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魔法使いのいる街  作者: 水瀬 瑞希
第一章 DAY BEFORE
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第五話 魔法使いの恐ろしさ

 どうしても勝てない相手に遭遇したら、どうするか。

 それは逃げるしかない。戦っても勝てる見込みはないのだから。

 襲われた俺は、ひたすら逃げていた。

 少し入り組んだところにあった路地裏を見つける。

 路地裏は昼間でも薄暗く不気味だが、深夜の時間帯となれば、もはやそこは異世界レベルだ。あちこちから異臭がし、ゴミが無差別に散らかっている。

 俺は息を殺し、路地裏に潜む。

 そこに、ゆっくりと長身の男が姿を見せた。

 全身黒ずくめのスーツにネクタイやシャツまで黒色だ。年齢は三十前後と言ったところだろう。顎にはオシャレな髭が生えていた。

 さきほどから俺を追ってきている人物だ。


「隠れているのは分かっている。大人しく出てこい」


 男の低い声が路地裏に響く。

 視線はこちらに向いている。見逃す気など全くないようだ。


「ソード、いけると思うか?」

「……なんとかします。最悪の場合は、私を置いて逃げてください。しんがりは努めます」


 ソードに任せて逃げる。それは最後の手段となるだろう。

 覚悟を決めると、俺は隠れていた場所から姿を出す。

 俺の刀を見て、男が興味深そうな笑みを浮かべる。


「逃げても無駄だぞ。その手にした物を置いて行け……」


 男に敵意などなくにこやかに笑っているだけ。

 けれど、俺は息を呑んでしまう。

 向かい合っているだけで、腰を抜かしてしまいそうなほどの威圧感。

 それがなんであるのかはわからないが、只者じゃないのはわかる。

 なんなんだコイツは……。


「これを渡せば助けてくれるのか?」


 俺はそう言ってソードをちらつかせる。

 それを見て、男は口角を上げた。


「……ふ。それはどうかな」


 間違いない。アイツは俺を殺すつもりだ。

 見逃すつもりなら、言葉を濁す必要などないのだから。


「殺されるとわかっていて、大事な命綱は渡せない」

「そうか。ならば、殺してから奪うとしようか」


 冷たく男が言い放つと、視界から消え、俺の真上に飛んでいた。

 振り下ろされる赤い光を放つ拳。

 俺は後ろにステップしようとするが、それよりも拳の方が早い。

 どんな筋力をしているのだろう。そこに反応してくれたのはソードだった。

 金属音が路地裏に響く。

 攻撃をはじかれた男は、そのまま空中で身を翻すと、後ろに飛んだ。

 その距離おおよそ十メートル。

 人間離れしたジャンプ力、赤く光った拳、なぜか鳴り響く金属音。

 間違いない。この男は魔法使いだ。


「ふむ。最低限の対応は出来るようだな。……次、いくぞ?」


 男がスッと消えたかと思うと、すぐ隣に現れ、拳を放ってきた。

 それに反応するかのようにソードが動く。

 オートで動いてくれるのは非常に助かるが、土台となる俺が振り回されているだけで全く役に立っていない。むしろ、足を引っ張っている。


「どうした少年。へっぴり腰で守っていても勝ち目などないぞ?」


 男はニヤケ顔のまま、攻撃を続けてくる。

 致命的な攻撃はソードが全て防いでいるとはいえ、牽制の軽いものは何発も体に受けている。それは痛みと言うよりも、重みとなって蓄積していく。


「……マスター、攻勢に移りましょう。速度ならこちらに分がありそうです」


 俺の体を気遣ってくれたのか、ソードが提案してくれた。

 頷くと同時にソードが俺を引っ張り、男に向かっていく。

 上段からの振り抜き、それを軽々と男がはねのける。そこにソードは男の手が下がるよりも早く、横からのなぎ払いに移行していた。

 男は少しだけ表情を強ばらせる。初めての攻撃チャンスだ。


「喰らえぇぇぇぇっ!」


 だが、信じられないことに、男の速度が増した。

 俺のなぎ払いをあっさりと裁き、気がつけば男は眼前に来ている。深い踏み込みからの頭部へのハイキックを繰り出され、俺は派手に吹き飛んだ。

 痛みを堪え、急いで立ち上がる。

 しかし、男はゆっくりと近づいてくるだけで決して追撃をしてこない。

 殺せるチャンスがありながら、完全に遊んでいるようだ。


「惜しかったな。だが、もっとだ。もっと本気になるがいい」

「レベルが違いすぎる。なんだよこいつ……」


 逃げたほうがいいのか。

 そんな考えが浮かんだとき、突然、女性の声が聞こえた。


「……あの、大丈夫ですか?」


 心配そうな顔で近づいてくる会社帰りのスーツに身を包んだ若い女性。

 派手な音を聞きつけて、路地裏を見に来たに違いない。

 命知らずの行動だが、人前での行動を避けるのが魔法使い。

 おかげで助かりそうだ。俺はホッとして振り向く。

 そして、思考が停止する。女性の胸を貫き、男の腕が飛び出していた。

 男が先回りをして、胸に穴を開けていたのだ。


「な、なんで……」

「すまないな、人払いの結界を忘れてしまったようだ……」


 男は女性の胸から強引に腕を引き抜く。それと同時に飛び散る血痕。

 女性は何も言わずに崩れ落ちる。

 俺のせいで殺されてしまった。

 ――ドクン

 全身が怒りに震え、焦燥感がこみ上げてきた。


「てめぇなんかっ、ぶっ殺してやるっ!」

「ま、マスター、無理です!」


 俺が飛びかかるのをソードが止めようとする。

 けど、我慢なんて出来ない。

 大きく踏み込み、俺は怒りにまかせた一撃を放つ。

 しかし、それさえも男は軽く避けた。

 空振りと同時に激しい痛みが顔面を襲う。


「はぐっ……つぁ……っ」


 俺は鈍い音と共に壁に叩きつけられ、体中が悲鳴を上げた。

 それでも諦められず、何度も向かっていくが、その度に激痛が貫く。

 感情論でどうにかなる相手じゃない。

 コイツには何をやっても勝てないのだ。

 どす黒い感情が全身を病んでいき、絶望となって支配する。

 息は浅くなり、体は震えて、視点がふらつく。

 嫌だ。死にたくない。絶望の中で浮かんでくる言葉はそれだけだった。

 もう立ち上がることも出来ずに、死の恐怖に体を震わせる。


「その程度が本気か? ふむ、生かしておいても脅威にはならんが、メリットもなさそうだな。……殺すか」


 男は明らかに俺への興味をなくし、冷めた顔でゆっくりと近づいてくる。

 未練と恐怖で呼吸がうまく出来ない。

 このままでは殺される。何も出来ずに殺されるんだ。

 しかし、その時、絶望の中にいた俺を救うように、一陣の風が吹く。


「――諏訪すわ、そこまでよ」


 聞き覚えのある美しい声。先ほど別れたばかりの相手。雪城だ。

 雪城は俺に背中を見せ、男との間に立ちふさがる。

 その姿はまるで、戦場に降り立った天使のように美しく輝いて見えた。

 男は雪城に親しげな笑みを浮かべる。二人は知り合いのようだ。

 諏訪と言うのは、この男の名前だろう。


「それ、あなたがやったの? 諏訪……」


 雪城は諏訪の後ろに倒れている女性を指さした。


「ん? ああ、魔法を使う現場を見られて、しかたなくな」


 にやっと諏訪は口角を上げた。殺したことに罪など感じていないのがわかる。ふてぶてしい態度に苛立ちを隠せない。

 雪城は一度だけ俯き、強く唇を噛むと、凜として長い黒髪を払った。


「迷惑かけたわね、諏訪。あとは私がやっておくから、下がって良いわよ」

「いきなり出てきて、ずいぶんな台詞だな。その少年とは知り合いなのかね?」


 ちらりと俺を見て、呆れ顔をした後、雪城はすぐに諏訪に目を戻す。


「……ええ。そういうこと」

「ならばしかたない。お前がここでその少年に止めを刺すというなら、お前に譲ってやろう」

「今!? な、なんで、今やらないといけないのよ!」

「……ソードを取り返すなら、弱っている今が効率いいはずだ。なぜ、今、そうしない?」


 雪城は横目に俺を見て、小さく舌打ちをする。

 ぶつぶつと何かをつぶやき、不意にまた諏訪に視線を戻す。


「…………良い提案ね。だけど、こっちにも事情がある。だから、今夜は手を出さないし、殺さないわ」

「ふん……ならば、そこをどけ。私が始末する」

「――っ、諏訪。もう一度言うわよ。ここは私に任せて下がりなさい!」


 一歩踏み出そうとしている諏訪に、負けじと雪城も一歩前に出た。

 明らかな威嚇行動。だが、それを見ても諏訪は微笑を崩さない。


「お前には手を出さないとでも?」

「まさか、アンタがそんな殊勝的なわけないでしょ」


 諏訪の脅しに雪城は一歩も引かない。

 逆に諏訪も雪城の声を聞こうともしてない。


「ふ、ふふふ、いいだろう。ならば、たまには稽古をつけてやろう」


 諏訪はスッと腰を落とす。

 迎えるように雪城は眉間にシワを寄せ、諏訪に手をかざす。


「いつかは超えなきゃいけない相手よね……いいわ、今日こそアンタを超えるわ、諏訪!」


 雪城から紡がれる言葉は何かの始まりを連想させた。魔法の詠唱だ。

 美しく手から放たれたのは青色の光の球、魔弾だ。

 連続する魔弾が、辺りを急激に冷やしながら諏訪を襲う。


「でかい口を叩くことはあるか、だが――」


 諏訪はそんなのお構いもなしに、雪城に飛び込んでくる。

 振り下ろされた拳を雪城は何とか避け、後ろに跳ぶ。

 だが、逃げる先を次々につぶされて、そのたびに雪城の体に拳が突き刺さる。

 まるで大人と子どもの戦い。あまりにも一方的だった。

 両方と戦ったからわかる。絶対に雪城よりも諏訪の方が強い。

 それは明らかだ。止めなきゃいけない。

 だけど、俺は何も言えなかった。

 自分では絶対に諏訪に勝てないことがわかっていたから。

 雪城の『奇跡』に期待するしかなかったんだ。


「ぐっ、ぐぐぐっ……」


 呆然と戦いを見つめていると、すでに雪城はボロボロになっていた。

 どんなに攻撃をしても、諏訪には届かないのだ。

 雪城は痛みで重くなった体をなんとか動かす。

 そんな様子を諏訪が愉しげに眺めていた。


「なかなかの上達ではあるが……まだまだだな。そろそろ、どいてもらおうか?」


 気がつけば、雪城は満身創痍。立っているのもやっとな状態だ。

 ――それでも。それでも、雪城は立ち向かおうとする。


「どかないっ。絶対にここはどかないわよ!」


 声を怒らせながら、精一杯強がっていた。

 雪城の辛そうな顔を見ていると、突然、頭痛が襲ってくる。過去の出来事とリンクするような不思議な感覚。

 だけど、それがいつのことなのかさっぱり思い出せない。


「もうやめろ、雪城! 俺を庇って、これ以上傷つかないでくれ……」


 自然と声が出て、雪城を止めようとする。

 雪城はそんな俺を睨み付けてきた。


「……はあ? ふざけないで! 誰がアンタのことなんか庇ってるのよ! アンタは私から神器を奪った敵なのよ? それを忘れないで!」


 どう見ても俺を庇おうとしているのに、それを認めない。


「まさか、ツンデレキャラか……?」

「ち、違うわよ! バカっ!」


 顔を真っ赤にして否定する。

 照れ隠しで言っていたわけではないようだ。


「だったら、なんで俺の前に立って、諏訪と戦ってるんだよ?」

「諏訪の力を借りてアンタを殺しても、ソードが私を認めないかもしれない。いえ、それどころか諏訪がマスターになるかもしれない。それを避けたいだけよ!」


 雪城は痛む体を押さえ、諏訪に向かっていこうとする。

 俺を守るためじゃなくて、自分の為に戦うなら、俺に出来ることは黙って見送るコトだけだろう。そう理解したつもりだった。

 ――なのに、出来なかった。

 ズキズキと頭痛がする中で、殺された女性の姿が目に止まり、俺の手は自然と雪城の腕を掴んでいたのだ。

 驚いた顔で雪城が振り返る。反感と困惑の入り交じったきつい表情。

 思わず、たじろいでしまいそうになる。

 だけど、このまま行かせたら、雪城は死んでしまうかも知れない。


「い、行くな! 勝てない相手に意地張ってどうするんだよ!」


 なんとか引き留めようと雪城を見つめる。

 その視線に雪城はまっすぐに応えて、首を横に振った。


「それは違うわ。勝てるからやるんじゃない。負けたくないからやるのよ!」


 目の前にあった闇が、一気に晴れたような気がした。

 俺はビビっていただけなんだ。

 自分の命が惜しくて、かわいくて、何もせずに生き残ろうとしていた。

 あんなに傷つきながら戦おうとする雪城に頼り切って……。

 俺は悔しくて、情けなくて、恥ずかしくて、思わず唇を噛み締めた。

 ――これは俺の問題。俺がやるべき問題なのだ。


「……お前の話はわかった。だったら、あとは俺がやる」


 そう告げると頭痛はウソのように消えた。

 雪城は俺の手を振り払うと、眉根をキュッと寄せる。


「はあ? アンタ、人の話聞いてるの? アンタが負けたら――」

「それはお前だって一緒だろ? お前が倒れたらアイツは俺を襲ってくる。なら、一緒だ。アイツはここで、俺が倒さなきゃいけない相手なんだよ!」


 しばし俺を見つめ、雪城はゆっくりと口を開く。


「……勝てると思ってるの?」


 雪城が来るまで一方的にやられていた俺が、しゃしゃり出ようとしているのだ。当然の疑問だろう。


「わからない。……だけど、俺が戦えば、お前が傷つかなくてもすむ。お前が傷つくところ、これ以上見たくないんだ」

「……なによ、それ……バカじゃないの……」

「多分バカなんだろうな。自分の命よりもお前の命が大事に思えるんだから」

「あ、赤羽君……っ」


 言葉を詰まらせ俯く雪城。

 色んな感情が一気に吹き出してきたのか、雪城の目が潤む。

 頬を伝い落ちそうになる涙を、俺はそっと拭う。


「……なっ」


 雪城の大きな瞳がさらに大きく見開かれ、俺を見つめてきた。

 咄嗟に自分がしてしまったことが恥ずかしくなり、俺は何も言わずに、その横を通り過ぎようとする。


「――ま、待って!」


 雪城の隣を過ぎたところで、慌てて雪城が俺の袖を掴み、引き留めようとする。

 俺は少し振り返り、雪城の頭をポンポンと軽く二回叩く。


「あとは、俺に任せろ!」


 雪城の頬がポーッと朱色に染まり、俺を掴んでいた手が離れる。

 どうやら任せてくれる気になったようだ。

 俺は諏訪の前に立ち、大きく深呼吸。

 諏訪は悠然と、余裕の笑みを見せてきた。

 絶対に勝てないとわかる相手に、立ち向かおうとしている。

 自分でもバカだなと思う。

 勝てない相手から、逃げられないならどうすれば良いのか。

 簡単な話だ。負けなければ良い。

 俺が負けなければ、雪城が諏訪と戦わずにすむのだ。

 ソードを強く握り締め、諏訪に向かっていく。

 もう二度と雪城の顔を、苦痛で歪めないために……。


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