C.179 コンクール本番演奏──後半
迫力のある全合奏から一転、三十三小節を過ぎると、曲は三たびクラリネットの独奏パートに突入する。伴奏は急速に存在感を失い、独奏の足元に黙々と土台を築き続けるルーティンに没頭する。
ここでは低音を引き受けるのはチェロ一台のみである。どっしりと構えたチェロパート・戸田宗輔の安定感あるボウイングは、無の空間に一直線の太い地平を描き、その上を里緒のクラリネットが自在に歌い、舞い、踊る。パーカッションが不在であっても、並べられた音の粒の隊列が乱れることはない。徹底して楽譜に忠実に、しかし音量の高低によって躍動的な生き様を紡ぎながら、クラリネットは主旋律を前へ前へと繋いでゆく。
抗いようのない悲惨な末路が行く手に待ち受けていると知っていながら、それでも運命に抗おうともがいてしまうのが人間の性だ。提示部で繰り返し示された栄華の夢を離れ、暗中模索の要領で演奏されるクラリネットの主旋律には、何か暗く力強い意思の裏付けがあるように感じられてならない。
重く、緩く、雲のように流れゆくヴァイオリンのユニゾンは、やがてクラリネットのトリルに合わせて長く引き伸ばされ、五線譜の階段を駆け上がるメロディに寄り添いながら大きく響き始める。クラリネットの音色は何度も階段を上り、地平に落ち、また階段を上り、そのたびに底から湧き上がった重低音の伴奏が共鳴して支えをなす。それはまるで、天に昇ろうとしては地平に堕ちることを繰り返す、運命に翻弄され続ける魂の物悲しさを体現しているようでもある。
二つの口を開いたホルンの音がうねる。長い管で増幅されたファゴットの音色が、暗闇と天界とを行き来する音の世界に奥行きのある響きを添える。ホルンが三原郁斗と生駒実森、ファゴットが八代智秋と藤枝緋菜。人数の少ない低音楽器のコンビネーションは完璧で、聴き手に不自然な和音の揺らぎを感じさせない。
やがて、伴奏の音は息を切らしたかのように一斉に途絶え、あとにはクラリネットだけが残される。〈クラリネット協奏曲〉曲中で唯一の即興的独奏が、ここには意味ありげに配置されている。
瞳を閉じた里緒の口から、歌声が迸る。
そこにあるのは、昇りつめた先で残酷な真実を悟り、すべてを諦めて舞い降りてきたかのような、切なさ、そして虚しさ。──どんなに力を尽くそうとも、悲惨な運命を変えることは叶わなかったのだ。
デクレッシェンドの最果てで力尽きたクラリネットの歌は、いっときの静寂を挟む。ここまでで展開部は幕を閉じ、曲はいよいよ最終楽節の再現部へと移り変わってゆく。耐えがたいほどに沈んだ感情を、聴き手の胸に津々と染み込ませながら。
美琴のピアノパートは息をつく間もなかった。
もともと、双方ヴァイオリンパートの補完を目的に入れられたパートだったのもある。主旋律と対旋律の中心をいっぺんに担うピアノパートに、基本的に休みは与えられていない。菊乃も容赦ない編曲をするものだとつくづく思う。
視線だけは譜面台の上の楽譜から剥がさないまま、里緒のクラリネットに耳を傾け、ヴァイオリンパートの響きに合わせてピアノに指を預ける。うっかり足を滑らせて弱音ペダルを踏み外そうものなら、せっかくの演奏に水を差しかねない。ストレスフルな時間は、鍵盤がひとつ、ふたつと鳴り響くのに従って、少しずつ前に進んでゆく。神経をすり減らしながらひたむきに音を弾き続ける営みは、美琴にはたまらなく苦痛でもあり、はたまた快感の源でもあった。
(上手くやってるな、高松)
鍵盤に上半身をのめり込ませながら、美琴は口の端だけで満足の感情を描いた。
あれだけ昨日は緊張を訴えていたくせに、こうして耳越しに触れる里緒の独奏は恐ろしいまでに完成されていた。やればできるじゃん──。暖まった心に背中を押されて、やや強めに鍵盤を叩いた。
いくら力強く、情熱的に奏でようとも、主旋律のクラリネットから存在感を奪い取ることは叶わない。きっと観客の耳に、美琴の弾くピアノの音が明瞭に届くことはない。それで構わないと美琴は思う。ピアノの音が観客に聴こえる必要など、少しもないから。
この楽器は、愚直にヴァイオリンを支えるものであればいい。仲間の奏者を見ることができず、たったひとりで舞台の真ん中に立ち続ける里緒に、確かな伴奏の存在を教えてやれるものであればいい。
面と向かって約束したのだ。
意地でも里緒を支えてみせる。
その代わり、どうか里緒には独奏を全うしてほしいと思う。独奏の輝かしい導きがなければ、いくら伴奏が豪華であろうとも何の価値もない。
(……高松。私はさ、楽しいよ)
鍵盤に据えた指を押し込み、引き離し、その動作を無限に繰り返しながら、美琴は一瞬の間隙に祈りを捧げた。
(コンクール練が始まってようやく思い出した。私はピアノが好きだったんだ。それこそ高松がクラリネットを愛しているみたいに。……もう、ずっと、こんな感慨も忘れたままになるのかと思ってた)
刹那、ハンマーから跳ねた音が響板を破って外へ飛び出し、転々と散らばって鮮やかに花開いた。
ピアノはどんな音でも自在に打ち鳴らす、世界最強の万能楽器だ。音楽という芸術そのものに魅了され、ありとあらゆるすてきな音に憧れ続けた美琴にとって、完全無欠のピアノは初めから運命的な楽器だったのかもしれない。そして、夢中になって入れ込んでしまうほどに愛し、生活の一部にまでなりかけたという意味では、美琴のピアノと里緒のクラリネットは本質的に同じ意義を持つ存在だったのだと思う。
(大好きな楽器をこんな晴れ舞台で奏でられるんだから、こんなに幸せなことってない。私は今、すごく、すごく楽しい。だからさ)
美琴は唇を結んだ。
(……高松も今、演奏を楽しめてるといいな)
里緒も、菊乃も、誰も彼も目の前の楽器や演奏に夢中で、美琴の祈りは届いたのかも定かではない。やはり演奏の始まる前に伝えておくべきだった。けれどチャンスもなかったし、言い出す勇気も持てなかった。
だから美琴は精一杯、伴奏楽器の一員としての自分の役割を果たすのだ。
少しでも里緒を鼓舞して、伴奏の仲間と支え合って、ともに美しいフィナーレを迎えられるように。
三部歌謡形式を取る〈クラリネット協奏曲〉では、三部は基本的に提示部の再現が中心になる。
即興的独奏の嘆きが途切れ、静寂に包まれた舞台の上に、ふたたびクラリネットの歌声が舞い戻ってくる。波を打つ弦楽器の対旋律も含め、その調べは曲の冒頭とほぼ同一である。およそ五分の時を経て、クラリネットはふたたび過去の縁に浸る営みに回帰してきたのだ。
待ち受ける運命から決して逃れられないと知った時、胸の痛みはどれほどまでに募ったのだろう。かつて送った豊かな日々を思い、嘆き、うなだれるような主旋律の運びを前に、そんな想像を繰り広げずにはいられない。それほどまでにクラリネットの音色には悲痛な感情が満ちている。
規則正しい第一・第二ヴァイオリンの音の波は、その裏でヴィオラの引き伸ばす中低音に筋を通され、支えられている。奏者は春日恵ただ一人。明らかに人数の分が悪いので、客席で耳を傾けていてもヴィオラの音だけを峻別するのは難しい。だが、この些細にも思える丹念な音の積み重ねこそが、モーツァルトの描く天国的な音響の大切な礎になる。それは主旋律を担当しない第二ヴァイオリンパートも同じだ。松戸佐和も、出水小萌も、目立つ音を放って主役に躍り出ることはないが、二人の弾く真摯な対旋律がなければ曲は決して成り立たない。
恐ろしく調和の整った伴奏の描く舞台の上で、畳み掛けるように切々と悶え、揺れ、クラリネットは苦しげに歌い続ける。その孤高な音色に、弦楽器や他の伴奏は決して立ち入ることができない。同じ旋律を何度も塗り重ね、無尽の悲哀を込めて吹き渡るクラリネットの独奏は、同じ過ちを繰り返しながら生き続ける人間のどうしようもない質を、懸命に表そうとしているようでもあった。
けれども神は、そんな悩める人間をいつまでも放っておきはしなかった。
苦しみ悶えるクラリネットを前にして、神はついに救いの手を差し伸べる。第一ヴァイオリンの音色が主旋律の役目を代わり、盛り上がった伴奏がクラリネットを包み込む。互いに和音を折り重ね、燃えるように広がった弦楽器の響きは、フルートとファゴットの嘶きを混ぜ込んで天に舞い上がり、世界を一面の青色に染めてゆく。
そこには、どこまでも透き通った慈愛に満ちあふれる、無上の救いの音楽が完成されている。触れたもの全てを瞬く間に浄化させるほどの清らかな音圧は、舞台の真ん中に立ち尽くすひとりぼっちのクラリネットを跡形もなく飲み込み、限りのない恩寵を与えてみせるのだ。
やがて、ひっそりと伴奏が身を引き、世界にはふたたび弦楽器の描く地平と、その上に佇む独奏クラリネットばかりが残された。依然として楽譜には弱音を指示するPやPPばかりが書き込まれ、その指示に従ってクラリネットは細く、丸く、メロディを歌い上げる。しかしそこにはもう、あの耐えがたい苦痛に呻くような響きはない。数十と並ぶ音符を軽やかに刻んで、跳ねて、観客の前に最期の踊りを披露する。そこに顕在化しているのは、待ち受ける運命を素直に受け入れ、抗わず、泰然と時を待つ心意気ではなかろうか。
ぼんやりと輪郭のにじむ豊かな低音と、華やかで輝かしい高音。その巧みな使い分けは紛れもなく、クラリネットの楽器的特性を熟知したモーツァルトならではのものだと言えた。晴れ渡った青空のように曲調は明るいのに、その下で独り歌い続けるクラリネットの姿はあまりに悲劇的で、美しい。
“ごらん、私は大丈夫。だからあなたは前を向いて生きなさい”──。そんな誰かの叫びが、祈りが、旋律の波間に聴こえてくる。
フィナーレの時が近づいている。
ふたたび沈黙を保っていたフルートが、ファゴットが、おもむろに楽器を構えた。終わりを悟って緩やかになった里緒のクラリネットは、それでも迷いを捨てきれないとばかりに高音を昂らせたが、やがて力を失って沈み、チェロの描いた地平に身を横たえる。
そして、笑った。
穏やかに高まる独奏クラリネットの音色に、重なり合った弦楽器が脈を添えた。
もう、後に遺す悔いは何もない。ひとたび微笑んだクラリネットは二度と音を下げることなく、やがてEの音程に至って、一瞬ばかり息を継いだ。
染み渡るように続いたFの音が、舞台の中央を飛び出してホール全体に反響した。一斉に鳴り響いた伴奏楽器が、一段、また一段と音を下げても、クラリネットだけは決して下がろうとしなかった。力強く引き伸ばされるFの音は、まさに独奏クラリネットパートの最期を締め括るのにふさわしい、凛と逞しい永遠の優しさを湛えていた。
休符にたどり着いた七つの伴奏楽器の音が、命の灯火が落ちたように途絶えた。ひときわ高く温かい、たったひとりの独奏者の放ったクラリネットの歌声は、その残響を二五〇〇人収容の巨大ホールいっぱいに拡散させ、燃えて、輝いて、フェルマータの虚空へ沈み込むように消えていった。
十八時三十四分。
弦国管弦楽部は約八分間の自由曲演奏を終え、舞台の上には厳かな静寂が染み渡った。
「これが、あなたを受け入れた世界の音だよ」
▶▶▶次回 『C.180 再会』