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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
終楽章 音楽の冗談は別れの前に
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E.187 旧部室棟の怪 【後編】

 




 当然ながら室内は無人だった。あちこちの出し物で使われた資材が所狭しと無造作に並べられ、旧部室棟の中はさながら立体迷路のようになっている。

 佳子の懐中電灯だけでは足元さえ覚束ない。里緒以外の全員がスマホのライトを点灯し、暗闇を照らしながらの捜索が始まった。


「こりゃ難儀だなー……。うちらが資材を置いたのってどのへんだったかな」


 先頭に立って室内へ分け入った美怜が、衝立や古びた机を順に確認しながら目を凝らした。D組の撤収作業は迅速に進み、使い終えた資材も早い段階でここへ持ち込んだので、里緒を含めたD組のメンバーは資材置き場のかなり奥まで踏み込んでいる。必然的にスマホの捜索範囲も広くなる。


「里緒ちゃんのスマホってどんなのだったっけ」

「えと、黒のカバーがついてて、本体も黒で……」

「最高に見つけづらいな」


 ぼやいた紅良が姿勢を下げ、床面を広く照らし出す。木漏れ日よろしく閃光が足元を駆け巡って、こそばゆい感覚に芹香は得も言われぬ気持ち悪さを覚えた。「ない?」との花音の問いかけに、「こっちはダメ」と美怜が返す。

 捜索範囲をもっと広げた方がよさそうだ。

 部屋の右手側には誰も立ち入っていなかった。勇気を出してスマホを掲げ、芹香は足元に注意しながら一歩を踏み出した。

 その瞬間。

 どこからか『どさっ』と重たい落下音が響き、芹香はその場で派手に飛び上がりかけた。


「何!?」


 すかさず花音や美怜がライトを向けた。けれども、特に物が落ちた様子はない。

 暗闇の中で芹香たち六人は顔を見合わせた。

 間違いなく本物の音だった。幻聴ではない。


「誰か何か崩した?」

「いや、誰も」

「……ってことは、今のって」


 花音が唇を引きつらせた。


「さっき美怜が言ってた、その……」


 その先に続く単語を口にする勇気はなかったようだが、口にせずとも全員が、花音の続けようとした台詞の内容を理解していた。

 ありえない。

 あってはならない。

 頭では分かっていても、いちど住み着いた恐怖と疑念はなかなか払拭できない。カビよろしく根を下ろし、どんなに疑いを晴らそうと試みようともしつこく意識にへばりつく。


「き、気のせいでしょ! 気のせい!」


 佳子がわざと明るく声を張り上げ、ようやく芹香は正気に戻った。──そうだ、今はポルターガイストの相手をしている暇はない。里緒の大事なスマホを取り戻さねばならない。

 六人は無言で捜索を再開した。照明を持たない里緒は紅良の後ろにつき、それらしいものが落ちていないか見て回っている。外はすでに肌寒い季節だというのに、スマホをかざす手のひらには嫌な感触の汗が貼り付いた。おまけに緊張感で背筋も伸びた。

 それから二度、三度、不審な物音を耳にした気がする。

 気のせいだと芹香は頑なに思い込み続けた。それでもやっぱり怖いものは怖い。早く捜索を終え、外に出たい。しまいには目当てのスマホよりも、そんな逃避の意識が先行し始めた。


「──あっ」


 不意に里緒が声を上げた。

 見に行くと、紅良の照らした床には黒い四角の物体が影を落としている。しゃがんで拾い上げた里緒がボタンを押し込み、画面を点灯させた。薄暗闇の中に目映いホーム画面が輝いて、芹香たちは一斉に胸を撫で下ろした。

 スマホだった。ロックを解除できたので、里緒のもので間違いない。


「あった……! よかったぁ……!」


 表情筋を崩した里緒は夢中でスマホを握りしめた。無事に目的が達せられたのを悟った途端、芹香の身体からも危うく力が抜けかけた。文化祭最後の大仕事が終わったのだ。

 しかし不快な汗はまだ、肌に貼り付いたまま蒸発の気配を見せない。


「なんかさ、宝探ししてるみたいでちょっと楽しかったよね」

「言えてるー! ライトで真っ暗なとこ照らすのドキドキした!」


 和気あいあいと立ち上がった美怜や花音が、さっそくスマホのライトを消してカバンに放り込んだ。佳子は佳子で、他に忘れ物がないか懐中電灯で部屋中を照らして回っている。床にしゃがんだままの里緒の肩を叩き、芹香は上擦った声をかけた。


「帰ろ」

「うん────」


 振り向きかけた里緒の首が、唐突に固まった。




 部屋の奥で音が弾けたのだ。




 今までの落下音とは訳が違う。ビニール袋の音だ。ひとりでに鳴るはずのないビニール袋が、その瞬間、見えない深淵の向こうで『がさがさがさっ』と音を立てたのである。たちまち芹香の足はすくみ、金縛りに遭ったかのように動きを封じられた。

 ──なんだ、今の音は。


「……聞こえた?」

「聞こえたに決まってんじゃん」


 花音たちの声に怯えが走った。凍りついた里緒を守るように、一歩、紅良が前へ出る。力んだ肩が跳ね上がっている。佳子の懐中電灯が音の方向を照らし出した。刹那、今度は以前よりも激しい勢いで、『がさがさがさがさがさっ』と音が轟いた。

 やけに大きな音だった。

 気のせいでは、ない。


「きゃあぁぁあ────!」

「出たぁ────ッ!?」


 花音と美怜が先を争って逃げ出した。

 もはや見なかったふりをしてやり過ごすのも限界だった。ここには間違いなく、()()がいる。一瞬で室内の空気の密度が引き上がり、触れた両手の肌が一気に粟立つ。息苦しさでめまいがした。否応なしに強まる心臓の高鳴りさえ、視界の彼方の()()に露見するのではないかと思った。

 ここにいてはいけない。


「に、逃げよ、高松さんっ」


 へたり込んだ里緒の肩を芹香は必死に揺さぶった。が、里緒は目を真ん丸に見開いたまま、音のした方向を見つめて動かない。「高松さん!」と紅良が重ねて急かしたが効果はない。強張った口が不規則に開き、浅い息を繰り返すばかりだ。

 これでは芹香たちも逃げられない。

 刻一刻と焦燥感が募る。

 その間にも、音は二度、三度と立て続けに響き、しかも音源は次第に芹香たちのいる場所へ接近している。芹香は背後を振り返った。どうにか退路は確保できているが、いっぺんに三人が通れるほどの幅ではない──。


「くそ……っ」


 唇を噛んだ紅良が、音のする方向に向かってつばを飛ばし、怒鳴った。


「誰かいるの!? いるんでしょ!? だったら隠れてないで出てきなよっ!」


 呼応するように音が耳をつんざく。直後、芹香たちの背後に駆け寄ってきた佳子が、「そこか!」と叫んで懐中電灯の光を向けた。LEDの力強い閃光が闇を切り裂き、前方の光景をすべて白日のもとに晒し出した。

 浮かび上がったのは、一抱え以上もある黒のゴミ袋だった。

 それが、音を立てながら一歩、また一歩と、芹香たちに向かってにじり寄ってくる。


「あ……あぁ……」


 縮み上がった里緒が震え始めた。震えを帯びているのは芹香も同じだった。収まらない動悸を懸命に落ち着け、目の前の()()を睨む。佳子の照らす光をものともせず、()()はどんどん近づいてくる──。


「ごめん、通るよ」


 押し殺した声で囁いた佳子が、芹香の肩を乗り越えて前に躍り出た。一年生三人の前に立ちふさがった佳子は、目を閉じ、開いたかと思うと、


「姿を見せろーっ!」


 ()()(かぶ)さるゴミ袋を、力一杯、下からめくり上げた。










 姿を見せたのは、猫だった。




「は…………?」


 唖然の吐息を漏らしたのは、紅良だったような気がする。






 のちに行われた生徒会の調査によって、怪奇現象の真相は呆気なく発覚した。

 つまりこういうことだったらしい。──老朽化の進んでいた資材置き場の旧部室棟には、壁に小さな穴が空いていて、猫のような小動物はここから自由に出入りができた。()み着いた彼らが部屋の中を自由に歩き回ることで物品を蹴散らしたために、無人のはずの室内で落下音が鳴っていたのだ。生徒たちがここを開錠するのは文化祭の時だけなので、当然、“ポルターガイスト”は文化祭の時にしか観測されなかった。

 判明してみると実に単純な話だった。次の日、騒ぎを知らないクラスメートにこの話をすると、みんな口を揃えて「別に怖くなくない?」と笑った。

 とんでもない。

 あの恐怖は直面した当事者にしか分からない。

 懇々と手間をかけ、芹香は文化祭終了後の怪を語って聞かせた。


「もう本当にびっくりしたんだよ! 高松さんなんか終始放心状態で、猫だって分かった瞬間『怖かったぁ……!』ってぐちゃぐちゃに泣き崩れるし」

「もう私の話はやめて……お願いだから……」


 当の里緒は耳まで真っ赤に染めながら、芹香の机までやって来ては武勇伝語りを止めようとした。だが、よほど芹香の語り口が上手くいったと見え、抵抗も虚しく里緒の醜態は瞬く間にクラス中に広まった。遁走したはずの花音や美怜さえ周囲に武勇伝を語っていたのだから無理もなかった。動けない里緒を庇おうとした紅良の振る舞いが多くのクラスメートたちに評価され、紅良の株が思いがけず上昇したのが、せめてもの救いだったかもしれない。


「高松さん」


 ひとしきり“お化け”の話を終えてから、うなだれて去って行こうとする里緒を呼び止めると、「うん……」と里緒は半泣きで振り返った。意地悪したことを謝っても里緒の悄気(しょげ)っぷりは揺らがなかったので、少し考えて、こう続けてみた。


「その……私は高松さん、素直で素敵な子だなって思うよ。素の感情をきちんと出せるのって才能じゃないかな。同じくらい怖くても、私だったらあんなに泣けないもの」

「『泣いてる高松さんの方がよっぽどお化けみたいだった』って言われても?」

「誰よ、そんなこと言ったの」

「……一戸さん」


 美怜ならば本当に言い出しかねない。オブラートという概念を知らない友人の背中を軽く睨んでから、「それでもだよ」と芹香は笑った。

 クラス委員長として、ともに劇を作り上げた仲間として、もっともっと里緒のことを知りたい。本当はもっと前から知りたかった。結果論とはいえ、里緒が素直な心の色を垣間見せてくれた今なら、その夢も実現に向けて大きく近づいた気がする。


「次は本物のお化け屋敷に行きたいね」


 そういって、笑ってみた。里緒がこの世の終わりのような顔をしたので、慌てて「今度! また今度! とうぶん先!」と(つくろ)った。




 資材置き場にお化けはいなかった。

 そして里緒もお化けなんかではない。

 素性の分からない未知の世界が、また少し、狭まった。








186~187話のゲストは北本芹香、一戸美怜、下関佳子の3名でした!


▶▶▶次回 『E.188 野球観戦』

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