第21話 母の思い、子の思い、そして父の思い
「レジィ!!」
叫ぶような女性の声と共に店の扉がバンッと開け放たれる。
「ママ……」
そうつぶやいて椅子から立ち上がったレジィに気づいて、女性は足速にこちらへ近づく。
金色の髪に青い瞳。
レジィそっくりの色味をした女性は、続いて入店した案内を買って出てくれたクロードさんを見るまでもなく、彼女のお母様に違いないとわかる。
「レジィ……!! 無事でよかった……!!」
そう言って小さな身体を抱きしめた女性の目には、うっすらと涙が滲んでいる。きっととても心配していたんだろう。
昨夜レジィがいなくなってどれだけ心配だったか。
彼女の様子を見ればわかる。
どれだけレジィが愛されていたのかも。
俯いたまま黙って抱きしめられているレジィ。
「なんでいきなりいなくなったの!? あなたまで失ってしまったら……私──」
「ママがムーンを前のお家に置いて行ったから!!」
母の悲痛な叫びを遮るように、レジィが声を上げた。
「パパがレジィのために作ってくれた大事なムーンをママが置いて行ったからアプルまで取りに帰ったの!!」
「それは……」
「レジィが大きくなったからってムーンを捨てちゃうママのところになんてレジィ帰らない!! 孤児院ででも暮らすわよ!!」
何か言いたげなお母様の言葉を無視して、一気に捲し立てるように、目にいっぱい涙を浮かべながら彼女を睨みつけるように見上げるレジィ。
「レジィ」
私は思わず彼女の名を呼ぶ。
思わぬところからの声かけに、レジィとレジィのお母様の視線が同時に私へと注がれた。
「孤児院は、お母様やお父様を亡くした子達、捨てられた子達が住んでいる場所です。レジィは心配してくれるお母様がいるでしょう? きちんと話を聞いてあげて。お母様も、何か思いがあったのではないですか? それをしっかり伝えてあげなければ、すれ違ったままなのでは?」
孤児院は誰でも入れる家出部署ではない。
王太子の婚約者としてよくベジタル王国の孤児院へは慰問に訪れていた私は、そこがどういう場所なのか痛いほど理解している。
皆毎日楽しそうに友達や神官と暮らしているけれど、最初は笑顔を忘れた状態の子どもも多い。
親の死や育児放棄で、不安や悲しみ、絶望を味わった子達だ。
そこから時間をかけて、安心と信頼を育んでいく。皆が自分と向き合いながら前に進んでいるからこその笑顔なのだ。
レジィとは違う。
まだ間に合うのだから。
私はじっとレジィのお母様を見る。
私とレジィのお母様の視線が交わると、彼女はしっかりと頷き、レジィに視線を向けた。
「レジィ、ムーンを置いて行ってしまって、ごめんなさい」
レジィのお母様は娘の両手をそっと自身のそれで握りしめ、視線を合わせながらゆっくりと言葉を発した。
「心配だったのよ。ずっとムーンを抱きしめて歩くあなたが。いつまでもパパとの思い出に浸って、新しい町でレジィがお友達を作ることができないんじゃないかって」
震える声で言葉をつむぐ自身の母を、レジィは黙って見つめる。
「パパとの思い出を大事にしてくれるのは嬉しいのよ。でも、それに囚われて、レジィの未来を潰してしまうようなことになったらいけないと思って、あなたが荷馬車に乗り込んですぐ、こっそり荷物からムーンを抜き取って置いて行ってしまったの……。勝手に置いて行ってしまって、本当にごめんなさい」
母親として、子どもの未来を案ずるが故の行動。
けれど圧倒的に、彼女には言葉が足りなかった。
いつの間にか無くなっていたら、すぐに忘れて新しい友達の方へと目がむくだろう。そんな子どもへの侮りがあったのかもしれない。
頭を下げ続ける母を、レジィは何も言わないままじっと見て、やがてぽつりと「レジィも、ごめんなさい」とつぶやいた。
言の葉はレジィのお母様の頭上へと降り注ぎ、彼女は跳ねるように顔を上げる。
「何も言わないで出てきて、ごめんなさい。でもムーンはパパとの大切な思い出なの。レジィ、ここでお友だちいっぱい作るから……!! だから捨てないで……!! レジィからパパの思い出を取らないで……!!」
大きな瞳から溢れては頬を伝い落ちていく涙。
お父様が亡くなってどれだけ寂しかったか、どれだけ強がって生きてきたのか、それが溢れ出しているかのようだ。
そんな娘を力一杯抱きしめて、母は何度も何度も頷いた。
同じように溢れる涙を止めることなく。
それはきっと、必要なものだから。
二人が前に進むために。
レジィが自分の未来を切り開くために。
ひとしきり泣いて落ち着いた頃、レジィのお母様が真っ赤になった目を擦り涙を拭いて立ち上がり、私たちに頭を下げた。
「レジィを保護してくださって、本当にありがとうございました。ご迷惑をかけてしまって、申し訳ありません」
「和解できてよかったです」
私がなるべくレジィのお母様が気に病まないように微笑みを返す。
「リゼ、クララ、ありがとう。私、ママのところに帰るわ。ムーンと一緒に」
レジィはそう言うと椅子に座らせたままだったムーンを抱き上げ、片手で母の手を取った。
「レジィいつでも遊びに来てくださいね」
私の言葉に「いいの?」とレジィは大きな瞳をさらに大きくする。
「ふふ、はい。これも何かの縁ですし……私ね、ここに来てまだ1ヶ月で、お友達がいないんです。レジィ、よかったら私のお友達になってくださいませんか?」
たくあんを錬成し続けて早1ヶ月。
私には未だに友達というものがいない。
クララさんは同僚であり先輩だし(本人は姉だと言い張っているが)、時々顔を出してくれるジェイドさんは友達というより、命を救ったからか、なんだか信者か何かみたいに敬ってくるし、クロードさんは……うん、何か違う。
1週間に一回孤児院や神殿の食事は外注していて、その日は定休日になっているものの、お休みの日にも一緒に出かけるような友達はいないので、基本一人で街を歩いたり部屋で本を読んだりしている。
決してぼっちではない、と思いたいけれど自信はない。
私の申し出にポカンとした表情でしばらく惚けていたレジィだったが、一瞬だけ可愛らしい満面の笑みを咲かせると、頬を赤らめすぐに取り繕うように視線を逸らした。
「仕方ないわね。良いわ、リゼのお友達1号になってあげる」
ぶっきらぼうな言い方は照れ隠し。
本当の気持ちはそのリングリの果実のようなほっぺたが証明してくれている。
「ありがとうございます、レジィ。じゃぁ、また新しいレシピを考えておきますね」
「なんで友だちを実験台にしようとしてんのよ!?」
レジィが吠えて、私も、レジィのお母様も、クララさんも、そしてクロードさんも笑顔の花を咲かせた。
きっと今、ムーンにもその花は咲いている。
私には不思議とそう思えたのだった。