第29話 たくあん聖女
「俺のそばで、毎日寝起きしてくれない?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
突然の問題発言に、私の声が休憩室全体に響く。
「まぁまぁ、落ち着いて。詳しく説明するからさ」
ふぅ、とマイペースに紅茶を一口飲んで息をつくと、彼は今度は真剣な瞳をこちらによこして続けた。
「実はね、一昨日から隣のベアロボスから王子が一人、国交のためこちらに来てるんだ」
「ベアロボス……獣人の国ですね?」
このフルティアにとってのもう一つの隣国、獣人の国【ベアロボス】。
犬科、うさぎ科、猫科……いろんなタイプの獣人が暮らしていると聞く。
確か、ベアロボスの王家の方は犬科狼系だったっけ。
「うん。そこの第一王子ベアル殿が来ているんだけど……食事をね、食べてくれないんだ」
「食事を?」
眉を垂らして困ったように首を縦に振るクロードさん。
「正確には多少は食べてくれてるんだけどね」
また一口紅茶を口に含んでから、ふぅ……と息をつくと、彼は肩を落としてソファに力なく沈んだ。
「一応ベアロボスの狼系獣人の主食でもある肉料理をメインに、うちの国の料理と合わせて出してるんだけど……どれも食べる前から表情を歪めて、席を立って部屋に帰ってしまうんだ。部屋では多少食べてるみたいだけど、やっぱり残すものの方が多いみたいだし。1週間後には晩餐会と舞踏会も控えてると言うのに、これでは両国の友好を示すどころか、国民や臣下の目には逆に映ってしまうだろう」
確かに。
晩餐の途中で顔を歪めて立ち去られでもしたら、あたりは騒然となりそうだし、ベアロボスに不快感を抱くものも出てくるだろう。それに、何日もあまり食べないようであれば身体を壊しかねない。
「今ベアル様は何を食べられているんですか?」
「部屋で一人の時に肉料理を食べているようだ。シンプルな味付けで焼いた肉と、茹でた野菜だな。だが酒類は一切口にしていないようだし、甘味も全く。特定の野菜やスパイスを効かせた様な料理、ドレッシングをかけたものも残しているようだ」
なるほど。
シンプルな味付けの肉と茹で野菜。
ベアロボスの狼系獣人が一般的に好むものね。
でも変ね。一人だと食べるのに、皆とは食べないなんて。
え、人見知り?
「ということでリゼさんには晩餐会と舞踏会までの間、王城に滞在してもらって、ベアル殿の料理を担当してもらいたいんだ」
なるほど、料理アドバイザーか。
だけど平民である私が王城に滞在するのは、上下を重んじる人たちから見ればよろしくない。
「クロードさん。私はもう公爵令嬢ではありません。公爵令嬢であり、馬鹿……ゴホンッ、ラズロフ王太子殿下の婚約者であった時ならばまだしも、今はただの平民リゼ。それが王城に滞在するというのは、体裁がよろしくないかと」
いくらクロードさんが王位継承権放棄を意思表示していても、まだ王太子夫妻に子がいないうちは、言い方は悪いが彼はスペアだ。
彼は国民との距離が近いから皆気にしていないだろうけど、貴族連中から見れば私たちは王位継承権を持った王子と平民女性。
どう考えても……不釣り合いなのよ。
少し突き放すように言った言葉にクロードさんは少しだけ表情を硬くしてから「そっか……」と小さくこぼした。
「うん。リゼさんがそれを気にするのならば、今日は一度帰るよ」
静かに言って立ち上がるクロードさんに、私は口をキュッと結んで思わず彼を見上げる。
嫌われた?
呆れられた?
面倒で恩知らずだと……。
役に立たないと……思われたかな。
“役立たず!!”
あの日の声が耳によみがえる。
信じていたもの全てから裏切られ、厭われ、捨てられた日の記憶。
手足が微かに震え始める。
そうか、私、この人に嫌われるのが──。
見限られるのが怖いんだ──。
それはなぜなのか。その答えに至る前に、沈んでいく私の頭上にポン、と暖かい感触が降ってきた。
──クロードさんの手だ。
「だいたい何考えてるのかはわかるけど、俺はあいつらとは違うからね?」
「っ……」
「貴女を悩ませるもの全て、俺が黙らせてみせる。だから待っていて」
再び見上げれば、彼の穏やかな笑顔。
そしてゆっくりとそれが近づいて、私のおでこに小さなリップ音とともに触れた。
「っ!!」
「じゃ、また明日、いろいろなんとかしてくるから、待っててね。俺のたくあん聖女さん」
たくあん聖女!?
何その変な名前!!
妙なあだ名だけを残して、そのままクロードさんは部屋を出て行った。
何……。
なんだったの?
「いや……たくあん聖女って……何そのネーミングセンス」