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クラリオンの息吹  作者: 蒼原悠
第四楽章 蒼の涙とアイネクライネ
104/231

C.097 罪悪の認識

 





 一連のいじめ報道から二週間が経過した。

 マスメディアの報道熱はようやく沈静化の()に就き始めていた。それは、全校集会に続けて保護者説明会を開いた佐野中学校が、いじめの事実関係をついに認め、さらに追認する形で仙台市の教育委員会が会見を行ったためであった。


 ──『報道されてしまった以上、いじめは事実です。しかし被害に遭っていた生徒、そして加害生徒たちの学年はすでに学校を卒業しており、結果的に問題は()()されたものと認識しています。今後はいじめが他の学年で発生することのないよう、学級運営に全力を尽くします』


 学校側の態度がこれでは、第三者委員会による真相の究明など期待すべくもない。各メディアは社説や解説コメントで『事勿(ことなか)れ主義だ』と痛烈に批判、これに便乗してネット世論も被害者側への肩入れをいっそう深めたが、当事者が口を閉ざしたことで事件の集束がいよいよ遠のいたのは疑いようがなかった。報道機関の中には『被害者側自身が声を上げるしかない』などと静観の構えを取るものも現れ始めた。

 そして、()()()鎮静化は必ずしも()()()鎮静化を意味しなかった。水面下では野次馬的なネットユーザーによって急速に関係者の“特定”が進められ、いじめに関わっていたとされる保護者や中学生たちの個人情報が続々と明かされ、片っ端からネット上に流出し始めていたのだ。

 もちろん、被害者たる瑠璃や里緒の名前さえも含めて。






 昼休みに入って早々、美琴の前の席へと押し掛けてきた菊乃は、しばらく無言のまま手元のスマホのやり取りに意識を向けていた。

 机の上を占拠されては昼食も摂れない。彼女の瞳が徐々に小さく、顔付きが徐々に強張ってゆくのを、美琴は黙って眺めていた。しなやかな指がスマホの画面上を(せわ)しなく駆け回る。長い文面を打っているのは容易に推察できた。


「──そんなに熱心に誰と話してんの」


 耐えられなくなって、尋ねた。(うめ)くように菊乃は答えた。


「今、青柳ちゃんから連絡きてて……」

「自分の席で返信したらいいじゃん」

「…………」

「菊乃」

「……もうちょっといさせて」


 声が弱々しい。快活さが()()の菊乃らしくもない様子に、美琴は噴き出しかけた感情をしまい込みざるを得なくなった。

 ようやく菊乃が返信のやり取りを終え、スマホを机の上に放り出したのは、それから一分も経った頃のことだった。


「……住所、()かれてたんだ。高松ちゃんの」


 ぐったりと菊乃は吐露した。理解が追い付かなくて、尋ね返した。


「なんで突然、住所なんか」

「高松ちゃんさ、先週の土曜日の練習、欠席してたでしょ。試験前最後の練習の日」


 それは、里緒がクラリネットを吹けなくなって菊乃たちに帰宅を指示された、あの練習日の翌日のことである。美琴がうなずくや、菊乃は細い両腕で頭を抱え込み、そのまま机に突っ伏した。


「高松ちゃん、あの日から学校も無断欠席が続いてるんだって。電話にも反応しないし、メッセージ送っても既読つかないし、緊急連絡先にも繋がらない……って」

「緊急連絡先にも?」


 興味を持つつもりはなかったのに、美琴は思わず食い付いてしまった。


「まったく音信不通ってこと?」

「……そういうことなんじゃないかな」


 突っ伏したまま菊乃は返す。その表情の意味をやっと理解した美琴は、自らの顔にもひっそりと寒気のベールが掛けられてゆくのを実感した。

 花音が菊乃にメッセージを送ってきた理由が分かった。二年生以上の部員たちは、ファイル共有ソフトにアップロードされた管弦楽部の部員名簿にアクセスできる。そして部員名簿には、入部届に記入してもらった各部員たちの住所が載っているのである。

 花音は里緒の家を訪問するつもりなのだろう。たとえ電話が繋がらなくとも、家に出向けば里緒の安否は判明する。もしも応答がなければ──。身震いがして、美琴はそこで思考を強引に中断した。


「高松ちゃん不登校か……」


 もごもごと腕のなかで菊乃がつぶやいた。


「弱ったなぁ。もう、これから先ずっと、連絡も声も届かないのかな……。これじゃコンクール練どころじゃないよ……」


 美琴は返す言葉を見つけられなかった。この()に及んでもなお、コンクールのことを気にかけている学年代表の姿は滑稽だったが、それは自分自身も同じだと感じられたからかもしれない。

 だって。

 里緒が管弦楽部に来なくなれば、コンクールでの独奏(ソロ)パートの役割は自分に回ってくる。

 名実ともに美琴が管弦楽部のクラリネットパートをリードする存在になる。

 それは里緒という圧倒的な奏者の登場以来、美琴の日々の努力を支えてきた願望であり、期待だった。分かっていたはずだ。どんな理由であれ、とにかく里緒にリタイアをさせればいいと、つい数日前までの自分が考えていたことなんて。


(あの自信なしの高松に比べたら、きちんと向上心だって持ってる自分の方が奏者に向いてると思ってた。代わってほしい、代わらせたいって、心から祈ってた。それは事実だ)


 美琴は視線を落とした。


(だけど、こんな形で実現することになるなんて、思ってもみなかった)


 美琴が実力で里緒を上回ったわけでも、里緒が正式にコンクール組からの離脱を表明して辞めていったわけでもない。ただ、里緒が部から姿を消して、後釜の位置にいた自分が代わりの座に据えられるだけ。

 こんな顛末を自分は望んでいたのか。

 違うのではないのか。

「ねぇ美琴」と菊乃が苦しげな声を上げた。すがるように手を伸ばし、美琴の手を掴んだ彼女の目は、蛍光灯の白々しい光をしっとりと反射していた。


「あたしたちのせいかな。高松ちゃんが出てこられなくなったのって、あたしたちが何かしちゃったからじゃないよね」

「バカなこと言わないでよ。そんなわけない」

「そうかな……」

「そうに決まってる」


 美琴は言い返した。菊乃ではなくて、自分自身を相手に言い聞かせているみたいだった。──だって、あれだけ連日のようにいじめの報道が流れていたのだ。学校中の生徒や教師が里緒を噂していたのである。里緒を追い詰めうる要因など、他にいくらだって思い付く。

 掠れた声で笑った菊乃が、美琴の手をそっと握り直した。


「あたし、ちょっと後悔してるんだ。最後に部活に来たあの日、クラ吹けなくなっちゃった高松ちゃんのこと、さっさと家に帰さなければよかったかなって。休むことばっかり強要しないで、少しくらい余裕を持って付き合ってあげればよかったなって……。だってあの高松ちゃんだよ。そこらへんの高校生クラ吹きじゃ比較にさえならないような演奏する子だったんだよ。そんな、ちょっとやそっとのことで吹けなくなるわけがないし、吹けなくなるほどの何かがあったってことじゃん」

「菊乃……」

「考えてみたらあたしたち、あの子に何が起きてたのかも知ろうとしてなかったし、あんまり気も配れてなかったよね……。やっぱり、あたしたちがいけなかったのかな」


 唇を噛み、菊乃はうなだれる。およそ活力の感じられないその言葉に、気付けば美琴は必死に深呼吸に励んでいた。不快な香りの空気が胸いっぱいに溜まっていて、息を()いてもちっとも流れ出してゆかなかった。




 菊乃は的外れなことを言っている。

 あたし()()、ではない。


(私だ)


 犯人は菊乃でも、部長(はじめ)でも、一年生たちや他の上級生でもない。──美琴自身だ。

 なぜかその一瞬、わけも分からないのに、美琴は自分を悪者に仕立てたくてたまらなくなった。掴みかけた負の感情はたちまち指の間を抜け、その冷たさを実感する前にどこかへ流れ落ちてしまった。








「私と西元の手で、里緒ちゃんのこと絶対に連れ戻してみせるから」


▶▶▶次回 『C.098 あてのない捜索【Ⅰ】』

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