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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
終楽章 音楽の冗談は別れの前に
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E.194 告白大作戦 【後編】

 




「丈くんそんなに洒落っ気があるわけでもないのになー。ひららもーるに行く動機があるとしたら、イベント参加か飲食目当てか、そうでなきゃプレゼントでも買うのが定番だと思うけど……」


 そこまで独り言ちた恵が、「それだ!」と叫んでブラウザを開かせた。開きかけのタブが十数枚も残っている。


「何かを買おうとしてたなら、店とか商品の情報が検索履歴に残ってるかもしれないよ。いま開きかけのページにそれっぽいの見当たらない?」

「んと、見てみます」


 花音が細い指先で画面をスライドさせ、各ページの表示内容を調べてゆく。真綾は相変わらず手帳に魅入っているので、緋菜も交えた四人でスマホを覗いた。七、八枚とページを調べたところで、不意に花音が指を止めた。


「これ……?」


 そこにはアパレルブランドの製品紹介ページがあった。売り出し中の冬用小物が一覧になって記載され、ちょうど画面は中段のマフラーの部分を映した状態になっている。

 画面をそのままに、緋菜のスマホを取り出してブラウザを起動する。ひららもーるのテナント一覧を開くと、マフラーの掲載ページと同じ店の名前が引っ掛かった。ブランドショップ『Collage(コラージュ)』。


「これだ」

「あいつ、もしかしてマフラーを買おうとしてるのかな」


 緋菜に続けて興奮気味に郁斗がつぶやくと、そこでようやく真綾が顔を上げた。「マフラー?」と尋ねられたので、花音が丈のスマホを真綾の眼前にかざした。


「真綾ちゃん、これに見覚えあったりしない?」

「──これ!」


 叫んだ真綾は花音の手からスマホを引ったくった。「あっ……」と花音が悲しげな声を上げたが、真綾は花音になど目もくれずに画面を拡大し、念入りにマフラーの画像を確かめている。あまりの様子の急変に、緋菜たちは一瞬、反応が出遅れた。


「ど、どうしたの?」


 緋菜の問いかけに、真綾はスマホに視線を釘付けのまま喉を震わせた。


「これ、前に私が丈先輩にねだったやつだ……」

「うそ!?」


 今度は緋菜たちが驚かされる番だった。

 丈は真綾の欲しがっていたものをチェックしていたのだ。この証拠の出揃い方からして、十二月二十四日の【ひららもーる】とは、どうやらコラージュでのマフラーの買い物を指しているらしい。

 正気に戻って真綾の手からスマホを回収した恵が、地図アプリを手早く起動した。


「地図アプリの検索履歴にもコラージュの名前が残ってるね。国分寺(ここ)からだと、最寄りの店舗はひららもーるのテナントだ。次に近いのは八王子みたい」

「二十三日までは毎日のように練習あるし、買いに行くタイミングがここしかなかったのかもな」


 律儀なやつだ、と郁斗が嘆息する。胸の奥で丈の株が二段ほど上がったのを自覚しながら、改めて緋菜は手帳に残された【ひららもーる】の文字を見つめた。──几帳面に整えられた文字だが、そこだけ何の意図か赤いインクが用いられている。その意味に見当がつかないほど、緋菜も、花音も、恵や郁斗も鈍くはない。

 丈は真綾の想像以上に、同じ楽器を吹く唯一の後輩を大事に想っていたということだろう。


「…………私」


 真綾の言葉で四人は我に返った。振り向くと、真綾は床にぺたんと尻をつきながら、前髪を垂らしてうつむいていた。


「私、ちょっと、ほんのちょっとだけ、丈せんぱいのこと疑っちゃってました。私に嘘ついて誰かと遊んだりとか、出かけるの面倒だから適当にはぐらかしたりとか、してるんじゃないかって。丈せんぱいがそんなことする人じゃないって、私、誰よりも分かってたはずなのに……」


 ぐずぐずと泣き言を口にしながら、真綾は前髪の下で唇を噛みしめた。

 さすがの愛の重さとしか言いようがない。

 だが、彼女の眼差しがあまりにも真摯だったものだから、誰も余計な言葉を挟んだりはしなかった。愛というのは聖域なのだ。真綾が丈をどれだけ深く愛そうとも、外野の緋菜たちがとやかく口出しすることはできない。


「私、ちゃんと言う。言ってきます」


 真綾は顔を上げた。それから、目尻の光をそっと拭って、(ほう)けていた緋菜の手を取った。


「緋菜っち、ありがとう。ずっと怖くて一歩を踏み出せなかったけど、おかげで勇気が出せそう」

「……うん」


 胸を渦巻く万感をすべて(あわ)せ飲んで、緋菜は精一杯の笑顔を返した。それこそが真綾の、そして緋菜の望むものだと、緋菜は無意識に理解していた。


 休憩終了まで五分。

 作戦はいよいよ、最終フェーズに入ろうとしている。




 間もなく徳利から連絡が入った。実森の引き留め作戦が限界を迎えたので、丈が実森の教室を離れて音楽室に向かおうとしているらしい。


「行っといでよ」


 そっと背中に手を宛がうと、うなずいた真綾は一歩を踏み出した。そのまま、音楽室のドアを力いっぱい引き開けて廊下に躍り出る。手帳やスマホがカバンの元通りの位置に戻っているのを確認して、緋菜たちは真綾の後に続いた。

 廊下を丈が歩いてくる。

 その後ろには、長時間の引き留めに尽力してくれた実森と徳利の姿がある。告白大作戦実行メンバーの六人に前後を挟まれる形で、真綾は丈と鉢合わせた。

 丈はいち早く後輩の異変に勘づいた。


「どうしたの。顔、赤いよ」

「……誰のせいだと思ってるんですか」


 本人には届かないくらいの小声で恨み節を吐くと、真綾は一歩、丈に向かって詰め寄った。丈の表情が固まり、沈黙が場の空気を切り裂く。ごくんと間抜けな嚥下の音を漏らしたのは、恵か。それとも花音か。もしかすると自分だったか。


「丈せんぱい」


 真綾は小刻みの声を絞り出した。


「どうして黙ってたんですか。私の欲しがってたコラージュのマフラー、イブにひららもーるに買いに行くって」


 丈の瞳孔が一瞬で開ききった。

 青ざめた郁斗が「バカ!」と叫んだが、すでに遅い。見開いた目をそのままに丈は問い返してきた。


「え、待って。なんで僕がひららもーるにマフラー買いに行こうとしてたの知ってるんだ……?」


 遅れて失言に気づいた真綾は「あう」と喘ぐばかりだった。向かいで展望を見守っている実森や徳利はともかく、真綾の肩越しに丈に睨まれている緋菜たちはパニックに陥った。

 まずい。

 これでは勝手にスマホを覗いたのが露見する。

 今の場面で詰問をすべきではなかった。真綾はただ単に、クリスマスイブのデートを堂々と申し込みさえすればよかったのだ。


(どうしよう! どうしよう……!)


 激しい焦燥感が緋菜を飲み込む。──が、限界まで高まった焦燥感は、真綾の接いだ言葉に一撃で突き崩された。


「……そんなこと、どうだっていいじゃないですか」


 喘ぎ声を飲み込み、その勢いで話の流れを一言で全否定した真綾は、さらに一歩ほど丈へ詰め寄った。その表情は緋菜たちには伺えないが、向かい合った丈の顔つきに仄かな赤みが差したのを、緋菜は確かにその目で見た。


「クリスマスイブの予定を聞かれるのがデートの誘いだってことくらい、先輩だって分かってたはずじゃないんですか。なのに先輩は私より私のためのマフラーを優先しようとしたんですか。そんなのぜったい変です。おかしいです。一緒に買いに行けばいいだけなのに、どうして私のこと誤魔化そうとしたんですか? あんなに晩ご飯も一緒に食べて、あんなに仲良く色んな話をしてきたのに、今更そんなに私と出掛けるのが嫌ですか? 嫌じゃないならどうして予定の有無をはぐらかしたりしたんですか!?」

「ま、待って。そんなつもりで言ったんじゃ……」

「いいかげん気づいてください! マフラーなんかどうだっていい、私は()()()一緒にイブの夜を過ごしたいんですっ!」


 血の滲むような激昂が廊下に轟き渡った。告白の核心を吐いた真綾は息を荒げながら立ち尽くし、丈は人相の抜け落ちた顔で真綾を見つめ返した。

 言った。

 ついに言った。

 真綾の想いのカタチになど手が届いていなかったはずなのに、勝手に涙腺が緩んでもらい泣きしそうだ。必死に深呼吸を試みて感情の起伏を押さえつけると、緋菜は眼前の二人を見上げた。

 真綾の肩はなおも激しく上下している。

 不意に、その肩を丈の両手が取った。緋菜まで喉に息を詰まらせかけた。


「……ごめん」


 丈の声はわずかに湿っていた。


「期待するの、怖かったんだ。僕と浪江ちゃんの考えてることが同じだなんて、いくら何でも出来すぎだと思ったから……。でも、こうして直接言葉に出してくれたおかげで、怖さを感じる必要もなくなったな」

「それは、その──」

「イブ、一緒にマフラー買いに行こう」


 丈の下した結論は波を打って廊下を跳ね回り、拡散し、緋菜たち傍観者もろとも目の前の真綾を飲み込んだ。

 なんのことはない。丈は初めから、真綾と同じことを考えていたのだろう。真綾をクリスマスイブの夜に誘ってみたいが勇気が出ないし、真綾が乗ってくれる確証もない。だから、一緒に行くことを(はな)から諦め、秘密のうちにマフラーだけを購入しようとした。おそらくそれが真綾の問いをはぐらかした理由だったのだ。

 一同は固唾(かたず)を飲んで真綾の反応を見守った。

 よろめくように進み出た真綾は、次の瞬間、丈に向かって抱き着いた。今度という今度は、緋菜も甘い吐息をこらえられなかった。


「約束ですよ」


 耳まで真っ赤に染めながら、真綾は丈の胸に埋もれた口で答えを返した。応じる代わりに丈は両腕で真綾を抱き止め、優しい色に頬を染めた。

 花音は指の間から、恵は満足げに口を歪めながら、郁斗は焦れったそうに腕を組みながら、成就の瞬間を見届けた。緋菜たちの作戦は見事に大きな実を結んだのである。

 見つめているのが急に気恥ずかしくなって、緋菜はうつむいた。


「やった……」


 不覚の声が口を転げ落ちて床に弾けた。

 真綾との約束を、この手で遂げられた。この手が誰かと誰かを幸福の待つ道へと導いた。底知れぬ達成感と幸福で顔を赤くしているのは、むしろ緋菜自身だったのかもしれない。


「……ところで」


 丈が静かな声を発して、緋菜の背中を冷たい血が流れた。顔を上げると、しがみつく真綾の背中を左手であやしながら、丈は一転して疑惑の目を四人に向けている。

 ──しまった。

 緋菜は一瞬で赤から青に戻った。緋菜たち四人はまだ、丈の個人情報を覗いた疑惑を晴らしていないのだ。そもそも事実なのだから()()()も何もない。まさにその疑惑を追及せんとばかりに、丈が目を皿のように細める。


「もしかして僕のスマホか何か──」

「おい! お前ら早く逃げろ!」


 突如として背中を強襲した徳利が、丈の両肩を羽交い締めにしながら嬉しげに怒鳴った。前後を真綾と徳利に挟まれ、丈が動けなくなる。その背後に近付いてきた実森が、にっと唇を曲げた。


「私らが何とか言い含めておくから、ね」


 それが合図だった。「逃げろー!」と叫んだ花音が真っ先にきびすを返して、緋菜たちは我先に音楽室へと駆け出した。「あっ、おい! 待って!」──丈の引き留めが背中を虚しく叩いて、舞い上がった緋菜の気管を刺激した。




 ああ、楽しいな。

 幸せだな──。

 走りながら緋菜は口を綻ばせた。

 楽しくて、幸せで、仕方なかった。








 大仰な告白大作戦の騒動から四日、クリスマスイブ。

 イルミネーションに彩られた『ひららもーる』のテラスで、マフラーに首を埋めた真綾はようやく丈に愛を告白し、正式にカップルとして一歩を踏み出すことになる。










193~194話のゲストは藤枝緋菜、浪江真綾、福山丈、春日恵、三原郁斗、生駒実森、芽室徳利の7名でした!


▶▶▶次回 『E.195 上級生の未来』

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