C.174 プレゼント
「誕生日プレゼントぉ?」
ショッピングエリアの自動ドアをくぐりながら、亮一はすっとんきょうな声を上げた。
「プレゼント選びに付き合えとか言うから何かと思えば!」
柄に合わない、とでも言いたげな口ぶりである。困惑げな同僚の顔から目をそらして、大祐はもごもごと醜い言い訳に走った。
「いいだろ。娘なんだから」
「いや、そうだとしても唐突っつうか、だいたいそういうのは前日までに準備しとくもんだろうがよ」
「それは、その……慣れなくて。こんなことするのは初めてだから」
呆れ返ったように亮一は嘆息した。が、引き受けたものは仕方ないと思い直してくれたのか、腕組みをしたまま表情筋を和らげた。
「そんじゃ、お宅の里緒ちゃんの欲しがりそうなものから考えるとするか」
「……助かるよ」
大祐は胸を撫で下ろした。
『ひららもーる』のパンフレットを開き、亮一はさっそく店のチェックを始めている。その様子を横から覗き込みつつ、客の声や足音で賑わう店内の空気に身を委ね、すでにホールに入っているであろう里緒のことを大祐は想った。
──応援してるからな。
天を仰ぎ、声には出さずに唱えたら、並ぶ店を吟味する目がいくらか冴えた。
九月二十三日、月曜日。今日は里緒の出場するコンクールの開催日でもあり、同時に里緒の十六度目の誕生日でもある。
大祐はコンクールを見に行くつもりだった。むろん、そのことは里緒本人にも伝えてある。会社の同僚や社内オーケストラの知り合いにも声をかけていて、亮一を含めた何人かでまとまって乗り込むことに決まっていた。
問題は誕生日祝いの方だった。数日前、夕食の場でさりげなく誕生日プレゼントのことを聞いてみたら、里緒はあまり気乗りのしない様子でうつむいてしまった。
──『もう十六だし……。プレゼントがなくても普通に一日を過ごせたら、それで十分かなって』
大祐への期待は欠片もないようだった。確かに、両親としてプレゼントを贈ったことはあっても、大祐個人が里緒に何かを贈ったことは一度もなかったし、去年に至っては『おめでとう』の一言で済ませた前科がある。期待されなくとも仕方ない。
そこで一念発起して、本人には秘密でプレゼントを選ぶことにしたのだった。
亮一にも付き添ってもらったのは、自分ひとりの判断での品選びには信用がおけないからである。
『ひららもーる』に来たのは初めてだった。まともに店の配置も分からないので、亮一と交互に館内図を覗き見つつ、適当に店内の様子を伺いながら回っていった。
しかしなぁ、と亮一は頭を掻いた。
「年頃の女の子がプレゼントに欲しがる物なんて俺にも分からねぇよ。うちのガキはまだ小さいし」
「今、いくつなんだっけ」
「小五と小三だよ。しかも両方とも男だ」
ホルンパートの成田には中三の娘と中一の息子がいたはずだ。おまけに彼女は大祐よりも年上である。弱冠三十八歳の男の持つ娘にしては、十六歳の里緒は世間的に見てもかなり大きい部類なのだろう。視線のやり場が思い付かなくて床のカーペットを眺めていると、「お前んとこが子供を作るのが早すぎんだよ」と亮一が文句を上塗りしてきた。
「ま、華のJKだし、普通に考えたら服とか小物とか欲しがるんだろうがなー。好みのブランドとかは聞き出してねぇのか」
「……どうやって聞き出すんだ、そんなの」
「どうやっても何も、そのくらい普通に聞き出しゃ教えてくれんだろ。使えねぇな」
一撃のもとに切り捨てられ、大祐はますますカーペットから顔を上げられなくなった。人の好みを聞き出すのは大の苦手なのである。
大祐と里緒の親子仲はこれといって悪くはないし、聞けば里緒も素直に教えてくれる気がする。だが、たとえ娘であろうとも他人は他人。他人のプライベートに足を突っ込むような質問など、怖くてうっかり切り出すこともできない。
「そんなに心配すんなよ。プレゼントを嫌がられるような間柄でもねぇんだろ?」
大祐の思惑を知ってか知らずか、脇を小突き、亮一はのんびりと言った。
「死ぬほど似合わねぇモンとか、よっぽどやばいものでもなきゃ、きっと気持ちを汲んで受け取ってくれるさ。それこそ十六のオトナなんだからな」
「……そうだといいんだけど」
「自信を持てよ。それでも親かよ」
何を言われたって、自信を持てないものは持てない。大祐はそっぽを向いて、溜まっていた息をそっと漏らした。──ああ、こんな情けない男でなくて、亮一のような逞しい男が父親だったら、もっと里緒も幸せな日常を送れていただろうに。
すると亮一の大股歩きが、少し、遅くなった。
「なぁ、高松」
「うん」
「俺はお前のこと、お前が思ってるよりはすごいと思ってる」
いきなり何のつもりか。鼻白んだ大祐を前に、周囲の店を見渡しながら亮一は淡々と言葉を繋いだ。
「お前がどう思ってんのかは知らねぇけど、自分の育てた子が十六度目の誕生日を迎えるのってさ、やっぱ並大抵のことじゃないと俺は思うわけよ。子供は俺たちと違って弱いから、自活能力もないし、病気だってするし、ちょっとしたことで精神を参らせて弱っちまうし。うちなんかまだまだ十一歳と九歳だけど、ここまで来るのにずいぶん苦労させられたもんだ」
「……どこだってそうだろ」
「そうだな、どこの家だって直面する苦労だ。だからって、きちんと子供を育て上げた親が褒められない道理なんてねぇだろ。成し遂げたものの価値が減るわけじゃねぇんだから」
「…………」
「少なくとも子育て歴に関しちゃ、お前は俺の先輩だぞ。特にお前んところはよくやってるよ。……あれだけの出来事があっても、お前も、里緒ちゃんも、こうしてちゃんと命を繋いでいるんだから」
引きずられるように亮一の隣を歩きながら、大祐は一瞬、見えない何かが喉に詰まる錯覚を覚えた。
そんなことはない。
上手くやっていくことなんてできなかった。
できていたら今頃、瑠璃が隣に立って笑っている。こうして里緒と二人で、ふたたび東京に出てくることもなかった。
後悔が頭をもたげて、自然とうなだれた格好になる。うなだれたまま、大祐は小さな声で漏らした。
「……俺は、ダメな父親だったよ。人様に誇れる存在なんかじゃない」
「なら、今からでも精一杯、里緒ちゃんのことを甘やかしてやればいいじゃねぇか」
含みのない笑みを浮かべ、亮一は大祐の背中に拳を当てた。どんと轟音が骨に響いて、大祐はつんのめった。
「よく知らねぇけど、年頃の女の子が親離れしていくのは一瞬だと思うぞ。だから可愛がれるうちに可愛がって、大切にして、本人の望む未来に寄り添って、そんで一人立ちの時が来たら思いっきり背中を押して送り出してやればいいんだ。それができてる親に悪い奴はいねぇんだよ」
だろ、と亮一は歯を輝かせた。
「もっと自分と娘を軽率に褒めろ」
目の前の通路に出てきた女子高生のグループが、やかましく笑い合いながら通り過ぎてゆく。馴れ馴れしい会社員二人のことなど気にも留めようとしない。楽しげに生きる彼女たちの背中に、クラリネットのケースを抱えて一生懸命に追いかける愛娘の姿を重ね、大祐は生暖かな息をついた。
たとえ完璧な幸せを与えてやることはできなくとも、里緒は今、生きている。生きて、大好きなことに打ち込んでいる。里緒の平和な日常を、大祐は収入と存在をもって担保できている。
(親の役目なんか、最終的にはそれで十分なのかもしれないよな)
大祐にもようやく割り切りの道が見えた気がした。どのみち、このさき何年の月日が経とうとも、暗黒の中学時代を里緒に過ごさせた負い目から逃れることはできないのだから。
「お?」
うなった亮一の目が、アパレルショップの一角に向いた。大祐も慌てて視線を追った。
「あの店頭に並んでるやつとかいいんじゃねぇか。洋モノのバンドTシャツ」
「……新発田の趣味じゃないのか」
「付き合ってもらってる身分でガタガタ文句ぬかすな。ほら、見てみろ。こういうの着こなしたら大人っぽく見えて格好いいぞ」
適当きわまる品選びである。柄を目にした里緒が瞳を曇らせるのを想像して、きっぱりと断らせてもらった。
考えてみると、娘宛のプレゼント選びだからといって特別に難しいわけではない。相応しいかどうか分からなくなったら、脳内の里緒に着せてみればいいのである。むしろ脳内に娘のイメージがしっかり存在している分、よく知らない人へのプレゼントよりも選びやすい。好みの分からない不安に押しつぶされるあまり、大祐はそんな単純な理屈に少しも思い当たっていなかった。
「アクセサリーを贈るのはダメかな。服より汎用性も高いし、外れを引くリスクも小さいと思うんだ」
提案すると、「なんだお前」と亮一は嬉しげに口を歪めた。
「提案できるじゃねぇか」
ラックタイムスの社員たちと合流して会場に向かうまで、時間の猶予は残されている。ゆっくり満足のいくものを探そう──。心を決めてモール内に目を凝らしつつ、こうして平和にプレゼントを選べる幸せの重みを、大祐は黙って噛みしめた。
「半年間ひたむきに重ね続けてきた努力の花を、ここで思いっきり咲かせるんだね」
▶▶▶次回 『C.175 開会までの間』