C.103 言えない葛藤
高松里緒のクラスメートである青柳花音の母から連絡があった。里緒を保護していると打ち明けられ、さらに『定期試験を受けられる様子ではないから追試に切り替えられないか』と打診された──。京士郎の報告を受けた天童は、「そうですか」と静かな嘆息を床に滑らせた。
事実上のトップたる副校長として弦国に君臨し、すべての生徒の管理責任を一手に背負う彼と、より身近な担任教諭として里緒に接する立場の自分。より重圧を感じるべきなのは、果たしてどちらなのだろう。小さくなった背中を前に京士郎は考えた。
「クラスメートの家にいるなら安心だ。もし本人が大丈夫そうであれば、先生の方からも里緒さん本人と話してみてください」
「折りを見て、やってみます。青柳家との連絡も継続的に」
京士郎はうなずいた。
手元に置いたメモ用紙が、空調の風を受けて微かな音を立てる。里緒が受検する予定の期末試験の科目を一覧にしたものである。ぜんぶで十二もあるが、すでに全教科、“追試に切り替え済”のチェックマークが入っている。
「他の教科の先生方の理解が早くて助かりました。五人ほど、追試の実施に手を回せないという先生がいらっしゃったので、その科目については私が試験監督を代行しようと思っています」
「それがいいでしょう。里緒さんにしても、日頃の授業やホームルームで慣れている須磨先生の方が安心だろう」
「仙台市の教委の方は、あれから進捗はあったんですか」
「メールでやり取りが進んでますよ。今のところ、先方が事態をほとんど把握していないことが確かめられただけですがね」
天童は苦笑した。仙台からの情報共有や引継ぎが期待できないとなれば、やはり自分たち弦国の方で独自に対応していく他ない。副校長の彼にその自覚と行動力があるだけでも救いだと、癖の目立つ天然パーマの髪を眺めながら考えた。
いずれにしても、対応の最前線には自分が立たねばならない。
これで自分が仕事の立て込んでいる多忙な教師だったなら、もっと気持ちに余裕が生まれていなかったかもしれない。人生、どこで何が何に作用するか分からないものである。
「追試もあるわけだし、里緒さんは当分、管弦楽部の方も休まれるとして……」
つぶやいた天童が、壁掛けのカレンダーに目をやった。
「甲子園予選の応援に出られるかどうかも微妙な線ですな」
京士郎も顔を上げてカレンダーを見た。夏の甲子園、全国高校野球選手権の西東京大会は、弦国の期末試験と全く同じタイミングでスタートし、連勝が続けば七月の末まで試合が立て込むことになる。さいわい試験と試合日程は被っていないものの、開会式には出席しないとならないので、試験初日の科目については野球部員たちは全員そろって追試送りになる予定だった。里緒の追試への振り替えをすんなり認めることができたのも、もともと多くの教科で追試の実施が決まっていたからだ。
「そうですね。なまじ注目を集めている分、球場ではテレビカメラに顔を狙われかねませんし……」
京士郎は応じた。『エースの宇都宮誠太郎率いる野球部が』という意味でも、『里緒自身が』という意味でも。
カレンダーを見上げたまま天童が問うた。
「管弦楽部の方は大丈夫ですかね。今回の騒動で相当、動揺が広がっているんじゃありませんか」
う、と京士郎は声にならない声を床に落とした。管弦楽部と関わりを絶っているせいで、そのあたりの事情は少しも掴めていない。
「た、たぶん、大丈夫かと……」
「たぶん?」
「あ……いや、動揺しているとは思います。しかしなにぶん生徒たちの内心のことですから……」
「須磨先生」
とたんに天童は厳しい声を発した。
「しっかりなさってください。顧問をお願いしているんだから。前にもお話ししたと思いますが、うちの管弦楽部の盛衰は須磨先生の手腕にも懸かっているんですよ。生徒の管理やケアだって顧問の仕事のうちでしょう」
京士郎は唇を固く引き締めた。実際に合唱部の部員たちを率いている天童の口からそれを言われると、返す言葉もない。
隣の椅子が空いている。だが、一瞥した天童は腰かけることを選ばず、コーヒーの入ったマグカップを口元まで持っていった。
「個人的な話に立ち入って関わるのは難しいことですし、須磨先生が何かしら事情を抱えておられるなら、私としても深入りしたいとは思わんのですよ。しかし今回は、里緒さんの問題が関わっている。しかも応援演奏の機会も迫っている。我々としても、他人事と思って看過するわけにはいかないんです」
「……申し訳ありません」
「頼りにしていますよ。須磨先生は、我が校唯一の音楽教師なんだから」
柔和な物言いに京士郎は首をすくめた。遠回しに優しい言葉を選んでいるが、天童は京士郎に覚悟を持つよう要求している。それも、念入りに。
あたりを見回した天童はじきに別の教員を捕まえ、話を始めた。デスクの周囲に職員室の賑わいが戻ってきても、京士郎はしばらくぴんと背筋を伸ばしたまま、天童の放った言葉の数々を噛み締めていた。
部の活動に深く関与しないスタイルを京士郎が築き上げたのは、顧問に就任した二年後のことだった。
それまでは、むしろ今とは真逆の姿勢を貫いていた。部活には積極的に顔を出し、練習に口を出し、指揮棒を振って部員たちをリードしようとしていた。京士郎にもそんな頃があったのだ。当時、吹奏楽部や管弦楽部に対して、顧問教師が統率し指導を行うものだという固定観念を持っていたのが大きかったと思う。芸文附属の吹奏楽部で顧問を勤めている矢巾に、少なからず影響を受けていた部分もあるかもしれない。
しかし、指導や活動の方針を巡って部員たちとはたびたび対立した。彼らの間から不満の声が上がってきたのも、一度や二度のことではなかった。
そして二年後、ついに既存の指導スタイルは破綻を迎えた。京士郎は部員たちの側から拒絶されたのだ。『そんな部活は求めていない』『もっと自由にやりたい』と、顧問の関与を否定する申し出を真正面から受けた。そのあたりで多分、心が根元からぽっきりと折れてしまったのだと思う。
管弦楽部は【音楽なんだから楽しくやろう】をモットーに掲げ、今も顧問の手を離れて自由に活動している。顧問の自分がそこにいくら手を加えたところで、きっと部にとって望ましい展開にはならない。今、京士郎はそんな風に考えているし、だからこそ音楽室から距離を置いてきた。管弦楽部の存立を揺るがすほどの問題が起きて、事態収拾のために顧問の存在が必要とされない限りは、このままいつまでも現状維持でいようと思っていた。
里緒の事件は、それほどの混乱を管弦楽部に招いているのだろうか。
否、それ以前に今の里緒は、管弦楽部のなかでどのようなポジションに立っているのか。彼女は何を求められ、何の役割を帯び、クラリネットを吹いていたのだろう。
京士郎は何も知らない。
いつまで知らないままでいられるのかも、知らないのだ。
「なんかこう、楽しいじゃん! 歩いてるだけで心が弾むっていうか」
▶▶▶次回 『C.104 天岩戸作戦──2日目』