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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
終楽章 音楽の冗談は別れの前に
216/231

番外編④ 入れ替わってる!? 【前編】

今回のお題は亜鉛ちゃんさんから頂きました。

お題はこちら。↓↓




挿絵(By みてみん)




 





 ──普段と同じ、何事もない朝のはずだった。




 教室の扉を引き開けると、滞留していたクラスメートたちの喧騒が堰を切って溢れ出す。いつものごとく「おはよう」と小声であいさつした里緒は、カバンとクラリネットのケースを握り直して、自分の席を目指した。

 里緒の席には花音と紅良がたむろしていた。近寄る里緒の姿を見るなり、椅子に腰かけていた紅良がさっそく声をかけてきた。


「あ、里緒()()()

「…………?」


 里緒は一瞬、聞き間違いを疑った。紅良が“ちゃん”などと可愛らしい敬称を呼び名につけたことなんて、今まで一度もなかったのに。しかし声色は間違いなく紅良である。


「里緒」


 今度は花音が里緒を呼んだ。花音は花音で、里緒を呼び捨てにするのは初めてのことだった。

 以前、長い風邪の休みから復帰してみたら、二人の互いの呼び名が変わっていたことがある。今回も気紛れかな──。カバンとケースを机の脇へ置きつつ、里緒はおっかなびっくり二人に笑いかけた。


「め、珍しいね。二人とも私のこと違う呼び方に変えたんだ」


 花音と紅良は顔を見合わせた。今、こうして至近距離で伺うと、二人の顔色は揃いも揃ってずいぶん青白い。


「……里緒ちゃん」


 紅良が立ち上がった。うろたえる間もなく、さらに里緒の左腕を花音が掴む。


「ちょっと来て。私たち、話があるの」

「え、え? もうすぐ授業が……」

「いいから!」


 紅良のだめ押しがあまりにも真に迫っていたものだから、里緒は怖々とうなずいた。そのまま腕や手を掴まれ、強引に教室の外へ連れ出された。

 二人の向かった先は、人気(ひとけ)のない講堂前の廊下だった。講堂はイベントや部活動以外には使われないので、この時間帯に講堂前の廊下を人が通り過ぎることはない。


「……里緒ちゃん」


 腕を解放した紅良が、問うてきた。


「私が誰だか分かる?」

「く、紅良じゃなくて……?」


 答えてはみたものの確証が持てない。首をすくめながら里緒が答えるや、紅良は不意に目の端へ涙を溜め、里緒の両肩を掴んだ。


「だよね、やっぱりそう見えるよね……!? でも違うの、違うんだよ! 西元じゃなくて花音なの!」

「え」


 里緒は唇が引きつるのを覚えた。

 どう見ても外見は紅良、声も紅良ではないか。

 しかし言われてみると確かに、挙動も里緒の呼び方も紅良のものではない。中身が花音と説明された方が納得もいく。


「ちなみに私の中身は花音じゃなくて西元紅良なんだけど……」


 紅良の隣に立った花音が、顔面蒼白のまま伏し目がちに白状する。いよいよ訳が分からなくなり、里緒は思わず一歩、二人から遠ざかるように後退してしまった。


「その、つまり、花音ちゃんと紅良の中身が入れ替わってる……ってこと?」

「そういうことだと思う」


 互いの様子を伺いつつ、花音も紅良も首を縦に振ってみせる。

 ああ、眼前の現実を受け止めきれない。ふらつく足を叱咤しながら、里緒は目眩(めまい)が視界を覆い尽くすのを覚えた。人格だけが入れ替わるだなんて、そんなSFじみたことが現実に起こっていいものか。アニメ映画でもあるまいし──。だいたい原理や経緯はどうなっているというのだろう。


「ねぇお願い、里緒ちゃん助けてよぅ……! ずっと西元の姿なんてやだぁ……!」


 両肩を解放した紅良が泣きついてきた。花音よりも大きな紅良の身体にがっちりと抱き締められ、得も言われぬ違和感に寒気を覚えた里緒の隣で、ぼそり「こっちのセリフだから」と花音がぼやく。あまりの滅茶苦茶な状況に理解が追い付かない。


「ま、待って。ちょっとだけ考えさせて」


 やっとの思いでそう告げ、里緒は紅良を引き剥がした。ともかく深呼吸をして、冷静な思考力を取り戻そうと励んでみる。

 現象には必ず理由があると、どこかの物理学者が名言を残していた。ならば、今度の紅良と花音の入れ替わりにも、なんらかの原因や契機が必ず存在していたはずだ。いま里緒のすべきこととは、その二つを解明することに他ならない。


「その、あの、二人はいつから入れ替わってた……んでしょうか……?」


 ひとまず尋ねてみたら、未だに収まらない動揺が露骨に声になってしまった。紅良と花音は視線を交わして、「分からない」と答えた。


「なんかね、何も覚えてないんだよね……。昨日あたりから記憶が何もなくて」

「メッセージアプリのやり取りを見てる限り、少なくとも昨日の夜の時点では、その……入れ替わりが生じてなかったはずなんだけど」


 気まずげにスマホを取り出した花音が、紅良にそれを渡す。スマホを持っているのは花音の身体だが、中身の紅良はパスワードを知らないのでロックを解除できないらしい。記憶の類いは本人の意識と一緒に移動してるんだな──。里緒はようやくひとつ、入れ替わりに関する知見を得た。

 前夜の二人の会話を見ていると、確かに中身の入れ替わりらしき痕跡はない。花音は花音らしく顔文字や絵文字を多用しているし、紅良のメッセージは単文で簡潔だ。


「……本当に入れ替わってるんだね」


 なんとなく感動らしきものを覚えて独り言ちたら、「まだ信じてもらえてなかった!」と紅良が嘆いた。当たり前だと里緒は思う。こんな荒唐無稽なこと、そうそう信じられるわけがない。

 けれども覚悟は決まった。

 紅良と花音の友達として、里緒は二人の身に起こった異常に何としても向き合わねばならない。


「私、やるよ」


 里緒は二人を見つめた。


「二人が思い出せなくなってる間のこと、頑張って調べてみる。入れ替わった原因も経緯も突き止めて、二人が元に戻れるようにする。約束する」

「里緒ちゃん……!」

「だから二人は、その、入れ替わりが気付かれないように頑張って振る舞って。私でさえびっくりしたんだから、周りに気付かれたら大変な騒ぎになっちゃうと思うし……」


 もとより危機感はあったのだろう。紅良も、花音も、顔を硬くしながらうなずいた。誰よりも硬いのは自分の顔だろうと里緒は思った。




 かくして、里緒の一世一代の挑戦は盛大に幕を開けたのだった。






 入れ替わりの効果は身体的な能力にまでは及んでいないらしい。つまり、花音の高い運動能力も、紅良の高い楽器演奏能力も、本人の身体からは移動していない。

 授業中から放課後に至るまで、紅良と花音は慣れない身体を持て余しながら必死に相手のふりを貫いていた。里緒の前ですら、紅良は紅良らしく「里緒」と、花音は花音らしく「里緒ちゃん」と、外見にふさわしい呼び方で名を呼ぶ徹底さだった。

 だが、二人の苦労はそれにとどまらない。最大の問題は、知識や学習能力が意識と一緒に入れ替わってしまっていたことだ。

 一限の数学の授業中、いきなり事件は起こった。


「次の問題は、そうだな……。西元さんの列から行こう」


 例題の説明を終えた教師が、あろうことか紅良の列に白羽の矢を立てたのである。紅良は列の先頭に座っているので、シンキングタイム皆無で第一問を当てられる。

 声を裏返らせた紅良が「はいっ!?」と立ち上がった。今や彼女の中身が花音であることを、大半のクラスメートと教師は知らない。


「え、えと、……分からないです」


 数秒ほど迷った末、紅良は()えなく白旗を上げてしまった。

 本物の紅良ならば三秒で正答を言い当てただろう。ざわめくクラスメートたちの向こうで、当の花音(中身は紅良)がやるせなさげに顔をしかめる。


「そ、そうか。珍しいな。なら後ろに行って……」


 一瞬ばかり狼狽した教師は、しかしすぐさま後ろの子を当てて問題を解かせ始めた。一度目の修羅場を乗り切ったことに里緒が激しく安堵したのは言うまでもない。


(でもこれ、他の授業でも繰り返すことになるんだよね)


 不穏な予感に背中を撫でられ、こっそりと今日の授業日程を伺ってみる。──数学Ⅰ、英語表現、倫理、体育、生物、世界史。

 最悪だ。

 花音の苦手教科がことごとく詰まっている。

 彼女の危機突破能力に期待するしかない。早くも青ざめている紅良の横顔に、里緒もじわりと焦りを募らせた。入れ替わりの解消を一刻も早く成し遂げるべき理由が、また増えた。

 そして里緒の懸念は現実になった。普段から成績の優れている紅良は、どの教科でも正答を期待されて難問を当てられ、そのいずれも答えに詰まって自席に崩れ落ちた。中でもたちが悪かったのは英語表現で、紅良は単純な英単語を思いきり読み間違え、クラス中の爆笑と奇異の目を買ってしまった。


「西元さん、調子でも悪いの?」


 英語表現の教師が真剣に心配する一方、自分の評判をどんどん下げられている花音は怒り心頭の様子だった。紅良が一つ、二つと失敗を犯すたび、教室の端に座る花音は血走った目で紅良を睨み付け、傍観しているだけの里緒すら縮み上がらせた。

 しかしその花音自身、実は勉強のできないふりを貫くので精一杯だったようだ。

 ことが起きたのは倫理の授業の冒頭だった。


「自然とはある種の法則に従って動いており、機械の運動と同じように理解することが可能だとする考え方がある。こういう考え方を何と呼ぶかというと……知ってるかね、青柳くん」

「デカルトの機械論的自然観ですか」


 あっさりと花音の口にした単語に、教室が一瞬ばかりどよめいた。倫理で赤点すれすれの点すら取ったことのある花音が、未修の用語を即答したのだから言うまでもない。


「あ……合っとる」


 予想外の事態に教師も面食らっていた。中身に不釣り合いな振る舞いを犯してしまったのに気づいたのか、花音は大慌てで言い訳に走り始めた。


「あの、いや、なんとなく雰囲気で言ってみただけです。私ほんとはこんなの分かんないですしっ」


 “機械論的自然観”などという専門用語が雰囲気で出てくるわけがない。おまけにしっかり提唱者の名前まで言い当てている。言い訳、下手だな──。つくづくと里緒には先が思いやられた。




 昼食の時間に辿り着く頃には、二人はぐったりと疲労にまみれて机に突っ伏していた。入れ替わりの話を教室でするわけにはいかないので、弁当を片手に三人で学食へ赴いた。


「もう嫌だ……。西元のふりするの限界」


 げっそりと紅良がぼやくと、「それもこっちのセリフ……」と花音が続く。唯一、体育だけは互いの身体能力のままに振る舞えたので、少し気持ちが楽だったらしい。


「西元さぁ、普段めっちゃくちゃ手抜いて運動してない?」


 組んだ腕に顎を埋めながら、紅良が横目で花音を睨んだ。


「私びっくりした。西元の身体、信じられないくらい余力あるし柔らかいんだけど。本気だしたら球技でも陸上でも大活躍できるじゃん」

「私が本気だしても誰も喜ばないでしょ。……むしろ私、花音の期待の重さに押し潰されそう」


 野菜ジュースのストローを口から外し、花音は顔をテーブルに横たえる。運動能力の高い花音は日頃からチームメートたちの戦力の当てにされているので、そのぶんだけ負担も大きいのだろう。


「ま、まあまあ。相互理解が進んだってことでいいんじゃないかな……?」


 苦笑いでなだめると、不機嫌極まりない顔の花音が「里緒の方はどうなの」と尋ねてきた。

 訊かれると思っていた。里緒はノートを開き、聞き取りの結果をまとめているページを二人の前にかざした。


「とりあえず、入れ替わり前後の二人の行動が知りたいと思ったの。クラスの子たちに聞き込みをして、今朝の二人の様子をそれとなく調べてみたんだけど……」


 中休みや昼休みを通じて、クラスメート十人前後には話を聞くことができた。どうも全員が紅良や花音の変調には勘づきつつあるものの、二人の入れ替わりという事実そのものには誰も到達していないらしい。それが確かめられただけでも、現時点では僥倖と呼べると思う。

 そして調査の結果、紅良も花音も偶然に朝一番で登校していたことが判明した。


「津久井さんの話では、紅良は昨日『教室に大事な楽譜を忘れてきたから朝早く取りに行く』って話してたらしいの。実際に朝、一番乗りで登校してきた北本さんが、紅良の姿を目撃してるみたい」

「私は? 私は?」


 紅良が身を乗り出してきた。紛らわしいが、今の紅良の中身は花音である。


「花音ちゃんも北本さんが目撃してたって。城島さんと一戸さんに質問しながら宿題を片付けようとしてたみたい。『宿題やるの忘れてた!』って叫んでたのを城島さんが覚えてた」


 なんとも言えず花音らしい理由である。頬杖をついた紅良(中身は花音)が「有り得るなぁ」とつぶやいた。

 ともかく同じ時間帯に紅良と花音が登校していたことははっきりした。なおかつ、クラスメートたちの目にした言動を聞く限り、登校の時点で二人はまだ入れ替わってはいないようにも感じられる。


「ね、そういえばまだ聞いてなかったなって思うんだけど……。二人の今日の記憶はいつから始まってるの?」


 花音と紅良を順に伺うと、またも二人は顔を見合わせ、「朝」と声を揃えた。


「気づいた時には階段に倒れてたんだよね。転んだ記憶も頭を打った記憶もないんだけど、後頭部がじんじん痛んでた」


 今も感覚が残っているのか、紅良は顔をしかめながら後頭部に手をやる。続けざまに花音が「私は気づいたらぼうっと階段に立ってた」と証言した。

 二人の口にする“階段”とは、教室のある二階に向かうために必ず通る一号棟の階段のことで、目を覚ました時には相手の姿がそこにあったらしい。花音(中身は紅良)に言わせれば、後頭部の痛みは花音にはないものの、起き上がった時には(すね)が妙に痛かったという。スカートから伸びる花音の足を見ると、脛には確かに青色の痣が浮かんでいた。


「入れ替わったのに気づいたのは、その時?」

「うん。びっくりしたよ、だって()()目の前に突っ立ってるんだもん……。しかも私自身は西元に乗り移ってるし」

「私は自分の身体を花音に奪われたのがショックでならなかったな」

「うわ! それ私もなんですけど!? てか、私の可愛い可愛い顔と身体を西元に使われるなんて我慢ならない!」

「自分で可愛い可愛いとか言って恥ずかしくならないわけ?」

「ならないもんねっ。こうやって他人目線で見るとますます可愛いなーって思う! 中身が西元なせいで仏頂面ばっかりなのが気に入らないけど」

「それ言うなら、私は中身が花音なせいでどんどん周囲にバカ認定されていってるんですけど?」


 自然な流れで口論が始まってしまった。しかし本来の紅良と花音もしょっちゅう言い合いをしているので、特に違和感のある光景でもない。

 好き勝手に争う二人をよそに、たったいま得られた証言の意味を里緒は考えた。

 同時に同じ階段にいて、花音は倒れ、紅良は立ち尽くしていた。もとの身体の持ち主をベースにして考えると、倒れていたのは紅良、立ち尽くしていたのは花音ということになる。しかも紅良は後頭部を、花音は脛をぶつけた痕跡がある。


(二人して階段に倒れ込んだってこと?)


 その光景を想像するのは難しくなかった。後頭部や脛をぶつけているのも、それで上手く説明できそうだ。

 入れ替わりの真相がようやく少し見え始めた。








「身体が密着した状態で意識を失った結果、入れ替わった──ってこと?」


▶▶▶次回 番外編⑤『入れ替わってる!? 【後編】』

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