第九話 特訓の後はお泊まりで
雪城とメルは一体どんな関係なのだろうか。ただの雇い主と使用人ではなく、もっと深い繋がりがあるようなそんな気がする。
そうでなければ、雪城の意見の全てを受け入れられるはずがない。
俺と雪城は、応接室でメルが紅茶を淹れてくるのを待っていた。陽は傾き、辺りはほんのりと薄暗くなっている。時刻は十七時だ。
俺は雪城と対面のソファーに座り、現状を尋ねる。
「この街に魔法使いってどれくらいいるんだ?」
「………………三人……たぶん」
雪城はソファーに深く背もたれ、ちょっとだけ目を泳がせた。
三人? 雪城に諏訪、それとメル。これで三人だ。
俺、全員と会ったことあるな。いくら何でも少なすぎないか。
「たぶん? たぶんってなんだ? お前ってこの土地の管理者――」
「うっさいわね! わかってるわよ! けど、そう簡単にしっぽなんて掴ませないのよ。あの隠魔師たちは!」
この土地の管理人である雪城が認めていない魔法使いは隠魔師と呼ばれ、勝手にこの土地に居座っている状態らしい。
雪城の言い分では、隠魔師は勝手に魔力を使っているから、泥棒だと。
「だったら、認めてやれば良いんじゃないか?」
「いやよ。そんなコトしたら、我が物顔でやりたい放題。諏訪みたいになるわよ。だから、極力、誰も認めたくないの」
雪城が誰も許可しないなら、みんな泥棒になるしかない。
「まあ、とにかく三人って言うのは、お前の理想値であって、現実ではないってコトだな?」
「ま、まあ、そうね……でも、見かける度に追い出しているから、いても数人でしょうね。……今回、神器達が契約するのはそいつらだと思うから、一掃するチャンスだわ!」
なんだか、嫌な予感のする話だ。
神器は俺のを除くと、あと六つ。最低でも六人の魔法使いが必要になる。
「……この街に、魔法使いが六人もいなかったらどうなるんだ? 別の街にいる魔法使いになるのか?」
「ないわ。絶対にこの街にいる人間。絶対にこの街からは出ていかない」
別の街の人間もありそうなものだが、雪城がはっきりと言いきる以上、なにかしらの確証があるのだろう。――となるとやはり。
「相手は俺と同じ、一般人なのか?」
雪城は真剣な顔で小さく頷いた。
胃がキュと締め付けられる。正直、相手は魔法使いだと思っていた。
相手が素人となると、話が全然違う。
二十万人もいるこの美沢市で、知り合いという可能性は低いだろうが、それでも、無関係な人間を巻きこんでしまった感はある。
だけど、魔法使いでないなら、戦う以外の方法で解決はできるかもしれない。
「余計なことは考えないで。神器を持っているなら、素人でも危険な存在よ。話し合いでどうにかなるとか思わないで」
「……お、思ってねえよ」
見透かされたような気がして、恥ずかしくなった。
「でも、問題はそっちじゃない」
「……?」
「諏訪の性格からして、私が神器を集められなかったら、本気で来るわ。仲間である魔闘師たちを連れてね。その期間が一週間しかないのよ……」
雪城は神器のマスターよりも、期限切れの心配をしているようだ。
「いくつか神器を集めたら、諏訪や魔闘師に勝てるようにならないのか?」
「一人や二人ならなんとかなるかもしれない。でも、相手は世界最強の魔法使いギルドよ。それに……残った神器を魔闘師に取られたら、話にならないわ」
素人の俺がソードの力を借りるだけであんな力を持てるんだ。
諏訪が神器を手にしたら、俺なんかが太刀打ちできるはずもない。
「期限内に神器を全て集めるのが、最優先というわけだな?」
「そうよ。無理なら神器を持った魔闘師に勝てるようにならなければいけない。それが私たちの生き残る最低条件ね」
諏訪と同じような強さの奴らが、この美沢市に入ってくる。
それまでの期間は一週間、たった一週間だ。短すぎる。
「でも、安心して。一週間もあれば、けっこう強くなれるはずよ」
「そうなのか?」
「ええ、だって教える人間が優秀ですもの」
雪城がエヘンと胸を張り、にこりと笑う。
呆れるほどの自画自賛だが、逆にその強気な姿勢が今はとても頼もしい。
話が一区切りしたところを見計らってか、いいタイミングでメルがポットとテーカップをトレイに乗せてもってきた。
「お待たせ致しました」
メルは俺たちの前にティーカップを並べ、ポットから紅茶を注ぐ。
淹れたてのお茶からはとてもいい匂いが漂ってきた。
雪城はメルに礼を言い、紅茶を口にして俺を見る。
「お茶は飲めるから、安心して」
なんだか気になる表現ではあるが、雪城と同じポットから出されたものだ。危ないものではないだろう。どんな味なのか、ドキドキしながら口にする。
その瞬間、口いっぱいに広がる風味の良さに思わず感嘆の声が出た。
俺をにこやかに見つめて、雪城がカップを置く。
「さて、忘れているだろうけど、修行は始まっているのよ」
その声共に、俺の視界がぐるぐると回り、意識が遠くなっていく。
まずい。仕込まれていたのは、ティーカップの方だったか。
どうやら、俺はまた嵌められてしまったようだ。
※ ※ ※
「……羽君……赤羽君! 気絶しないでしっかり意識を持ちなさい!」
どれくらい気を失っていたのかわからないが、雪城の声で目が覚ます。
俺はソファーで横になっており、目の前には雪城の顔があった。
長い睫に大きな瞳、透き通るような肌。美しいとしか表現できない雪城の顔に、俺の心臓は爆発寸前。
慌てて体を起こそうとするが、また目が回り気を失いそうになる。
「深呼吸して、魔力を落ち着けなさい。体が水に漂っているイメージよ」
目が回る中で無茶なことを言うな。できるはずがない。
それでも多分やらないとこの目が回るのは収まらないのだろう。
言われるがまま、目をつぶり深呼吸を何度もすると、目眩が少しずつ消えていくような気がした。
「できたみたいね。よかったわ、おめでとう」
俺は少し体を起こす。スッキリと目眩は収まっている。
「なんだったんだ? 今のは……」
雪城が俺の様子を眺め、安心したように微笑む。
「さっきのお茶には魔力を促進させる働きがあるのよ。魔力を上手く回せる人にはなんの影響もない。だけど――」
「回せないと、俺みたいに目を回すわけだな?」
「そういうこと。なかなかシャレの効いたギャグじゃない」
クスッと雪城は楽しげに笑う。
それから後ろに立っているメルに雪城が目を向ける。
メルが一歩前に出て、俺の手を握った。
柔らかい手の感触に胸がドキドキと音を立てる。
つい、変な期待をしてしまう。
しかし、雪城から出た言葉は物騒なもの。
「そのまま、次のステップへ行くわ。痛いかもしれないけど、安心してね」
「ちょ、痛いけど、ってなにを安心すればいい――――はがががががっ!」
話している最中に、全身に電気が走ったような気がした。
俺の手を握っていたメルが、なにかをしたのだ。
「どうメル? 眠ってる力はあった?」
興味に満ちた雪城の声。
そんな雪城たちの顔を見るのが億劫になるほど、体はしびれ上手く動かない。
「予想を遙かに超えていました」
「え? ま、まさか、そんなにすごいの?」
「いえ、逆です。全くダメですね。才能も実力もなにもかも……どうして手を組まれたのか正直わからないレベルです」
「まあ、そうでしょうね。血統もない素人だし……ひどくて当然よ」
おいおい、俺ってそんなにひどいレベルなのか。
伝説の勇者クラスは期待しないが、『なっ! ウソでしょ! なんなのこの才能は!』くらい驚きと意外性があって欲しかった。
そう考えるのは、厨二病なのだろうか。
気怠さと全身を覆う倦怠感で瞼が重くなり、周りの声が遠くなっていく。
「ですが……この数値だけは……」
「なっ! う、ウソでしょ……どうして……適合……」
そんな驚きの声が聞こえてきたが、俺には顔を上げる力も残っていなかった。
初日からこんなんで、俺は諏訪に勝てるようになるのだろうか。
※ ※ ※
何をされたのか覚えていないほど、様々なことを試された気がする。
時間はすでに二十三時を過ぎていた。さすがに厳しい。
「赤羽君、お疲れ様、今日はこの辺にしておきましょうか」
明るく雪城が俺に話しかけてきた。
その声を受けて俺は応接室のテーブルに倒れこむ。
体はすでに限界に達し、すぐにでも倒れてしまいそうだ。
魔法を教えてくれると言っていたのに、やったことは肉体改造と座学のみ。
普段使わない魔力源とやらを無理矢理たたき起こし、活発に動かすというものだった。
当然、無理をしたので、全身が激しい痛みを伴い、気持ち悪かった。
いや、気持ち悪くなったのは、メルが用意してくれた夕食のせいかもしれない。
ある意味、今日一番きつかったとも言える。苦いとかまずいとかそんなレベルじゃない。想像を絶する味だ。思い出すだけで胃がきりきりと音を立てる。
修行よりもきつい料理ってどうなんだ。
いや、もしかしたら、まずいのは魔力向上の効果があるからかもしれない。
夕方のお茶だって、魔法使いにとっては普通らしいし……
「って、そんなわけないな……」
雪城は適当な言い訳をして食べなかった。
それってつまり、そういうことだろう。まずい料理だと分かっていたのだ。
『お茶は飲めるから、安心して』と言われたときに気づくべきだった。
お手伝いで料理が下手って、相当やばいだろう。
そんなことを考えつつ、応接室のテーブルに突っ伏していると、メルが顔を覗き込んでくる。
「もう遅いですし、泊まっていかれてはいかがでしょうか?」
メルの隣に雪城がいて、腕を組んで俺を見ていた。
痛みなど忘れる勢いで顔を上げる。
「なっ! そ、それはさすがにまずい。だ、第一、雪城が許してくれねえよ」
「……なんで? 私は別に構わないわよ。客室を自由に使ってちょうだい」
「ということで、許可も出ましたし、いかがでしょうか?」
体もボロボロに疲れていて、正直、すぐにでも眠れると思う。
しかし、それはあくまでも自分の家の場合だ。
雪城と同じ屋根の下で寝て、果たして俺はすんなり寝られるのだろうか。
ラッキースケベは期待しないにしても、なにかイベントがあるかもと、ドキドキしてしまい頭と体が目覚めてしまう気がする。
ふむ、と俺は考え込む。
「赤羽君? 遠慮するのはわかるけど、今日は結構無理しているから、ここに泊まった方が良いわよ? 何かあっても対応できるし……」
心配そうな顔で雪城が俺に告げた。何かあるって何があるのだろうか。
非常に恐い。うん、これは泊まった方が良いな。
「……だ、だったら、泊まっていこうかな」
「かしこまりました。着替えを用意しておきますね」
「着替えもあるのか? ありがとう!」
「はい、女性ものですが……よろしいですね?」
「いいわけないだろう!」
本気か冗談かわからないメルに、本気で突っ込んでしまった。
※ ※ ※
泊まる部屋として、メルに案内されたのは客室の一つだった。
応接室には及ばないもの、客室もまた豪華な造りだ。
てきぱきと支度を済ませ、さっさとメルが出ていく。
それを見送り、俺は部屋の中を色々と見て、騒ぎまくったあと、誘惑には勝てず、豪華なベッドにダイブする。
ふかふかでいい匂いがする。羽に包まれているような幸せな感触。
やべぇ、超気持ちいい……睡魔はすぐに襲ってきた。
だが、さすがに風呂にも入らず、寝るのはまずい。
飛び込んだあとに言うのもなんだが、シーツを汚してしまう。
「とっとと風呂に入るか」
痛む体を我慢しながら、浴室へ向かい、ドアを開ける。
中には、頭にバスタオルを巻いた全裸の雪城が後ろ向きで立っていた。
水滴をはじき、吸い付きそうな白い肌。
しなやかでまるで無駄な贅肉のない引き締まったウエスト。
そこに連なるのは、ツンと引き締まった健康的なお尻。
股下から、生える足はまるでモデルのように細く長い。
健全な男子高校生なら鼻血ものだろう。
だが、雪城の体はそんなものを超越していた。
厭らしい気持ちなど微塵にも感じさせない。まるで芸術品。
完璧な美がそこにあり、食い入るように凝視してしまった。
「あああ、アンタねぇ――」
気がつけば、雪城が顔を真っ赤にして俺を睨んでいる。
時間を忘れて魅入ってしまったようだ。
「誤解だ! 本当に誤解だ! 別に覗こうと思って覗いたわけじゃねえ!」
「いいからっ! さっさと出ていって!」
洗濯かごを投げつけられ、俺は洗面所から追い出された。
逃げるように客室に戻り、心臓を落ち着かせる。
それから、雪城の裸を思い出し、悶々とした時間をつぶし、雪城が浴室にいないことを確認した俺は、ようやくお風呂にたどり着けた。
お風呂場も想像通りの豪華さだった。
風呂からあがると、下着と着替えが用意されている。
「よかった。男性ものだった」
メルが用意してくれたようだ。代わりに俺が着ていた洋服もなくなっており、洗濯をしてくれるに違いない。料理以外は本当に完璧な人だ。
部屋のベッドで横になると、さっき見た雪城の裸が再び鮮明に思い出される。
上気したきめ細かい肌。どこまでも、変な想像をかき立てていく。
今になっても、興奮で鼻血を吹き出しそうになる。
「ああ! だめだ。変な想像するな!」
わざとではないとは言え、裸を見たのは確かだ。
やはり一度、きちんと謝っておこう。
俺は雪城の部屋へ向かった。
部屋の前に着くと、人の気配がし、声が聞こえてくる。
よかった、まだ起きているようだ。
「なあ、雪城、ちょっといいか?」
俺はノックをして、部屋を勝手に覗く。
するとなぜか、ベッドでメルが雪城の上に覆い被さっており、雪城は我慢するような小さな嬌声を溢していた。やばい、見てはならない場面だ。
急いで部屋から出ようとしたところで、二人と目が合う。
「あっ……」
お腹付近はシーツで隠れているが、二人ともおそらく全裸だ。
お風呂場で見た雪城の裸も美しかったが、メルだって負けていなかった。
豊満な胸から零れるスレンダーなナイスバディ、ボンキュボンだ。
そんな二人がベッドでまぐわっていれば、結論は一つ。
「……もしかして同性愛?」
「ち、違うわよ、ばかぁ! ご、誤解しないで!」
雪城は急いで体を起こそうとすると、メルが乗っているためうまく動けない。
そんな様子を見て、雪城とメルの関係性が理解出来た。
二人は愛し合っているのだろう。だから、メルは愛する雪城のために全てを投げ出して守ろうとしていたのだ。
俺の出る幕じゃない。俺はそう納得させて、努めて作った笑顔を向ける。
「い、いや、俺、そういう事に偏見はないから! すまん、本当に悪かった!」
俺がドアを閉め廊下にでると、慌てた顔をして雪城が部屋から出てきた。
もちろん全身裸だ。形のいいおっぱいが、ツンと上を向いている。
目のやり場に困り、体ごと後ろを向く。
「本当に誤解なんだって! ……あ、あの……お願い、わかって!」
「わ、わかったから、部屋に戻ってくれ!」
「わかってないじゃない! だからこっちを見ないんでしょ!?」
とても悲しそうな雪城の叫びだった。
なにが誤解かよくわからんが、誤解されたことが辛いのだろう。
しかし、俺は振り返るわけにはいかない。
「違う、それは本当に違うから……」
「誤解してないなら、こっちを向いてよ! きちんと私を見てよ!」
「だって……お前、裸だぞ?」
ひっ、と小さく悲鳴が聞こえて、バタンと激しく音を立てドアが閉まる。
雪城の部屋から、羞恥に満ちた叫び声が響いてきた。
お風呂場で覗いたことを謝りに来たら、もっと状況がやばくなった気がする。
明日改めて謝ろうと、俺は部屋に戻った。
余計に変な気分になってしまったが、無理に目を閉じる。
しかし、それを遮るように、激しくドアをノックされた。
黄色いパジャマに着替えた雪城が客室に乗り込んできたのだ。
まだやる気なのか。
「だから、違うの! 本当にそう言うのじゃないの!」
部屋に入ってきて早々、雪城が叫んだ。
「……だったら、どういうことなんだ?」
「い、今はまだ言えないけど……とにかく違うのよ!」
体をプルプルと震わせ、顔を真っ赤にして俯いている雪城。
本当に誤解で、なにか深い事情があるのかもしれない。
「わかった。二人は同性愛的な関係ではない」
「ほんと? すごく棒読みな気がするけど……」
「キノセイデス、ソンナコトハアリマセン」
「やっぱりわかってないわよね!?」
「わかってない。だから、二人の関係が理解できるように努力するよ」
「だから、そうじゃないって言ってるでしょ!」
激しく動揺した雪城が怒鳴り散らす。なんとか雪城を説得して、部屋に戻ってくれた頃には明け方になっていた。
本当に同性愛ではないようだが、二人の関係は最後までわからないままだった。とにかく、雪城とメルは信頼し合っている。
わかったことはそれだけだった。だったら、俺にもチャンスがあるのかな。
そう考えると、雪城と同じ部屋で一晩過ごせたのは、嬉しいことだ。
しかし、望んでいた形とは違う。むしろ、お泊まりでこんなイベントは嫌だ!
もっと色っぽい展開が良かったのに。そんなことを後悔しつつ、学校の時間まで少しだけでも寝ることにした。
これが最初の一日。こんなことで、一日が終わってしまった。
諏訪との約束まであと六日。残りの神器もあと六つだ。