E.193 告白大作戦 【前編】
「私さ、その……。丈せんぱいのことが好きになっちゃったみたいなんだけど」
秘密裏に呼び出された校舎の階段の片隅で、藤枝緋菜はトランペットの真綾に衝撃の告白を受けた。
──いや、実のところ大層な驚きはなかった。真綾が同じパートの丈と懇ろにしていることは、もはや管弦楽部内では公然の秘密と化しつつある。むしろとっくの昔にデキていても不思議でないと思っていたからこそ、驚いたのだ。
「そ、そっか。知らなかったよ」
意外な風を装って笑いかけると、真綾はなぜか泣きそうに顔を歪めた。
「緋菜っち」
「うん?」
「お願い! 私の告白を手伝って! 私ひとりじゃ無理なんだよ!」
腰の骨が砕けるのではないかと怖くなるような勢いで、真綾は深々と頭を下げた。
浅い沈黙が場を支配する。何を請われたのかを骨の髄から理解するまでに、今度こそ緋菜には数秒の時間が必要だった。
「私が──────!?」
……結局、安請け合いしてしまった。
これからどうしよう。誰かに相談を持ちかけるにしても、丈の見ている目の前で告白作戦の立案はできない。仕方なく、部活の開始前に音楽室を覗き込んだ緋菜は、たまたま早く来て駄弁っていた部員たちに声をかけて協力を求めた。三人よれば文殊の知恵、知恵は多い方がいい。
「……ということで、真綾ちゃんの告白を手伝うことになったんです」
一通り事情を話して聞かせると、スナック菓子を頬張った恵が「なるほろねぇ」とつぶやいた。机の上に投げ出された菓子の袋はうっすらと美味な塩の匂いを放ち、背後に忍び寄った花音や郁斗や徳利が袋の中身を狙っている。
本当にこんなメンバーで頼りになるのか。声をかけておきながら、緋菜は急速に不安を覚え始めた。
「でも、直接告白するってわけでもないんでしょ。要するにクリスマスイブのデートの約束さえ取り付けられればいい、と」
唯一まともな戦力になりそうなホルンの実森が、集計中の会計ノートから顔を上げた。はい、と緋菜は首を垂れた。
「イブの予定を聞いてもはぐらかされちゃうみたいで、いまだにデートしたいって切り出せていないそうなんです」
真綾が誰かを好きになるのはこれが初めてなのだという。強引に“デートしましょう!”と約束を取り付けて既成事実を作ろうとしないあたりに、真綾の純情さが透けて窺えるというものだった。可愛らしい話だと思うし、何とか成就させてあげたい。そのために必要なのは、丈のイブの予定の有無を確かめることだった。
「しかしなー、イブまで残りたったの五日しかないしな……」
「だいたい丈、他人に秘密を作るやつには見えねぇぞ。まして仲良しの後輩が相手だってのによ」
黒板の隅に残された日付を郁斗が見上げると、徳利も訝しげに首を傾げる。
真綾本人の前で言えない事情があるのだとしても、外野の緋菜たちには聞き出せる可能性がある。きっと真綾はそれを見越して、緋菜を頼ってくれたのだ。ひとまず明日、丈にアタックして予定を聞き出すつもりでいた。もしもそれで聞き出せなかった場合には、強硬手段に出るしかない。
「その……福山先輩の手帳かスマホをこじ開けて、予定を調べられたらいいなって思うんですよね」
小さな声で進言したら「お前、意外とえげつないこと考えるな」と徳利が苦い顔をした。なんと言われようとも、すべては真綾のことを思えばこそ。実行しなければ真綾は丈をクリスマスイブのデートには誘えない。
「私、参加する。なんか楽しそう!」
花音が元気に手を挙げて意思表明すると、恵もくわえたスナックをそのままに「わらひも」と応じてくれた。さらにその背後で、郁斗が不敵に笑みを傾ける。
「俺、知ってるよ。丈のスマホのパスワード」
「なんでですか!?」
「覗いたら普通に見えた。あいつチョロいから」
覗こうとした動機の方が緋菜には気がかりだが、ともかくこれで最低限のことはやれる見込みが立った。作戦の内容を細かく練り、実行日を翌二十日と決めて、部活の始まる前に“告白大作戦実行委員会”は解散した。
明日、緋菜たちは真綾の運命を大きく変える賭けに出る。そう認識すると、しでかそうとしていることの重大さが身に染みて、夕焼け空を見上げた緋菜は深呼吸に励んだ。
緋菜自身には、同じパートの智秋をそういう目で見たことはない。なので正直、上手くアプローチできないという真綾の心境が深く理解できているわけでもない。ためらわないで誘いかけたらいいのに──なんて、そんな無責任なことは言えない。
だから明日、緋菜は頑張る。
(真綾の背中をばっちり押してあげたいな)
深呼吸の合間に誓いを立てた。それは緋菜個人の願いでもあり、一年生のトラブルを管理する学年代表としての意地でもあったような気がする。
翌日、廊下を歩いていた丈を呼び止めた。丈は思った通り、緋菜に本当のことを話してくれなかった。イブの予定を聞くと、「今年の僕はモテ期なのか?」と丈は苦笑して、それから定番の文句で回答を拒否した。
「ちょっとね、考えてることがあるんだ。だからイブ空いてるとは答えられないや」
これで作戦の決行は確定した。今度のために作ったメッセージアプリのグループチャットでメンバーに作戦決行を伝え、放課後、勇んで音楽室に向かうと、そこには真綾を含めた作戦の仲間たちが勢揃いしていた。
肝心要の真綾、花音、恵、郁斗、実森、徳利、それから緋菜。無用な情報漏洩を防ぐため、事情を知らない他の部員はメンバーに加えていないが、それでも日頃の練習を共にしない全セクションの部員が一堂に会すようなメンバー構成である。「セクション横断のドリームチームだね!」と花音が朗らかに笑って、場の緊張が少しばかり和らいだ。
真綾の夢を叶えるためのチームなのだから、その名称はあながち間違いではない。
「やりましょう」
低く装った声で作戦開始を告げると、「おー!」と六人は元気に応答してくれた。……むろん、丈には聞こえない程度の音量で。
作戦の第一段階は実森が務めた。全体練習に一区切りがつき、二十分間の休憩に突入した瞬間、席を立った実森は丈のもとへ歩いていって、おもむろに声をかけた。
「福山」
「なんですか」
「ちょっと話というか、説明しておきたいことがあるの」
話しかけざま、彼女は腰の後ろから会計ノートを取り出した。丈はまだ事情の理解できていない顔をしている。
「もう十二月も下旬だし、来年一月の中音が終われば私たちは引退するでしょ? 例年なら直前に役職引き継ぎのことを話し合うけど、今年は私、会計の候補かなって目をつけた子に早めに仕事の説明をしちゃおうかと思って」
管弦楽部の三年生が引退を迎えるのは、一月上旬の“中音”──東京都高等学校文化祭音楽部門中央大会が終了した直後と決まっている。次代を引き継ぐ二年生のうち、何人が一般受験を選んで部を抜けるのかが直前になるまで確定しないため、役職決め会議は代替わりの直前に開催されるという慣習になったのだ。
「え、僕が候補なんです? 会計の?」
丈は分かりやすく狼狽した。「そう」と応じた実森が、丈の手を取って席を立たせる。
「会計ノートの読み方とか教えるから、ちょっとこっち来て。無関係の部員にホイホイ見せられるものでもないし」
「えっ、いや、それはそうかもしれないですけど……っ」
なおも抵抗する丈を引きずりながら、実森は音楽室を出ていった。なんと豪快な拉致の仕方だろう。だが、これ以上にましな拉致の口実も他にあるまい。ひとまず成功を喜んだ緋菜の向こうで、「ヤツが戻ってこないか見張っておくぞ」と徳利が楽しげに後を追いかけてゆく。
第一段階は終了した。次は第二段階、手帳とスマホの発掘である。五人がかりで丈のカバンを見つけ出すと、緋菜たちは寄ってたかって中身の検分に取りかかった。
「俺……来年は俺が会計やるって自然に思ってたんだけどな……。実森先輩が会計の仕事してるの、いつも隣で見てたのは俺なのにな……」
実森と同じホルンパートの郁斗が、カバンに手を突っ込みながらめそめそと嘆いている。「きっと嘘だよ」と恵が吞気になだめたが、郁斗はすげなく「お前の励ましは当てにできない」と言い返して恵を半泣きに追い込んだ。これもまた先輩を慕う後輩の在り方かと、横目に緋菜は秘かな感動を覚えた。
間もなく、「見つけた!」と叫んだ恵がカバンの底から手帳を発掘した。続けて花音がスマホも発掘した。
作戦は第三段階に移行した。手帳とスマホの中身を調べ、クリスマスイブ当日の予定を把握せねばならない。
「何か書いてある?」
手帳を開いた真綾に尋ねると、真綾はうっとりと頬を染めながら手帳に見入り始めた。
「丈せんぱい、字まで可愛いなぁ……。女の子みたいな丸文字使ってる……。色ペンちゃんと使い分けてるとこも男子っぽくないし、そのくせ書き込みの内容は時間と相手と場所の列挙ばっかりで男の子っぽいし……はぁあ……」
恋する乙女の頭に切り替わってしまっている。こうなると役に立たない。仕方なく隣から無理やり紙面を覗き込んだ緋菜は、肝心のクリスマスイブの日付に【ひららもーる】と書かれているのを見つけて、眉をひそめた。
イブのショッピングモールは大混雑のはずだ。
丈はいったい、ひららもーるに何をしに行くのだろう。
「パスワードは昼間に再確認したから間違いない。2980だ」
花音の手元を指差しながら、さりげなく郁斗が手解きを与えている。言われた通りに花音が数字を入力すると、見事にロックは解除された。
「すごーい! でもなんで2980なんだろう」
「俺が思うに、フクヤマの語呂合わせじゃないかなって」
甚だしく防犯意識を欠いたパスワードだが、真綾が聞き付けたら『そんなところも好き!』などと宣いそうだ。恋の盲目さを緋菜は改めて畏怖した。
ともかくロックは開けたので、メモ帳やスケジュールなどのページを片っ端から漁ってみる。しかし関連するような記述はメモ帳には残っていなかった。クリスマスイブのスケジュールは、やはり手帳と同じ【ひららもーる】になっている。
それ以上に細かい情報は何もない。
ひららもーるの用事次第では、後から真綾と合流することだって可能のはずだ。それならば丈はなぜ、真綾に同行を提案しなかったのだろう。真綾を連れて歩けないような用事とは何だろう?
全員、考え込んでしまった。
「私は先輩と一緒にイブの夜を過ごしたいんですっ!」
▶▶▶次回 『E.194 告白大作戦 【後編】』