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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
第四楽章 蒼の涙とアイネクライネ
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C.124 ゲーム大会

 




 弦国キャンパス最寄りの銭湯『宝湯』は、国分寺駅の南口を出て三百メートルほどのところに立地している。弦国から歩けば片道十分。湯冷めするほどの道のりではない。

 その帰り道で、花音が不意に「帰ったらみんなでゲーム大会しようよ!」と言い出した。

 里緒は無意識に肩を(すく)めてしまった。つい一週間前、花音や紅良とゲームをして、里緒ひとりがぼろぼろに負け続けた悪夢が思い出された。だが、花音はさっそく周りの子たちに声をかけて、あっという間に賛同者を増やしてゆく。しまいには二年生や三年生にまで声をかけて回り始めた。

 やりたいとも言えないし、やりたくないとも言えそうにない。処刑の順番待ちをしている死刑囚のような感慨で花音の背中を眺めていると、後ろから緋菜が肩を指先でつついた。


「高松さんもやろうよ」

「わ、私は……」


 里緒は思いきり(ども)った。昨日みたくブレストレーニングしなきゃ──、などと続ければ説得力のある拒否になったかもしれないが、そこまでして断る勇気があるわけでもなかった。


「大丈夫だよ」


 沈黙する里緒を前に、緋菜は自嘲気味に笑った。


「私、ゲームめちゃくちゃ苦手だし、きっと何やっても高松さんより下手くそだと思う」

「……そうなの?」

「誰かとゲームやって一番に勝てたこと、一度もないくらいには弱いかな……」


 そんなものは里緒だって同じである。だが、自嘲と羞恥心の入り混じったような緋菜の表情を見るにつけ、心のなかの耳に自意識がひそひそと(ささや)く。信じてみてもいいんじゃない、と。

 緋菜はこんなことで嘘をつく子には見えない。それはつまり、信用して痛い目に遭うリスクが小さいことの裏返しだ。


「参加……してみようかな」


 小声でつぶやくと、たちまち緋菜の瞳は輝いた。


「決まりだね! 花音に伝えてこようっと」


 トレーニングに励みながら語り合った昨日の夜から、もうじき二十四時間が経とうとしている。わずか丸一日で、里緒のなかで緋菜の印象はずいぶん変わった。ターバンよろしくタオルを頭に巻いた学年代表の横顔に、今まで自分の見て、聞いて、知っていたつもりの世界がずいぶんいい加減なものだったのだと、里緒は事あるごとに思い知らされていた。




 花音主催のゲーム大会は、ミーティングが終わってすぐに一年女子の部屋で始まった。


「先輩たちにも男子にも断られた」


 肩を落として部屋に戻ってきた花音は、しかしすぐに一転、輪を作った女子六人に嬉々としてトランプを配っていった。

 メニューは初っぱなからババ抜きである。花音の手元に手作りの勝敗表までもが用意されているのを見て、里緒は早々に覚悟を決めざるを得なくなった。これは、一戦や二戦の勝負では終わらせてもらえそうにない。長丁場になる。

 圧倒的にババ抜きが上手だったのはサックスの忍だった。片手間でスマホゲームのプレイを進めながらだったにも関わらず、


「…………ん」

「…………これ」


 などと正確にカードを見抜き、引き、捨ててゆく。微塵も動じることのないポーカーフェイス、みるみるうちに減ってゆく手持ちのカード。忍にこんな才能があるだなんて知らなかった他の面々は、真っ先に忍があがったのを見るや、大きなため息を一斉に吐き出した。


「負けてらんない!」


 と、次に花音がすべてのカードを捨てきった。続いて「やった!」と快哉を叫びながら真綾がゴールイン。さらに涼しい顔で小萌が続き、ついにプレーヤーは三人にまで減った。

 里緒の手元に、ジョーカーはない。

 誰のところにあるのか見当もつかなくて、こっそり他の子の顔色を窺ってみる。青い顔で周りを見回している緋菜、凄まじい形相で手持ち札を見つめる舞香。なんだか二人ともジョーカーを持っていそうな雰囲気だ。

 花音がトランプをやろうとした理由が里緒にも分かった気がした。里緒と同等以上にポーカーフェイスの苦手な子が、里緒の他に二人もいるのである。


(負けたくない)


 熱い感情が肋骨の奥で膨らんだ。里緒にしては珍しい感情だった。慎重な手付きで緋菜の手札からカードを引き抜き、恐る恐る舞香に向かって手札の束を差し出す。不機嫌な顔の舞香が、それを引く。誰も、何も言葉を発さない。気圧の高い沈黙が場を支配する。おそろしく遅いペースでカードは減っていった。残り五枚、四枚、三枚、二枚──。

 一対になったカードを緋菜が突き上げた。


「抜けたっ!」


 里緒は弾かれるように舞香を見た。自分の手元にジョーカーはない。ということは必然的に、眼前の彼女がジョーカーを保有している。

 ()かさんばかりに舞香が無言でカードの束を突き出す。彼女の冷たい眼差しに、不安が急激に喉を込み上げてくるのを里緒は感じた。怖い。ジョーカーを抜くのが怖いのではなくて、舞香が怖い──。底冷えのする感情に身体が悲鳴をあげかけたが、どうにかやり過ごして、指を伸ばした。並ぶカードに順に指をかざすたび、舞香が「ごくん」と露骨に息を飲んだ。引いたカードはジョーカーではなかったが、里緒の手持ちの札とも合わなくて、ただ手札が交換されただけに終わった。

 無言のやり取りが続く。二枚、四枚と互いのカードは次第に減ってゆき、ついに里緒の手札は残り一枚になった。舞香の手元には二枚が残っている。


「ほら」


 舞香が低い声で言った。突き出された二枚のカードに選択を迫られ、里緒の心はいよいよ恐ろしさで縮み上がった。

 “負けたくない”なんて前言は撤回だ。

 舞香に勝ってほしい。

 せめて里緒に勝って、日頃の溜飲を下げてほしい。里緒が願っていいのはそれだけだと思った。


(こんなことでこれ以上、嫌な印象持たれたくないのにっ……!)


 カードとカードの合間で指が振り子よろしく揺れる。舞香の顔付きも揺れたが、どちらが正解を意味しているのか里緒には見当もつかなかった。

 どうか、ジョーカーでありますように──。

 祈りながら直感でカードを抜き取った瞬間、舞香がその場に崩れ落ちた。どよめきに責付(せつ)かれ、慌てて翻して見たカードの数字は、手持ちのそれと同じ【(エース)】だった。

 里緒は勝ってしまったのである。


「やっと終わった!」

「まいまいが最下位ねー」


 どことなく愉快そうに、花音が勝敗表の『一回戦』のところへ結果を書き込む。ゆっくりと起き上がった舞香の顔に笑みはなく、里緒は猛烈な勢いで血の気が引いていくのを覚えた。そんな、勝つつもりなんてなかったのに。負けでよかったのに。


「あ、あのっ、私そんな……」

「…………」


 試みた弁明は蚊の羽音のように小さくて、舞香の耳にすら届かなかった。かくなる上は、自分に呪いをかけてでも舞香を勝たせるしかない。里緒は早々に『負けにいく』ことを目標に決め込まざるを得なくなった。もはや何のためにゲームをしているのかも分からなくなってきた。

 しかし願いも虚しく、その後も舞香は見事に負けを重ね、総合順位で不動の最下位を譲らなかった。五回を終えた時点での順位は、僅差で緋菜が五位、里緒が六位。圧倒的な差で舞香が七位。


「まいまい、いくら何でも弱すぎない?」

「なんでそんなにジョーカーに愛されてるの?」


 ほうぼうから冷やかしの言葉をかけられた舞香の表情は、今や里緒にもそれと分かるほどに苛立ちを深めつつあった。ゲームの弱い自分自身に対する苛立ちなのか、それとも里緒に対してのものか、もちろん里緒には区別のつけようもない。

 勝敗の表が埋まった。カードを放り出したまま、「よーし」と花音が旅行カバンから人生ゲームのボードを引っ張り出してきた。


「そろそろこっち……」

「待ってっ」


 いきなり舞香が叫んだ。場の空気が停止したのを見るや、彼女は顔を上げ、一直線の視線で里緒を射抜いた。


「一騎討ちやろう」

「いっ……」


 里緒は耳を疑った。取り巻く子たちも同じ心境だったのだろう。怖々と「なんで?」と尋ねた花音に、舞香は座り直しながら淡々と答えた。


「やりたいから。いいでしょ、一戦くらい」


 平静を装ってはいるが、その声は恐ろしいまでの迫力を伴っている。連敗を重ねたのがよほど悔しかったのに違いない。


「はい……」


 里緒は首肯した。致し方なかった。

 もう嫌だ。こんな怖い思いをするなら、やっぱりゲーム大会など参加しなければよかったのだ。しても仕方のない後悔に身を(やつ)しながら、花音の切ったカードを受け取り、同じ数字の物を捨てていく。

 すると、手札に混じって覗いているジョーカーのカードに視線が吸い寄せられた。

 安堵の息が静かに漏れた。このジョーカーさえ死守すれば、里緒は舞香に()()()()()。舞香の名誉をどうにか守り抜けるのである。


「まいまいからスタートねー」


 花音の指示で、二人の“一騎討ち”の火蓋は切って落とされた。左端に配置したジョーカーの上に無関係のカードをぴったり重ね、抜かれるのを懸命に防ぎながら、里緒は仏頂面の舞香からカードを抜き取っていった。こちらにジョーカーがあるうちは、それなりに安心してカードを引ける。静寂の支配下に落ちた女子部屋の真ん中で、一枚、一枚、カードの枚数は減ってゆく。花音や真綾が息を飲む音と、忍の手元のゲームのSE(サウンドエフェクト)が、いやにがんがんと聴神経を圧迫した。

 迷うように振れた舞香の指が、一瞬、左端のジョーカーにかかった。


(ダメ!)


 叫んで、握る力を懸命に強めた。

 舞香が眉を曇らせた。


「なにこれ。カード重なってんじゃん」


 里緒の顔はたちまち引きつった。──バレた。

 抵抗のしようもなかった。薄目を開けた舞香は重なった二枚のカードをしばらく吟味したかと思うと、力いっぱい、()()()()()()()()引き抜いた。


「あ…………!」


 里緒は思わず声を上げてしまった。

 苦悶に歪んだ里緒の顔と、自分の引いたカードとを、呆気に取られた面持ちで舞香は見比べる。最悪だ、終わった──。失望で満たされた胸が重たくて、里緒は浅い息を布団の上に落とした。


「まさか」


 舞香はつぶやいた。


「これ、取らせないようにしてた?」


 うそ、と花音の声が続いた。観客たちが一斉に里緒のことを見る。里緒は必死に首を振って、イカサマを否定しにかかった。


「そっ、そんなことは……!」

「でもこれ、明らかにぴったり重ねてたよね」

「う…………」

「取れないようにしてたでしょ」

「…………っ」

「わたしのこと、わざと勝たせようとしたわけ?」


 真実を当てられては言い逃れのしようがない。唇を噛む里緒を前に、舞香は大袈裟に嘆息した。


「ズルじゃん、それ」


 どうしよう。

 やってしまった。

 一番やってはいけないことをやってしまった。ただでさえ乏しかったであろう舞香の信用を、里緒はついにひとつ残らず失ったのだ。

 いつの間にか忍までもがスマホを放り出していた。音を発するものが消え、険悪な静寂が部屋に垂れ込める。

 力の入らない足を無理にふらりと起こして、里緒は立ち上がった。焦った様子の花音が「どこ行くの」と尋ねてきた。


「どっか……」


 うなだれた里緒は半泣きの声で応答した。せめてみんなの楽しい時間を邪魔しないために、どこかで頭でも冷やしてこようと思った。それを正直に白状することさえ胸が苦しい。(みじ)めで、恥ずかしくて、何も言葉を継げないまま部屋を出ていこうとした。

 すると、舞香が服の裾を強引に掴んだ。


「このゲーム終わるまでは逃がさないから」


 凄みのある声だった。服を掴まれた里緒は文字通り、その場から動けなくなった。

 ほら、と舞香が自分の手札を突き出す。他に手立てもなくて、一枚、引いた。ジョーカーではなかった。


「そっちの手札も出してよ」


 舞香に命じられるまま腰を下ろし直し、自分の手札を取ってかざした。舞香が一枚、引く。セットの完成した二枚が放られ、手持ちの数が減った。

 ここまで来たら、ゲームを続行するしかない。

 里緒は舞香を見ないように、舞香は里緒の手札を凝視する形で、二人は黙々と互いのカードを引き続けた。他の五人も首を長く伸ばして、目の前で繰り広げられる一騎討ちの行く末を見守る。里緒が減らし、舞香が減らし、また里緒が減らし──。

 ついに里緒のカードは一枚になった。


(さっきとおんなじだ)


 舞香のカードが二枚にまで減っているのを見、里緒は(つば)を飲んだ。二者択一だ。ジョーカーを選べば試合は続くし、そうでなければ里緒があがる。

 と、それまで右手の指でカードをつまんでいた舞香が左手を出し、カードの一枚を持ち換えた。

 右手に一枚、左手に一枚。


「どっちのカードも重ねてないから」


 挑発的な口調で舞香がけしかける。


「さあ、どっち」


 ここでジョーカーを引くことができなければ、里緒の勝ちで一騎討ちが終わる。心臓が早鐘を打ち始め、里緒はそのまましばらく固まった。早くして、とばかりに舞香がカードを揺らす。二つの模様が渦を巻いて、頭のなかをぐるぐると回り出した。

 限界だった。


(こっち……っ!)


 里緒は夢中で、舞香の左手からカードを奪った。

 そして、そこに書かれた七つのスペードを前に、悄然と座り込んだ。


「負けた」


 舞香がジョーカーを放り出した。それは名実ともに、舞香と里緒の対決が終焉を迎えた証しだった。肩の力を抜いた花音たちが、「こっちやろ!」と口々に言いながら人生ゲームを広げにかかった。

 絶望に打ちひしがれて動かない里緒のところへ、立ち上がった舞香は歩いてきた。ばらばらに散らばったトランプを集めながら、里緒の手からもカードを取ろうとして、彼女は里緒の顔を覗き込んだ。


「何、ぼうっとしてんの」

「ごめんなさい」


 里緒は掠れた声で答えた。やっとの思いで、たったそれだけの言葉しか返せなかった。まともに口を開けば泣き出しそうで、そんな自分が情けなくてたまらなかった。

 鼻を鳴らした舞香がカードを奪い取った。五十三枚のカードを丁寧に整え、切りながら、舞香はつっけんどんに言い放った。


「謝んなくていいよ。引き分けたんだから」

「…………え」

「わたしは高松さんに負けた。高松さんは、わたしを勝たせるのに失敗した。だからお互い様」


 そんな理屈が成り立つはずはない。里緒は否定しようとしたが、「あのさぁ」と舞香の放った声に押し潰された。この上なく不機嫌な声色だった。


「真剣勝負なんだから真剣に斬りかかってきてよ。高松さんのそういうとこ、ほんっと嫌い。意味わかんないとこで気ぃ遣おうとするし、ババ抜きやってるわけでもないのに他人の顔色ばっか窺うし」

「ごめんなさっ……」

「次はそういうのなしだから」


 里緒は顔を上げた。

 舞香の口角は緩やかに上がっていた。花音たちの手で広げられてゆく人生ゲームを(あご)で示し、彼女は不敵に笑った。


「人生ゲームで気遣いなんかさせないよ」


 ねっ、と花音たちにも返答を求める。真綾が、忍が、小萌が、うなずいた。緋菜は満面の笑顔を浮かべたし、花音はちょっぴり位置取りを変えて、里緒の隣に寄り添った。


 里緒は、舞香の意思によって、許されようとしているのだろうか。

 違う。舞香は許してくれたわけではない。彼女はただ、同じフィールドに立って正々堂々と向き合うよう、笑顔を用いて里緒へ促したのに過ぎない。そうと分かった上で、それでも里緒は、うなずいた。


「…………うん」


 そうするより他になかったし、そうしたいと心から思った。息と一緒に飲み込んだ鼻水が濁った塩気を口腔に残して、ああ、泣くのを防げたんだとようやく自覚できた。

 この二日間──否、それよりずっと前から里緒と距離を取り続けていた舞香が、今はこんなに里緒に話しかけてきてくれる。里緒との一騎打ちの会話を、対話を望んで、機会を与えてくれている。夢にまで待ち望んだ和解のチャンスを、里緒はみすみす見逃すところだったのかもしれないのだ。


「分かったらいいよ」


 白い歯を見せた舞香が、準備の終わった人生ゲームに向き直った。彼女の指が黄色のクルマをつまみ上げたのを見て、急いで里緒もクルマの色を決めにかかった。


「里緒ちゃんには青が残ってるよっ」


 花音が青色のクルマを寄越してきた。








「私たちはただ、里緒さんに笑顔でいてほしいだけです」


▶▶▶次回 『C.125 思い出の整理【Ⅰ】』

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