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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
第一楽章 春への憧れ、明日への焦がれ
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C.003 自己紹介

 




 ──来た。配布資料をカバンに仕舞いながら、里緒は息を呑んだ。

 友達を作るには自分の心象を鮮明に相手に抱かせ、記憶に残るようにしなければならない。すなわち、ここが正念場なのだ。ここで大失敗をして『残念な性格(キャラ)』とでも思われた(あかつき)には、高校生活の出だしはいきなり暗いものになる。

 順番はどうしようかとつぶやきながら、京士郎は教室をぐるりと見回した。心配事は共通なのか、皆、一様に緊張で顔を固くしている。

 京士郎の判断は早かった。


「うん、順当に前から行くとするか。出席番号一番、青柳(あおやぎ)くん」

「はいっ」


 斜め右前方で、出席番号一番の子が立ち上がった。

 クラスメートの顔、覚えておかなければ。義務感に背中を押されて彼女の顔を見た里緒は、その瞬間、あっと声を上げそうになった。

 青柳と呼ばれたその少女は、校門前で転んだ里緒に手を差し伸べてくれた二人のうちの片方、二つ結びの少女だったのである。


「えっと、私、青柳(あおやぎ)花音(かのん)って言います! よろしくお願いしまーす!」


 元気いっぱいの声で高らかに自己紹介をしてみせた花音は、たちまちいっぱいの拍手に包まれた。里緒も真似をして手を叩きながら、その容姿に見入った。

 ブレザーをまとった彼女の背丈は、見たところ里緒より数センチほど低いようだ。こうして教室の机に座っている今は、不鮮明にしか記憶できなかった顔も存分に目に焼き付けられる。髪を耳の下の二ヶ所で縛ってツインテール状にまとめ、髪留めのゴムには星の形のアクセサリーが輝いている。

 あれ、可愛いなぁ。──何気なく浮かんだ感想が、ほんのちょっぴり胸を苦しくした。弦国の校則は必ずしも厳格ではないようで、ネットの評判を見る限り制服さえ着用していれば問題ないらしい。いっそ、アクセサリーくらい付けてきたらよかっただろうか。せっかく女子高校生の身分を謳歌できるようになった以上、多少のお洒落くらいはしてみたいものだけれど、あいにくとお洒落の知識は里緒にはまるっきり備わっていないのだ。ああ、服選びのセンスのある友達を作らなきゃ──。焦りが増してしまった。

 自己紹介はずんずん先へ進んでゆく。一戸(いちのへ)鴨方(かもがた)北本(きたもと)小倉(こくら)城島(じょうしま)……。余計なことに思いふけっている間に、早くも『高松』の番が回ってきた。


「次」


 京士郎が促すように顎を動かした。

 もう来ちゃった! ──()かされ、息を吸って里緒は立ち上がった。立ち上がってから、前の生徒たちの自己紹介の内容をまるで聞いていなかったことに気付いたが、すでに時は遅かった。

 しまった。

 これでは何を話せばいいのか分からない。


(どうしよう……!)


 里緒はパニックに片足を突っ込みそうになった。教室中の視線が、意識が、自分に向いている。こんな経験をするのは久々だった。もう当分は経験したくないと思った。

 かくなる上は、思い付いたことをしゃべるしかない。

 里緒はなけなしの胸を張った。自己紹介は大きな声で、はっきりと──。


「たっ、高松里緒です! 中学の時は宮城県の仙台市にいました! でも、えっと、小学校までは東京の豊島区にいて、それで、ええと……あ、好きなこと! 好きなことは、散歩することとか空を見ることとか、後は……!」


 浮かび上がった言葉を必死に送り出しながら、ふと、背中を流れ下る血の冷感で里緒は我に返った。今までの子たちはこんなに長い自己紹介をしていただろうか。


(あれ? あれ……?)


 すがる思いで花音を探した。花音は人語をしゃべる猫にでも遭遇したかのように目を丸くし、里緒を凝視している。

 里緒は瞬間的に、ぺらぺらと要らない情報を口走ってしまったのを確信した。今や里緒には京士郎の長話を(そし)る資格などなかった。

 やってしまった!

 上から順にグラデーションがかかるように、顔が寒気を帯びてゆく。──ああ、どうしよう。『後は』まで口にしてしまったからには、なにごとか続けなければ終わったと見なしてはもらえまい。

 結局、


「……く、クラリネットとか、吹くことです……」


 冒頭の勢いはどこへやら、里緒はすっかり意気消沈して、しまいには締めの『よろしくお願いします』すら忘れて座席に崩れ落ちた。

 まさに“最悪”という表現の相応(ふさわ)しい自己紹介だった。初っ端からあんなに悪目立ちしてしまったのだ、“最悪”でもなお足りないかもしれない。

 机に突っ伏して、恐る恐る周囲を(うかが)った。クラスメートたちの興味はすでに里緒の後ろの子へと移っていっている様子だった。存外、淡白な反応に思えたが、しかし彼女たちの内面にはすでに里緒の残念なイメージが完成されてしまっているに違いなかった。『聞かれてもいないことを冗長に説明する子』という、そこはかとない負のイメージが。

 やり直したい。……否、やり直せるなら自己紹介のみならず、いっそ今日までの全てをやり直したい。

 頭を抱えた里緒の耳に、どこか聞き覚えのある大人びた声が飛び込んできた。


西元(にしもと)紅良(くらら)です。出身は、国分寺です」


 里緒は弾かれたように顔を上げた。斜め左前の席から立ち上がっている、背の高い生徒の姿が見えた。その声は、里緒に手を差し伸べてくれたうちのもう一方──長い黒髪の少女のものだった。


「趣味は音楽鑑賞です。よろしくお願いします」


 出身地と趣味。里緒がしゃべりすぎてしまった項目を正確に踏襲し、紅良は終始、落ち着いた語り口で自己紹介を終えた。胸の下あたりまで伸びる長い黒髪が、打ち鳴らされる拍手に合わせて軽やかに揺れていた。里緒より背丈はやや高く、しかも後ろから見る限りでは理想的なモデル体型らしい。横顔も凛々しくて美しい。

 彼女はどこまで意図的に自己紹介をしていたのだろう。浮かんだその思いは疑念にも似ていた。


(青柳さんは可愛かったけど、あの人は綺麗だな)


 疑念を払い除けた頭で、ぼんやりと、そう思った。

 入学式前に校門で顔を合わせた三人が、同じ教室で揃ったことになる。片や、快活そうで可愛い少女。片や、美形で大人の風情を(かも)し出す少女。対する里緒と言えば、自己紹介で派手に失敗したばかりでなく、校門前でつまづいて転ぶ醜態までも晒している。あの二人の中で里緒の心象がどれほど(おぞ)ましい有り様になっているのかなど、考えたくもなかった。


 それっきり、自己紹介の時間が終わるまで、里緒がまともに顔を上げることはなかった。







「私、高松さんがクラリネットやってたって口にしたから、こうやって声かけられたんだもん」


▶▶▶次回 『C.004 闇の記憶』

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