あねとおとうと 1
本日2話目
家に帰ると母親は鼻歌を歌いながら流し台にたっていた。
「ただいま。ご機嫌だね」
「あ、おかえり」
そーお?と嬉しそうにその濡れた手を頬に当てる。
「なにかあった?」
「今日は、有生がね」
とそこまで言ってから母は口をつぐむ。
「ごめんね。なんでもないわ」
それでもご機嫌な様子を見て悟る。
同じ兄弟であっても私は有生に何かをすることはなかった。どうしたらいいのかわからなくて逃げていたというのが本音だ。
今更、どうかかわればいいのかがわからない。
母はそれがわかっていたのだろう。私の前で有生の名前を出したのはいつ振りだろう。
父はいない、そして私は有生を避けた。
ずっと、有生に対する心配も不安も、言う相手はいなくて一人で家を守っていたのだと思うと、自分がとてもとても幼い生き物に思えた。
「なに?有生がどうしたの?」
すこしだけ早くなる鼓動を隠して大したことなんてないように言うと母は少しの間固まる。
目を見開いて、そして、包み込むような笑みを浮かべた。
「有生のね、好き嫌いが減っているみたいで。今日は人参まで食べていたのよ」
野菜嫌いの有生がどうしても食べれないといっていた最後の野菜が人参だったのを知っている。
そして母は毎日人参のはいった料理を作っていたのを知っている。
有生の残した残飯をいつも悲しそうに片付けていたのを知っている。
引きこもって顔もみせなくなった弟にずっと母親はごはんだけはすべて手料理だったのも知っている。
私にしろ、有生にしろ、父にしろ。
見捨てられても文句は言えないことをしているのに、母親というのは偉大だと感じずにはいられなかった。
「もう好き嫌い、ないね。有生」
「そうねぇ。志乃はもともとなかったものね」
「うん」
「志乃はそろそろ料理、一緒にしようか」
「料理ならできるよ」
「あら、本当?それは食べてみたいわね」
「しないだけー」
「たまにはしていいのよ?」
「おかあさんのほうがおいしいもの」
「えー?」
くすくすと笑いながらそんな母の姿がまぶしく感じた。
「ね。おかあさん」
「なぁに?」
「有生と話そうと思うの」
見開いた目をそのまま見返す。
「私は弱虫だから、有生に話しかけることに臆病風が吹かれそうなの。大丈夫って言ってくれない?」
少しだけ久しぶりに母に甘えると一瞬驚いたような顔をしたのちに当然というように大きく頷いた母は大丈夫、と言ってくれた。
「志乃と有生なら大丈夫よ。だって2人とも、おかあさんの自慢の子供たちだもの」
断言するようなその言葉が暖かくて、優しくて、たぶん一生、この人にはかなわないんだと確信した。
■母
多分物語の中でまともなはずの人
■志乃
母親の料理の味が好きなためきっと料理はしない。できるが、生きるための料理の分類で見た目がよかったり特別おいしかったりということはない。




