4話 香りと匂いは主観的な評価に過ぎない
社員全員の昼食が終わり後片付けを済ますとそれぞれの担当案件があるのか犬神以外は事務所を出ていった。この間の暴露大会時は外出していたので詳しくはまだ把握していないが、食事で用意するサンドイッチの断面を嗜むように観察してから口にするので当りは大体ついている。
お気に入りなのかバ〇ーの革靴を愛用している犬神がこちらにやってきて、これから依頼で外出するので同行するように言われた。地下駐車場では実用重視なのか4シーター高級セダンに乗り込み今日の概要を説明してくれる。
本日の依頼者の名前は三本松 向日葵で高級クラブのホステスをしているそうだ。以前お客さんにプレゼントされた香水を愛用しているがもうすぐ無くなりそうなので、再購入したいとの事、外箱などの銘柄の分かる情報がないので困って電話したようだ。
「俺は以前に調香師として働いていたから少しでも瓶に香水が残っていれば恐らく香りの組み合わせから製品名若しくはブランド名が推察できる。最悪、同じ香りを調香すればいいだけだ」
「匂いと言えば先日大鷹さんと迷い鳥を探し出す依頼に同行しましたが、香りと匂いの違いはなにですか?」
「一般的には香りと表現するのはその人にとって好ましい匂いであり、匂いとは好き嫌いに関わらず嗅覚的な表現で、俺の能力は他の人より匂いを敏感にかぎ分けられる。言ってなかったかな?」
「はい、初めて聞きました。」
「そう、他に何あるか?」
「この間、皆さんの癖について伺ったのですが犬神さんは不在でしたので良ければ教えてください。僕の癖は、、」
「知っている。靴を集めることが好きなようだね。俺も刀剣収集が好きだからコレクター仲間だ」
「えっ、犬神さんはてっきり切断面を観察するのが好きなのかと思っていました」
「味蕾君、俺はね物事がキッチリしていることが好きなだけで決して断面が特別好きなわけではないよ。」
「料理をするので僕は好きですけど、特に巻きずしなどは完成後の切断面を想像しながら作らないと気持ち悪くなります」
「分かるよ。オホン、とにかくこれからも包丁の手入れは欠かさずにして欲しい。」
本当は断面が好きなのだろうが隠したがるのでそれ以上は突っ込まなかった。
三本松 向日葵の住むマンションに到着したがこれまで伺った依頼人の中では最も豪華な作りの建物だった。そのペントハウスに住んでいるのでクラブのホステスとはこれほど儲かる仕事なのかと驚いた。
室内に案内されると嗅いだことのない爽やかなで甘い匂いが仄かに漂っている。
「白檀ですか、なかなか趣味が良いようだ。しかし、俺の求める物とは少し違うな」
「あら、こちらのお兄さん少しは物を知っているようね。それじゃ・・・・・」
その後20分程三本松が一方的に喋り続けるので二人で黙って聞いていた。要するに便利屋でしか働けないような僕たちを一生無縁な贅沢空間に快く招き入れたこの私は素晴らしいと自画自賛したいだけのようだ。
確かにそれなりに整った顔立ちをしており世間一般には確かに美人なのだろうが、不思議なもので大鷹という本物の美人と一緒に働いている今となってはどうということもない。犬神も同じように感じているようで話が一段落ついた瞬間に声を掛けた。
「三本松様、本日は香水をお探しと伺いましたが宜しければ残っているものがあれば拝見したく存じます」
「そうね、今持ってこようと思っていたところよ。ところでこちらの坊やは何しに来たのかしら?」
「僕はアシスタントをしております。今回のご依頼ではあまり力になれないので、台所をお借りできればおやつでもお作りします。」
「そう、食材は適当に使ってもらって構わないから」
犬神は持参したアタッシュケースを開けながら三本松から受け取った香水瓶を調べ始めたので、僕は二階に続く螺旋階段の脇を通り抜けてアイランドスタイルのキッチンに着いた。冷蔵庫を開けると酒類とミネラルウォーター、高そうな缶詰がギッシリと詰まっていたが食材になりそうな物は見つけられなかった。自炊する習慣が無い事はゴミ箱に積まれているデリバリーの空箱から推測できた。
困ったなと棚を開けるとブランドサツマイモを見つけたので大学芋を作ることにする。料理は得意だが如何せん食事系が中心でおやつにしても和菓子系統は得意だが所謂スイーツは苦手だったからだ。
乱切りして灰汁抜きしたサツマイモを手早く低温で揚げてから加熱して粘りが出た砂糖水に蜂蜜を加えて最後に黒ゴマを振った。皮ありも美味しいので2パターンと芋ケンピもおまけに作った。
「棚の段ボールにあったサツマイモを使わせてもらいました。大学芋と芋ケンピに梅干しもどうぞ」
僕がお盆におやつを載せてリビングにやってくるとどうやら依頼は完了したようだ。正確にいうと香水は一般に販売されている物ではなく、犬神が詳細な成分分析を行い作成が可能であれば後日届けることになったようだ。そのため場合によっては再現できないので、成功報酬に契約を切り替えたようだ。
「まったく、そんなもので美味しいおやつが出来るのかしら?」
三本松の両親は鹿児島で芋農家を営んでいるようで毎年送ってくるそうだ。
「召し上がらないならば持って帰りますが宜しいですか?」
「たべるわよ。全く、芋なんて食べ飽きたからどれでも一緒でしょ、、パクパク」
暫く大学芋を食べ続けると梅干しに手を伸ばして濃い緑茶を飲み一息ついたのか僕に話しかけてきた。
「あなた、うちでボーイとして働かない?こんなに美味しいお芋は初めて食べたわよ。いくら食べても甘ったるく感じないし、これなら高齢のお客さんにも喜ばれるから」
「彼は大事な会社の一員ですので勝手に引き抜きされては困ります」
「僕も働き出したばかりですし、良くしてもらっているのでやめるつもりはありません」
「味蕾君、そろそろお暇しようか?契約も変更したことだし」
「はい、お客様失礼します」
「チョット、おやつ代は幾らかしら。このままじゃ私の気が済まないから」
お代は結構ですのでお気になさらず、と犬神が答えて僕に退室を促すように立ち上がると三本松は僕らを通せんぼした。
「何か聞きたいことがあれば答えるわよ。」
何かひっかかることがあったのか犬神が、じゃあ、と言って香水の入手方法を尋ねることにしたようだ。
「先ほども申し上げましたがオーダーメイドの香水を再現するのはなかなか骨の折れる作業になります。頂き物と仰っていましたが差し支えなければ誰からかを伺いたいと存じます」
「仕事関係なので詳しい個人名は避けますが役人と食品会社の営業の人の接待に席で、用意したのは営業の人だと思うけど常連の役人さんに頂いたの。そうそう、営業の男性はいつも鳥の刺繍されたネクタイを着用していたかな」
「鳥とは珍しいですね。名前は分かります?」
「鶴っぽいけど小柄で獰猛な感じがした」
「もしかしてキッチンに置いてあったサンプルも同じ会社の物ですか?鳥のロゴがプリントされていますね」
「そうなの。以前に他の試供品でアレルギーになったことがあるから、サンプルに関しては摂取するつもりもないので持って帰って貰っても問題ありません」
犬神は車中で難しい顔をして運転しているので思い切って質問することにした。
「何か気になることがありましたか?」
「調香の世界では昔からまことしやかに囁かれている噂があってね、どうやらそれは現実の話なのだと今日の依頼で分かった」
「僕が聞いても良いことですか?」
「もったいぶった話し方だから気になると思うけど俺には判断しきれないから、まずは社長に報告する。その後に必要なら他の社員と併せて共有するだろう」