初めての村
**◇1日目:砂漠の朝◇**
二つの太陽が地平線から昇り始める頃、ベンは砂丘の陰で目を覚ました。全身が砂まみれで、口の中には砂埃のざらつきが残っている。視界の隅を探るが、いつものHUDインターフェースはどこにも見当たらない。
「ログアウトコマンド。システムメニュー起動。ステータス表示」
乾いた声が砂漠に吸い込まれていく。返ってくるのは無音だけだ。左手首の内側を撫でるが、スーツのタッチパネルも反応しない。
**◇2日目:サソリの襲撃◇**
二つ目の太陽が天頂に達した時、不自然に青紫に光る甲殻を持った巨大なサソリが現れた。全長は50センチほどもあろうか。尾の先端からは透明な毒液が滴っている。
「新種の敵モブか…?」
大剣を振るうが、サソリは驚くほど速い。左前腕に鋭い痛みが走り、ベンは思わず声を上げる。
「ぐっ…!」
傷口から流れ出た血が砂を染める。VR空間なら軽減されるはずの痛みが、生々しく神経を灼く。
**◇3日目:村への到着◇**
三日目の夕暮れ、肋骨が浮き出た痩せた野良犬が、腐敗臭のする古い井戸へと導いてくれた。水は濁っているが、ベンには命の水のように感じられた。
「あれは…?」
犬の視線の先に、風化した石造りの村の門が見える。よろめきながら近づく。
「水…をください…」
**◇村の入口◇**
「まあ、ひどい状態ですね」
金髪の女性が銀細工の水差しを差し出した。晒し仕事着の袖が砂漠の風に翻り、汗で湿った生地が肌に張りついている。年齢は27歳前後だろうか。働き者のしっかりした手には、薬草を扱う者の特徴である小さな傷がいくつも見える。
「シルヴィアと申します。この村で時計係をしています」
**◇薬草小屋◇**
「すごいあつい。熱がありますね…」
シルヴィアの冷たい手のひらがベンの額に触れる。ベッドに横たわるベンの汚れたシャツを捲くり、サソリの傷を診る。
「消毒が必要です。少し痛いかもしれません」
アルコールの鋭い匂いが小屋に広がる。シルヴィアが古びた羊皮紙を広げ、白鷺の羽根で作ったペンを握る。
「正確な薬を調合する必要がありますので、いくつか教えてください。まず、体の大きさはどのくらいですか?」
ベンが体重を答えると、シルヴィアの耳朶がわずかに赤らむ。
「それと…年齢もお聞きしてもいいですか?」
「27だ」
羽ペンの動きが一瞬止まり、インクが羊皮紙に滲んだ。
「…そうですか」
**◇夜の調合◇**
深夜、蜜蝋のろうそくの灯りだけが小屋を照らしている。シルヴィアは薄い麻の作業着姿で、黒曜石の薬壺に向かっている。連日の労働でほつれかけた髪が、時々額にかかる。
「大人の男性用の分量は…初めて調合するので…」
ベンはベッドからその様子を眺めていた。シルヴィアが薬杵で草根を潰すたびに、肩の筋肉が衣服の下で滑らかに動くのが見える。
「薬ができました。飲んでください」
シルヴィアが青銅の碗を差し出す。受け取る際、二人の指が触れ合う。
「…失礼しました」
「いや、こっちこそ…」
ガチャリ!
棚の上の水晶砂時計が突然、逆回転を始めた。中の砂が重力に逆らい、上方へと流れていく。
「それは何だ…?」
「何でもありません」シルヴィアが慌てて砂時計を隠す。
「最近、時々こうなるんです。困っています」
彼女の瞳が一瞬、薄紫色に輝いた。その表情には、27歳の村娘らしからぬ古い憂いが浮かんでいる。
「ただの故障ですから」