第四十四話 誰かの為に死ぬ意味
大事な人の為に死ぬ。それはある意味、美学だ。
男なら誰もが一度は憧れる状況だろう。
だけど、自分のせいで相手を死なせた人は、どう思うだろうか。
そんなことを深く考えずに、俺はビルの屋上に降り立つ。
戸田を連れて、詩子が導くように放つ『光の矢』を追ってきたのだ。
ソードのセカンド発動させた俺が、ビルの屋上を飛び回る度に、戸田はジェットコースターに乗っているかのような絶叫を上げ続けていた。
「ま、マジで……死ぬって……」
戸田はようやく辿り着いた廃ビルの屋上にへたり込んで、眼をグルグルと回し愚痴をこぼす。足下は震え、表情も悪い。
「我慢しろ……」
戸田のコトは心配ではあったが、俺自身も結構まずい状況だ。
無理な魔力放出をしたからか、目眩がする。たらりと嫌な汗が流れ落ちた。
だけど、休んでいる暇はない。スネークが目の前にいるのだ。
「おやおやぁ~、何しに来たのかなぁ?」
俺たちの到着をあざ笑うように、スネークが小馬鹿にした声を出す。
余裕な素振りが気にくわない。
スネークの足下には、玲菜が跪いて控えている。
その右目には、不気味な緑色の魔石が入り込んでおり、美しく鮮やかだった瞳は見る影もない。俺はギリッと奥歯を鳴らす。
「玲菜を返してもらおうか?」
スネークは長い舌をチロッと見せて、厭らしい視線を玲菜に注いだ。
「げへへへっ。こいつは俺の肉奴隷だぞぉ。返すわけねえだろぉ?」
肉奴隷とか表現が気持ち悪い。玲菜に何をする気なんだ。
視線を向けられた玲菜は厭そうな顔をしながらも、小さく頷く。
ズキッと心が痛む。操られているとわかっていても……いや、わかっているからこそ、苛立ちがこみ上げるのだ。
こんな奴に玲菜が好き放題、蹂躙されるなんて絶対に許せない。
ソードを構えて、スネークにつっこむ。
いきなりの出来事に、スネークは表情を強ばらせる。しかし、すぐに玲菜がその射線上に割り込んできた。甲高い金属の音が響き、火花が飛び散る。
魔力による強化を行った玲菜の腕が、ソードを止めていた。
「玲菜! 邪魔をするな! 俺はお前を助けに来たんだ!」
「そんなのわかってるわよ! だけど、止められないのよ!」
一瞬だけ、戸惑った顔をして玲菜が言い返してきた。
まさかの展開に驚きが隠せない。
「玲菜っ! お、お前、しゃべれるのか?」
「ええ、趣味の悪いことに、思考回路はそのまま残してあるみたいよ。恥辱と屈辱を与え続けたいんでしょ……」
左目が緑色の光を放って気持ち悪いコト以外、いつもの玲菜と変わらない。
つい、気が緩んでしまいそうになる。
「マスター、来ますよ!」
玲菜から勢いのある拳が放たれ、俺は大きく後ろに下がり、体勢を立て直す。
それを深追いせずに、玲菜はすぐにスネークの前に戻った。
とにかく、スネークを守る事が最優先のようだ。
俺がスネークにソードを向けると、玲菜も膝を曲げて構える。
「わかったでしょ……私に自由なんてないわ。今すぐ逃げなさい」
「ふざけるな。逃げるならお前も一緒だ」
「……春馬」
玲菜は物憂げな表情で俯いた。
自分ではどうしようもない現状を、嘆いているかのようだ
「げへへ。オレの肉奴隷を勝手に連れて行くなよぉ……まあ、どこへ連れて行っても、魔石が埋まってる限り、俺の声は届くんだぞぉ。俺の命令には逆らえないんだぁ……げへっ」
スネークが玲菜の後ろから、気持ちの悪い笑みを見せる。
魔石を壊すか、スネークを殺さない限り、玲菜に自由はないようだ。
「だったら、その魔石をぶっ壊して、玲菜を助けてやる!」
「げへへ。コレはなぁ、小さな石を、光の屈折で大きく見せているだけなんだよぉ。眼球を傷つけることなく……小さな石をその刀で切れるのかぁ?」
「なっ、眼の中にあるわけじゃないのか!?」
まさかの情報に、俺は驚いて見せる。
俺の顔を満足げに眺めるスネーク。
「もちろんだぉ。とはいえ、表面に張り付いているから、外科手術でも取り除くのは不可能だけどなぁ……」
絶望を与えたつもりなのだろう。しかし、俺にはいい情報だった。
眼の中にないなら、ネックレスの固有能力『破壊』で壊せる。
こんな重要なことをベラベラと話すなんて、スネークの奴は操ることに特化しているだけで、頭は良くないようだ。
「――壊せないなら、お前を倒して、連れて帰らせてもらう!」
「ぐへへへっ、それは、この肉奴隷を倒してからじゃないと、無理なんだなぁ」
サラサラと躍る玲菜の黒髪を乱暴に掴むと、スネークはその匂いをかぎ始める。
玲菜は悲痛な表情を見せるが、身を捩ることさえしない。いや、できないのだろう。それがわかっていての行動。想像通りの変態だ。
おまけに玲菜のコトを、盾の代わりくらいにしか考えていない。
こんな奴に自由にされたら、一晩でトラウマ確定の嫌な記憶を受け付けられてしまう。絶対に、この場で玲菜を助け出すんだ。この命に賭けて。
※ ※ ※
玲菜との戦いは激しさを増していく。
俺が攻撃をすれば、玲菜はそれを容易く弾き、魔法を返してくる。
幾度目かの打ち合いの後、俺の体が大きく揺れた。先ほどから感じていた目眩が、余計に強くなったのだ。
膝を突きそうになり、なんとか踏みとどまる。全身を襲う倦怠感。
どうなってんだ、俺の体。冷たい汗がダラダラと流れ落ちる。
俺は素早く、玲菜との距離を取った。
玲菜は一瞬、不思議そうな顔をするが、すぐにスネークを守るために引く。
「は、はぁはぁ……」
それほど時間は経っていないのに、すでに息が上がっている。
酸素が足りないような感覚だ。
そこに周りを気にしつつ、戸田が駆け寄ってきた。
「大丈夫か? 今、倒れそうに見えたけど?」
「まあ、なんとかな。そっちはどうだ?」
俺の質問に対して、戸田は首を横に振った。
「すまねえ……正直に言わせてもらうと、お前たちの動きが見えない」
戸田はネックレスを強く握りしめる。
「む、無理だよ……あんなに……は、早いのに、あ、当てられないよ……」
自信なさげなネックレスの声も聞こえてきた。
まさか、当てられないとか、想定外だ。
「『破壊』って、避けられるようなスピードなのか?」
「そういうことだ。すまねえ……」
申し訳なさそうに謝る戸田。
魔力により強化された玲菜の動きを、素人が追うのは難しい。
不可能と言っても過言ではないだろう。まずい展開だ。
だけど、戸田に当たっても仕方ない。
「お前が悪いわけじゃない。動きを止められない俺の責任だ」
「そんなことねえよ! 実はお前、体調悪いんだろ? 無理してんのわかるぞ? だから――」
もう止めようぜ、戸田が言いかけて口をつぐんだのがわかった。
俺が諦めないと気づいたのだろう。
少しの沈黙が流れる。
「とにかく俺が隙を作る。玲菜を捕まえたら、放ってくれ!」
「わ、わかった! 無理するなよ!」
戸田と距離を取り、疲れを殺して、スネークに視線を向ける。
スネークが退屈そうにあくびをした。
「話は終わったかなぁ? そろそろ終わらせて、肉奴隷で遊びたいんだよねぇ~。早く殺して来いよぉ~」
吐き捨てるようにスネークが言うと、玲菜の魔力が急激に高まっていく。
どうしようもないと言った表情の玲菜。
「ごめん……手加減は無理そう。逃げるコトに躊躇しないで。いいわね? 春馬ぁぁぁぁぁ――――っ!」
大きな叫び声共に、玲菜の魔力が爆発し、襲いかかってきた。
俺は咄嗟にソードを構え、迎え撃つ。
魔法によって強化された玲菜の拳と、ソードが激しくぶつかり合う。
反響する連続した金属音。その度に火花が辺りを照らす。
派手な技を繰り出し、俺たちは大きく距離を取った。
一撃一撃が重い。初めて戦ったあの日よりも何倍も強く感じられる。
玲菜が強くなったのか。それとも、俺が弱っているのか……
なんにせよ、このままではまずい。
俺はセカンドを発動させようとする。――だが、発動は失敗。
「な、なんで……」
「マスタ-、やはり、魔力がほとんどありません」
「――くっ」
激しい脱力感と虚無感、すでに満身創痍な状態に、魔力もろくに走らない。
それでも、玲菜の攻撃を受け止め続ける。
応戦の合間に、玲菜が心配そうな声を出した。
「アンタ。さっきからフラフラよ? 調子悪いんでしょ?」
こんな状況でも人の心配か。本当に玲菜って奴は……
「大丈夫だ。お前が余計な心配してんじゃねえよ」
「……逃げないって言うなら、私を殺しなさい。アンタなら出来るはずよ」
「玲菜……」
「こうなったのは私のミスだもの。……アンタたちを傷つけるくらいなら……殺された方がマシだわ!」
「だから、余計な心配するなって! 俺が……いや、俺たちが何とかするから!」
チラリと戸田に視線を向ける。
動きについていけずに呆けているだけの戸田。
少し不安になったが、アイツにしか出来ないことだ。信じるしかない。
玲菜はスネークと戸田を横目に見て、小さな声で話しかけてきた。
「もしかして、戸田を使って何か企んでるの?」
「なっ、わかるのか?」
「……わかるわよ。じゃなきゃ、あんな素人連れてこないでしょ? 私を狙っているのがバレバレよ」
「今、なにかしても――」
「避けるわ。間違いなくね」
玲菜の腕に力がこもる。俺を押し切ろうとしていた。
万全でもきついのに、体調が悪ければなおさらだ。
おまけに戦いながらでも、玲菜は戸田への注意を忘れていない。
打つ手なしか。そう思ったとき、玲菜が真剣な眼差しを向けてきた。
「スネークは今、私がアンタを押さえ込んでいると思っている。次の指示が出るまでに、急いで作戦を教えなさい。手を貸すわ!」
俺は魔石破壊までの道のりを手短に説明した。
説明を聞いて、玲菜は小さく息を吐く。落胆にしてるようだ。
「ろくに練習もしてない戸田の腕じゃ、私には当たらないわよ」
「だったら、どうすれば良いんだ?」
俺の質問に、玲菜は逡巡する。
そして、なぜか少し困った顔を見せて、開口した。
「私が合図するそれに合わせて」
「そんなこと、できるのか?」
「私の体だもんできるわ」
どこか棒読みで違和感を覚える。だけど、疑っているような余裕もない。
俺が玲菜の体を押さえれば、戸田が『破壊』を放つ。
それで全てがうまくいく。きっと、大丈夫だ。
何度か刃を合わせて、玲菜と距離を取る。
すると玲菜は、スネークと目を合わせた後、俺に向かって叫ぶ。
「今よ春馬」
「――わかった!」
抑揚のない玲菜の声に合わせて、俺は玲菜に飛びかかる。
自分で合図してきたくらいだ。完全なタイミングだったのだろう。
玲菜は硬直したまま、動かない。いける。
――そう思ったときだった。明後日の方向から悲鳴が響く。
「ぐあぁっっつ――」
戸田が吹き飛ばされ、屋上のフェンスに叩きつけられていた。
スネークが戸田に向かって、魔法を放ったのだ。
「戸田っ!」
俺が戸田に視線を向けると、その隙に玲菜は俺から離れた。
「げへ。一丁上がりだ。何か企んでいたみたいだが、残念だったな……げへへへ」
スネークがゲスな笑みを浮かべる。
今まで放置だったのに、あのタイミングで、戸田がなにかするのがわかったって言うのか。
そんなはずはない。バレていたはずがない。誰かが漏らさない限り……
『どこへ連れて行っても、魔石が埋まってる限り、俺の声は届くんだぞぉ』
さっきのスネークの言葉が、なぜか思い出される。
叫ぶ前に玲菜はスネークと目を合わせていた。
「ま、まさか……れ、玲菜……」
玲菜の顔は真っ青になっている。
自分の行動に動揺しているような顔だ。
「な、なんで……私……」
「アンタなんか大嫌いよ春馬」
戸惑った声に続いて、機械的に発せられた玲菜の声。
言った本人さえも驚いた顔をしている。
「げへっ。言動を自由にさせていたのは、あくまでオレの趣味だぞぉ。だけどなぁ、言葉だって、操れるんだよぉ~当然だろぉ?」
玲菜の意思があるから、言葉は全て玲菜本人のものだと思っていた。
だけど、言動が自由になっていることを、おかしいと考えるべきだったんだ。
カッと頭に血がのぼり、スネークを睨み付けた。
「全部、お前が仕組んだことだったって言うのか?」
「げへげへげへっ! その顔ぉ! その顔ぉぉぉぉっ! 引っかかって間の抜けた顔を見るのが最高だぞぉ! メシウマぁぁぁっ!」
発狂したようにスネークが笑い転げる。
ダメだ。コイツ。全てが憎らしい。殺してやりたい。
戸田はピクリとも動かない。下手をすれば死んだんじゃないのか。
安否は気になるが、今は玲菜をどうにかしなければ……。
でも、そのためには戸田の力がいる。ネックレスの固有能力が必要なんだ。
どうすればいいんだ……思わず俯きそうになる。
「私に任せてよ春馬」
俺が困っているとき、必ず聞こえてくる玲菜の声。
ハッとして顔を上げる。
だけど、いつもの強気な表情ではなく、困惑に満ちていた。
「……わ、私、言ってない」
言い訳をするように、すぐに玲菜の声がかぶせられる。
まさか、今のもスネークの仕業だというのか。
「言ったわよ信じて。もう止めて! ううん、私の為に死んでよ!」
「ち、ちがっ、今のは――お願いだから、早く死んで春馬! 大好きよ!」
「勝手に――っ、愛してるから、殺す殺す殺す! 絶対に殺してやる!」
玲菜の独り言のようなやりとりが続く。
スネークが腹を抱えて笑っている。
だんだんと慣れてきたらしく、機械的な喋り方ではなくなってきた。
支離滅裂。だけど、どっちがしゃべっているか判断するのは難しい。
今、玲菜と話すのは危険だ。話せば話すだけ混乱してしまう。
俺はソードを強く握る。頼れるのはもうコイツだけだ。
※ ※ ※
魔石の破壊が出来ない以上、玲菜を元に戻すには、直接、玲菜の眼に張り付いた魔石を叩き切る。それしかない。例え、玲菜の眼をくり抜いてでも。
だけど、どんなに強く思っても、玲菜を傷つけるなんて俺には無理だ。
メルとの約束があるから……いや、それだけじゃない。俺自身、玲菜が傷つく姿を見たくないのだ。
だから、ずっと防戦の一方だった。
魔力が回復する兆しもなく、逆に調子は悪くなるばかり。
もうソードを持つ手も振るえ、玲菜の攻撃を止めるのもぎりぎりだ。
あと数撃のやりとりで、きっと俺は死んでしまうだろう。
そんな俺に、玲菜は悲しげな顔を向けている。
「も、もうお願い……逃げて……春馬……もう、嫌だよ……」
それが本人の声という自信はない。だけど、玲菜が泣き出しそうになるのを、必死に堪えているのだけはわかった。
「マスター、玲菜の言うとおりです。ここはいったん引きましょう。生きていれば、チャンスはまたやってくる」
ソードにまで心配をかけている。情けなくて、泣きたいのは俺の方だ。
だけど、そんなのは玲菜を助けてからでいい。
玲菜を助けられるなら、俺は命だって投げ出せる。
だから――玲菜を諦めるくらいなら、死んだ方がマシだと本気で思ったんだ。
「玲菜を置いて逃げるくらいなら、ここで殺された方がマシだ!」
俺は強い意志を込めて叫ぶ。
その時、背中にコツン、と何かぶつかる。
振り返ると、戸田が無理矢理に立ち上がっていた。
「な……なに言ってんだよ……ここで、お前が死んでも雪城は喜ばねえよ……それどころか……なによりもつらいトラウマ……植え付けんじゃねえのか?」
無理をして精一杯に伝えてきた戸田。俺はハッとして、玲菜に目を向けた。
俺を見つめる玲菜の汚れていない左目から、涙がぽろぽろと零れる。
それはまるで懺悔の言葉のように見えた。
――俺はなんてバカなんだ。
最初から今までずっと、玲菜は俺に『逃げろ』と言い続けていた。
俺が傷つく姿を玲菜は見たくないのだ。
そんな奴が、俺を殺したらどう思うか……そんなことは考えるまでもない。
戸田の言う通り、強烈なトラウマとなるだろう。
スネークに穢され、貶められるよりも何倍も……
誰かの為に死ぬのは、自己満だ。そんなのは美学でもなんでもない。
一番やってはいけない行動だった。
「ありがとう、戸田。お前の言う通りだ。――俺は絶対に殺されねえ! 殺されるわけにはいかないんだ!」
最後の気力を振り絞って、ソードを握りしめる。
もう格好なんてどうでもいい。
玲菜を縛り付けてでも、無理矢理に連れて帰るんだ。
俺が覚悟したのと同時に、スネークの気怠そうな声が響く。
「もう面倒くさいぉ、殺せってぇ、言ってんだろぉ!」
「――っ、春馬っ! ダメっ、逃げてっ!」
玲菜は苦痛に歪めた表情で叫び、魔法の詠唱を開始する。
圧倒的な魔力の高まりに、俺は思わず後退った。
――チリーン
足下から金属の音が聞こえてくる。
「こ、これは――」
そこに落ちていたのは、ネックレスだった。
さっき戸田は、これを俺にぶつけてきたのだろう。
自分ではもう使えないと判断して、俺に託してきたんだ。
拾おうとしてソードの声が響く。
「マスター、構えてください! 玲菜が来ます!」
顔を上げると、すでに玲菜の手から魔法が放たれていた。
轟音をあげ、魔法が迫ってくる。
月の光しかない廃ビルの屋上が、昼間のような明るさになっていく。
魔力のない今の俺では、喰らえば即死は免れない。
避けようにも俺の後ろには、戸田がいる。先ほど無理したせいか、フェンスにもたれて動く様子もない。俺は強く唇を噛み締めた。
「だったら、完璧に防ぐしかねえだろっ!」
すべての魔力を込め、強くソードを握る。
その時、雷鳴が轟くように、大量の光の矢が空から降ってきた。
玲菜の放った魔法を上から叩きつけて、辺りを激しく振動させる。
誰が放った魔法なのか、すぐにわかった。
「サンキューな! 詩子!」
詩子がにっこりと微笑んでくれたような気がした。
今の詩子の魔力では、相殺に持ち込めないが、時間稼ぎには十分だ。
俺は落ちているネックレスを拾い、玲菜の元に全力で駆け寄る。
「え……は、春馬……?」
魔法を放っている状態で、玲菜は完全に無防備。その眼は見開かれている。
チャンスはここしかない。
魔石の力で濁った玲菜の右目に向かって、ネックレスを持った左手を伸ばす。
スネークの言葉が本当なら、『破壊』が発動すれば壊せるはずだ。
発動さえすれば――
※ ※ ※
確信があったわけじゃない。
だけど、他の神器と同じように、力を貸してくれるような気がしたんだ。
「ネックレス。俺に力を貸せ! あの魔石をぶっ壊すんだっ!」
俺は強く強く、ネックレスを握り、力の限り叫んだ。
全身から、魔力が吸い取られていく。マスターでも無い俺が発動させようとしているのだ。相当無理をしているだろう。
だけど、諦められない。
「吸い取るなら全部吸い取れ! だから、俺に力を貸してくれっ!」
心臓が強烈に熱くなり、右手にあるソードに熱が伝わっていく。体中の魔力が音もなく爆発しているような感覚。
そして、それに応えるようにネックレスに光が灯る。
ネックレスから一筋の光線が放たれ、玲菜の右目にまっすぐ吸い込まれる。
刹那、大きな爆発が起こった。
無防備だった玲菜の体は『破壊』の衝撃で、派手に吹き飛ばされていく。
「れ、玲菜っ!」
自分で使っておきながら、どんな結果になるか予想もしなかった。
地面に叩きつけられた玲菜の顔から、白い煙が上がっている。
あれだけの爆発が直撃したんだ。下手をすれば、顔が吹き飛んでいる。
嫌な予感が全身を突き抜け、俺は自然と玲菜の元に向かう。
「何やってんだよぉ! さっさと起きろよぉ!」
スネークが叫ぶと、玲菜の体が不自然に立ち上がる。
顔からいまだに白い煙が上がっており、その表情は移ろいでいた。意識があるかどうかわからないが、スネークの指示で起き上がったのだろう。
とにかく死んではいない。だが、喜びは半分。
無事だったのは良かったが、『破壊』出来なかったようだ。
「う、ウソだろ……無理だったのか……」
「げへへへ! オレの肉奴隷は最強だぞぉ! よし、そいつらを殺せっ!」
スネークの声にあわせて、玲菜が飛びかかる。
一直線にスネークの元へ――え?
「――およっ! ぐへっ!」
玲菜の拳がスネークを貫いた。
床に落ちた肉団子のようにスネークが地面を跳ね、転がっていく。
「ふん。このゲスが……」
殴った手を汚げに払うと、玲菜は振り返る。
「玲菜っ! お前……」
眼の周りを覆っていた白い煙が晴れていく。
緑色の魔石は消え、綺麗な右目に戻っていた。
「春馬、ありがとう。助けてくれて……」
玲菜は肩を竦めて、はにかむような笑みを浮かべる。
なぜかすごく懐かしく思えて、魅入ってしまった。
見つめ合っていると、玲菜は思い出した顔をして、戸田の元へ急ぐ。
ケガをして倒れている戸田に手を当て、魔法を詠唱する。
白い光に包まれ、傷が治っていく。玲菜はホッと息を漏らした。
よかった、致命傷ではなかったようだ。
「す、すまねえ……助かった」
「いいえ。助けてもらったのは私の方よ。ありがとう、戸田」
優しく戸田に返事をしたところで、玲菜の眼がスッと細くなる。
玲菜は振り返ると、いきなり魔弾を放った。
「ぎゃふんっ!」
爆発音と共に聞こえた、情けない声。
逃げようとしていたスネークが、玲菜の魔弾を受け、派手に転んでいた。
玲菜は眼を細めたまま、スネークに近づき、長い髪を払う。
「逃がすわけないでしょ。アンタには聞きたいこともあるんだから……」
「ゆ、許してくれ! もう二度とこの街には手を出さない! だ、だから!」
鼻血を垂らして、スネークは必死に土下座。
命がかかっているんだ。それは文字通り、必死だろう。
だが、そんな土下座に対して、玲菜は平然と足で頭を踏みつける。
「私にあんなコトをして、生きてこの街から出られると思っているの?」
どこまでも冷徹な玲菜の声。
俺に向けられたものではないのに、本気で寒気がするほどだ。
スネークはガタガタと震えて、ひたすらと地面に頭をこすりつけていた。
玲菜はため息を一つつくと、スネークから足を退ける。
「まずは教えなさい。アンタが雪城家の結界を使えた理由を、ね」
スネークは驚いた顔をして頭を上げた。
その様子から嫌な質問をされたのが見て取れる。
「お、オレは……な、何も知らないぞぉ!」
当然のようにスネークはとぼけた。
玲菜に魔石を埋めるために、結界を利用している以上、知らないではすまされない。というか、知らないというのはウソだ。
玲菜もそう感じているのだろう。今度は大きなため息を吐く。
「言わないならいいわよ。家に連れて行けば、脳に直接干渉して、無理矢理にしゃべらせる方法くらいあるわ。廃人になるだろうけどね……クスっ」
スネークの顔がサッと青ざめる。
さっきの怖い玲菜を見た後だけに、何倍もやばく感じたのだろう。
すがりつくような眼でスネークが口を開く。
「ぐ、ぐへ、ま、待って! お、俺は頼まれただけなんだぞぉ!」
「……この期に及んで言い訳? 反省の欠片も見えないわね」
「ほ、本当だぞぉ! 本当にお前を操れって頼まれたんだぞぉ……そいつからお前の家の結界に干渉する方法も教わった……」
玲菜の視線が鋭くなった。
「……誰よ、そいつ」
「そ、それは――」
言いかけて、スネークの口から派手に血が噴き出した。
いや、いつの間にか、腹から下が吹き飛んでいる。
「なっ!」
玲菜は後ろに少し跳び、俺を守るように魔力障壁を発動した。
辺りに目を向けるが、誰もいない。
上半身だけになったスネークは、血の海の中に倒れこみ、息絶えた。
壮絶な死に思わず目を背ける。
ひどい奴だったが、それを差し引いて同情するような悲惨な死に方だ。
玲菜も憐れむように見下ろしていた。
「な、何が起こったんだ?」
「……わからないわ。攻撃されたような気配はなかった。だとすれば、条件的なものでしょうね。――体内に仕込み、口を割ると発動するとか……ね」
まるで呪いのような魔法だ。スネークを使った黒幕は、どこまでも冷徹に玲菜を狙っているようだ。一体誰が……
「黒幕は誰だと思う……?」
「さあね、でも、雪城家の結界を悪用できるってことは、近しい人間。多分、伊勢島でしょうね。どこまでも腹立たしい奴だわ」
この美沢市の昔の管理者、伊勢島。
確かに伊勢島なら、メルを暴走させたこともあるくらいだし、雪城家の結界のことを知っていてもおかしくはない。
「でも、今は手を出さないって、言ってなかったか?」
玲菜は腕を組んで考え込む。魔闘師が入り込んでいるところを狙っても、すぐに協会が介入してくるのは明らかだ。
仕掛けるなら、俺たちが魔闘師を追い払ってからにするはずだ。
「……この土地ではなく、私が個人的に狙われたってコト?」
個人的な恨み。だとすれば、顔見知りに限定されるわけだから、犯人はかなり絞られる。だけど――
「土下座している奴の頭を踏むような奴だもんな。お前って……」
「あ、あれは……ムカついてたから……でも、死んだ今となっては、やり過ぎたって反省してるわ」
「もう少し早く反省しような。……恨み、買ってるかもしれないぞ?」
「アンタって、私のこと、どんな眼で見てるの?」
薄い冷笑を浮かべて、玲菜が距離を詰めてきた。冗談が過ぎたようだ。
怖~い玲菜から眼を逸らすと、スネークの死体が目に止まる。見たくないものだが、血の海の中で月光に照らされて、なにかが輝いていた。
「なんだあれ……?」
近づいて見ると、それは凝った装飾で不思議な形をしている。
俺が触れようとすると、玲菜が大声を出す。
「不用意に触らないで!」
玲菜は俺より先に、注意深く拾い上げる。
怪訝な目で見つめ、血を手で拭うと、舌打ちをした。
非常に気になる態度。俺は恐る恐ると声をかける。
「れ、玲菜? それは一体……?」
「魔法具よ。魔力を通してないから、どんな効果があるのかはわからないわ」
電気の代わりに、魔力を用いて使う便利な道具。それが魔法具だ。
効果も様々で、記録した魔法を自由に使えるらしい。
「もしかして、それでお前を操ったのか?」
「……もしくは、結界に干渉したのかもね。……でも、今はそんなの些末な問題よ」
玲菜は魔法具を俺の前に掲げる。
二頭の龍が一つの玉に絡みつくかっこいいロゴが描かれていた。
「それがどうしたんだ?」
「……これは、協会のシンボルマークよ」
いやな汗が額を伝い、激しい頭痛を感じる。
聞きたくもない事実だった。
「ま、まさか。今回の件、協会が絡んでいたのか? ……神条か?」
この街に攻め込んできている魔闘師のリーダー、神条。
現状、神条には玲菜を襲う理由がある。術式を守る時間稼ぎだ。
「アイツなら、雪城邸の結界にも丸一日触れていたんだし、魔法具を使って、パスを通すくらいできるでしょうね」
玲菜を操ってもいいし、戸田を利用して、俺の戦意を消失させてもいい。
なんにしても、スネークが暴れれば、メリット満載だ。
「こうしちゃいられないわ! 戸田を連れて、早く屋敷に戻る――――って、春馬っ!」
「――え?」
叫ばれた意味がわからずに、俺は呆けた声を出した。
次の瞬間、辺りが真っ暗になる。
「……だ、大丈夫?」
心配そうな玲菜の声が、どこからか聞こえてきた。
何も見えないが、柔らかい弾力に挟まれ、甘くていい匂いがする。
――まるで天国のようだ。
フンがフンがと、犬のように匂いを嗅ぎ、幸せを堪能していると、ブルブルとした振動を感じる。
顔を上げると、玲菜が顔を真っ赤にして、怒りで震えていた。
「……な、ななな、なにしてるの! 土下座させて頭を踏むわよ?」
「それだけは勘弁して!」
玲菜の胸に埋もれていたコトに気がつき、俺は慌てて離れようとする。
しかし、その勢いのままに俺の体は、後ろ向きに倒れた。
玲菜が何度も俺の名前を呼んでいる。
だけど、その声に応えることは出来ず、だんだんと意識が遠くなっていく。
ここに来て、ずっと調子が悪かった。
一体、俺はどうなってしまったのだろう……