01 伝説のバカ
高3の時、運転免許を取った時の話
誕生日が4月なので高校2年の3月から教習所に通い始めた。
校則で本当は高3の1月1日から免許取得していいとか、多分そんなルールだったけど、先生の見回りは7月からとどこからか聞いて知っていたので、春休みと土日でさっさと取ってしまおうと思い立って。
教習所の方は順調に進んで、誕生日に免許試験を受けることは免許センター側のスケジュールで無理だったけど、3日遅れか5日遅れで試験に。
免許センターに行くと中学の時の1個上の先輩が5人ほど居た。皆高校はバラバラだったけども、大学受験終わってちょっと遅れて免許取りに来たってパターン。
その中に1人、すごく世話になった先輩が居て、初めて洋モノの裏ビ◯オを見せてくれたり、他にも色々と遊びを教えてくれた人。ただこの先輩は超が付くほどのバカで地元で有名だった。
どのくらいバカかと言うと、高校受験のときに単願でバカ私立受ける感じで、寄付積めば単願ならどんなバカでも受かるって高校に進学してた。地元は田舎なのでその高校までは車で片道40分。電車だと丁度ひらがなの「て」のような路線で一回東京方面に出て逆に進むような具合でなんと片道2時間。
ここまで通学時間がかかると、まずうちの中学からは絶対受かるって話でも、進学しようとするのは1学年に1人か2人。そして、その進学した方々も通うのが大変だからという理由で、大半というかそれまでうちの中学からその高校に進学した全員が、高校の近くにアパート借りて土日地元に戻ってくるっていう生活スタイルを選択した。
しかし先輩の両親の鶴の一声「こいつに一人暮らしなんかさせたら、たまり場になってどんな悪さするか分からん!」によって3年間片道2時間通学をうちの中学でただ1人やった先輩。
朝、6時の始発で登校。帰ってくるのは夕方かそれ以降。東京の進学校とかじゃそんな話もあるのかもしれないけど、当時衝撃だったもん。「えっ毎日4時間電車の中に居るの?」って。
実際のところ、本当はこの先輩よりバカというか勉強が出来ない人は数十人は居たと思うけど、親の「絶対に中学浪人にはさせない」という意気込みと、事業やってたんでエスカレーター式で大学まで行けるっていう誘惑と、日頃の素行の悪さが招いた悲劇。
結果、その先輩は地元で1番のバカというレッテルを見事に貼られてしまった。
さて、話を戻して運転免許。
教習所通ったので学科の本試験のみで小一時間ほどで終わり。
ちょっとしたホールみたいなとこに集められて、先輩たちと談笑していると免許センターのたぶん所長だろうちょっと太め人が、数枚のコピー用紙を片手に壇上に絵に書いたように慌てて駆け上がる。
所長がマイクのスイッチを入れるとちょっとハウる。
「み、皆さん!た、大変なことが起きました!!!!今回の試験114人が受験して、なんと113人が合格しました!これは全国で見ても本当に凄いことなんです!!!普通本試験の合格率は90%ぐらいで、95%でも大騒ぎになる凄いことなんです!!!」
所長の興奮とは裏腹に、どこか冷めたホールの面々。むしろ自分は落ちてないなという安堵の表情。厳ついジャージの上下でキメた見るからにヤンキーの兄ちゃんも、白髪で70歳は超えてそうな高齢受験の紳士もお水のお姉さん集団も。
「それでは発表します!電光掲示板に自分の番号が表示された人は合格です」
会場に漏れるため息と歓声。先程まで話していた先輩達に声をかける俺。
「いやぁ良かったッスね~」
「いやぁ良かった良かった」
「飯食って帰るかぁ」
そんな話をしてると、例の超バカで有名な先輩の様子がおかしい。
もうね、焦点が何もない空間を一点見詰め。
「お、おいどうした?」
「具合悪いのか?」
他の先輩が声を掛けるも見る見るバカ先輩の顔が青ざめて行って他の先輩の声が届いてない。
「大丈夫かおい?」
「ま、まさかお前・・・」
脳裏によぎる「ひょっとして・・・」を飲み込む他5名。
続く沈黙。1分もなかっただろうけどようやく重い口を開いたバカ先輩が言い放った一言。
「俺、落ちた」
人の顔ってこんなに真っ青(というか真っ白)になるんだと顔面蒼白ってこういう事言うんだなと、その時すごく思いました。
その後の先輩っちの慰め具合も「たぶん人が人をこんなに慰めてるとこを見ることはこの先一生ないだろうなぁ」と思ったら現在までこれ以上人が人を慰めてるとこに出食わしたことがないです。
あれから20数年が立ちましたが、あの光景だけは本当に忘れられません。
そして先輩は地元で伝説のバカとして語り継がれていくのでした。