の袖で口を覆った。着ている着物は良家の夫人らしく、絹の菱紋様の銘仙だった。生成りに海老茶と、色重ねも渋い。
「あたくしそんな事まで言ったかしら。どうしておわかりになりまして?」
「息子さんの素行を心配なさってお探しになっているのでしょう。でなければ奥様自らが気にされるわけもありますまい」
店主は糸の様に細い眼をしていて、その奥の感情は掴みにくい。
女は忙しなく持っていたハンドバッグを弄んでいる。
「え、ええそう。実はそうなのよ。勿論息子は世間様に憚る様な真似はしていないのだけれども……今のご時勢、ほら、逆恨みというのもありますからね。すげなくして、何かされてからでは遅いでしょう」
「お気持ちはわかりますが、当店もいちいち品物を買っていただいた方に名前を聞いているわけではないですからなあ」
如何にもお役には立てません、と残念そうに言う老人の、声音のわざとらしさを女は既に見抜いていた。
「実は宅の主人も骨董に凝っていましてねえ。もし良ければついでにと思ったのですけど……古伊万里だの九谷だの、あたくしには良くわからないものを買い集めていまして」
「ほおお、そうですか」
細められていた老人の両目が僅かに開いた。
それは女にとって軽蔑には値しない。世の中は持ちつ持たれつなのである。
ただ、全ての人間が彼女の観客なだけ。
「この間も京都に行ったくせに、李朝の大壷だなんてものを買ってきて。あたくしに叱られると思ったのでしょうね。更紗の帯を土産にと、先に出してからまあ嬉しげに見せて来ましたのよ。本当に骨董好きというのは理解出来ませんわ……」
「何と、ご主人は大層な趣味人でいらっしゃいますな」
いつの間にか店主は両手を身体の前で握り合わせている。上体も前かがみだ。
「それで何の話をしているのだったかしら? そうそう、懐中時計を見てもらうという話だったわね」
「良うございます、拝見致しましょうとも……」
老人は薄気味悪い程に上機嫌になった。
内心上首尾を笑って、女はハンドバッグから「それ」を取り出した。品物が陳列されているガラスケースの上に置く。
「これは……」
愛想笑いが引っ込み、怪訝そうに眉間の皺が深まる。
懐中時計を手に取って、彼は竜頭を軽く押して蓋を開けた。
「蓋の裏側にイニシアルが彫ってあるでしょう? 確かに息子のイニシアルと同じなのですよ。だからきっと、買った時に彫りいれてもらったものじゃないかしら」
「……確かに、これはうちでお買いになられたものの様ですな」
女は目を輝かせた。実はとっくにこの店から出たものであるという事は、彼女にこの役目を依頼した人間から聞いていたのだが。
「まあ、では送り主の事、何かおわかりになって?」
「あれは確か……いや、間違いない。ショウウインドウに飾ってあった筈だ。珍しく綺麗な状態で手に入りましてね。懐中時計は使い込まれるし、傷つきやすいですからな」
記憶を手繰り寄せる様に、老人は目をすがめた。
「そうですな、やはりあの娘さんでしょう。しかし何ですな、息子さんは本当にご存じないのですか。純朴そうな、可愛らしい娘さんでしたよ」
「まあっ。息子を疑うと言うのですか? 何て失礼な!」
女はここぞとばかりに目を吊り上げ憤ってみせる。
いやいやとんでもない、と店主は目に見えて恐縮した。恐らくは女の背後に骨董好きの旦那の顔を見たに違いない。
「ここで時計をお買い上げ頂きました折にねえ、身形の良い紳士をお連れになっていたものですからてっきり。いやはやそれにしても解せませんな……色白で、どこぞの御曹司といった風情でしたが、息子さんではありませんか」
「別人ですわ。宅の息子は、骨太で浅黒い偉丈夫でしてよ。武道をよくしますの」
人は見かけによらんものですなあ、と彼はしみじみ嘆息した。
「二人の男を天秤に掛ける様な悪女とは思えませんでしたが」
「あら、貞淑そうに見えても当節の娘さんなんて、一体何を考えているものやらわかったものではありませんわ。坂田山の例もございますでしょう……親としては、気を揉む事ばかりですよ……そもそもあたくしが娘だった頃なんて……」
べらべらとまくし立てて、ふと我に返った様に袖を当て、一つ慎ましやかな咳払いをする。
「その娘さん、お連れの方に名前を呼ばれたりはしていなかったかしら? 念のために確かめたいのだけど」
店主はしばし首を傾げてから、「名前までは覚えてませんねえ」と苦笑した。
「そんな会話はなかったと思いますよ。仲睦まじげではありましたがね。『君』と呼ばれておったかと。腕を紳士に添えてね、鈴を転がす様な笑い声というのでしょうか。よくお笑いになっていました」
「……そう」
間延びした口調をそれまで保っていた女の声音が、何によるものかシニカルに冷えたそれに一瞬変わった。
だが尚も記憶を探っている老人には気づかれていない。
尤も彼女は吐息を一つ吐き出すと共に、手品師の様に元の仮面を取り戻していた。
「証拠さえ掴めば、と思ったのに。──残念ですねえ」
暗に用事の役に立たないと仄めかす。元々居もしない骨董好きの情人、この店に客が来ようが来まいが毫も気に病まない。
あ、否──と店主は顎に手を当てた。
「娘さんの名前はわかりませんが、お連れさんは確か名前を呼ばれていましたよ」
女はぴくりと片眉を上げた。
「……生憎と、殿方の方には用がありませんのよ」
「まあそう仰らず。もしかして手がかりになるかもしれません」
未来の上客の関心を出来るだけ取り戻そうと、勿体をつけて彼は答えた。
「紳士のお名前は、そう──『加賀野』と。加賀野さん、そう呼ばれておいででした。もう、半年程前の事になりますなあ」
脚注3:銘仙→絹織物の一つ。絹の練糸または玉糸や紡績絹糸などを用い密な平織にしたものです。縞,絣模様などが多く見られます。