C.031 参戦計画【Ⅰ】
管弦楽部の新入部員は、最終的に十人にまで増加した。四月二十六日、入部届けの提出が締め切られ、確定した新入部員全員の名前とクラス、出身校などの情報が、届け出順に上級生たちに共有された。
女子部D組、青柳花音。楽器経験はなし。関心のある楽器はクラリネット。
女子部D組、高松里緒。吹奏楽経験者で、小学校高学年の頃よりクラリネットの演奏経験豊富。マイ楽器も所有。
女子部C組、白石舞香。楽器経験は小学校時代のキーボードのみ。関心のある楽器はフルート。
男子部A組、大館光貴。楽器経験はなし。関心のある楽器はサックス。
女子部A組、浪江真綾。楽器経験はなし。関心のある楽器は特にないが、金管楽器志望。
女子部A組、藤枝緋菜。吹奏楽経験者で、中学生活三年間を通してファゴットの演奏経験あり。
女子部B組、出水小萌。音楽系の部活の経験はないものの、小学校低学年の頃よりヴァイオリンの演奏経験あり。マイ楽器も所有。
男子部E組、瀬戸唐也。楽器経験はなし。関心のある楽器は特にないが、金管楽器志望。
男子部C組、川西元晴。楽器経験は小学校時代のドラムのみ。関心のある楽器は打楽器。
女子部C組、新富忍。楽器経験はなし。関心のある楽器は特にないが、管楽器志望。
男子三人、女子七人という人数構成である。これにより、管弦楽部は名簿上三十名、実質二十六名の部員を抱え、改めて新年度のスタートラインを踏み越えることとなった。
翌二十七日、楽器の割り振りと役割決めが執り行われた。一年生たちの希望と上級生の希望を擦り合わせた結果、楽器経験者についてはそのままの楽器を演奏、それ以外の生徒には各一つずつの楽器が割り当てられた。高松里緒と青柳花音、クラリネット。白石舞香、フルート。大館光貴、アルトサックス。新富忍、テナーサックス。浪江真綾、トランペット。瀬戸唐也、ホルン。藤枝緋菜、ファゴット。出水小萌、ヴァイオリン。川西元晴、パーカッション。初心者七人にはそれぞれ上級生が指導に宛がわれることも決まった。
学年代表は立候補者の中から選ばれることになり、多数の推挙を受けた女子部A組の藤枝緋菜が選出。さらに部内での係も決められ、高松里緒と白石舞香が美化係、残りの八人は楽器運搬係に配属されることになった。
【高松里緒:クラリネット】
画面には確かにその記載がある。
幾度、どれだけ睨み付けようとも、アップロードされたファイルの書面が書き換わることはない。決定が覆ることはない。里緒は、自分のパートの後輩になったのだ。
そんなことは百も承知の上で、なお、美琴は投げ出した腕の先に握られたスマホをぼんやりと見つめていた。片耳に引っ掛けたイヤホンから猥雑な会話が漏れ聞こえている。イヤホンは途中に長いコードと会話用の小型マイクを伴って、青白い光を放つスマホの上端に接続されていた。
──『あ、ヨッシーも揃ったね』
菊乃の声が大きく響いた。
──『みんな来てくれたっぽいので、そろそろ本題の話し合いに移ってもいい?』
のんびりと続いていた雑談が遮断され、美琴もベッドから身体を起こした。時刻は午後九時。画面を通話アプリに戻すと、そこには美琴のものを含めた十人分のアイコンが仲良く並んでいる。管弦楽部二年生の部員全員で、グループ通話をしているのだった。
──『えっと、議題は日中のうちに何となく伝えてあったと思うんだけど』
──『コンクールのことっしょ?』
ヴァイオリンの池田直央が台詞を重ねた。うん、と応じた菊乃が、画面とイヤホンの向こうで体勢を変える。布団の擦れる音が、耳介の内側で大きく響いた。
──『新一年生の顔ぶれと人数、それから担当楽器が決まって、もうすぐ新年度の部の活動方針決め会があるじゃん? だから、今のうちにみんなの意思確認をしておきたいなって思って』
その声色はわざとらしいほどに、普段と変わらぬ快活で長閑なものだった。今、画面の向こうで菊乃はどんな表情をしているのだろう。きっと猛る心が頬の色にありありと浮かんでいるだろう、と美琴は思った。
当然である。
ずっと胸の奥深くに溜め込み続けてきた菊乃の望みが、今、まさに一歩ずつ実現へと進みつつあるのだから。
──『知らない人はいないと思うけど、一応あたしから提案の内容を説明しておくよ』
うんと同意の声が上がった。菊乃は一呼吸を置いた。
──『あたしたち管弦楽部は、今までは限られた演奏機会しか持ち合わせていませんでした。文化祭とか野球部の応援とか、あとは地区音とか中音くらい。で、この中に“演奏を評価される”イベントがあるかっていうと、ないです。あたしたちは今まで、ただ普通に演奏していても消化できるような活動に終始してきた。……だけどあたしは、管弦楽部の活動の場をもっと広げたい。新しい世界に触れたいんだ』
弦楽器の演奏人口が少ないこともあり、日本の学校における器楽合奏の部活動では圧倒的に吹奏楽が中心を占めている。
演奏人口が多ければ競い合う余地も生まれる。それゆえ吹奏楽の世界には、全日本吹奏楽コンクールをはじめとした各種コンクール系イベントがいくつも揃っていて、生徒たちはそれらコンクールで上位の成績を納めることを目標に据え、日々の練習に取り組んでいる。
管弦楽では、そうはいかない。もっぱら活躍の機会は演奏会が中心で、出られるコンクールの種類は本当に少ない。もちろん部員が多ければ、管楽器だけを選抜して吹奏楽編成を組むことも可能なのだけれど、毎年の新入部員獲得にも苦労する有り様の弦国管弦楽部では、コンクール用の吹奏楽編成など望むべくもなかった。
それこそが、弦国管弦楽部がコンクールの類いにいっさい顔を出そうとしてこなかった理由なのだ。
“コンクール”の意味は『競技会』。たとえば吹奏楽コンクールでは、出場した楽団は演奏の質を金、銀、銅の三段階で評価され、金賞のなかでも突出して優れた演奏を披露した数組のみが、より上位の大会へ進むことができる。もちろん、審査員となって評価をするのは人間なので、誰が審査員を務めるかによって評価の基準に偏りが生じかねないという問題はあるのだが、それでも数多の若き吹奏楽団員たちがコンクールでの正当な“評価”を願い、懸命な演奏を繰り広げている。
芸術にだって『上手い』『下手』がある。よりよい評価が下されれば誰だって嬉しいし、さらなる高みを目指したいと願ってしまうものだ。
ただ、音を楽しむだけじゃない。いたずらに演奏機会を増やすのではなく、真剣に耳を傾けてくれる誰かに、この指と心で奏でる音色を聴いてほしい。評価してほしい──。
ここ弦国の管弦楽部にも、そうした主張を広げる生徒がいなかったわけではなかった。その筆頭こそが、二年生学年代表の菊乃だったのである。
グループのメッセージ画面に、ウェブサイトのURLが貼り付けられた。すでに中身を知っていた美琴も、指示されるままにリンクに指を押し当てる。
──『ASEC・全国学校合奏コンクール東京都大会』
菊乃がタイトルを読み上げた。声が弾んできていた。
──『ここは、編成も演奏形態も基本的にいっさい自由っていうコンセプトを持ってる、日本でも唯一の合奏コンクールなの。十五人前後の少人数編成で出場する学校もあるし、選抜から漏れて吹コンに出られなかった生徒を集めて吹奏楽団を作ってるところもある。吹コンと違って人数制限がないから、多いところになると百人を超える。弦国と同じ、管弦楽で挑んでる学校もあるんだ』
──『ここなら俺たちでも出場できる、ってことだろ』
ホルンの三原郁斗が口を挟んだ。
──『完全自由ってことは、コンバス以外の弦楽器がいてもいいんだもんな』
──『そういうこと!』
弦楽器勢から呻きが漏れた。管楽器主体の吹奏楽では、低音を担うコントラバス以外の弦楽器は参加を許されないのだ。
それでね、と得意気に菊乃は説明を続けてゆく。このコンクールには都道府県予選会と全国大会があり、従来は福島県や千葉県、徳島県、山口県など、音楽系部活動の盛んな一部の県でしか予選が行われてこなかったこと。新興のコンクールではあるが近年になって知名度も向上し、参加校が増えてきたので、今年度から東京都予選が開催される運びになったこと。審査員の面子も発表されておらず、現時点ではどんな出場校の顔ぶれになるのか、誰にも予想がつかないこと。場合によっては思わぬ大穴を引き当てられる可能性もある。
日頃から同じ木管セクションの中で菊乃の愚痴を聞かされている美琴にしてみれば、それらはどれも既知の情報に過ぎない。それでも、どこか上ずった菊乃の言葉越しに、こうしてコンクールのホームページを眺めていると、菊乃の意欲が自分にも乗り移ってきたような感覚が皮膚をおおった。
あたしはさ、と菊乃が声を大きくした。
──『管弦楽部はもっとやればできる楽団だと思ってる。ちゃんと練習時間を増やして、いい指導者を迎え入れて、適切な練習内容を組み直せば、もっともっともっときれいな演奏をこなせるだけの底力があるって思ってる。みんなだって嫌でしょ。こないだの定演の時みたいに、去年文化祭のステージに出た時みたいに、上から目線で嘲笑われるのなんか嫌でしょ?』
「高松ちゃんあたりは入れたいなー。先輩権限を使ってでも入れたい」
▶▶▶次回 『C.032 参戦計画【Ⅱ】』