乙女ゲームのヒロインらしい私がヒロインを辞める話
悪役令嬢転生の主人公がいる世界で、ゲーム前に攻略対象が救われる話を、記憶のないヒロイン目線で葛藤して生きるさまを読んでみたくて自家発電してみた作品です
「千恵はこの世界の主人公だよ」
幸せになるから諦めないで。幼い頃の私は、その言葉に救われて、その言葉をエールなのだと思っていた。
まさかその言葉が本当に、“ゲームの主人公だから大丈夫”だなんて意味とは思っていなかった私は、ゲームの主人公というフィルター越しに見られてることに、裏切られた、という感情を抱いてしまった。
天海千恵、ゲーム「幾千の出会いの行先に」の主人公。イギリス人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。祖国に戻ると主張した父親について行く母が施設において行ったために孤独な幼少期をすごした。愛に飢えた少女は、愛を受け止められないヒーローと関わる中で愛を知っていく。
それが、ゲームでの私のプロフィールなのだという。だから幸せになるから大丈夫、そう笑う幼なじみが、恨めしかった。
じゃあ、今苦しいのは仕方が無いことなの?
お母さんたちに捨てられたのは運命で、こんな苦しい思いをするのも決められていて、捨てられるのが前提の人生だったから気にしなくていい、とでも言いたいのかと。
人の人生を、ゲームの設定だと思い込む幼なじみが怖かった。ペラペラとゲームのキャラを語る幼なじみと距離を取ったのは多分、自衛だったのだと思う。
そんなことは無い、ゲームじゃない。そんな妄想通りにはならないと思っていたのに、出会ってしまった。主人公と結ばれる為だけに苦しい過去を持ってしまったヒーローたちに。
噂に聞いていたのと同じ名前をした、同じ特徴を持つ人達が目の前にいる。そのことに唖然としていると、一人の女性が私の前に立った。
「転生者なんだろうけど、そんなんじゃ張合いが持てないわ」
その言葉に私はパチリと目を瞬かせた。
その人は、かつて説明されたことのあるキャラクター。
…ううん、そうじゃなくても知っている。この学校では名前を知らない人がいないんじゃないかってくらいの有名人だから。
天童寺綺羅々。キラキラネームに負けない美貌と学力と愛嬌を兼ね備えたという生徒会役員。
父がアメリカ人、母が日本人のハーフで私と同じように金髪をしているけれど、私とは正反対にその髪は美しい。
堂々とした立ち振る舞い、整った容姿、偏差値が低くは無いはずのこの学校で上位をキープする学力、まさに才色兼備とはこの人を指すのだろうという人が目の前にいた。
確か、主人公に劣らない人気を誇るライバルキャラ、というポジションだったとも聞いているからゲームの世界でも同じように努力をしていた人なのだろうな、と思う。
ゲームのスタートは2年生。転校生のメインヒーローが登場してからだと言っていたからまだ交流する時期では無いはずだった。そもそも学年が違うから接点だってないのに、なぜこの人は私を知っているのだろうかと、首を傾げた。
「あなたが根暗だと、私がいじめたように見えちゃうじゃない。主人公なら堂々としてなさいな」
……主人公って?いじめるってなにが?何を言ってるのか分からない。まるであの子のようにちんぷんかんぷんなことを言う天童寺先輩に、眉をひそめてしまう。
「光君から聞いたわよ、あなたにゲームの主人公って教えたって。転生者じゃないけれど、ゲームの世界だって知ってるから戦うなら正々堂々じゃないと行けないって」
また、あの子。かつての幼なじみの名前に拳を握った。もう聞きたくない名前だったのに、あの子を避けて中学受験もしたというのに、なんでまた関わりが生まれてしまうのだろうと気を落としていると、天童寺さんは話を続けた。
「だからあなたがどんな子なのか、ゲーム通りなのか見に来たら……随分と卑屈というか……」
ゲーム通り、ということはこの人も転生者なのだろう。あのこと同じ。この世界をゲームとしか思ってない人。気が重い。話したくない。
勝手にヒーローを救って引っ付いていたらいいのに。トラウマを持つその人たちの苦しみとか、解決方法だって知ってるなら勝手にしていて欲しい。私は攻略なんてする気はないんだから。
「私の夏也が狙われないためにあなたを別ルートに導こうと思って。あなたの好みは?私がサポートしてあげるから安心して。ああ、でも打算で近づいても警戒はされるだろうからゲーム知識は無い方がいいわね」
「……」
「とりあえずあなたは人と関わることから始めないと。主人公が孤立してるなんてあっちゃいけないんだから!」
まずは交流から始めましょう。そう言って連れ回された昼休み。まだご飯を食べてないんですが……と言う私の主張は小さい声のせいでかき消されたのか通らない。
天童寺先輩に連れられ回される中、すれ違う色々な人が声をかけてきた。
人脈ってすごいんだなぁ…なんて呑気に思っていたのも最初の間だけ。
四人一気に話し始めるのは流石にギョッとしたし、それを聞き取りそれぞれの言葉にちゃんと返している先輩を見て、この人は聖徳太子の生まれ変わりかなにかなの?と思った。
人脈の問題じゃなくて、この人が天才なだけでは……?え、こんな人とライバルになって勝つの?ゲームの私ってどんなスペックを持っているのか。怖い。そんなスペックを求められてもできない。
……そりゃあ、この聖徳太子並のスペックに勝つ人がライバルとしています、と言えば先輩のようにライバルにならないように行動するよねぇ……と、遠い目をしながら見守っていると、1人の男性が先輩の名前を呼んだ。
「綺羅々」
その声に、天童寺先輩はぱっと笑う。
「夏也!どうしたの?」
その名前に、その態度にこの人がヒーローの1人か、と納得した。
少し冷たい印象を受けるような整った容姿。耳にかかる程度に伸ばした茶髪をした、乙女ゲームでよく見るような爽やかなイケメンが立っていた。
俺様系な態度がいいのよねと熱弁されていてなんだかやな印象だったけれど、現実の彼はそんなことはなく、むしろ……わんこのような人懐っこさを感じた。
「紹介するわ、こちら生徒会スカウト予定の新人の千恵。こっちは生徒会副会長の立花夏也よ」
慌てて頭を下げると、向こうも丁寧に挨拶をしてくれた。けれども視線は直ぐに綺羅々先輩へと向く。
(こんなの、割り込むくらいの勢いでもなければ相手にされませんけど?!)
充分ベタ惚れなのにどうやったらこれが奪われるなんて思考になるんですか。思わず脱力しそうになるのを堪えながら愛想笑いを浮かべた。
「千恵!」
あれからというもの、綺羅々先輩は私をしょっちゅう連れ回すようになった。なんの得になるのか分からないけれど、本気で私の恋の相手を見つけるために交流を増やすつもりだそうで、生徒会役員でもないのに生徒会に入り浸り、なんだかんだとお手伝いを任されたり、他学年の人とも話すようになった。
それだけで十分すぎるくらい学生生活は変わったし、友達……と言っていいのか分からないけど仲良くしてくれる人ができただけで御の字なのだけれども。
(そもそも初恋もまだなのに、探したって見つかりっこないのになぁ)
見つかるはずがない。だって私自身が恋を望んでいないから。
子供を捨てるかもしれないほどの恋なんて、もはや呪いとしか思えない。夏也先輩と綺羅々先輩のやり取りは素敵だな、とは思うけれどそうなりたい、とは思っていない。
なのに、綺羅々先輩は無邪気に笑う。大丈夫、絶対見つかるわ、と。
「だってヒロインじゃなくても美人なのに変わりは無いもの」
光とは正反対の言葉に、ぱちりと瞬きをした。
ヒロインだから幸せになれる。ヒロインだから定められて恋が待ってる。
そんな、作られた恋なんてごめんだと思っていた私にとって、その言葉は新鮮で。
「だからこそゲームのヒーローみたいにちゃんとあなたを見て愛してくれる人を探さなきゃ」
「ヒロインだから邪魔になる、だから相手を探してるんじゃ……」
ヒロインに邪魔されないため、そのはずなのにいつの間に話が変わったのだろう。そんな疑問が零れていたのか、先輩は少し気まずそうにあれは撤回させて、という。
「もう関係ないわよ。だってあなたをちゃんと知ったもの」
ヒロインだから奪われるかも、なんて不安は会ったその日に無くなったわよ、なんて笑うその笑顔が眩しくて、綺麗だった。
(そういえば前に、本で読んだなぁ)
悪役令嬢転生ものの小説。生き生きとした悪役令嬢に惹かれていくヒーローたちの話。
作られたヒロインよりも人間らしくて真っ直ぐぶつかってくれる、本物の悪役令嬢。
そりゃあ、惹かれるわけだ。こんな眩しい人がそばにいたら好きにならずにいられない。
私だって男なら先輩に惚れていたかもしれないくらい、眩しくてかっこいいと思うのだから。
(まだ知らないヒーローより、先輩と居た方が絶対楽しい)
そう思うくらいには、先輩の発言に救われた。
そして、ヒロインじゃなくていいと思えた私は、少しだけ前を向いて、恋をした。
とても淡くて直ぐに終わった、小さな伝えることすら出来なかった恋を。
その相手はこの学校のOBの古屋秋先輩。
いつも明るくてお人好しなところが綺羅々先輩と似ていて、何となく心を許せた人。
向こうも私を気にかけてくれていて、進路の相談をうけてくれた。勉強で分からないことを教えてくれた。
先生になりたいから、こうやって質問をしてくれる人がいると授業のやり方の模索ができてとても助かるんだ。
生徒会の奴らは賢すぎて教えがいが無いからなーと、笑うその笑みが柔らかくて、安心した。
こんなお兄ちゃんが居たら良かったのに。そう思うくらいに懐いた。夏から顔を出してくれていた秋先輩が来るのが当たり前になって、もみじが舞い散り絨毯になりそうなくらい道を赤く染めた頃、秋先輩の過去のトラウマを聞く機会があった。
大切な人が自殺したのに気がつかなかったこと。1番の親友だったのに相談さえされない自分の不甲斐なさに嫌気がさしていたこと。
そういう人をもう見たくないから、どんな奴でも気にかけて見守れる教師になりたい。
そんな夢を語る秋先輩が、お前はあいつに少し似ててほっとけなかったんだ、と笑った。こうやって話をしていたら変わってたのかもな、と寂しげな目をしていた。
その親友を語る目は、まるで恋人を想う様な優しい目だった。
私は、その人を救えなかった代わりなのだと知った。
その雄弁に語る目のせいで自覚した。してしまった。
ああ、知りたくなかった。心を許してくれたから話してくれた。分かってる。けれど、こんな話聞きたくはなかった。
失恋ってこんなに痛いんだ。綺羅々先輩がヒロインに怯えていた理由がやっとわかった。
この痛みは、味わいたくは無い。
それからは秋先輩を避けるようになった。勿論表向きには変わらない態度をとっていたし、秋先輩自身も教育実習に向けて忙しくなって学校に来ることが無くなったのもあったけれど。
顔には出していないはずなのに、綺羅々先輩にバレた。大丈夫?と校舎裏に手を引いて心配してくれる優しさに涙が溢れた。
「しつ、れんしました」
そう言うと先輩は大きく目を見開いた。もしかして秋先輩?と言われ、こくりと頷いた。
自殺した友人の話を聞いた時、割り込めないと分かってしまって告白もできなかったと、あんな大切そうに笑うのを見て、勝てないと思ったこと。
くだらない話だったと思う。恋愛初心者すぎて笑ってしまうような、告白もしない臆病者の話を笑わずに聞いてくれた先輩は、優しく背中をさすってくれた。
「……当人同士の問題だから野暮なことを言えないんだけど」
まだメインヒーローも現れてない、まだ高校一年生なんだから新しい恋は見つかるわ。今はまだ消化できないけれど、時間が解決してくれるはず。
「そういえば、夏也先輩以外のヒーローの方、季節が名前に入ってるってこと以外あまり詳しく覚えてないんですが、メインヒーローさんってそんなかっこいいんです?」
みんなイケメンだとか、闇があるとか、溺愛ハーレムだとかそういうことを光に言われたけれど、ヒロインだから大丈夫だって言葉が嫌でほとんど聞いていなかったけれど、そういえばどんな人なんだろう。
……運命の人、とやらが居るならその人達でもいいや、と思う私は多分ヤケになっているんだと思う。けれど、そのくらいもうどうでも良くなった。
「私は…夏也が一番カッコイイと思ってるけど、そうねイケメンよ」
ただ、……と先輩は言葉を濁す。
「……攻略するか否かは置いといて…救って欲しい人ではあるわ。人殺しを止めたい、とは思うから」
……え?
メインヒーローが人殺しをする乙女ゲームって何。なにそれこわい。R指定の付くゲームの世界だったのかと不安が込み上げた。こんなことなら光の話をちゃんと聞いていればよかった……と今更ながらに後悔が込み上げた。
「……あ、大丈夫R指定では無いの。ただ、それくらい闇が深い男の子が主人公に救われて一途に愛してくれる……ってのが評判のゲームだったってだけで」
そうは言うけれど目を合わせてはくれない。なんてゲームの中に入ったんだろう。失恋とは別の意味で怖くて泣きそうだった。
何その重たい責任。やだ。
「ぜっったい、好かれたくない……」
「…まぁ放っておかないでくれたら止めれるから……多分。うんダイジョウブ」
カタコトになる先輩の言葉に不安が込上げる。
もうヤダ。絶対人殺しだけ止めて距離をとる。そう誓ってから数ヶ月、冬休み明けのあるし私は先生に呼ばれた。
「土屋くんを気にかけてくれ、ですか?」
先生からの相談とは、同級生の土屋冬真くんのことを気にかけて欲しい、ということ。
勉強を全くしないどころかクラスメイトと関わろうともしない、孤立してしまった彼を見守って欲しいとの事。
先生やカウンセラー、親御さんも話を聞いたりしたけれど本人が心を開いてくれず、今クラスの中で一番顔が広い私にも頼んでみようと思ったらしい。
ただし、強制でもないし、できないだろうって前提だから重く捉えなくていいからな。そう言った先生の顔はすごく疲れていたので、気の毒に思った私は首を縦に降った。
そして、土屋くんがよく居ると聞いていた体育館倉庫へ向かった。
少し埃っぽいせいか、扉を開けただけで塵が舞う。けほり、と咳が出て来るこんなところに人がいるとは思えなかったけれど、先生情報だからきっと居るのだろう。
……土屋くんは、これが平気なのかなぁと心配になりながら倉庫内を見渡すと、うつらうつらとしているけれども、寝れないのか、焦点のあってない目でぼんやりと宙を見ている土屋くんがいた。
「土屋くん」
ぼーっとした土屋くんは名前を呼んでも反応しない。目の前で手を振ってみてもあまり反応がないので、ぽん、と肩を叩いた。するとようやくこちらを見たので、にこりと笑ってみた。
「えーと」
「同じクラスの天海だよ。先生から様子見して来いって言われて探してたの」
まだ覚醒していないのか、不思議そうに目を瞬かせた。その動作が児童施設にいた時に面倒を見ていたこと重なって、なんだかほっとけない感じがした。
…そして、何となく、不眠症だったその子と症状が似てるなぁと思った私は、単刀直入に問いかけてみることにした。
「……間違ってたらごめんね。もしかして不眠症?」
そう尋ねると体を強ばらせた。なんで、と呟いて動揺してるのを見る限り、隠していたのかもしれない。暴かれたくないことだったのかな、それだったら申し訳ないなぁと思いつつ、彼の隣に座る。少し埃っぽいから後でスカートを洗わなきゃと思いつつ、かつて不眠症だったその子にしたように、ゆっくりと視線を合わせた。
「先生に言いたくないことなら言わないよ。お医者さんには診てもらった?」
「……一応」
「そっか、どんなこと試したの?」
そうやって少しづつ聞いてみると、寝ると悪夢を見るから寝たくないこと、薬を使えば眠れなくは無いけれど寝た気がしないこと。
一般的に言われる、軽い運動や入浴、スマホを控えるだとか朝日を浴びるだとか、そういうのはあまり効果が無かったこと。
親が忙しいから相談できないし、親に言われるかもしれないから先生に言いたくないということ。
誰かに言いたかったのだろうと思うくらい、あっさりと教えてくれた。
「じゃあ、民間療法試してみようよ」
レム睡眠が嫌なら、そうなったら起こしてあげる。そう言いながら睡眠導入の音楽を流してみたけれど、それは試した、けど変な夢を見るから嫌だと少し苦い顔で否定された。
「じゃあ、これは?ちょっとごめんね」
そう言いながら土屋くんの頭を抱き寄せて膝の上に乗せた。
「あま、天海っ?!」
動揺している土屋くんの頭を一定間隔でポンポンと叩きながら、施設にいた子でこれで安心して寝れるようになった子がいるの、と言えば、抵抗したそうな顔をしつつも、セクハラって後で言うなよと言いながら目を瞑ってくれた。
……むしろ私がセクハラになるんじゃないの?と聞きたかったけれど、目を閉じてしまった土屋くんが、穏やかな顔をしていたものだから口を閉じた。
きっとこの子…いや、同級生を子供扱いしちゃダメなんだろうけれども。親に甘えられなくて、不安定だったんだろうな、と思う。
人がそばにいないと不安になって、居なくなってしまうかと不安になって寝られない子。
ぽんぽんと、リズム良く振動を送っていると、いつの間にかすー、と穏やかな吐息が聞こえた。それを確認して綺羅々先輩にメッセージで先生に休むことを伝えて貰えるようにとお願いをした。
それから数時間、さすがに足が痺れてきたし携帯小説も読み飽きたなぁ、と思っていた頃。様子を見に来た綺羅々先輩と夏也先輩の気配で土屋くんは目を覚ました。
「おはよ。ゆっくり寝れた?」
「……っ……あー、おう。寝れた」
気まずそうにスーッと離れてありがとな、と呟いた土屋くんをみて、やはり人肌恋しいんだなぁと確信した私は、夏也先輩と綺羅々先輩に向かって声をかけた。
「綺羅々先輩、先生への伝言ありがとうございます。……それと、おふたりにも手伝って欲しいことがあるんですが、……あしたから、放課後数時間、順番に土屋くんを膝枕して貰えませんか?」
そう言うと、え?と不思議そうに首を傾げる綺羅々先輩と夏也先輩の声をかき消すような声で、何言ってんだ?と土屋くんが叫んだ。
「うるさいなー。人肌があれば寝れるのか、別のことがきっかけなのか検証しなきゃダメでしょ?」
治した方が土屋くんも楽でしょう、と言うとよっぽど不眠症が苦しかったのか、ぐらりと揺らいでいた。
「……一応聞くが、俺はいいがなんで綺羅々も?」
夏也先輩は、一応俺の彼女なんだが……と不服そうだった。
「人肌なら大丈夫なのか、母性がないと寝れないのか、私が寝かすのが上手かったのか、検証しないと分からないので」
「…その結果を知ってどうする」
「主治医と相談してもらいます。人肌があれば寝れる、となればペットとかでも大丈夫な可能性がありますし」
実際、不眠症だったその子は職員さんと寝るようにしてたけど無理な日はペットに抱きついて寝ていた。……体勢が悪くて寝違えることも多かったけれど。
その言葉に納得したのか、綺羅々を貸し出すのは一日だけだからな、という条件はつけられたものの、許可が出た。
検証結果としては、夏也先輩の膝枕でもすやすやと安心して眠った。そんな土屋くんをみて、ゲームじゃこんな展開なかったのに…と綺羅々先輩が驚いていた。彼もゲームのキャラなのかと尋ねると、不眠症のキャラだったの、と教えてくれた。
ヒロインの膝枕でないと寝れないからいつもベッタリ甘えてくるのが可愛いって人気だったのよ、というこれまた不穏な、どこに需要を見いだしてるんですかと言いたくなるようなエピソードがあることを教えてくれた。
「……ならより一層、ちゃんと寝れる環境を整えた方がいいですね」
私攻略しませんし、私がいないと寝れないとかそんな拷問みたいなことさせたら可哀想と言うと、綺羅々先輩は意外そうにこちらを見て、少し考え込んでそうね、と呟いた。
「ゲームじゃないから、確かに困るわね」
私、思ってたよりゲームのキャラって認識しすぎてたみたい、とつぶやく先輩が、へにゃりと眉を下げて笑う。
「犬とかでも行けるかも、って言ってたよね。試しにうちのゴールデンレトリバーのショコラと寝てみるように促してみるわ」
そう言ってくれた先輩のおかげで、色んな動物と寝ることができた結果、……猫は引っ付いて寝れないし、小動物だと小さくて安心できないけれど犬、できるなら大型犬ならば安心して寝れることが判明した。
毎日の様子をまとめた記録表を、親と主治医に相談して飼えないか検討してもらってと言いながら渡すと、ここ数週間ですっかり懐いた土屋くんはこくりと頷いてくれた。
「……ありがとな。…先生にも、こういう経緯があったこと、ちゃんと伝えるよ。先生からも提案して貰えたら母さんたち説得できると思うし、動物は好きだから面倒は俺が見れるし」
そう言って先生のとこに行ってくる、と駆けていった土屋くんを見送って、協力してくれた夏也先輩と綺羅々先輩にお礼を言った。
「いいのよ、私もおかげで大切なこと気がつけたし」
そう笑ってくれる綺羅々先輩と笑いあった。
土屋くんもハチ公と名付けられた秋田犬を飼うことになったらしく、睡眠不足が解消されたのか、クラスメイトとも楽しそうに笑って話していた。
そんなふうに順風満帆で浮かれていた私は、向けられた悪意に気がつけなかった。
それは、とある噂がきっかけだった。
『天海千恵は、男をたぶらかしている』
土屋くんや夏也先輩に対しても色目を使っている。そんな事実無根な噂が広まったのだと、心配そうに教えてくれた。
噂を教えてくれた、とある相談をきっかけに仲良くなった優香は、皆は信じてないんだけど、千恵のことを知らない別のクラスの子とかが信じちゃってるみたい……と申し訳なさそうに言った。
女子相手にも相談に乗っているし、土屋くんに対しては姉かお母さんの距離感だから誑かすとかありえないし、そもそもいちばん仲良いの同性の天童寺先輩だし、有り得ないよねと噂を否定してくれているそうなのだけれど、やはり噂を信じてしまう人は一定数居て、その人たちからの冷たい視線を向けられることが増えた。
先生も注意してくれてるらしいのだけれど、噂が落ち着くことはなくて、ピリピリとした空気になっている。
(……まえも、こんなことあったなぁ)
小学生の頃、友達が離れていったことがあった。きっかけになったのはそれも噂が原因。先生からのえこひいきがあるから点数を取っていると言う小学生にしては陰湿な噂は面白半分に拡がって私は孤立した。
当時は光が居てくれたから耐えられたのだけれど、その数年後、ヒロインだと言い出した光を拒絶して違う中学に入った時に、同級生だった子に教えてもらったのは、噂を流したのは光だったということ。
光が、『ヒロインはまだ幸せじゃダメ。孤独でなくちゃいけないの』とよく分からないことを言っていたから、近づくのをやめていたのだと謝罪をしてくれたのを思い出した。
噂に憤った綺羅々先輩たちが調べた結果、元凶は光だと判明した。
(……また、シナリオ通りじゃないから、って理由なのかな)
自分のことなのに何故かすごく冷めた気持ちで光の行動の原因を分析した。ゲームだなんてくだらない。現に土屋くんはヒロインが居なくても寝れるようになったし、夏也先輩は女性不信では無い。
ゲームよりもよっぽどいい人生になっているのだからいいじゃない。ゲームに拘る光の方がおかしいし、幸せならそれが一番いいじゃん、と思っていたし、それを今度は逃げずに伝えようと思って私は光を呼び出した。
「……あのねぇ、千恵」
こっちがどれだけ奔走してゲームの設定に戻そうと奔走したと思ってるんだ、と憤る光に、反発しようとするも光の勢いは止まらない。
「そもそも、救えたのだって千恵がヒロインだからだよ。友情の力だとか笑わせんなよ」
「ヒロインじゃなかったら、関わることすらなかったって自覚ある?恩恵だけ貰っといて義務を果たさない。そんなんだから捨てられるんだよ」
その言葉に、私の頭の中は真っ白になった。
土屋くんを救えたのは、綺羅々先輩や夏也先輩、秋先輩に出会ったのは私がヒロインだからだと言うそれに、少しばかりは心当たりがあったから。
最初のきっかけは、綺羅々先輩がヒロインを見つけに来たことだった。それがなかったらたしかにこんな風にクラスメイトと馴染めなかったし、仲良くなることも無い遠い存在だっただろうから。
「主人公としての千恵以外に、千恵に価値があると本気で思ったの?ヒロインじゃない君はただ捨てられただけの子供だよ。天童寺先輩だってそんな子に関わりに来ることは無かったはずだよ」
ヒロインじゃなきゃ、関わって貰えないくせに
その言葉に血の気が引いた。
ああ、そうだ。私が綺羅々先輩たちに受け入れられたのは、ヒロインだから。
ヒロインをやめようとした私に価値は無い。
黙り込んだ私に、言いくるめたことに満足したのか光は上機嫌でやっと弁えた?と鼻歌を歌いそうな様子で笑う。
「土屋冬真はもういいよ。でも、秋と春樹はちゃんと攻略してよ」
そんな言葉を残して立ち去っていく光を、ただ見つめることしか出来なかった。
それから私は、人と関わるのが怖くなった。
どこまでがヒロインとしての関わりなのか、千恵単体の関わりなのか分からなくなったから。
その言葉は誰に向けられたものなのか、分からなくなった私は独りに戻ることを選んだ。
「千恵、どうしたの」
大丈夫かと声をかけてくる綺羅々先輩や、優香、土屋くんや先生に呼び止められても逃げ回っていた私の手を掴んだのは、綺羅々先輩だった。
心配そうに名前を呼ぶ先輩。本当ならすごく嬉しくてありがたいことなんだとは分かっている。けれど、その優しさはヒロインに向けられたものだと思うと、気持ちが悪かった。
「離してっ!」
手を振りほどくと、ショックを受けたような顔をした。
なんで。
そんな悲鳴のような声が漏れそうになって、口を塞ぐ。
なんで、なんでなんで!欲しいものを全部手に入れた、ヒロインの枷もないあなたがそんな顔をするの。夏也先輩のことはもう狙わないってわかってるんだからほっといて。
優しくされたら、勘違いしてしまうから。優しくしないで。
「ヒロインじゃなかったら、話しかけもしなかったくせに」
その言葉に、先輩は大きく目を見開いた。言い当てられたことに驚いたのだろう。言葉に詰まっていた。
「ちがっ」
「わたし、もう嫌です」
答えをも聞かずに走った。先生から廊下を走るなと怒られたけどどうだっていい。1人になりたかった。答えを聞きたくなかった。
そして、誰も使わない旧校舎で、息を整えていると呪いのように光の声が頭に響く。
「ほら、やっぱり追ってこない。それが真実だよ」
もう、何も聞きなくないと耳を塞いだ。
そして私は初めて自分の都合で授業をサボった。
千恵は、ヒロインらしくない子だった。
この世界に生まれ直した私は、夏也と共に育った。初めはゲームの世界だとは思っていなくて、ただ単純に、女性不信になる夏也が放っておけなくて、怖くないよと手を引いては一緒に遊んでいた。
乙女ゲームだと気がついたのは、リアルではありえないような、それこそ乙女ゲーム特有な高校名と、夏也がかつて大好きだった攻略対象にそっくりに育ったこと。
そして、光と名乗る男の子からヒロインがいること、ゲームのように正々堂々と戦ってねと言われたことがきっかけだった。
正直、ヒロインが大好きだった私は一目ヒロインを見たいという好奇心と、夏也を狙うのかどうかの確認のために1年生の教室に足を運んだ。
そこには、ゲームのスチルのようなとても美しい少女がいて、見とれそうになった。
けれど、ゲームのような天真爛漫な雰囲気は欠片も無く、むしろ何もかもに怯えている小動物のような、見てるだけで心配になる子だった。
光君からヒロインであることを知らされていると聞いていたから、話しかけるきっかけとして、夏也を奪われないように宣戦布告に来た、と告げた。
そんな私に何を言ってるのか分からないという表情をして怪訝な様子を隠さない。
狙いませんよ、だからほっといてと言わんばかりの千恵が、かつて女性不信になりかけた夏也みたいで放っておけなくて、引っ張り回した。困っていたのも見て見ぬフリをして連れ回すうちに、少しづつ心を開いてくれたのが嬉しかったし、綺羅々先輩、そう言って駆け寄ってくるようになった時はガッツポーズをしそうになった。
そんなふうに仲良くなってきたある日、千恵は失恋したのだと打ち明けてくれた。相手は秋先輩。亡くなった親友に勝てないと、告白する前に失恋しちゃったんですと言った。
事後報告をされた時、本当は肩を揺さぶって、親友は男だし、過去を打ち明けるイベントは攻略済みの証拠、秋先輩は2年生の時期に実習生としてやってくる攻略対象で、既に攻略完了してるも同然だと、押せば行けると、言いたくてたまらなかった。
けれどゲームを知らない千恵にそれを説明しても納得しないだろうし、先輩の過去も私自身が聞いた訳では無いから言えなくてヤキモキした。
そして、冬真くんを助けるイベントを前倒しにこなした千恵の様子を見たくて体育館倉庫へ向かうと、スチル通りの、膝枕の光景がそこにあった。それだけなら攻略しちゃったなぁで笑ぅだけだったけれども、千恵は私と夏也まで巻き込んだ。
人肌なら良いのか、母性なのか、千恵じゃないのダメなのか。不眠症を解決するために本気で取り組んで、記録をつけて、医者に見せられるくらいのデータをつくりあげた。
確かに賢い子だし、そう言ったものを作り上げる位は簡単なのだろうけれども、ゲームとはかけ離れたその行動に目が点になった。
だって本来は、“ヒロインがいないと寝れないからヒロインにべったりになる”冬真くん、という設定だからそうじゃない解決なんて、考えたこともなかった。
でもお人好しの千恵らしい解決に、やはりここはゲームじゃなくて現実で、私も夏也も生きている普通の人間なのだと実感するには十分だった。
何より、これでみんなと仲良く話せるねと嬉しそうにする千恵が可愛かったから、全て良しそう思っていた。
それが壊れたのは、とある噂が原因だった。その件で元凶だった光君に話をつけに行ってから、千恵は、変わった。周りを拒み、逃げ回るようになった。今まで仲良くしていた人たちを見ると泣きそうな顔をした。
絶対光君に何か言われたに違いない、そう踏んで光くんに話に行っても、真実を伝えただけ。これで壊れるならその程度だとなんてことないように残酷なことを告げる。
(人を、なんだと思ってるの)
自分の発言が正しいと信じて疑わない光君の説得は叶わず、千恵に避けられるだけの日々が続いた。そんな状況に耐えられなくなった私は千恵を捕まえたけれど、千恵は本当に嫌そうに拒絶をした。
「ヒロインじゃなかったら、話しかけもしなかったくせに」
あまりにも泣きそうな声で、そう叫ぶものだからかける言葉が見つからない。
違う、そう伝えようとした時にはどこかへ走り去っていた。そして誤解も解けぬまま千恵はどこかへ消えた。授業もサボって夕方になっても現れなかった。
秋先輩から、千恵の件で相談がある、と今更すぎる“好きかもしれない”という相談に、遅いです!と八つ当たりをしたのは仕方がないと思う。
「秋先輩は優しいですね私にすら気にかけてくれるだなんて」
その子は言った。卑下はやめろと口酸っぱく言っても聞く耳を持たない、危なっかしいその子は、言う
救えなかった大好きな人の代わりだとしても、償いのうちの一つだとしても、こんな私にまで手を伸ばすなんてお人好しと呼ばずなんて言うんですか。と。
違う。そんなのじゃない。
たしかに初めは親友に似て危なっかしいと思ったのがきっかけだったし、償いとしてもうアイツみたいな犠牲を生まないと決めたのも本当だ。けれど、今千恵に優しくしてるのはそんな理由じゃない。
純粋に、知り合った、仲良くなった千恵が心配なだけだった。
……そんなことを言っても、自己肯定感が限りなく低い千恵は、受け止めないんだろうな、と思いながらも構わずにはいられなかったし、千恵と話しているうちに、心のモヤが少しづつ晴れていくのを感じていた。
「親友さんだって不幸じゃなかったはずですよ」
少なくとも友人関係で苦しんでいたなら、先輩にお礼の言葉なんて残しません。恨みつらみじゃなくてお礼を書いて残したってことは、先輩の行動は少なくとも救いになっていたんですよと、千恵は言う。
それ以上にほかのことで苦しくなったのと、先輩たちを置いていく罪悪感より逃げ出したいが勝っただけで、先輩は恨まれてませんよ。だからむしろ先輩がずーっと凹んでいたら天国にいる親友さんは報われません。
その言葉が、本心だったから。
他のやつみたいに建前だとか、偽善の言葉じゃないからこそ受け入れられた。
……その後に、私だって誰かを恨んでは無いけど死のうとしたことありますもん、という怖いくらいに説得力ある言葉がなければなお良かったのだけれども。
親友のことも、吹っ切れる…とまでは行かないけれど、救えなかったと嘆くのは違う。そう思えたのは千恵のおかげでいつしか目で追うようになっていた。
何もしていない、そう言いながらも困った人を放っておけない所や、自分は偽善者だと言いながらも無償の愛をばらまいているところ。人の肯定は得意なのに自分の肯定が下手くそなところ。その全てが人として尊敬できた。
だから、最初はそういうのと感情がまぜこぜになっているだけなのだと思っていた。
……千恵が失恋したと綺羅々に泣きついた、夏也からそう聞くまでは。
そんな男じゃなくて…確かに俺もまだ不安定で頼りないかもしれないけれども、少なくとも俺ならそんなふうに泣かせないのに。
そんな話を、実習の用意が一段落した頃に綺羅々たちに話したら遅いと思い切り怒られた。
授業をサボってしまった次の日、朝一番に職員室に向かった私は先生に謝罪をした。土屋くんの件で1度サボったとはいえ、学生として宜しくなかったと反省していると、先生は気にしなくていいと、首を横に振った。
「噂の件で、色々あったと聞いている。むしろ力になれずにすまないな」
そんなふうに謝罪をされたものだから、なんて返せばいいのか分からなくて戸惑った。
オロオロとしている私に、もし天海が嫌じゃなければ天童寺たちと会ってくれないか、と先生は提案をする。
…嫌われるようなことをしておいて、会いに行って謝罪して許されようなんて、図々しいのでは無いか。そんなことがまかり通るのだろうかという心配が勝り、何も言えずにいると、先生は良くも悪くもあいつらはムードメーカーでなぁ、と言った。
なんだろうか突然。そんなことは百も承知…というか周知の事実で、今更説明を受けなくてもわかっているのだけれど。
先生の話始めたことの意味がわからずキョトンとしていると、そんな奴らが昨日から落ち込んでて、周りの空気も重たいんだ、と言った。
…私のせい、なのだろうか。何も言い返せなくて黙り込むと、先生は大丈夫だと笑った。
「もし何か言われたら、斉藤先生に言われてきたって言い訳をしてこい。実際提案をしたのは俺だからな。失敗してもフォローしてやるから、言いたいこと伝えてみたらどうだ?」
先生にそう背中を押されてやってきたのは、2年生のフロアにある、綺羅々先輩のクラスの前。
でも入る勇気が出なくて入口前で立ちすくんでいると、私に気がついたらしい夏也先輩がこちらにやってきた。
思わず隠れようと回れ右をしたけれども、逃げ切るよりも先に肩を掴まれた。
「天海」
「…はい、なんでしょう夏也先輩」
怒られるかな、と覚悟をしていた。夏也先輩が大好きな綺羅々先輩を傷つけたから。そうあっても仕方が無いと思っていたのに、聞こえてきたのは正反対の言葉。
「昨日は大丈夫だったのか」
「……へ?」
想定外の言葉にぽかんとしていると、夏也先輩は、綺羅々は人の地雷を踏み抜くことがあるから、と笑う。
「聞かれたくないことなんて人によって違う。その地雷を踏み抜いてまで歩みよってくれるところに救われるやつももちろん多いが、その分傷つけることもあるんだよ。今回も踏み込みすぎたんじゃないかって落ち込んでたから、天海が悪いとは思ってないよ」
第一、元凶は別にいるってわかっているしな、そう言って夏也先輩は私の頭を撫でる。
「綺羅々に会いに来てくれたんだろう。ありがとう。あいつもあれで頑固なところがあるから、歩み寄ってくれて嬉しいよ」
そう言われて先輩の前に連れていかれた。待って、という私の主張はまるっきり無視して。
「千恵」
泣きそうな声で私の名前を呼ぶ綺羅々先輩に、私は深々と頭を下げた。
「昨日はすみません。八つ当たりしてしまって」
「ううん、いいの。ごめんね光君に嫌なこと言われた後だったのに配慮できなくて」
そういった先輩に、私は首を横に振った。
それは違うから。
「いいえ、彼の言うことは事実でした。ちゃんとわきまえるつもりです」
ヒロインとして攻略する気もないのに、唆したことは事実。そこに恋愛感情はなくとも、人生を変えてしまったのに変わりは無い。
だから、もうこれ以上ゲームの関係者と関わらないと決めていた。
「…んー??」
意味がわからないというように固まる先輩に、説明が足りなかったかな、と言葉を重ねた。
「ですから、もう欲を出しません。質素に人に迷惑を掛けないようにそっと生きます!」
グッと拳を握ってそう宣言すると、先輩の表情は安堵するどころか強ばっていく。
「なつ、夏也!この子全然わかってない!!」
なんでそっちにこじれちゃうかなぁ、そう言って頭を抱えた先輩の不思議な言動に首を傾げていると、朝礼の時間が迫っているのに気がついた。
「すみません。授業があるので戻りますね」
そう言って私は何か唸っている先輩を放置して教室へと戻った。
それから少し時間が経ち、春が来た。
先輩たちからの視線が少し気になるものの、ヒロインらしい行動をすることなく、光から目をつけられることも無く過ごした日々は、綺羅々先輩たちの居ない生活は少しつまらないけれど、本来はこうだったのだと思えば受け入れられる。
クラスメイトとは最低限の距離を取りながらいつも通りを装って笑っていると、その距離感に順応してくれた優香たちはそれでも構わない、なんて言いながら関わりを辞めずにいてくれていた。ヒロイン効果だろうか、と少し悲しくはなったものの、ぼっち生活を免れるのはありがたい。
少しヒロインの特典を傍受してしまうことに心の中で謝罪をしつつ、メインヒーローが転校してくるという噂を聞いた。
そして、4月。メインヒーローが転校してくる、登校初日。クラス替えの結果を確認したところ優香や光と同じクラス。先生は光と同じクラスになったことをものすごく申し訳なさそうにしていたけれど、ヒロインとしての恩恵を受けずに生きると決めた私にとってはどうでもよかったので笑って宥めておいた。
始業式で、秋先輩が教育実習生として紹介された。光からこの人を攻略してね、と耳打ちされたおかげで秋先輩が攻略対象と知った。
(…ああ、信頼してくれたのはヒロインの恩恵かぁ)
じゃあもう、関わることは無いなぁと、チラチラとこちらを見てくる秋先輩…古屋先生から目を背けながら転校生が入ってくるのを待っていた。
どんな人だろうか。関わる気は無いけれど、メインヒーローと言うだけあるのだからきっと目の保養なんだろうなぁ。
そんなことを思いながらドアを開いたその人を見ると、ふわりと癖のある黒髪をした、可愛らしい…少し女の子のような幼さも見えるような、いわゆるキュートな男の子という子だった。
意外、夏也先輩みたいな正統派のイケメンだと思ってた私はぽかんとしていると、私を見て目を合わせたその人はパッとこちらに駆け寄ってきた。
え、何?
「千恵ちゃん!」
にぃ、と笑うその子に心当たりは無い。手を取って久しぶりだと笑うその顔をした男の子に身に覚えは無い。
なんなんだと困惑していると、先生は何を誤解したのか、知り合いがいるなら安心だな、なんて言って笑う。
先生違う、私この人知らない。
そう言いたかったけれどそんなことを言う暇を与えないくらいに元気よくその転校生は光を見つけるとぱぁっと再び笑顔を見せて、そちらに駆け寄った。
「光!お前も居たのかよー!先に教えてくれよなぁ」
ニコニコと光の手を振る転校生に、光も困惑を隠せない様子で、え、誰。と戸惑っていた。
「飯田春樹だよ、小さい頃一緒に遊んだだろ」
その名前を聞いてもピンと来ない。
首を傾げていると、忘れたのかよ薄情だな、春ちゃん春ちゃんっていつも声掛けてくれたじゃんか、と言った。
「春ちゃん?」
その名前ならば心当たりはある。ただし、女の子で。
いつも可愛くてふわふわとしたワンピースを着て、お母さん手作りのバックを持っていた、女の子のあこがれだった春ちゃん。そう言われてみれば少しだけ面影があるような、そんな気がする。
「そーだよ!千恵ちゃん思い出した?母さんから昔から着せ替えごっこされてて女の子って間違えられてたから戻ってきてからよくびっくりされるんだよな」
ニコッと笑うその人は、私がかつて憧れの家庭の憧れの子だったはずの、女の子。
…まさか男の子で攻略対象だなんて誰が思うだろうか。
光も、放心したように春ちゃんが攻略対象?と人目も忘れてブツブツと呟いていた。
「あはは、相変わらず光は変な事言うなぁ」
春ちゃんは、…もとい春樹くんは光を笑って受け入れていたけれど、あれは誰から見ても異質に見えたと思う。
そんな初日が終わり、こちらを気にしてくる古屋先生と土屋くんの視線を躱しながら春樹くんと話をしていると、彼のお母さんの話になった。
亡くなったお母さんを轢いた人がこの街にいて、その人に復讐をするつもりでいたと言われた時は、もうギョッとした。
なんて言うデリケートなことを公然と話すのか分からなかったし、それは光の言う、親密度が上がったら語られるストーリーというもののはず。攻略なんて欠片もしていないのになんで、と困惑していると、話が衝撃すぎて困惑したと勘違いされたらしく春樹くんはしゅんと凹んでしまった。
いや、両方の意味で困惑はしているけれども。
「大丈夫、もう復讐なんて思ってないんだ。千恵ちゃんと光に会えたから」
「…は?え、どういうこと?」
意味がわからない、まるで野良猫が威嚇するかのように過剰反応した光に向かって、春樹くんは笑う。
「思い出したんだよ。二人に会って、母さんがかわいいは正義だって笑ってたこと」
千恵や光をみて、着せたい服を思いついたら止まらなくなって。復讐するよりそっちの方が母さんも喜ぶし楽しいなって思ったんだよ。
「それだけだよ。光が何を望んでたのか知らないけどそれが僕の答え」
「なん、で!!原作通りにならないんだよ!」
原作通りじゃないならハッピーエンドにならないじゃんか、と叫ぶ光は、なにか追い詰められているように見えた。
「なぁ、光。お前は昔からなんでも知ってたしなんでも出来た。だから今思い通りにいかないことに苛立つのかも知んねぇけど、人の心って思いどおりにはならねぇよ」
何がお前をそんなに追い詰めてるのか知らないけれど、少なくともそんなふうに人を傷つけてまで成し遂げなきゃ行けないことって言うならば間違ってる。
その言葉に光は、わかりやすいくらいに逆上した。
「お前に何がわかるんだよ、役割を果たさないとハッピーエンドにならねぇのに、皆して予定外の動きばっかりしてるせいで修正しなきゃ行けないこっちの身にも!!」
「お前の言うハッピーエンドは、俺の母さんが死ぬことが前提だったのか?それって本当に幸せな未来なのかよ」
「っそれは、」
親の死について言及されたことで勢いが尻込み、納得できないけれど反論もできないというような様子で言葉を迷っている。
(…光が正しいわけじゃ、ない?)
あんなにも、シナリオが全てだと断言していた光がそれを主張できない状態に、目から鱗が落ちるような気分だった。
(…ヒロイン、ってのも春樹くん達からしたら関係ない。今だって、昔馴染みの1人として私を見てくれている)
ヒロインの恩恵だとか、本当は関係ないのかな。そんな疑問が私の中に生まれた。
「千恵ちゃん、光に何言われたか知らないけど、千恵ちゃんは千恵ちゃんだからね。あとこのバカちょっとシメてくるから席外すね」
ひらひらと手を振って去っていく春樹くんをぽかんと見送っていると、古屋先生や土屋くん、優香や綺羅々先輩が心配そうにこちらを見てるのに気が付いた。
「千恵、大丈夫だったか?」
「…多分?」
そう質問してきた先生には申し訳ないけれども、私だって理解が追いついてない。けれど、春樹くんの言葉で少し視界が開けたような気がした。
「あれで、現実とゲームは違うって理解してくれたらいいんだけど」
ぽつりと呟いた綺羅々先輩の言葉が想定外すぎて、え、と思わず聞き返してしまう。
「違う、んですか?」
先輩だって最初はヒロインが夏也先輩ルートに行かないためにとか言っていたのに。
この世界がゲームじゃない、となると私のヒロイン補正とやらはどうなるのだろう。
「あたりまえよ、だって転けたら痛いじゃない。生きてるから痛いのよ。ゲームなら痛みなんてあるはずないもの」
「…じゃあ、両親に捨てられて苦しかったのも、ゲームの設定じゃなくて、私の気持ち…?」
あの理不尽は、ゲームのシナリオだという、定められた不幸では無い?
ヒロインがゲームで幸せになるための犠牲だなんて、思わなくていい?
「ええ、全部千恵が感じたことだし、救った人たちとの交友関係だって千恵が頑張って変えたことよ」
…まだ、その全ては信じられないけれど。光の言うゲームが正しいわけじゃないことだけは、理解出来た。
ああ、本当に先輩は私の欲しい言葉をくれる。泣いてしまいそうだ。
なんでこうも的確に救いの言葉をくれるのだろう。先輩こそヒロインというのにふさわしい。
「…因みに、千恵が今一番気になってる人…好きな人って誰?」
春樹くん?秋先生?土屋冬真くん?キラキラと恋バナに目を輝かせるような先輩に、先輩ですよ、と言ってその腕に抱きついた。
先輩が人たらしなのも事実だし、もはやヒロインみたいなものだし、私のことを1番理解して受け入れて欲しい言葉をくれる。
そりゃあ、先輩以外にいるはずがない。
「え、私??ヒロインに懐かれるとか、目の保養でしかないけど……こほん、そうじゃなくてあなた好きな人を探す気ないでしょ??」
「私の事ちゃんと見てくれる人、先輩以上にいませんもん」
「……1番の敵は綺羅々か……」
「ある意味手強いねぇ」
外野がなにかボヤいていたけれどもそんなのどうだっていい。先輩のそばがいちばん救われるのだ。ならば綺羅々先輩以外に選択肢なんてない。
「ねぇ、先輩、私先輩みたいになりたいんです!」
だからそばで学ばせてください。そう言うと、綺羅々先輩は参ったというようにへにゃりと笑った。