第85話 新婚とはなんぞ⑦
宿の部屋に戻ってきてから夕食をいただいた私たち。
港町ならではの海産物をメインに、スープにサラダ、果物やケーキまで。
どれもとっても美味しくて、盛り付けも素敵に盛り付けられていて、普段の私ならばいちいち感動していただろうけれど、今日は正直それどころではなかった。
先にお風呂をいただいて、私はクロードさんがお風呂に行っている間、1人ベッドの上で今日の反省会を行う。
何をやってもうまくいかない。
情けなさと申し訳なさで、私の心は沈みきっていた。
レイラ様にアドバイスをいただいた【アレ】も未だ実行に移せていないし。
だめだ。
今の私はリゼリアじゃない。ダメリアだ。
明日は午前中に海の見える丘に行ってピクニックをしてから、私たちはまた王都へと帰っていく。
もう時間がないっていうのに。
「リゼ?」
私が泣きそうになりながら頭を抱えていると、いつの間にかお風呂から上がったらしいクロードさんが私を見下ろしていた。
「クロードさん……」
「もしかして、泣いてたの?」
私の潤んだ目を見てクロードさんが心配そうに私の隣へと腰を下ろした。
「だ、大丈夫です。あくびをして涙が出ただけなので!!」
我ながら苦しい言い訳だとは思う。
でも今の私にはその言い訳すらうまくできないほど、頭が回っていないのだ。
「……あのさリゼ。俺、何かしちゃった?」
「へ?」
驚いて顔を上げれば、いつも飄々とした笑顔を向けてくれるクロードさんの表情が陰を帯びていた。
「旅行に来てから、どこかリゼらしくないっていうか……。ものすごく気を遣って、何かを気負ってるみたいで……。あなたの瞳を曇らせているのは、俺?」
「ち、違っ……!!」
クロードさんのせいなんかじゃない。
むしろ、クロードさんには助けられてばかりだというのに……。
「違うの? じゃぁ何? まさか、俺のリゼを困らせるやつがどこかに? 安心して。俺がすぐにそいつを亡き者に──」
「ちょっとまったぁぁぁあ!!」
クロードさんが危険思考に陥ったところで、私は彼に待ったをかける。
危うく犠牲者を出すところだった……。
「……そうじゃないんです。私自身が問題なんです」
「リゼ自身が?」
私は無言で小さく頷くと、俯きながらぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「結婚してから1ヶ月。私、食堂や聖女の仕事に明け暮れて、ろくにクロードさんとの時間を取ることができませんでした。だから私、今回の新婚旅行、とっても楽しみにしていて……。クロードさんとゆっくり同じ時間を楽しんで、クロードさんのことだけを考えて過ごそうって決めてたんです。なのに……。どうしても料理の研究の方に頭が向かってしまうし、その……美的感覚最悪でクロードさんのグラスダメにしちゃうし、何もかもうまくいかなくて……。クロードさんに、迷惑ばかりかけて……自己嫌悪してました。こんなじゃ、愛想尽かされても仕方がないかもしれないです」
妻というより、今の私、同居中の謎の料理研究家みたいだもの。
今まで恋愛なんて考えたこともなかったせいで、自分から色々する勇気もない。
クロードさんの優しさに甘えてばかりじゃいけないのに。
我慢していた私の涙がついにこぼれたその時、すぐ近くから「なんだ、そういうことだったのか」と安心したような声が放たれた。
「え?」
私が顔を上げると、穏やかに微笑むクロードさんの顔がすぐそこにあった。
「俺はてっきり、俺と一緒にいるのが楽しくないのかと……。なんだ、そっか。リゼも俺との時間を楽しもうと考えてくれてたんだね。……ねぇリゼ、俺はそのままのリゼでいいと思ってるよ」
「そのままの、私で?」
私が首を傾げると、クロードさんは穏やかな笑みのまま、しっかりと力強く頷いた。
「もちろん。むしろ、いろんなものを料理に結びつけて考えて感動したり不思議がったりするリゼを見てるのが、俺はすっごく好きなんだよ。コロコロと表情を変えながら俺のそばにいてくれるリゼは、最高に可愛いし、最高に素敵な女性だと思ってる。それに、美的感覚がアレなところも、いつもしっかりしてるリゼの抜けてる部分で俺的にはものすごい推せるからね。長年の片思い、舐めないでくれる?」
並べられた言葉の数々に私の力がふっと抜けていく。
抜けてる部分が……推せる?
その発想、私にはなかったわ。
「だからさ、どんなリゼも俺にとってはご褒美だし、あなたと一緒にいられるだけで俺は幸せなんだよ。気負わなくていい。そのままのあなたでいいんだ。だからもっと、あなたらしいあなたを、俺に見せて」
「でも……私、クロードさんに助けられっぱなしの甘えっぱなしで──」
「それが夫婦だよ」
私の言葉を遮って、クロードさんが真剣な瞳で私を射抜いた。
「お互いを補っていくのが、夫婦だ」
お互いを、補っていくのが……。
「俺たちはまだ1ヶ月の新婚なんだ。これからもっとずっと長い時間を夫婦として過ごすんだから、今一気にやらなきゃって気負う必要なんてない。俺たちのペースで進んでいこう。新婚とは、お互いを知っていきながら、2人の時間を楽しむ期間でもあるんだから」
「お互いを知っていきながら、2人の時間を楽しむ期間……」
力強く握られた左手から伝わる熱が、じんわりと私の真ん中まで広がる。
クロードさんの思いが伝わってくるようで、私はたまらなくなって、彼の胸に飛び込んだ。
「わっ。ど、どうしたの?」
「クロードさん……私、もっとクロードさんのこと、知りたいです。こんな、たくあん料理しか脳がない、美的感覚のない女ですけど……クロードさんの妻でいさせてください……!!」
精一杯の私の告白に、目を丸くしたまま固まったクロードさんは、やがてこれ以上なく柔らかく微笑み、ぎゅっと力強く私を抱きしめ返した。
「うん。俺にはもうずっと、リゼしかいないから。俺も、リゼの夫でいさせてね。これからたくさん、お互いのこと知っていこう。愛してるよ、リゼ」
言葉とともに降ってきたクロードさんの唇が、私のそれに重なる。
私は唇から伝わる熱を感じながら、そっと瞳を閉じた──。