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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
第二楽章 漆黒の魔笛は哀を歌う
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C.047 猛練習

 




 五月十四日、練習が始まった。


 本番までは二週間と少し。しかもその間には中間テストと、それに(ともな)う部活制限期間が控えている。全体練習は試験後に始めるので、それまでの期間は自宅での練習とパート練習、セクション練習を積み上げてほしいというのが、はじめたち上層部の意向だった。

 全体練習で合奏をやる機会はわずかに七回ほど。三分足らずの短い曲とは言え、たったそれだけの期間で完成させるのは限りなく厳しいスケジュールに違いなく、菊乃からは『今後の練習にはすべて参加すること』という旨の通達がなされた。部活は自由参加という入部時の前提が、また一つ反故(ほご)にされた。


 ──『こりゃ、大変になるなぁ』


 めったに弱音を吐くことのない緋菜がひそかにつぶやいたのを、里緒は耳にした。

 そして、彼女の不吉な予感は間もなく的中した。翌日の練習から、菊乃の指導に一気に熱が入ったのだ。




 ──『佐和っち、大館くん、五番の音の立ち上がりはもう少しゆっくりにして。あとヨッシー、そこの入りのタイミング、若干違わない?』

 ──『青柳ちゃん、今のところ息継ぎ(ブレス)のタイミング逃してるでしょー。無理したって息は出なくなるばっかりだからね、そこ楽譜にサイン書き込んでおいて。てか、ブレスの位置って毎回ちゃんと決めてやってる?』

 ──『新富ちゃん、音がずれてる。個人練の時間にちゃんとチューニング済ませて来た?』

 ──『三十番から先のあたりってさ、もっと柔らかなイメージで吹いてもいいと思うんだ。平和な日常を謳歌する村人たちのテーマ、みたいな感覚。音がぶつ切りになっちゃうとよくないから、このへんはもっと流れるように吹き続けるのを意識してほしいな』

 ──『ちょっとちょっと、今の強弱記号(クレッシェンド)みんなスルーしてなかった? 大事な盛り上げどころだよ! 今の!』


 ……一例を挙げ始めたらきりがない。

 パート練習には三つの段階がある。まずは受け取った楽譜を読み込み、一定のレベルまで吹けるようになる『譜読み』。次にそれらをパート内で合わせ、それぞれの演奏にミスがないかを探るとともに、強弱の付け方などパート全体での演奏の方向性をまとめてゆく『パート内練習』。そしてセクションごとや全体での合奏が始まると、合奏中に出た指摘をパート内で改善してゆく『弱点補強』。合奏に着手する前の段階では、パート内練習が最も重要な位置を占める。

 そして、三年生不在の練習では木管セクション内の全パートは完全に菊乃の支配下に落ちるのだと、里緒たち一年生部員は数日も経たないうちに嫌と言うほど思い知らされた。


 ──『なんたってあたしが編曲してるからね! この曲のいいところは全部、あたしが網羅してる!』


 それが菊乃の言い分である。

 パート練やセクション練の最中、菊乃はしょっちゅうフルートを放り出しては他の楽器やパートのもとへ駆けていって指摘を発し、さらに駆け戻って自分の楽器に取り組むという、忙しない動作を無数に繰り返した。聞くところによれば、休憩中には低音や金管のような他所(よそ)のセクションにまで出張して指導を施していたようだった。

 自身の演奏も普通に達者なうえ、なまじ指摘が正鵠(せいこく)を得ているので、とてもではないが口出しの許される雰囲気ではなかった。指揮者のはじめも曲作りに関しては菊乃に任せていたようで、同じように全体を回って指摘はするものの、その数は菊乃と比べればずいぶん控え目に抑えられていた。

 “一年と二年が主体”というのは、どうやらこの状況を意味する表現のようだった。




 休み時間にもなると、木管セクション一年の溜まり場はすっかり愚痴の掃き溜めと化した。


「喉カラカラ……」


 ぐったりと机にもたれて脱力しながら舞香がぼやけば、サックスの光貴や忍たちも力無い顔でうなずく。唯一、余力を残している様子の見られる花音だけが、クラリネットのリガチャーをいじくりながら舞香の言葉に応じていた。


「まいまいはタッキー先輩のいちばん近くで練習してるもんねー」

「本当、オニだよオニ……。ちょっと指使いがもたついたくらいですぐ『タイミング外れてる!』だよ。わたしまだ初心者なんですけど!」

「テクニックも追いつかないし、体力も尽きるし……」

「だいたい青柳の体力が異常なんだ」

「えー、これでも疲れてるつもりだよ、私」


 嘘だ! と非難の声を一斉に浴びせられ、花音はわざとらしく長い息を放ちながら“バトンちゃん”を抱えて机に顔を横たえる。里緒の目にも演技にしか見えなかった。

 同じことをやりたいのを(こら)えて、里緒は膝に放り出したクラリネットをぼんやりと眺めていた。忍の始めたスマホゲームの甲高いSE(サウンドエフェクト)が、少し(しな)びた耳の中に飛び込んできて暴れる。

 疲れたし、喉も乾いた。

 肩や腰に溜まった乳酸の重たさに、そこはかとない懐かしさを覚えた。

 本格的な演奏の練習を最後にやったのは三年前の夏、まだ吹奏楽部で張り切っていた中一の頃のことだっただろうか。道理で、身体が感覚を覚えていなかったはずである。


「そういやさー」


 輪の少し外側で一息をついていると、舞香の声は里緒の方にも飛んできた。


「さっき高松さんもなんか指摘されてなかった?」

「……う、うん」


 里緒は反射的に首をすくめてしまった。休憩前、里緒も菊乃のダメ出しの餌食になっていたのである。美琴や花音と並んでクラリネットだけのパート練に取り組んでいた時のことだった。


「何の注意を受けてたの、あれ」


 舞香の瞳には関心の感情が輝いている。スマホゲームを放り出した忍も「気になる」と首を突っ込んできた。里緒は背中をつつかれる気分で楽譜を広げた。受けた指摘の箇所を示す付箋を目で追う作業は、まるで言い訳の文句を探すのに似ていた。


「……その、途中で私だけ、テンポが乱れてる部分があるって言われて」

「うっそ! 高松さんが?」

「あんなに完璧に吹いてるのに」


 そんなことない、完璧じゃない──。蛍光色の付箋を無意味に貼り直しながら、里緒はうつむいた。完璧ではなかったから指摘を受けたのだ。実際、メトロノームと合わせてみたら、テンポの追い付いていない場所がいくらか見受けられた。

 同じ楽器が三つも集まって同じ旋律を奏でれば、嫌でも多少のずれは出る。それを修正するのがパート内練習の意義でもある。


音程(ピッチ)は大丈夫……とは言われたんだけど」


 あんまり舞香や忍が変な顔をしているので、付け加えた。自信が足りなくて、蚊の鳴くような声になってしまった。

 二人は顔を見合わせた。


「高松さんのレベルでも足りないような演奏を要求されてるってことだよね、つまり」

「思ってたより大変そう……」


 里緒の演奏技術が高いのは前提、とでも言わんばかりの言い(ぐさ)である。

 まぁまぁ、と花音が割って入ってきた。サルも木から落ちるって言うでしょ、きっとそういう(たち)の指摘だったんだよ──。余計以外の何物でもないフォローを入れられ、しかもそれが同期の仲間たちを納得に陥れてゆくのを目の当たりにさせられて、恐ろしくなった里緒は視線を()らしてしまった。

 他の二年部員に話しかけられながら、向こうの机で美琴も休憩を取っている。彼女にしては珍しく、その表情には疲労が色濃くにじんで見えた。









「ふーん、それが好き勝手やってさんざん部活の中を荒らしてくれた人の言い分なんだ」


▶▶▶次回 『C.048 気に入らぬ再会』

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