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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
第三楽章 不協和音の波に打たれて
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C.091 職員会議

 







 翌日から里緒は登校しなくなった。



 誰にも告げることなく、行方を知られることもなく。



 D組の教室から、管弦楽部のいる音楽室から、里緒は忽然と姿を消した。かけた電話は呼び出し音を無限に垂れ流し、里緒の消息は完全に途絶した。










 七月一日、月曜日。一学期末試験のちょうど一週間前である。

 週に一度の職員会議の場は、重苦しい沈黙のなかに沈んでいた。


「……つまり、ご家庭との連絡はいっさい取れていないと」


 議長役の天童の言葉に、はい、と京士郎は返答を絞り出した。


「六月二十九日と今朝、再三にわたって電話をかけましたが繋がりませんでした。家電だけでなく、親御さんの携帯も反応しません」

「それじゃ、緊急連絡先の意味がないじゃないか……。何のために電話番号を聞いて回っていると思っているんですかね」


 はす向かいの席で富田林が憤慨している。まぁまぁ、と彼を押し止めた天童は、隣の鹿角(かづの)(まなぶ)校長と何事かを囁き合った。鹿角校長はうなずくばかりであまり言葉を発しなかった。係属校の弦巻大学から派遣されて就任している弦国の校長は、実質、学校の運営にはあまり参与していない。


「とにかく須磨先生は、高松さんのご家庭に連絡を取り続けてください。このまま返答がないようなら、我々も何かしらアクションを起こさなければならない」


 天童の下した結論に、「分かりました」と京士郎は首を振った。このまま取り続けても結果は変わらないようにも思えたが、事が事だけに自分の役割を放り出すわけにもいかなかった。京士郎は他でもない、里緒の属するD組の担任なのである。


「……話を戻しましょうか」


 中央の空いた長方形状に並べられた会議室の机を、天童はゆっくりと見回してゆく。八十人以上にはなるだろうか、居並ぶ弦国の教師陣たちの顔が固く引き締まった。


「皆さんもご存知の通り、女子部一年D組の高松里緒さんに関して、校内で非常に不穏な噂が流れています。巷で報道されている仙台市の母子いじめ自殺事件の当事者なのではないか……というものです。事の真偽は学校側としても(つか)んでいませんが、高松さんは実際に仙台市から転居して我が校に入学しています。私個人としては、それなりの信憑性が認められるのではないかと判断しているところです」


 京士郎は手元の資料に目を落とした。議題のなかに【報道ならびに事件そのものの対応について協議】とあった。

 もしも里緒の一件が事実なのであれば、その生命を預り、学習環境を保証する立場として、弦国はカウンセリングをはじめとした対応を打ち出す必要がある。そのためにもまず、事実確認を取らなければならないのだ。


「仙台市の教委は何と回答してるんですか」


 誰かが尋ねる。天童は資料をめくることもなく答えた。


「現在のところ【調査中】です。ただ、昼の報道をご覧になった方がいるかもしれませんが、先方の市立佐野中学校が今朝、全校集会を開いて報道の内容を認めました。この佐野中学校は、高松里緒さんの出身校です」


 その言葉で、里緒への疑惑はほぼ確定したも同然だった。


「『すでに卒業してしまった生徒のことはどうしようもない、再発防止に努める』の一点張りだったそうだ。じきに教委からも同じような返答が来るでしょう」


 天童はため息を隠さない。たちまち、教師たちの間から怒りの声が噴き上がった。


「それってつまり弦国(うち)に対応を丸投げするということですよね!」

「責任放棄だ、めちゃくちゃを言う……!」


 痛む耳を京士郎はそっと(いたわ)って、嘆息した。こういう声を聞かされるたび、騒ぎが大きくなるまで何も手を打つことのできなかった自分に非難が向いているような気がして、胸や心が苦しい叫びを上げるのだった。

 里緒はもしかすると何らかの形でSOSを出していたのかもしれない。それに気付かず、見過ごしていたのだとしたら、担任の自分にも重い責任の一端がのしかかってくる。


「私からも一点、よろしいですか」


 養護の対馬が手を挙げた。天童がうなずいて先を促した。


「問題の高松さんですが、数日前に保健室登校で一日を過ごしていただけでなく、二週間前には過呼吸を起こして保健室に運ばれています。いずれもたまたま校医の小諸先生のいらっしゃらない日程だったので、私が()させていただきました」


 対馬は診断の紙を手元に広げ、訴えかけた。


「養護教諭としての経験から申し上げると、あの子は何か強いストレスに(さら)されているように感じられました。たいていの子は保健室に来るとリラックスして、悩みを話してくれることも多いんですが、高松さんに関してそういった様子は見られなかったんです。私がベッドに横たわるよう伝えるまで、順番待ち用の椅子の隅っこに小さく腰かけているなど……」

「例の事件の当事者であるにせよ、ないにせよ、何らかのメンタルケアの必要がありそうだということですか」

「養護教諭としてはそう考えています」


 身に覚えがあるのだろう。D組の授業を担当している教師の多くが、複雑な表情で二人のやり取りを見交わしている。

 授業中の居眠りが多かったのも。

 いつもイヤホンで耳をふさいでいたのも。

 体力がないのも、気が弱いのも、あるいは……。

 京士郎は蒼く染まった頬を叩いた。こうなってしまうと何もかもが(とら)え損なった予兆のように思えて、底冷えのする心の形を保つので精一杯だった。




 必要に応じて高松里緒への聞き取りを行うにせよ、学校側としては生徒への説明は一切行わず、校内に混乱を(きた)さないためにも今後は報道機関の立ち入りを受け付けない。第三者委員会や仙台市、警察、あるいは裁判所などからの調査協力要請があれば対応を検討すべきだが、原則としては里緒を保護して心のケアに徹し、また生徒たちへの悪影響を最小限に──。

 天童の旗振りのもとで話し合いは続き、事件への対応スキームは徐々に組み上がっていった。

 試験一週間前の時期の職員会議など、例年ならば、『部活制限期間に突入するので各部に徹底させよ』程度のことが重要議題になっていたはずだ。夏の陽気の満ち溢れる外の世界から厚い強化ガラスで隔絶された会議室には、今や、過去数年間で見ても最悪の空気が隅々まで垂れ込めていた。








「当たり前に泳げるからこそ怖いんだよ。溺れることになんて慣れてねーもん」


▶▶▶次回 『C.092 後悔の涙』

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