2話 癖(へき)に貴賎はありません 前編
入社して1週間が経過し、初めは会社の出鱈目さに驚いたが社内施設に関してはもう慣れた。多分。まず、社員寮と言っていたので契約していたアパートのような建物を想像していたが、ビル内のワンフロアがそのまま個人の部屋なのだ。
一階の室内プールに始まり、地下の駐車場、社員寮を挟んで映画館、ボーリング場、ジム、最上階にはバーカウンターが併設されたダンスホールまであり、屋上には勿論ヘリコプターが2機ある。これらは僕が許可なく出入りできる施設なので全貌は不明のままだが、不思議な事にビル全体を管理しているはずのスタッフや他の従業員を見かけたことが無い。
元々社長は個人で運用会社を経営しており、冗談半分で購入したので存在自体を忘れていた仮想通貨が爆騰し、ふと思い出す。当時の最高値を付けた辺りですべて売却し、雑所得の50パーセント分納税しても手元に3000億という巨額の利益を得た。
納税を終えた辺りから何処から情報が漏れたのか、不審な電話や怪しい投資案件など引っ切り無しに不特定多数の人間がやってくるようになった。当初は無視していたようだが、ある事件をきっかけに投資会社を畳み、昨年便利屋を始め今に至る。社長と大鷹は運用会社からの社長と秘書の関係が続いている。
「味蕾君、これどうにかならないの?私、納豆の匂いだけはどうしても苦手なのよ。」
社員の日課であるプールをいち早く終了した大鷹が、ビキニにガウンという直視できない恰好で自分の椅子に座りながら2階の事務所兼娯楽スペース兼食堂で朝食を準備している僕に向かって話しかける。
「苦手でしたら無理しなくても結構です。代わりにメカブとオクラの和え物を用意しますね。食物繊維は大事ですよ。」
「味蕾君の準備してくれる食事を取るようになってとても調子が良いから、好き嫌いは言いたくないけど、匂いだけは譲れないの。」
暫くすると北王子に続いて犬神も朝食にやってきた。
「大丸、俺っちも焼き魚だけは苦手だ。昨夜ののろぐろも味はパーフェクトだが、小骨を気にしだすと味どころではなくなる。ところで紫陽花さん今日もパナイっすね」
オーバーイージースタイルの目玉焼きとカリカリベーコンにたっぷりのマッシュルームを忙しなくナイフとフォークを使い、口に運ぶ北王子が、ナイス静脈、とサムズアップして大鷹を褒める。大鷹は特に気にした様子もなく朝食を進める。
切断面を一通りたしなむとBLTサンドイッチを口に運ぶ犬神も加わる。
「私もこの間の昼食のもんじゃ焼きには参ったよ。具材の混沌さには」
「あら、明太餅チーズはもはや私の不動の一位よ」
「犬神さん、下町のソールフードにノーリスペクトっすか?」
「諸君、おはよう!今日も元気でご飯がうまいな、ガハハハッ」
社長も日課の筋トレが終わったようで食事に加わり、余熱調理をしていたホイルを破り分厚いステーキを取り出して齧り付く。
<おはようございます!>
依頼の電話を受け取った直後に秘書から一従業員モードになった大鷹に指名され、僕は地下の高級SUVの助手席に乗り込んだ。依頼人の住むマンションまで一時間程掛かるそうなので僕は気になっていることを口に出す。
「大鷹さん、綺麗ですね」
「あら、ありがと」
僕の視線が下半身に向いていることに気が付いたのか紫の伊達眼鏡に手を掛けて堅い口調で注意する。
「私は慣れているので構いませんが、多くの場合はセクハラ行為と捉えられるのでやめた方が無難ですよ。」
「あっ、申し分ありません。あまりにも美しいジ〇ーチュウのハイヒールで。面接の時はルブ〇ンの新作を着用されていたのでもしかしたら僕と同じように靴が好きなのかと。でも、靴を褒めるとセクハラになるなんて都会暮らしは難しそうです。僕の今日のスニーカーは、、」
「ごめんなさい。勘違いしていたようね。あなたのは靴なのね。」
「あなたのは?」
「癖よ。ちなみに収集癖なの、それとも匂いのほう?」
「僕は収集癖だと思いますが、あくまでも見て楽しむことが一番で実際に履いて出かけるのはついでみたいなものです。お金が無いのでもっぱら雑誌やお店に出向くぐらいですが」
「他人に迷惑を掛けたり押し付けなければそれで充分」
「大鷹さんにもあったりしますか?」
「私の場合は、、匂いよ。特にオカメインコちゃんのにほい」
少し赤面しながら答えた大鷹のアクセルに込める足の力が増したのかグンとスピードが上がった。
「ほかの社員にも勿論社長にもあるけど、それは本人から聞いた方が無難でしょ。」
今日の依頼人が住むマンションに到着したようで、外観は少し薄れているが作りは頑丈そうな10階建ての9階に向かった。僕よりも背の高い大鷹の歩幅がいつもよりも大きいなと思いながら遅れないように必死に付いていく。
「神名萬屋よりご依頼の件で参りました大鷹と味蕾と申します」
インターホン越しに大鷹の美貌を確認したのか、名乗った瞬間に扉が開き大柄な男性、二階堂 剛、が部屋へ案内してくれた。依頼内容は確か、ペットのオカメインコがゲージから逃げ出してしまったので探してほしい、とのことだったな。
二階堂の無縁慮な視線を気にせずスタスタとハイヒールのまま室内に上がりこんだ大鷹を男性は慌てて静止しようとした。
「君、ちょっと美人だからと言って何でも許されると勘違いしてないか?こっちは依頼者だよ。さっさとこのスリッパに履き替えたまえ」
二階堂が持ってきた黄ばんだスリッパを一瞥して大鷹は切り捨てるように返す。
「お客様、私の室内履きはこのハイヒールです。先程下ろしたばかりで、何時から使用なさっているのか不明な履物より清潔なのは間違いありません」
大鷹の堂々とした物言いと、確かに何時から使っているのか分からないほど汚れているスリッパ、ごみや衣服で散乱している室内を歩くには土足でもいいような気がしてきたが、僕は靴が汚れる方が嫌なので素直に玄関で靴を脱いだ。
玄関から廊下が見えないほど敷き詰められた衣服のゾーンを抜けるとハイヒール独特のカツカツという音が聞こえはじめ、急に掃除の行き届いたエリアに変わった。大鷹は扉を勝手に開けて書斎らしき部屋に入り書棚に注意を払う。
「君、いい加減にしたまえ。横暴が過ぎるので追加注文だ。私をふふ、、踏み給え!」
二階堂は書斎で即座に土下座の姿勢になるとチラチラと期待するかのように大鷹を見上げる。僕とは方向性が違う靴好きだったようだが、大鷹は華麗にスルーして次の部屋に向かう。
放置プレーとは猪口才な、と訳の分からない事を嬉しそうに叫びながら二階堂は僕達についてきた。やっと飼育室にたどり着いたようで、室内には二つのゲージが並んでおり、一羽のオカメインコがヘッドバンキングをしながら大鷹を迎えてくれた。
「久しぶりのオカメインコのにほい。しかもオリーブの個体なんてあいつには勿体ない」
「大鷹さん、お客さんにあいつ呼ばわりは流石に駄目なんじゃ?」
「私にはあいつ呼ばわりで結構です。」
随分と下僕属性の強い依頼人のようだ。一通り匂いを堪能したのか大鷹は僕に向かって聞いてきた。
「味蕾君、流石にオカメインコの好物なんて知らないよね。動物だから好きな物でおびき寄せるのが一番簡単だと思ったけど。」
「普段の餌と好物を分かればおそらく作れると思いますよ。二階堂さん、持ってきてもらえますか?」
男はフルーツ味のペレット(乾燥した小鳥用の餌)と粟穂を持ってきたので、僕はそれらを一掴みして口に運んだ。
この行動を見た大鷹と二階堂がドン引きしたのであった。