もずみん
あれからソワソワして……昼も夜も眠れない。
誰かがどこかで……もずみんを出してイチャイチャしたり酷いことをしたりしていると考えると、眠れなくなる。……興奮して。
そんな僕の気持ちを察してかはしらないが、事件は突然訪れた――。
――バンッ!
朝早く、部屋の襖が勢いよく開けられた。ママはあんな乱暴に襖を開けたりはしない。開ける度に天井から木の粉が少しずつパラパラと畳の上に落ちてくるから……。
「あなたの仕業でしょ!」
「――!」
まさかのもずみんが帰ってきてくれた――! しかも僕の部屋に! 白いブーツを履いたまま。つまり土足のままで――。
「も、も、戻って来てくれたんだ」
慌てて机から色紙と黒ペンを用意した。
「サインして!」
ママが色紙とペンを持っていたように、僕もそれを真似する。一生の宝物になる――。
「死ねー!」
マジで腹を白ブーツで蹴られた。――酷い。ゲホゲホと咳き込んでしまう。
アイドルグループ保坂303の木南鵙美は、キレキレのダンスで身体能力がかなり鍛えられているのだろう。身をもって感じた……。
毎日椅子に座ってネットばかり見ている僕なんかよりも強そうだ。
「……それとも、やっぱりお金が欲しいから戻ってきたのかい」
ベッドの下にたんまりある札束を取り出そうとしたのだが、
「死ねー!」
またしても白いブーツで腹を蹴られる。酷い。ドラゴン〇のペジータだってそれほど残忍ではない……。チラチラと見せてもいい見せパンが見られるのが……不幸中の幸いだと感じた。お腹には明日アザができているだろう。ブーツの踵って、こんなに硬いんだ……。
お腹を押さえて倒れている僕を気にもせず、もずみんは部屋のカーテンをシャッと開けて、空を指さした――!
太陽の光が目に刺さるように痛い。ゆっくり明るさに目が慣れてきたのだが――。
「死ぬ前にアレをなんとかしなさい! あの今にも落ちてきそうな――月を!」
「な、なんなんだあの月は!」
昼間なのにクレーターまでもが確認できるくらい異様に大きな――満月! 空を覆いつくすくらいに膨れ上がっている――!
「あんなことができるのは、あなたの仕業でしょ――!」
「僕じゃないよ! あれは、僕じゃない!」
僕じゃないけれど……何でも出せる最強の杖の仕業なのは……薄々感じています。はい、辿って行けばそれは、僕のせいかもしれません。
「テレビくらい見なさいよ! 昨日の朝からニュースは『もう一つ現れた月』で持ち切りなのよ――」
「ええー!」
テレビのニュースなんか……ここ数年見ていない。ネットのニュースも興味はない。だいたい難しい漢字が多過ぎて読む気になれないのだ。
――この国の情報機関は、国が行う最低限の教育期間を満了しなければ理解できないようにムヅカシク作ラレテイルンダ――。
「偉そうにするな! あんたを中心に地球が回っていると思わないのよ!」
「思ってないよ……」
息を切らしてそれだけを言い切ると、もずみんは大きく息を吐き出した。
「……あなたのせいで……あれからわたしがどれだけ苦労したか……」
……?
聞くところによると、木南鵙美はこの家から逃げ出したあと、お金もスマホも持ってなく、それでもなんとか自力で家まで帰ったらしい。しかし、家にはもう一人の自分がいて、どっちが偽物だとかで大喧嘩になり、警察まで呼ばれそうになったから涙ながらに逃げ出したそうだ。
お金もスマホもないまま夜の街に放り出さされたもずみんには行くあてもなく、自分の方がコピーだと気付き、何度か死のうとまで考えふらついていた。
そんな時、あの月を見て思い立ったらしい……。
――このおかしな現象が始まったのが、すべて僕のせいだってことに――。
牛丼のドンブリが置かれたままになっている座卓の前に座り、そう語ったもずみんは、本当に悲しそうな顔をしていた。涙の筋と疲れが消えていないのを知ると、僕はすべてを語らなければいけないと……覚悟した。
「実はあの日……僕は『何でも出せる最強の杖』を手に入れたんだ。その力を使って、……君を出したんだ」
「わたしを出した?」
顔を上げるもずみん。僕はベッドに腰を掛けて神妙な面持ちをする。人に話したいようなことではない。特に本人には……。
「ああ」
「わたしで出したの間違いじゃないの」
「……ちょっと言っている意味が分かんないや」
アイドルの言うセリフじゃないような気もする。
すべてをもずみんに教えた。間抜けにも、その杖を失くしてしまったことも……。
「信じられない事ばかりだけれど……それが真実なのね」
もずみんは一層疲れた表情を見せる。
「……ああ。なぜサンタクロースはそんな危険な物を僕なんかに与えたんだろう。僕は選ばれし者なのだろうか」
選ばれし者に、最強の力を与えてくれたのだろうか。物語の主人公のように。
「クックック。子供みたい」
「なんだと」
確かに僕はまだ子供だ。二十五歳だけどママに頼って生活している。
自分ではインスタントラーメンくらいしか作れない。目玉焼きも焼けない。それに比べると、木南鵙美は働いているし一人暮らしをしている。しっかり一人で生計を立てている。
――比較したら、自分が情けなくなるばかりじゃないか――。
「と、と、年下のクセに、子供扱いしないでくれよ」
「わたしも二十五よ」
「――! 嘘だ! もずみんは今年、二十歳って書いてあったハズなのに!」
色んな雑誌でもネット上でも、さらには「今年二十歳で、初めてお酒を飲みまーす」と公言していた動画も見たぞー。
「鵜呑みにし過ぎよ。ファンだってみんな知ってるわよ」
「……」
――僕は騙され続けていたのか――。怖い、怖すぎるぞ……情報操作。
もずみんが急に大人に見えてきた。クリっとした可愛い瞳や、ヒラヒラっとした白い清純な衣装が……嘘と偽りの白装束に見えてきた――!
「もっと大人になりなさいよ。誰にでも身に危険を及ぼすような甘い罠や悪魔の誘いが手の届くところまで近付いているのに、そのことに気付いてないだけ。酒、たばこ、ギャンブル。不倫、麻薬、脱税……。最初は甘い誘惑で近付いてきておいて、最後にはそのしっぺ返しに身を亡ぼすのよ」
「甘い……誘惑のしっぺ返し」
「そうよ。世間は努力に相応した見返りしか得てはいけないようにできているのよ。そういう仕組みよ」
「世間の……仕組み?」
……木南鵙美は努力なんてせずにアイドルのトップを走り続けていると思っていた。本当は努力していたのだろう。年齢詐称したり……。
「本当にサンタクロースがその『何でも出せる最強の杖』をあなたに与えたのなら、それは試練でしかないのよ」
「試練だって?」
「ええ。そんな誘惑にすぐ負けてしまうようなら、試練は不合格。誰を目の前に出して大金を積んだとしても、誰もあなたのことなんか好きになってくれない。いつかは杖を盗まれて、はい、おしま~いよ」
「……」
「盗まれたくなかったら、大きな金庫でも作ってその中で一生暮らせばいいわ。一人ぼっちで」
「……」
同い年のくせに……言いたい放題言われて……言い返せないのが悔しかった。
大好きだったのに……嫌いになった、ちょっとだけ……。
「でも、そう考えると杖を盗んだ奴は、きっとこの近くにいる筈だわ。家に閉じこもって欲しい物をどんどん出し、外なんかには出られない筈よ」
「――!」
その通りだ。臆病者の筈だ!
「あなたと一緒で」
「――!」
やっぱり一言多い……。酷い。
「だけど、どうやって杖の秘密を知ったんだよ。僕は誰にも喋った覚えはない」
「見ていたのよ。それか聞いていたんじゃない?」
「見ていた? 聞いていた?」
「たとえばわたしが家から出て行くところを見られていたとか、あなたの声を聞かれていたとか」
「まさか――」
部屋の窓から見えるよその家の窓……。そのほとんどは普段からレースのカーテンが引かれているが、中には遮光カーテンの窓やブラインドの部屋も見える。
この近くに住んでいる僕と同じようにずっと家に引きこもっている若者……何人かは知っている。この部屋が見えるところでそんな男がいるところといえば……。道路を挟んだ数件向こうの青い屋根の一軒家。二階の一室は夜中になっても電気がずっと点いている。
見て見ぬふりをして、ゆっくりとカーテンを閉めた。
「一軒だけ心当たりがある。窓から見える青い屋根の家だ。小太りの男が一人で暮らしているが、ほとんど家から出たのを見たことがない」
「あなたが家から出てないからじゃなくて?」
それもあるんだけど。いちいちそこは確認しなくてもいいと思う。
「……ママにそう聞いた」
「じゃあきっと、そいつが見ていたのよ。盗聴器とかガンマイクとかで話を聞かれていたのよ」
「――ガンマイク」
ネットで僕も買おうかと悩んだ物だ――。
あの日のもずみんの叫び声は、確かに大きな声だった。100m以上離れていても聞こえたのではなかろうか。
「じゃあ、さっそく行くわよ」
「え、ええ! 行くって、行ってどうするんだよ」
「取り返すに決まってるでしょ! もうあの月が地球に落ちてくるまで時間がないのよ!」
「時間て……」
「偉いNASUの研究者たちが計算したところ、今日中に軌道修正を行わなければ確実に地球に落ちてきて、木っ端微塵になるのよ――」
「――!」
そんなSFのような事態が起こっていたなんて……。
やっぱりテレビのニュースくらいは見ないといけないと……反省した。
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