第五十話 避けられない決断
玲菜を助けるには死ぬしかないと突きつけられた。玲菜も大事だし、命も大事だ。
どちらを選んでも後悔するなら、俺は自分が助かる道を全力で突き進む。
死んで何も出来ずに後悔するより、生きて助けられる方法を見出したいのだ。
そもそも、話がおかしい。レガリアを奪われた詩子は生きている。死ななくてもレガリアを取り出す方法があるはずだ。
「織辺、お前が俺を殺したい気持ちはよくわかった。だけどな、ウソをついて玲菜を騙すのはやめろ!」
「ウソ? 儂は何ひとつウソなどついてはおらんが?」
「ふ、ふざけるな! 詩子からは殺さずに奪ったじゃないか!」
「……そう言う勘違いか。残念だが、お主の中にあるレガリアの欠片は簡単には取り出せん。まあ、そこから話してやるか……」
織辺はレガリアの状況を語り出す。まとめるとこんな感じだ。
レガリアの各部位は、脳、心臓、神経の三つだ。
詩子が持っていたのが、脳。魔法使いでもない詩子が、魔法語が自由に扱えるようになるほどの知識量だ。
織辺が持っているのが、神経。脳と心臓を繋ぐ血管のような働きだ。単独ではほとんど力はないが、魔力の流れや質を変動させ、レガリアの全ての力を使うには必要不可欠なものらしい。
そして、俺が持っているのが、魔力を貯蔵する心臓だ。言葉通りに心臓と一体化しており、俺に絶えず大きな魔力を送り込んでくれる。
ただし、所有者の生来の魔力と結合してしまうので、誰かに譲るには心臓ごと相手に渡すしかないらしい。
「心臓を取り出されても、生きている不死体であれば話は別だがな……ほら、レガリアは目の前だ。玲菜、何をすべきかわかるな?」
「わ、私は……」
玲菜は俺を一瞬見て、すぐに眼を逸らす。
強く噛み締められた唇から、玲菜の無念が痛いほど伝わってきた。死んでくれとは言えないのだろう。少しホッとしたが、問題は解決しない。俺から取り出さないとレガリアは完全な形にはならないのだ。
俯いた玲菜をしばらく眺めていた織辺がため息を吐く。
「答えをだせんとは、な。……やはり、儂が殺すか。……玲菜、邪魔をするなんて、愚かな選択だけはするなよ!」
織辺がそう言うと視界から一瞬にして消えた。ソードの『強化』すら受けていない俺では、眼が追いつくはずもない。
不意に目の前に現れた織辺。俺を強い力で吹き飛ばし、追い打ちをかけてくる。
ソードを取り出し迎え撃とうとするが、間に合わない。
「は、春馬っ!」
玲菜の悲鳴のような声が響く。織辺の手刀が俺の腹部に向かってくる。
手刀は俺の腹部を引き裂――かなかった。
「残念だったわね。私のことを忘れないでもらえるかしら?」
「れ――っ、蛍火!?」
玲菜が助けてくれたかと思ったら、蛍火だった。俺の前に立ち、織辺の攻撃から守ってくれたのだ。蛍火は尻目に俺を見て、ニコッと微笑む。
「雪城さんじゃなくて、ごめんね。だけど、安心して。私の前であなたを傷つけさせない。例え、どんな事情があろうともね」
心から頼もしいと思える声。
まさか、蛍火が助けてくれるなんて夢にも思わなかった。
立ちはだかる蛍火に、織辺は怪訝な顔を向ける。
「やはり、小僧とお主はグルだったのか?」
「さっきの質問はあなたが正しいわ。彼を連れて来たのには他意があった。私の任務は兄様を止めることじゃない。レガリアを見つけ出すことよ」
「訳知り顔でいろいろと詳しいと思ったが、そういうことか。最初からレガリアを狙っていたのだな?」
「別に狙ってはいないわ。居場所を探したいだけ。そして、持っている最有力候補が赤羽君だった。だから、この場所に連れて来たのよ。兄様と戦わせれば、何か証拠を出すかもしれないって思ってね」
「それでまんまと儂がここに呼び出され、小僧が『サード』を発動させた、と……」
「ええ、おかげで、誰がレガリアを持っているのか、レガリアがどういう状況なのかを把握できた。任務はほぼ完遂できるレベルまでね」
「それはよかったな。それで後は何が望みだ?」
「別に何も。これは雪城家の問題だし、雪城さんが手を下す分には放置しようと思った。だけど、部外者が手を出すなら、私は赤羽君をを守るわ。兄様を見逃してくれた彼を殺させはしない」
「……お主がどんな思いなのかは関係ない。阻むなら、お前も儂の敵じゃ。協会を敵に回しても、ここは譲る気はない!」
「協会の心配なんてしなくてもいいわ。――だって、あなたは私には勝てないもの」
「ほざくな小娘よ! 我が力を見せてやろう!」
織辺は勝ち誇った顔で、隠し持っていた三つの神器を取り出し、自分の前に浮かべる。アミュレット、ローブ、ピアスが金色に輝き始めた。
そして、織辺の魔力はゆっくりと、確実に巨大になっていく。
神条を上回るかも知れない大きな魔力を身に纏い、織辺が蛍火を睨み付ける。
「最後の通告だ。退かぬならなら殺す。どんな手を使ってでもな」
「へぇ、結構な魔力じゃない! でもね、できるものならやってみなさいよ!」
突然、横に伸ばした蛍火の右手に、高級そうな杖が顕現した。
膨らんでいく蛍火の魔力が、その杖に呑まれていく。
大きな光を放つと、それを機に二つの魔力が雄叫びを上げ、ぶつかりあう。
蛍火と織辺の戦いが始まる。
※ ※ ※
二人の戦いは熾烈を究めていた。
織辺は三つの神器を操り、多彩な技と力を見せつける。
だが、蛍火も負けてはいない。神条を圧倒したときに見せた、内から湧き上がる膨大な魔力が、織辺を押さえ込んでいく。
この二人とまともに戦おうと思ったら、サードを発動しないとおそらく無理だろう。とんでもない力の持ち主たちだ。
そんな戦いも派手な爆発音を轟かせ、ついに終わる。
蛍火の杖から強烈な魔弾が放たれ、それをマトモに浴びた織辺が、地上に叩きつけられたのだ。
「ぐぐぐ……」
織辺は肉の焦げた臭いを漂わせながら、右腕を押さえ、なんとか体を起こす。
見上げた視線の先には、蛍火が悠然と浮かんでいる。
蛍火は大きく息を吐くと、肩にかかった長い黒髪を払う。
「――ごめんなさい。思ったよりも手強くて、手加減し損なったわ」
「言ってくれるな、魔闘師風情が……」
苦痛に顔を歪めながらも、織辺の眼には戦意が籠もっている。
そんな織辺に向かって、やめるように蛍火が手を伸ばした。
「あなたに恨みはないわ。赤羽君を諦めるなら、これ以上の追撃はしない。大人しく引き下がってくれない?」
「……ふ。お前は一番大事なものが目の前にあって、命惜しさにそれを諦められるのか?」
織辺の問いに蛍火は小さく落胆の息を吐く。
「命よりも大事、か。だったら、死ぬしかないわよ?」
「やってみろ。儂は最期まであがいてやる。どんな手を使ってでもな!」
死をも恐れない織辺の発言に、蛍火の方が眉根を寄せた。最初から蛍火は殺そうとは思っていなかったのだろう。諦めない織辺に少し動揺しているのが窺える。
しかし、それはほんの少しの間。
大きく深呼吸をすると蛍火の目がスッと細くなる。
「覚悟は見事ね。殺す気はなかったけど、次に敵対行為をしたら、そこで殺す。遠慮はしないわ」
殺す覚悟をしたのが見てとれた。しかし、蛍火の脅しを聞いても、織辺は臨戦態勢を解こうとはしない。今にも蛍火に襲いかかりそうだ。
その時、大きな声が木霊した。
「織辺さん、待って! お父さんは織辺さんがこんなところで命を投げても、決して喜ばないはずだわ!」
「……玲菜よ、お主は勘違いしておる。レガリアとは、雪城の人間が三百年この街を守り続けた証だ。お主の祖先の全てがそれを守り抜くために命を賭けてきた。決して軽いものではないぞ?」
「――っ」
「当主として自分が何をするべきか、しっかりと自覚しろ。つまらん男のために自らの命を危機にさらすような真似、絶対にしてはならんのだ。いいな?」
「は、春馬はつまらん男なんかじゃ――」
いつの間にか玲菜と蛍火の後ろで守られる形になっていたが、俺はそれを押しのけ前に出る。これは俺が一番嫌う展開だ。
俺の為に他の誰が死ぬことなろうしている。黙ってなんか聞いていられない。
織辺が自分勝手に俺のレガリアを欲しがっているなら、突っぱねられた。だけど、違う。アイツだって、玲菜のためにレガリアを集めているなら、俺と願う先は同じのはずなんだ。
「玲菜もう良い。蛍火も下がってくれ。もう大丈夫だ。後は俺がやる」
「春馬……」
「平気なの? 織辺さん、まだ余力は残っているわよ? 今のあなたでは厳しいレベルの力をね……」
不安な顔で俺を見つめる玲菜。
そして、心配そうに声をかけてきた蛍火。
そんな二人を交互に見て、俺は笑みを浮かべる。
「大丈夫だって。アイツと戦う気はない」
「…………そう、何か考えがあるって言うのね」
「そういうコトだ」
俺はそれだけ返事をすると、織辺に一歩近づく。
それに応えるように織辺も踏み出した。
「死にに来たのか、小僧よ。ひどく痛んでいるが、魔闘師の娘が言ったようにお主を殺す程度の力なら十分にあるのだぞ?」
「わかってるよ。俺には戦う力もない。『サード』の力だって、玲菜が力を貸してくれたから発動できた。そうだろ?」
「ふむ。バカではないようだな。ならば、儂に殺されたいのか?」
「……うっせえよ! 織辺のおっさん! アンタが玲菜、そして、雪城家の人間を大事に思っているのはわかった。だけどな、玲菜にそこまでの想いを押しつけるのは間違ってるだろ! どっちに転んでも玲菜は喜ばねえ……いや、それどころか一生のトラウマになっちまう」
「は、春馬……」
「この美沢市の現当主、雪城玲菜ってヤツはそんな人間なんだよ!」
「キレイ事を抜かすな! お主からレガリアを取り戻さなかったら、玲菜は一生雪城家の当主として正式に認められんのだよ。誰からもな」
「だったら、俺が認めさせてやる。どんな方法を使ってでも、アイツが当主にふさわしいって認めさせるんだ!」
「……下らん感情論だな。具体的な方法はなんだ? 弱った儂にも勝てんお主風情に、何が出来るというのだ?」
「まずはアンタからレガリアを奪い取る。その上で、俺がレガリアを自由に使いこなしてやるよ」
「……やはり、貴様、そこの魔闘師の女とグルか? 最初から玲菜から全てを奪い取るつもりで……?」
「ふざけるな! そんなこと俺がするわけねえだろ!」
「だったら、なぜ、お主がすべてのレガリアを集めようとしているのだ? 魔闘師、いや、協会と繋がっていないのであれば、関係ない代物だろ?」
「俺が玲菜と一緒になって、この街を守っていくんだよ! 俺の人生の全てを賭けてな」
「は、春馬!? あ、アンタ、そ、そそ、それってプロポーズ……?」
「そそ、そんなことじゃねえ……いや、そんなこともあるのか。ああ、どうでもいい。恋愛とか関係なしに、俺がずっと玲菜の傍にいて、守っていくんだよ!」
「ふん。そんな話が信じられるか。それが事実だとどうして言える?」
「だったら、玲菜。お前が決めてくれ。俺が騙していると思うなら、ここで俺を殺して、レガリアを手に入れろ」
「わ、私は……」
「玲菜よ。感情に流されるな。レガリアを此奴から奪わねば、お前がレガリアを手にすることは出来なくなるのだ。殺せ、そいつを殺して、心臓からレガリアを抜き取るのだ」
織辺の言葉にハッとして、玲菜はゆっくりと俺を見る。
その目は凄く落ち着いていた、何かを決意しているようだった。
「春馬……私がレガリアを返して欲し言っていったら、死ぬことになるのよ? わかって言ってるの?」
「当たり前だ。まだお前と一緒にいて、一週間程度しか経ってないけど、俺はお前を信じている。お前が出した答えが、俺から奪うことだって言うなら、俺は喜んで命を捧げられる」
「――っ、本当にバカなんだから……」
顔を真っ赤にして玲菜は俯いた。もじもじとどこか恥ずかしそうだ。
そんな玲菜に向かって織辺が声をかける。
「玲菜よ。其奴は命を投げ出してくれると言っているんだ。遠慮なく殺して奪い取るがいい。それでお主は名実ともにこの街の管理人になれるのだ!」
織辺の真剣な叫びを聞いて、玲菜ははっきりと首を横に振る。
「……織辺さん。ごめんなさい。やっぱり私にはこの春馬を殺せない。レガリアはずっと欲しかったけど、無理なのよ」
「――っ、だったら、レガリアはどうするつもりだ? 雪城家がずっと守ってきたこの土地を、むざむざと手放す気か?」
「いいえ。そんな気は全然ない」
「そんな気はなくても、レガリアもなしじゃ、この街を守りきれない。それはわかっているだろ? だから、其奴を殺して、レガリアを奪うしか――」
「違うわ。それは違う。レガリアがないと駄目なのはわかるけど、春馬を殺さずに、レガリアを取り出す方法だって絶対にあるはずよ。そのために春馬には馬車馬のように働いてもらうけどね」
玲菜はニコッと微笑み、片目をつぶった。なんだか凄い宣言だ。
「殺されるより惨い目は勘弁して!」
玲菜の答えに織辺は全身を震わせる。まさに怒髪天と言った状況だ。
「ふ、この大バカどもが……そんな方法があるならとっくにやっておる! ないのだよ。絶対にない。そんな方法は不可能なのだ!」
「おじさん。私を心配してくれて嬉しいわ。でも、もう後は私が自分で決めて歩いて行く。おじさんはもうお父さんからのお願いに縛られないで、自由に生きていって……」
「ふざけるなっ! そんなことができるはずがなかろう!」
織辺は叫びを上げて、魔力を高め始めた。命を削っているのがわかるほど、さっきまでとは比べものにならない量。
「な、なんて魔力だ……アイツ、死ぬ気だぞ……」
「わかってるわよ。――織辺さん! もうやめて!」
玲菜の叫びにまったく耳を貸そうとしない織辺。大地を揺るがし魔力はだんだんと大きな魔法へと変貌を遂げていた。このままじゃやばい。
俺はソードを構える。強化を発動させようとしたのだ。しかし、魔力がうまくまとまらない。自分で思っているよりも、サードを発動させたことが負担になっているのだろうか。
流れ落ちる冷たい汗。目の前がクラクラとしてくる。目の前では今にも織辺の魔法が発動しそうな状況。倒れそうになったところで、閃光が走る。
「これでも喰らいなさいっ!」
蛍火の放った大きな一撃が、織辺の魔力をかき消し、辺りを圧倒的な眩しさで包み込んだ。光がなくなり、周りを確認するとそこには織辺の姿もなかった。
「お、織辺はどこだ?」
「逃げちゃったみたいね。魔法を避けられたのがわかったわ」
織辺が魔力を高めていた場所の地面が抉れている。その横も地面が砕け、魔弾の後がくっきりと残っていた。それを蛍火が指差し肩を竦める。
どうやら、あの砕けた部分が蛍火の放った魔法らしい。なんだか妙な形だ。
玲菜はその形を見て、小さく鼻で笑う。それから視線を蛍火に移した。
「……アンタ、わざと織辺さんを逃がしたわね?」
「あら? どうしてそう思うの?」
「だって、織辺さんを狙っていたら、同じ場所が抉れたはずよ」
玲菜の答えに蛍火はスッと目を細め、笑顔を浮かべる。
「ふふふ。バレちゃった。殺しちゃった方が良かった?」
「……ううん。助かったわ。お父さんの為に頑張ってくれた人を殺したくはない」
ホッとしている玲菜の顔を眺めた蛍火は、今度は俺の方を見る。
「赤羽君。あなたは雪城さんのために何でもすると言った。だったら、自分で織辺さんからレガリアを手に入れなさい。それが守っていくってコトよ」
「わかってる。……力をつけて、織辺から必ずレガリアを奪ってみせる。今日は本当にありがとうな」
「あら、底まで恐縮しなくてもいいのに……手を繋いで空を散歩するのは楽しかったから、また誘って欲しいくらいだわ」
「――っ! アンタはもう帰りなさいよ! 本当に無関係なくせにいつまでも居座ってんじゃないわよ!」
「あらあら、怒らせちゃった? 大丈夫よ。赤羽君を寝取るつもりはないわ。ただ、時々貸して欲しいくらいで――」
「殺されないとその口は閉じないようね……良いわ。わかったわ。アンタのケンカ買いましょう!」
「それは恐い恐い……じゃあ、攻撃される前に私はそろそろ行くわ。またどこかで会えると良いわね。二人とも」
「本当に助かった! この街に来たときはぜひ連絡くれよ!」
「なっ! も、もう二度と来ないで! 次、来たら戦争だからね!」
姿を見せたときと同じように蛍火は、軽快に手を振り空へ舞っていく。
そんな蛍火を追うように、玲菜の声が響く。
「ねえ! 杖を忘れているわよ?」
「え? ああ、それはあげる。強くなりたいなら、使いこなせるようになることね」
「……どういう意味?」
怪訝な顔の玲菜に蛍火は笑顔を向けると、何も答えることなく、どこかへ飛んでいった。
玲菜は地面に突き刺さったままの蛍火の残した杖に手にして、目を丸くする。
それから悔しそうに唇を噛み締めた。
「あの女……本当に大嫌い……どこまでもムカつくヤツね」
「……? どうしたんだ? その杖に何かあるのか?」
「ええ、これは魔力を高める杖じゃない。抑制するための杖よ。この杖を使うだけで威力は半分以下になるでしょうね」
「はあ!? じゃ、じゃあアイツ……織辺と戦ったときも半分以下の力で勝ったってコトか?」
「そうなるわね。本当にイヤになっちゃうくらいに強いヤツがいるのね……」
玲菜は噛み締めるようにつぶやき、杖をどこかにしまい込んだ。毎回思うが、一体どこに消えているのだろう。四次元ポケット並みの便利さだ。
「なあ、もしも織辺の言うように本当に俺からレガリアを抜き取る方法がなかったら……どうするんだ?」
「え? その時は殺すわよ」
「殺すのかよ!」
「冗談よ……冗談」
玲菜はそう言って少しだけ目を伏せた。
冗談と言ってくれているが、冗談ではすまされない。
いつかは決断しなければならない時が来るだろう。
それまでになんとか、レガリアを無事に抜き出す方法を見つけだすのだ。
※ ※ ※
蛍火がいなくなっても、玲菜の機嫌は悪いまま。
ただ怒っているだけなら、放っておくという選択肢もあるのだが、こちらをチラチラと見て、顔を赤らめるから対応にも困る。
一体どうすれば良いのだろうか。
玲菜の様子をうかがっているうちに、いつの間にか日が昇りはじめ、街が騒がしくなっていた。俺はなんとなく時計に目を向ける。
時刻は七時前。玲菜との朝の約束を思い出し、ハッとした。
「おい、玲菜! 学校の時間、大丈夫か? 遅刻しないで学校に行くんだよな?」
俺に言われて、玲菜が慌てて時計を見る。
「やばっ! 支度を考えたら遅刻ぎりぎりじゃない! 急いで戻るわよ!」
なんだかんで最後まで、ドタバタになってしまった。
だけど、気は軽い。後は学校に間に合えばいいだけなのだ。
ここは電車も走っているし、なんとか学校にも間に合うだろう。
「ほら、さっさと手を出しなさいよ」
「え? なんで?」
いきなりの提案に俺は首を傾げてしまう。
玲菜は必死な顔をして、一歩踏み出してくる。
「さっきキツそうな顔してたじゃない。体、辛いんじゃないの?」
織辺からの攻撃を防ごうとしたときのことを言っているのだろう。
玲菜の言う通り、魔力を走らせようとすると頭痛と目眩が襲ってくる。
「……まあ、魔力を使わなければ問題ない!」
「良かった。でも、無理させられないわ。送っていくわよ」
言って、玲菜は優しい顔で手を差しだしてくる。
ぼんやりとその手を掴もうとして、ここへ来るときのコトを思いだす。
蛍火に送ってきてもらったのは、正直恐かった。
出来ればのんびりと戻りたいものだ。電車で戻れば時間の余裕もある。
「大丈夫! 大丈夫だ! 俺は電車で戻るから――」
「送っていくって言ってるんだから、遠慮しないで!」
強ばった表情で玲菜が無理矢理に俺の手を取ろうとする。しかし、俺は激しい恥ずかしさを覚え、勢いよく手を引っ込めた。
手を繋いでいるところを誰かに見られたら、悪意のある相合い傘コースになってしまう。玲菜と気まずくなるのは勘弁して欲しい。
「や、やめろよ……手を繋ぐのはやめた方がいい」
「どうして? 魔闘師の女とは平気で手を繋げるのに……アンタやっぱり、彼女のこと、す、好きなの?」
「は、はあ? なんでそうなるんだよ?」
「なんでって……私とは手を繋げないのに、あの女とは手を繋ぐからよ。気持ちがあるからでしょ?」
「はあ? それはねえよ。むしろ、逆だよ逆!」
「――なっ、なに? それじゃあ……私のこと、嫌いなの……?」
「ば、バカ、そうじゃねえよ! そうじゃねえ……よ」
「――っ、もういい! わかったわ!」
玲菜は顔を青ざめさせて、焦燥感に満ちた顔で立ち去ろうとする。これは間違いなく誤解されているだろう。このまま立ち去られたら絶対にやばいことになる。
俺は強く頭を掻き、大きく息を吸う。
「ああっ! もう! 好きだからにきまってるだろ!」
「…………え? そうなの?」
「本気で好きな相手の手なんて握ったら、照れてるのが顔に出る。それが恥ずかしさを倍増させて嫌なんだ!」
そして、それを周りに見られて、相合い傘としてからかわれる。悪夢だ。
チラリと玲菜の顔を見ると、ゆでだこのように真っ赤に染まっていた。
「なっ……な、ななな、なに言ってんのよアンタは! ば、バカじゃないの!」
「自分で言わせたんだろ!」
「そ、それはそうだけど…………そっか、そっか、ふふふ」
「な、なんだよ。その楽しげな笑い方は……」
「べぇつに……ふーん、つまり、春馬は私のことが大好き、ってことなのね?」
「しつこいぞ! そうだよ、そう。……ってことだから、手を繋がないのはわかってくれただろ?」
「そうね、わかったわ」
「じゃあ、さっさと屋敷に戻ろうぜ、学校へ遅刻せずに行くんだろ?」
俺は自分で言った言葉が恥ずかしくなり、会話を逸らすように体ごと駅に向けた。その瞬間、ふわっと手を強く握り締められる。
困惑して振り返ると、玲菜が勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「勝手に行かないで! わかったけど、手を繋がないなんて言ってないわよ?」
「ちょ、ちょっと……だ、だから、恥ずかしいから――」
「わ、私だって恥ずかしいのよ! 我慢なさい!」
「……え? それって、お前も俺のコトが好きなのか?」
玲菜は一瞬にして顔を真っ赤に染めた。そして、何かつぶやき、勢いよく空を舞う。蛍火に負けないような圧倒的なスピードだったが、今はそれどころじゃない。
耳まで真っ赤になっている玲菜の後ろ姿と、飛び立つ瞬間の言葉が頭をかけめぐっているのだ。
「……好きよ」
気のせいかもしれないけど、そんなことを言われたような気がした。