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8話 古の終わり


 その場にいる誰もが、すでにこの場を離れ遠くに逃げおおせたとばかり思っていた少年が、不意に納屋のある方へと戻ってきた。


「お前、いま何をしたんだ」


 自身がいる方に向けて両手を突き出してみせる少年の姿から、剣先を消した原因がそれにあると断定したヨルベンは、半ば苛立ちを覚えながら低い声を発した。


 次第に全身を震わせる少年に、ヨルベンがじりじりと接近を始める。


 がくがくと震わせる膝に今にも崩れ落ちそうになりながら、アルは炎の光が照らし出す惨状を、ぼんやりと目に映した。


「あいつはじきに死ぬ。家に逆らうとお前もああなる」


 アルの視界一杯を鎧の男が遮ると、目の端で男の拳が動いた気がした。


 パトリックやネーレからの体罰を受ける普段のアルなら、咄嗟に両腕で頭部を覆い防御姿勢を取っていた。


 稀にではあるが、ヨルベンからの暴力に対しても当然同様に振る舞っていた。


 だが、今のアルはそれとは少し異なっていた。


 前へと突き出された両手はそのままに、深い悲しみに伴い不明瞭になる視界を、必死に見開き続けた。


 あの一角兎を消したイメージを想起する。


 師匠は言った。


 アルが使う〈隠蔽〉は、元々の効果から根本からかけ離れている。


 対象の物体を周囲の物体と馴染ませ、消えたように見せかける魔法とは明らかに異なる。


 消えたように見せかける魔法〈隠蔽魔法〉は、物体その物が無くなっているわけではない。


 アルのそれは物体そのものを本当の意味で消失させるのだと。


「――お、おぁああああっ!!」


 一部だけを「隠す」イメージではだめだ。


 だから一角兎の時のように体全体が隠れる様子を想像した。


 ましてや彼は一角兎とは比べ物にならないくらい巨体なのだ。


 籠める魔力もさることながら、全体を包み隠すイメージはより強くあるべきだと思った。


 突然消失したヨルベンの片腕から、凄まじい勢いで血が噴き出す。


 耐え難い激痛に遅れて溢れ出る血を目の当たりにする彼の表情は、次第に生気を失っていく。


 先程までの横柄な態度とは打って変わり、怯えるように失われた腕の付け根を抑えるヨルベンは頻りにネーレの名を連呼した。


「ネーレ! 早く来い! 早く俺に回復魔法をかけろ!」


 ぐったりと倒れ伏すハルを満足気に踏み付けるネーレがようやく兄の異変に気付く頃には、周囲の様子は一変していた。


 明らかに優勢だった立場は、アルの現出とヨルベンの油断によってミランたちと同等のものとなっていた。


 アルはサティスの元に駆け寄り、サティスは延命と腕輪によって枯れかけた魔力で、ミランの傷を止血していた。


「兄さん! すぐに回復させますから!」


「早く……早くしろ……!」


 ネーレは混乱する頭でどうにか回復魔法を練り上げようとするも、気だけが焦り何度も回復のイメージが霧散し、圧し掛かる責務に耐え兼ね、卒倒し掛ける。


 ――ハル、こっちにおいで。


 体中を破壊され、朦朧とするハルにサティスが囁きかける。


 ハルは辛うじて動く右腕で地を這いながら、サティスとアルのいる場所を目指す。


「サティ、僕は、どうしたらいい?」


「聞いてアル。私たちは今からここを片付けなくちゃならない。だからアルは先に行って」


 サティスは動揺を隠せないアルに、ゆっくりと言い聞かせた。


 向かうべき場所はすでに伝えている。


 故にあとは、どう上手く最後の別れを告げるかだけだった。


「……アル。あなたに長い課題を出します」


 勇者が持つ十三のオーブを集めること。


 集めて世界の中心でアル自身の望みを叶えること。


 殊にそれは魔族と人族との和平を望んだ魔王の予言をなぞる旅なのかもしれない。


 しかし、それこそアルが生き残る最善の手段であり、茫漠とした世界で取るべき目的と成り得る。


 曖昧に頷く小さな体を抱きしめた瞬間、サティスの全身を死をも遥かに凌駕する恐怖の念が駆け巡った。


 この子と二度と会えなくなることが怖い。


 アルの一切を忘れてしまうことが、酷く恐ろしい。


 一万年以上生きた死にぞこないが何を今更、と自身に言い聞かせるも、体の奥底から止め処なく恐怖が湧出する。


 震えを悟られまいとするサティスの腕は、これまでにないほど強くアルを締め付けた。


「早く体を治さないと……! ミラン兄様と、ハルのことも」


「大丈夫。私がすぐに治してあげるから。心配してくれてありがとう」


 瀕死の体に鞭打ち、半身を起こした状態のサティスは、努めて平静に言った。


 これ以上は心身共に耐えられないことを悟り、抱擁は解かれ、そっとアルの背を押していつも通りに見送る。


「アル。いってらっしゃい」


「――いってきます」


 森へと走り出すアルに再び隠蔽魔法が掛けられる。


 掛けた本人ですら存在を見分けられなくなった空間に向けて、自然と手が振られる。


「……サティ……アル……」


 主人がいなくなった場所に、付き人のハルが辿り着く。


 離れた炎の薄明りで確認できる傷だけでも、サティスが想像していたよりも遥かに酷く、今では指先を動かすのもやっとの状態のハルを回復させるだけの手立てを見失った。


 肺が潰れ、思うようにできない呼吸に伴って、口から血が流れ落ちる。


 それでも尚、朦朧とした意識を彷徨いながら、親しい者の名を口にしている。


「ハル、今から言うことをよく覚えるんだ」


 近くで倒れていたミランは、予てから用意していた小瓶の中身を、最も損傷の激しいハルの頭部に振りかけた。


 陥没した頭蓋の出血は次第に治まり、頭部におけるある程度の傷が塞がれていく。


「僕はこれから死ぬ。だから君に僕のオーブを託したい。僕のオーブは〈力〉を象徴している。もし君がこれを持てば、君が最も望む能力を大きくすることができる」


「い、いらない。ミランも一緒に、行こう」


「それはできない。僕がこうして話せているのは、師匠が痛みを麻痺させてくれているからなんだ。ハル、僕の代わりにアルを助けてくれるね?」


 首を振り拒みかけるハルだが、ミランの胸部に穿たれた穴を目にしたとき、彼が生きていることさえ奇跡のように思えた。


 信じ難いことに、隣で頷いて見せるサティスも同様に致命傷を負っていた。


 今はサティスの魔法で痛覚を麻痺させ、辛うじて意識を保っているに過ぎない。


 誰の目から見ても、彼らは間もなく死を迎えるだろう。


「分かった。私がアルを守る」


 彼女の目に強い意志が宿ったのを確認したミランは微笑み、手にしたオーブを差し出して言った。


「〈力〉のオーブをハルに譲渡する」


 オーブの光がハルの中に収束した直後、ハルは自身の中に今までになかった大きな何かが生まれたことを実感した。


「――私は、誰よりも速く、アルのところに行きたい!」


 脳内に流れる不思議な感覚と()に従って『敏捷』の強化を望んだハルは、体の底から湧き上がる力を地に着く両手足に籠める。


「サティ、ミラン、いってくる――!」


 風が空を切る音に伴って、残された二人の間を一陣の風が吹き抜けていく。


「――ぅあああああ!!」


「ぎゃぁあああ!!」


 獣に似た唸り声と共に、女の断末魔が上がる。


 森に向かって凄まじい速度で何かが駆ける音が遠ざかり、ヨルベンの腕に回復魔法を試みていたネーレが不意に仰向けて倒れた。


 首元を食い千切られたネーレは何が起きたかも分からず、ただ必死に死ぬまいと、痛みと血の熱がある場所を探り抑えた。


「……くっ、使えん女だ」


「ま、待って……兄さん……! 助けてぇっ!」


 空に向けて叫ぶネーレを一瞥したヨルベンは、ほとんど回復していない腕を庇いながら、屋敷の方へと向かう。


 後には、腕から滴り落ちる血が彼の進んだ道に点々と残された。


「……師匠、そこにいますか?」


「うん。ずっとミランのそばにいるよ」


「目が見えないんです。感覚も無くなってきました。何だか、よく分からない夢の中に浮いているような感じがします」


「意識が遠退いているんだね。私の声は聞こえる?」


「はい、ぼんやりとですが、聞こえます――これから僕はどうなるんでしょうか」


「間もなく命が尽きて、次の生の準備が始まるよ」


「師匠。僕に次があるんでしょうか……。怖いんです。この記憶が無くなって、意識も何もない闇に、ただ消えてしまうんじゃないかって」


「もしかしたら、そういう瞬間もあると思う。でもこの世界は違う。君はすぐに生を受けて、新しい人生を始める。これは本当のことだよ。一万年以上生きてきた私がちゃんと見て、知ったことなんだ」


 サティスが抱く死への恐怖とはまた違った、純粋な自己の消失に対する恐怖心をミランは抱いている。


 だがサティスはこの世界の理の大半を網羅している。


 輪廻転生もまた、この世界において約束された理の一つであることを彼女はよく知っている。


「それは心強いですね――また、師匠に会えるでしょうか?」


「私もじきにいなくなるよ。お互いに記憶が消えちゃうから、『再会』にはならないんじゃないかな」


 生前の記憶が消えてしまう。そのことによって最愛の人を認識できなくなってしまう。


 何よりそのことを恐れたサティスは、人生のすべてを延命に捧げたと言っても過言ではない。


 これまで積み上げてきた経験値が生命力に吸われ目減りすることも、信じた勇者たちに枷を嵌められ虐げられる苦痛も、大事な記憶を守るためなら、いくらでも我慢することができた。


「たぶん、ですけど。記憶が無くても『再会』になると思います。意識が同じなら、偶然出会った二人は、世界から見たらきっと『再会』のはずです」


「……ねぇミラン。もしかして君は生まれる前の記憶がある?」


「……いいえ。僕は、なにも」


 薄れ行く意識の中、ミランは漠然とした宙を彷徨う我が身に、何かが触れるのを感じた。


 そばにいるであろうサティスの声はもう聞こえない。


 しかし、空間を伝ってくるどこか懐かしい響きと、肌に触れる微かな温もりが、彼を穏やかな死へと(いざな)った。


 ――どうか彼らの生が報われますように。


 かつての弟子を看取ったサティスは、その身に寄り添い心から祈った。


 間もなく己も死を迎える。


 だが当然、アルに掛けた完全な隠蔽魔法はその寸前まで途絶えさせるつもりはない。


 使用する魔力が少なければ、それだけ長く生きることができ、その分記憶は保持される。


 しかしそれは何の意味も為さない。少なくともアルのような希望に繋げることに比べれば、己の死など些事に過ぎない。


 分かってはいる。


 頭で理解しているが、やはり死を受け入れること、記憶が失われることに恐怖せずにはいられない。


「……マコちゃん」


 ――ああ。死ぬってこういう感じなんだね。


 虚ろな目に、ぽつりと降り出した雨の夜空が映る。


 遠い過去の親友が、サティスに優しく微笑みかける。


 サティスはどこか儚げな彼女を思い、不意に天へと腕をかざした。





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