勇者としての歩み
山岳国家ドワーリンは、四方を切り立つ峰々に囲まれた石の要塞。
その中心に広がるのが――中央区。
王城の尖塔は霧の彼方にそびえ、鐘の音が田園の霧を震わせる。
緩やかな畝を描く畑には露が光り、麦穂と豆蔓が風に揺れていた。
村人や商人たちが行き交う街道を越えると、石と木で組まれた低い建物群が広がる。そこが冒険者訓練所だ。
質素な造りだが、毎朝そこからは木剣の打ち合う乾いた音が響き渡る。
「はっ、はっ!」
リンクス・エルダーは額に汗を散らしながら素振りを続けていた。
鍛冶師の家に生まれた彼は鉄槌の重みには慣れている。だが戦槌は鍛冶場の槌ではない。命を断ち、仲間を守るための武器だ。
「おい、また一人でやってるのか」
棒術の稽古を終えたカイルが、半ば呆れたように声をかける。
「昨日だって倒れそうになってただろ。死ぬ気か?」
「……もう少しだ」
「“もう少し”って言い続けたら、一生終わらねえぞ」
そう言いながらも、カイルは水瓶を差し出した。
リンクスは受け取り、喉を潤す。冷えた水が体の芯に落ちていく。
◇
午前の鍛錬が終わると、訓練所の食堂はざわめきで満ちた。
長机に並ぶ黒パンと干し肉のスープ。訓練生たちの笑い声と、椅子の軋む音。
英雄の名を夢想して口にする者もいれば、「俺らに縁のない話だ」と笑い飛ばす者もいる。
「なあ聞いたか?」
ひとりが声を潜める。
「南方坑道で“黒い影”を見たって噂だ」
「またかよ。商人の見間違いだろ」
「いや、近くの鉱夫が震えながら戻ってきたって話もある」
「どうせ俺らには関係ねえさ。英雄候補様の出番だろ」
笑いが散る。だがその笑いは、どこか乾いていた。
誰もが噂の正体に怯えつつ、口に出しては茶化すことでごまかしていた。
リンクスはスープを啜りながら黙って耳を傾けていた。
心臓の奥がわずかに早鐘を打つ。恐怖か、それとも期待か。
◇
午後、広場に訓練生全員が集められる。
中央の掲示板に、新しい紙が打ち付けられていた。
『中央区南方坑道にて不審な影の目撃。調査任務の同行候補を選抜する』
ざわめきが走る。
模擬戦でも座学でもない、初めての“実地任務”。
「……いよいよだな」
誰かがつぶやき、沈黙が広がる。
訓練士ゲルマンドが一歩前に出て、低く言い放った。
「恐れるな。任務は常に現実だ。机上の技では死を防げん」
その言葉は演習場の空気を凍らせた。
訓練生たちの視線が板に刻まれた文字へ吸い寄せられる。
リンクスは拳を握りしめた。
背筋に冷たいものが走る。それでも、胸の奥で確かな熱が燃え始めていた。
――ここから、自分の道が始まる。




