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魔法使いのいる街  作者: 水瀬 瑞希
第二章 DAY AFTER
46/51

第四十六話 術式攻略

 俺にとって、魔闘師は最悪な奴らだ。悪い印象しかない。

 だから、これから攻め込む先にいる魔闘師も、きっと悪い奴なのだろう。

 タクシーから降り、冬の寒さが身にしみたのか、体が自然と震えた。

 辺りは薄暗く、時刻は五時少し前。

 俺は玲菜の家から、一時間ほど南に来ていた。

 玲菜の指示にあったビルの路地裏を探っていると、ひっそりと光を放つ不思議な紋様を見つける。

 中央部には、楔のようなものが打ち込んであり、雪城邸の結界に影響を与えている術式に間違いない。

 俺はソードを握りしめ、注意深く歩を進めた。

 不意に、建ち並ぶビルの非常階段から、足音が響く。誰かが手すりの上に立ち、俺を見下ろしていた。


「朝早くから、わたくしのテリトリーに、足を踏み入れないで下さいます?」


 飛び降りてきたそいつは、俺の行く手を阻むように、術式の前に立つ。

 長い金髪のツインテールで、蒼い瞳の若い女だ。


「……誰だ、お前は?」

「わたくしはジルベッタ。魔闘師にして上級貴族の娘。話しかけてもらえたこと、光栄に思いなさい! ――赤羽春馬君」


 自己主張の強い女らしい。格好も魔闘師特有の地味な黒ローブではなく、派手で露出の高いセーターにミニスカートで攻める気満々。

 特にすらりと伸びた長い足は黒タイツで包まれ、破壊力が凄い。

 それこそ、二度見してしまうほどだ。

 しかし、そんなところを見ている場合じゃない。


「俺のコトを知っているなら話は早い。そこをどけ!」

「おーっほほほっ! 退くわけありませんわ。通りたければ、わたくしを倒して行きなさい。おほほほっ!」


 まあ、当然そうなるよな。戦うしかない。


「ソード、行くぞ!」

「はい。了解しました」


 ソードを解放し、体を『強化』させる。

 魔力を吸われているような感覚が襲ってくるが、これなら大丈夫。

 セカンドを使わなければ、魔力の消費はそれほどではない。

 ジルベッタは腰につけた黒いムチを取り出し、両手で思いっきり引っ張った。

 パチンと痛そうな威嚇音が路地裏に響く。


「……噂ほどでありませんね。『強化』とはその程度ですの。けど、調教のしがいがありますわね。おーほほほ」


 調教とか、まるで女王様だ。激しい攻めが趣味な人なのだろう。

 ジルベッタは舌舐めずりをして、艶っぽい笑みで、ムチを振るってきた。

 空気を裂くような音が恐怖心を煽り、見た目より速く感じる。

 おまけに攻撃範囲も広い。まるで巨大な太刀だ。

 咄嗟に体を横にひねり、その軌道から身を逸らすと、目の前を掠めていった。

 破裂するような高い音で地面を叩き、コンクリートが避ける。魔法で強化したムチを舐めると、とんでもないことになりそうだ。

 ジルベッタは返す刀で、またムチを振り下ろす。その斬り返しも非常に速く、つけいる隙もない。俺は危険を感じ、後ろに飛び、ジルベッタから距離を取った。

 ただの変態女かと思っていたが、さすが魔闘師だ。実力はある。

 でも、術式は目の前だ。

 セカンドを発動させて、さっさと終わらせるべきか。

 ふと、玲菜との約束が頭をよぎった。


『セカンドを使うのは一度だけ。それも短時間よ』


 魔闘師は、なにか悪巧みをするような人間達だ。

 コイツを倒した後に、本命が待っている可能性だってある。

 ここで切り札を使い切るのはまずい。

 なんとか、ソードの『強化』だけで乗り切るべきだ。

 

 ※ ※ ※

 

 術式の目の前で、ジルベッタと攻防を続けていた。

 防壁のようにムチを巧みに操るジルベッタ。

 襲い来る攻撃をなんとか避けると、パチンと乾いた空振りの音が鳴る。

 俺は後ろに跳び、ジルベッタとの距離を取った。


「ほらぁ、もっとこちらに来たら、踏んづけてあげますわよ?」


 言って、ジルベッタはすそをあげ、足をチラリと見せつけてきた。

 ドキッとするほど、魅惑的な足を前に、思わず息を呑んだ。

 そんな俺を見て、ジルベッタは妖しい笑みを浮かべる。

 近づいたら、踏まれてめちゃくちゃにされそうだ。怖い、マジで恐い。

 危ない性癖に目覚めてしまいそうな自分が、一番恐い。


「い、いや、そんな趣味は『まだ』ないし……」


 煩悩を抑え、視線を逸らす。

 辺りには、ムチの痕跡がジルベッタを中心に刻まれていた。

 激しい攻撃の後。叩かれたら、さぞ、気持ちい――いや、痛いのだろう。

 そこで、猛烈な違和感を覚え、視線をジルベッタの足に向ける。

 あの場から一歩たりとも動いてはいなかった。

 ジルベッタは攻めるようなコトを言っているが、攻めて来てはいないのだ。

 ドエスぽく演じていたが、完全な誘い受けだったのである。

 誘い受けとは、相手から手を出させるように仕向ける手法で、それがドエスと合わさるとなかなかの破壊力――って、そんな話はいい。

 ただ、俺を近づけないように、ムチを振るっていただけなのだ。

 つまり、狙いは――


「時間稼ぎかよ!」


 ジルベッタは少し驚き、すぐに口角を上げた。

 迂闊、急がなければならない局面で、後手に回ったようだ。

 いやな予感がして、俺はムチに打たれるのを覚悟して突っ込む。

 しかし、突如として発生した魔力の噴出に、俺の体は吹き飛ばされる。


「な、なんだこれは……」


 術式の前には禍々しい色の壁が出現していた。

 驚嘆する俺を見て、ジルベッタは楽しげに笑う。


「おーっほほほ。わたくしの足に見とれて、気づくのが遅れてしまいましたわね」

「……結界発動完了」


 そんな声と共に黒いローブを着た背の低い人間が姿を現した。

 顔はフードの中に埋まっており、よく見えない。

 声の感じから、おそらく女の子だろう。


「よくやりましたわ、アドニア。後でご褒美を上げますわ」

「いらない。それと、わたしは自分の仕事をしただけ。あと、呼び捨てはやめろ」


 アドニアはフードの下から、きつい目をジルベッタに向けた。

 それを見て、ジルベッタは楽しげに笑う。


「あらあら。性格も見た目も控え目で小さいんですわね」

「うるさい。子ども扱いするな。おまえのように露出する趣味はない」


 二人はじゃれるように言い合いをはじめる。

 どちらかが上という関係ではなさそうだ。

 対等だと言うことは、ここを守っているのは二人。


「確認したいんだが、お前らは、神条に選ばれた五人のうちの二人なんだよな?」


 そうでなかったら、戦う必要さえない。

 神条は五人しか使わないと言ったのだから、ルール違反だ。

 ジルベッタとアドニアがこちらに視線を向ける。


「そうですわ。わたくしとこのアドニアが、神条様に選ばれたエリートですのよ。さあ、ひれ伏すがいいですわ!」

「……あとの三人は北側を守っている」


 アドニアが補足のように付け足した。


「ちょっ! アドニア、敵に情報を与えてどうするんですの? あと、わたくしの会話に割り込んでこないで欲しいですわ」

「ひれ伏すとか、本気で言ってるならドン引きだ」

「な、ななな、なんですって!?」


 ジルベッタが体をプルプルと震わせた。また始まった……。

 なんにしても、残りの三人は北にいるようだ。

 そこで、いやな奴の顔が頭をよぎった。


「――神条もそこにいるのか?」

「もちろんだ。北側に向かった奴は不運」


 ただの魔闘師三人なら、隙を突いて術式を壊せるかもしれない。

 だけど、そこに神条がいるとなると、話は別だ。相当厳しいんじゃないのか。


「――くそっ」


 俺は早く終わらせようと、二人の後ろにある、術式に突っ込む。

 二人はなぜか、俺を黙って見送った。違和感を覚えながらも、無防備な術式に向かってソードを叩き込む。

 しかし、結界に押し戻され、地面に吹き飛ばされた。

 手がビリビリと痺れている。硬い何かを殴ったかのようだ。


「無駄ですわよ。このアドニアの結界は、協会でも有数の力を持っていますわ。あなた程度の人間には壊せもしませんわ」

「そこだけはジルベッタに同意。程度の低い魔力なんか絶対に通さない」

「そこだけって、どういう意味ですの?」

「言葉通り。他のところには全く同意できない」


 二人は結界に絶対的な自信を持っている。

 だから、さっき、俺を素通りさせたのだろう。

 くそっ。俺は地面と叩くと、すばやく起き上がり距離を取る。


「あらあら、まだ、諦めてらっしゃらないの?」


 諦められるわけがない。

 今の俺ではどうしようもないなら、セカンドを使うしかない。

 だけど――

 術式を破壊するために使ったら、北側へ移動する手段がなくなる。

 ここから北側まで行くのに、タクシーでも数時間かかるのだ。

 そっちはどうやっても、セカンドに頼るしかない。

 玲菜との約束が重くのしかかり、俺はギリッと奥歯を噛み締めた。

 

 ※ ※ ※

 

 一体、何度、攻撃を仕掛けただろうか。完全に手詰まりだった。

 不用意に突っ込んでも、ムチで威嚇される。

 そして、それを支援するように、アドニアがナイフで襲ってくるのだ。

 たびたび、言い争っている二人だが、連携は実に見事で隙がない。

 おまけになんとか二人をかいくぐっても、術式は結界により守られているため、どうやっても破壊出来ないでいた。

 セカンドを使わずに、何かうまい手はないのだろうか。

 ふいに、ジルベッタが失笑した。


「何を悩んでいるのか知りませんが、ここを私たちが守り切れば、他がどうであれ、こちらの勝ちですわよ?」


 そうだった。俺は一体、何を勘違いしていたんだ。

 一人の失敗が、作戦全体の失敗になる。

 俺がなによりも優先すべきは、ここの術式を壊すことなのだ。

 それが出来なければ、仮に玲菜が神条を倒せても意味がなくなる。


「――お前の言う通りだ」


 北側は玲菜に任せたんだ。信じるしかないだろう。

 俺は覚悟を決めると、大きく息を吐き、ソードを強く握りしめた。


「まだ手があるなら、さっさとすることですわね。時間切れになる前に。おーほほほほっ!」


 その言葉、後悔するなよ。

 俺はソードを前に掲げると、大きな声で叫んだ。


「いくぞぉっ! セカンド発動だぁぁぁっ!」


 全身に一気に魔力が駆け抜けていく。

 筋肉が盛り上がり、力をみなぎるのがわかった。

 なぜか普段のセカンドよりも、遙かに大きな力に感じる。

 しかし、同時に襲ってくる倦怠感も半端じゃない。

 俺はそれを制して、ジルベッタたちに向かって飛び込んだ。


「な、なんですの! 聞いていた以上の魔力ですわ!」

「予想以上! 危険っ!」


 驚愕して二人は身構えるが、すでに手遅れ。

 するりと間を抜け、俺は結界の前に辿り着く。

 強大な魔力の壁が俺の行く手を阻もうとするが、全力でソードを振り下ろすと、結界に派手な亀裂が入っていき、術式の楔も派手に砕け散った。

 目を覆うような光が放たれる。

 術式を構成していた魔力が、派手に上空に飛び散っていく。


「よっしゃぁぁぁぁぁっっっ!」

「そ、そんなぁ~」


 俺の感嘆の声の後に、ジルベッタは情けなく、腰からペタンとへたり込んだ。

 それを見て、俺はガッツポーズを取る。

 術式の破壊に成功したようだ。

 しかし、安心したせいか、力が一気に抜けて、膝が崩れおちていく。

 

 ※ ※ ※

 

 倒れそうになったところを、ソードを地面に突き刺して、なんとか耐えた。

 セカンドを使ったのは一瞬とは言え、結構な魔力を抜き取られるようだ。

 ジルベッタが俺を見て、目を瞬かせる。


「『強化』の力に、もう一段階、上があったのには驚きましたが、無理をしすぎじゃありませんの? あなたの魔力ボロボロになってますわよ?」


 ジルベッタが忠告のように、俺を指した。

 結構まずい状況なのかもしれない。


「……やっぱ、そうなのか……」

「ええ、次に使うときは、死ぬのを覚悟した方がいいですわね」


 玲菜が『一度だけ』と言ったのは、俺の状況をわかっていたのだろう。

 次に使ったら、本当に命に関わりそうだ。

 ――その時、電話が鳴り響く。詩子からだ。

 緊急の用事に違いないと、痛む体を堪えつつ、電話に出る。

 しかし、詩子の声は思ったより、というか、元気そのものだった。


 『私と、あと戸田先輩も無事に、術式を破壊しました』


 二人の向かった先には、当初の予定通りに、魔闘師の配置がなかったようで、楽にすませられたようだ。詩子の報告を聞き、ホッと一息つく。

 残るは玲菜だけ。一番の心配はそこだ。


「玲菜はどうなっているか、わかるか?」


 俺の質問に対して、しばしの沈黙。

 重苦しい雰囲気から、なんだかいやな予感がする。


『結構まずい状況です。雪城先輩のところに魔闘師が二人。それをなんとかしている間に……出てきたんです』

「誰がだ?」

『多分、神条って人だと思います』


 やはり、ジルベッタたちの情報は正しかったようだ。

 北を重点的に守っている。


「それで、今はどうなっているんだ?」


『雪城先輩は何か手があるのかも……諦めてはいません。でも、難しいと思います。あんな人を相手に奇策でどうにかなるとは……思えません』


 詩子は怖じ気づいていた。気持ちはわかる。神条の魔力は異常だ。

 真っ正面から戦っても勝ち目は低いだろう。

 でも、玲菜が何も考えずに、戦いに望んだはずがない。神条と当たっても勝てる秘策がなにかあるはずだ。今はそれがうまく機能していないだけなんだ。

 ――だけど、もしも、そうじゃなかったら?

 全身を一気に鳥肌が駆け巡る。

 玲菜があっさり降参するとは思えない。

 アイツのコトだ、無理をして戦い続けるに決まっている。

 血塗れの玲菜の姿が頭をよぎり、いても立ってもいられなくなった。


「だったら、俺が駆けつけてみる!」

『む、無理ですよ! 先輩のいる場所から、雪城先輩のところまで数十キロは離れています。今から向かっても間に合うはずがありません!』

「だからって、放っておけるか! とにかく、目指してみる!」

『ちょ、先輩――』


 詩子がまだ何か言っていたが、俺は電話を切った。

 出来る出来ないを言い争っている場合じゃない。助けたいならやるしかない。

 俺はソードを見つめ、強く握り締める。

 玲菜との約束を破ることになるが、セカンドを使えば、きっと間に合うはずだ。

 ジルベッタが次に使えば死ぬと言っていたが、もう一度だけなら大丈夫。

 勝手に自分に言い聞かせた。

 俺はソードをかざし、魔力を発動させようとする。

 そこに激しい勢いのムチが飛んできた。

 咄嗟にソードが反応して、それを弾く。ムチを放ったのはジルベッタ。


「愚かですわ。自分が、どれだけまずいコトをしているのか、全くわかってないんですのね」


 ジルベッタは恐い顔をして、迫ってくる。

 何か俺が怒らせてしまったのだろうか。

 首を傾げると、アドニアもナイフを向け、にじり寄ってきた。


「その通り、勝手に逃げられるとわたしが困る。……結界を壊された以上、殺すしかない」


 脅しのような冷たい声。戦いはまだ終わっていなかったのか。

 俺は思わず、舌打ちを溢す。

 しかし、そこにジルベッタが割って入ってきた。


「おやめなさい、アドニア。そういう話じゃありませんわ!」


 両手を広げ、まるで俺を庇うような姿勢だ。

 そんなジルベッタをアドニアが訝しげに眺める。


「どういうつもりだ? なぜ、そいつを庇うんだ?」

「違いますわ。でも、庇ったつもりはありませんのよ」


 ジルベッタは言って肩を竦めると、こちらを振り返った。

 その表情は明らかに怒っている。


「自殺しようとしているおバカを躾るだけですわ」


 多分俺のコトを言っているのだろう。

 だけど、俺にはそんなつもりはない。


「何を言ってるんだ? 俺は――」

「さっきわたくしが言った話もう忘れたのですか? その力を使えば、死にますわよ? 死にたいのですか?」

「覚えてるけど、今から北側へ行くには、そうするしかないんだ!」


 ジルベッタは俺の返事に落胆を露にする。

 なぜか、その顔が俺を心配しているようにも見えてしまう。


「だったら、行くのを諦めるべきですわ。今のあなたでは、向こうへ行くまで魔力がもちませんもの。自殺は見逃せませんわ」

「見逃せないって……俺が死んでも、お前には関係ないだろ?」


 カーッとジルベッタの顔が朱色に染まる。

 モジモジと身を捩り、それからキュッと拳を握った。


「か、関係なんて、それこそ関係ないですわ! 死にそうな人間を放っておいては我が家の尊厳に傷がつきますもの!」


 すごく個人的な意見だが、俺に死んで欲しくないのは伝わってきた。

 だけど、俺にだって個人的だが、護りたいものがある。譲れないんだ。


「心配してくれて、ありがとうな。……だけど、もう決めたんだ!」

「――っ! だったら、わたくしがあなたを殺しますわ! 自分の力量も把握できず、犬死にするようなバカに負けた、なんて思われたくありませんもの!」


 ジルベッタの空気が一気に変わった。

 さっきまでの誘い受けの姿勢ではなく、完全に攻めモードだ。

 いつ襲って来てもおかしくない。やるしかないのか。

 ソードをグッと握りしめて、腰を落とす。

 

 ※ ※ ※

 

 俺の行く手を阻止しようと、ジルベッタが俺に敵意を向けてくる。

 ピリピリとした緊張感が辺りを覆っていく。

 一触即発な状態だ。こんなコトをしている場合じゃない。

 さっさと玲菜の元に向かいたいんだ。

 そんな時、間の抜けたような暢気な声が響く。


「えと、何を揉めてるのかな?」


 気がつけば、見知らぬ黒ローブの女が、俺の隣に立っていたのだ。

 接近に全く気づけなかった。

 突然の出来事に思わず後退った俺を見て、女はニコッと微笑む。

 地味な黒ローブを着ているが、それでも周りがパッと明るくなるほど、華やかな顔をしている。端的に言えば、美人だ。

 おそらく年齢は俺と変わらないだろう。

 ジルベッタはその女を見て、顔を青ざめさせる。


蛍火けいかさん!? ど、どうしてあなたがここにいるんですの? あなたは今回の部隊には選ばれておりませんわよね?」

「まあ、ちょっとした用事よ。迷惑をかけるつもりはないから安心して」


 その言葉を聞いて、ジルベッタは嫌そうに顔をしかめた。

 苦手な人間に会った、そんな表情に見える。

 この蛍火という女が魔闘師なら、俺の敵が増えたわけだ。

 思わず警戒した俺を、蛍火がチラリと見た。


「……それより、彼はどうしたの? 魔力がおかしいけど……?」

「あ、あなたには関係ないことですわ! ここはわたくしの担当。いくらあなたと言えど、勝手に踏み込んできてもらっては困りますわ!」


 ジルベッタは苛立ちを露にして、蛍火を睨み付けた。

 けれど、蛍火はそんなジルベッタを気にもせず、笑顔を浮かべる。


「まあまあ、そう言わないで。私に話した方が得することもあると思うわよ?」

「ぜ、絶対ありませんわ! あなたに関わると、毎回、ろくなコトがありませんもの!」


 ジルベッタが蛍火を苦手にしている理由が、垣間見えた気がした。

 この蛍火という奴は、トラブルメーカーなのかもしれない。


「じゃあ、しょうがないか。兄様に相談して――」

「――っ! ちょっと待って下さい! わ、わかりましたわ。話します。話せばいいんですわね!」


 蛍火が『兄様』といった瞬間、明らかに反応が変わった。

 上級貴族を自称するジルベッタが、ビビるほどの相手なのだろうか。

 まあ、俺には関係のない話だな。

 ジルベッタは渋々とこれまでのいきさつを話した。

 ――話を聞き終えて、蛍火は落胆したようなため息を吐く。


「うーん。ジルベッタの言ってることの方が正しいわね。……力を使ったら、あなたは死ぬもの」


 ジルベッタと同じ意見と言うことは、別に脅しではないのだろう。

 それでも、考えは変えられない。

 ここに残って、玲菜に嫌なコトが起こるくらいなら、死んだ方がマシだ。


「他に方法がない以上、俺は命を賭けるしかない! 邪魔をしないでくれ!」


 俺の言葉に蛍火は一瞬だけ、目を丸くする。

 しかし、すぐに呆れ顔に変わり、肩を竦めた。


「何も出来ないくせに、身の程知らずね……」


 蛍火は言って、なぜか、堪えきれない様子で、笑いはじめた。

 人の決心を聞いて笑うとか、ひどすぎなんですが、この人……


「笑うことないだろ……」

「あ、ごめん。別に悪気はないわ……知り合いのバカに似てるって思っただけ、そいつも身の程知らずの大バカなのよ」

「それ、フォローになってないよな? 悪気の塊のような発言だぞ?」


 一瞬、戸惑って、蛍火がまた楽しそうに笑った。

 何が愉しくて笑っているのか、さっぱりわからない。

 俺が顔を歪ませると、蛍火はハッとして笑うのをやめた。

 今さら、そんな態度取られても苛立ちは消えない。

 蛍火はポリポリと頬を掻いて、ポンと手を叩く。


「笑ったお詫びと言ってはなんだけど……私がそこへ連れて行ってあげるわ。それなら力も使わなくてすむでしょ?」

「な! ほ、本当か!?」


 まさかの提案に、思わず身を乗り出してしまう。

 それと同調するように、ジルベッタも身を翻していた。


「――ちょっ! 蛍火さん? 勝手に決めないで欲しいですわ!」

「ここは私が責任をもつから安心して」

「し、しかし、それでも……」

「もう一度言うわね、ジルベッタ。責任は私が取るから」


 ジルベッタは蛍火を一睨みし、ため息を吐く。


「わかりましたわ。勝手にすればいいんですわ」

「……アドニアもそれで良いわね?」


 黙って話を聞いていたアドニアは、怪訝な顔つきを見せる。


「それは命令か? なら、逃げられたのも、結界を壊されたのも、全部お前の責任でいいのか?」


 明らかに蛍火には、関係ないものが紛れている。

 しかし、蛍火は一瞬だけ、驚くと小さく笑みを見せた。


「もちろんよ。全部、私がせいでいいわ」

「わかった。なら問題ない。わたしの責任にならないなら、お前に任せる」


 アドニアはあっさりと認め、ナイフをしまい、離れていく。

 ビックリするほど、サラリーマン。

 自分に責任がこなければ、コイツはなんでもいいんだな。

 二人の返事に、満足げな顔を見せて、蛍火は俺に視線を戻す。


「まだ返事を聞いてなかったわね。――どうする?」


 そんなの決まっている迷わずにイエスだ。

 相手が魔闘師ではなければ……だが。

 魔闘師である以上、何を企んでいるのかわからない。


「お前に、俺を連れて行くメリットがあるのか?」

「まあ、当然な疑問よね。でも、心配しないで、私もあっちに行く用事があるのよ」

「ついで、ってことか?」

「そうなるわね。で、でも、謝罪する気持ちも、きちんとあるわよ?」


 慌てて言葉を付け足す仕草が、どこにでもいる普通の女の子みたいだ。

 正直、困ってる奴を足蹴にするが、魔闘師だと思っていた。

 だけど、きちんと人の感情が理解出来て、謝罪や反省もできる。

 気持ちがぐらぐらと揺れ動く。

 ふと、視線を逸らすと、ジルベッタとアドニアが目に止まる。

 同じ場所を守っている魔闘師でありながら、考えがまったく違う二人。

 魔闘師にだって、色々な人間がいるのではないだろうか。

 人はよく知らない相手のことは、グループ単位で判断してしまう。

 だから、魔闘師は悪い奴らばかりだと思っていた。

 でも、警察にだって悪い人間がいるように、魔闘師にだって良い人間がいる。

 神条や諏訪がムカつくからって、魔闘師全員が悪い奴だと決めてかかるのは、おかしいのではないだろうか。

 キュッと俺は唇を噛み締める。

 そんな俺に向かって、蛍火が一歩踏み出してきた。


「移動するためだけに力を使い果たして死にたいなら、勝手にしなさい。だけど、私を信じてくれるなら……必ず連れて行くわ」


 蛍火が笑顔で、自分の右手を差しだしてくる。

 信じるならその手を握れと言うことだろう。

 魔闘師を信じていいのか。

 いや、違う。この際、魔闘師のラベルは関係ない。

 蛍火という人間を信じられるかどうかなのだ。

 俺を殺したいだけなら、手を貸さずに放っておけばいい。

 こんな状況で、わざわざ手を差し伸べてくれた相手。

 それだけで信じるに足る人間なのではないか。

 ――うん。蛍火を信じてみよう。

 俺は決意すると、その手を強く握りしめた。

 すると、蛍火は驚いた顔を見せる。


「やっぱり、アイツに似てるわね。アンタ……」

「アイツ……?」

「危険を顧みず、無鉄砲に突き進むところ、本当、そっくりね」


 蛍火はどことなく、はにかむように頬を染めている。

 さっき蛍火が派手に笑っていたのは、俺が知り合いに似ているからか。

 だとしたら、ただならぬ関係で、おそらく好意を持っている相手なのだろう。

 どこか照れくささを感じて、頬を掻く。

 しかし、ふいにスッと蛍火の顔が素に戻る。


「なんて話している場合じゃないわね。急ぎましょう!」

「お、おう!」


 返事をした瞬間、俺の体は上空に浮かぶ。

 いや、正確には蛍火によって上空に運ばれたのだ。

 ジルベッタやアドニアに別れを告げる暇もなく、景色がものすごい速度で切り替わっていく。

 俺の手を掴んだ蛍火が、ビルを次々に飛び越え、北へ向かっているのだ。


「し、死ぬっ!」

「あと、十分程度で到着するわ。我慢して!」


 距離にして数十キロ。タクシーで数時間。それをたったの十分程度。

 時速――数百キロ。とんでもないスピードだ。

 生きた心地がしない。先日の戸田の気持ちがよくわかった気がする。

 これはまさにジェットコースター。恐怖はひとしきりだ。

 だが、おそらくセカンドで強化したときよりも速い。それなのに、俺を引っ張っている蛍火は、全然、余裕な素振り。どれだけの魔力を持っているのだろう。

 正直、敵に回ったらと考えると恐い。

 思わず顔が厳しくなってしまう。

 蛍火は俺の視線に気づいたらしく、物憂げな表情になる。


「安心して。ここで手を離しても大けがですむから、死なないわ」

「それ、安心できる要素じゃないからな!」


 高速で走っている車の外に投げ出されるようなものだ。

 派手に肉片を飛び散らせる様子が思い描かれる。

 ふいに蛍火の手に力がこもった。


「必ず連れて行くって言ったでしょ。私を信じて」


 優しい温もりが、なんだかとてもこそばゆい。

 目的地まであと十分。玲菜、無事でいてくれ。

 俺は思わず、繋がれた手を強く返した。

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