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魔法使いのいる街  作者: 水瀬 瑞希
第二章 DAY AFTER
44/51

第四十四話 誰かの為に死ぬ意味

 大事な人の為に死ぬ。それはある意味、美学だ。

 男なら誰もが一度は憧れる状況だろう。

 だけど、自分のせいで相手を死なせた人は、どう思うだろうか。

 そんなことを深く考えずに、俺はビルの屋上に降り立つ。

 戸田を連れて、詩子が導くように放つ『光の矢』を追ってきたのだ。

 ソードのセカンド発動させた俺が、ビルの屋上を飛び回る度に、戸田はジェットコースターに乗っているかのような絶叫を上げ続けていた。


「ま、マジで……死ぬって……」


 戸田はようやく辿り着いた廃ビルの屋上にへたり込んで、眼をグルグルと回し愚痴をこぼす。足下は震え、表情も悪い。


「我慢しろ……」


 戸田のコトは心配ではあったが、俺自身も結構まずい状況だ。

 無理な魔力放出をしたからか、目眩がする。たらりと嫌な汗が流れ落ちた。

 だけど、休んでいる暇はない。スネークが目の前にいるのだ。


「おやおやぁ~、何しに来たのかなぁ?」


 俺たちの到着をあざ笑うように、スネークが小馬鹿にした声を出す。

 余裕な素振りが気にくわない。

 スネークの足下には、玲菜が跪いて控えている。

 その右目には、不気味な緑色の魔石が入り込んでおり、美しく鮮やかだった瞳は見る影もない。俺はギリッと奥歯を鳴らす。


「玲菜を返してもらおうか?」


 スネークは長い舌をチロッと見せて、厭らしい視線を玲菜に注いだ。


「げへへへっ。こいつは俺の肉奴隷だぞぉ。返すわけねえだろぉ?」


 肉奴隷とか表現が気持ち悪い。玲菜に何をする気なんだ。

 視線を向けられた玲菜は厭そうな顔をしながらも、小さく頷く。

 ズキッと心が痛む。操られているとわかっていても……いや、わかっているからこそ、苛立ちがこみ上げるのだ。

 こんな奴に玲菜が好き放題、蹂躙されるなんて絶対に許せない。

 ソードを構えて、スネークにつっこむ。

 いきなりの出来事に、スネークは表情を強ばらせる。しかし、すぐに玲菜がその射線上に割り込んできた。甲高い金属の音が響き、火花が飛び散る。

 魔力による強化を行った玲菜の腕が、ソードを止めていた。


「玲菜! 邪魔をするな! 俺はお前を助けに来たんだ!」

「そんなのわかってるわよ! だけど、止められないのよ!」


 一瞬だけ、戸惑った顔をして玲菜が言い返してきた。

 まさかの展開に驚きが隠せない。


「玲菜っ! お、お前、しゃべれるのか?」

「ええ、趣味の悪いことに、思考回路はそのまま残してあるみたいよ。恥辱と屈辱を与え続けたいんでしょ……」


 左目が緑色の光を放って気持ち悪いコト以外、いつもの玲菜と変わらない。

 つい、気が緩んでしまいそうになる。


「マスター、来ますよ!」


 玲菜から勢いのある拳が放たれ、俺は大きく後ろに下がり、体勢を立て直す。

 それを深追いせずに、玲菜はすぐにスネークの前に戻った。

 とにかく、スネークを守る事が最優先のようだ。

 俺がスネークにソードを向けると、玲菜も膝を曲げて構える。


「わかったでしょ……私に自由なんてないわ。今すぐ逃げなさい」

「ふざけるな。逃げるならお前も一緒だ」

「……春馬」


 玲菜は物憂げな表情で俯いた。

 自分ではどうしようもない現状を、嘆いているかのようだ


「げへへ。オレの肉奴隷を勝手に連れて行くなよぉ……まあ、どこへ連れて行っても、魔石が埋まってる限り、俺の声は届くんだぞぉ。俺の命令には逆らえないんだぁ……げへっ」


 スネークが玲菜の後ろから、気持ちの悪い笑みを見せる。

 魔石を壊すか、スネークを殺さない限り、玲菜に自由はないようだ。


「だったら、その魔石をぶっ壊して、玲菜を助けてやる!」

「げへへ。コレはなぁ、小さな石を、光の屈折で大きく見せているだけなんだよぉ。眼球を傷つけることなく……小さな石をその刀で切れるのかぁ?」

「なっ、眼の中にあるわけじゃないのか!?」


 まさかの情報に、俺は驚いて見せる。

 俺の顔を満足げに眺めるスネーク。


「もちろんだぉ。とはいえ、表面に張り付いているから、外科手術でも取り除くのは不可能だけどなぁ……」


 絶望を与えたつもりなのだろう。しかし、俺にはいい情報だった。

 眼の中にないなら、ネックレスの固有能力『破壊』で壊せる。

 こんな重要なことをベラベラと話すなんて、スネークの奴は操ることに特化しているだけで、頭は良くないようだ。


「――壊せないなら、お前を倒して、連れて帰らせてもらう!」

「ぐへへへっ、それは、この肉奴隷を倒してからじゃないと、無理なんだなぁ」


 サラサラと躍る玲菜の黒髪を乱暴に掴むと、スネークはその匂いをかぎ始める。

 玲菜は悲痛な表情を見せるが、身をよじることさえしない。いや、できないのだろう。それがわかっていての行動。想像通りの変態だ。

 おまけに玲菜のコトを、盾の代わりくらいにしか考えていない。

 こんな奴に自由にされたら、一晩でトラウマ確定の嫌な記憶を受け付けられてしまう。絶対に、この場で玲菜を助け出すんだ。この命に賭けて。

 

 ※ ※ ※

 

 玲菜との戦いは激しさを増していく。

 俺が攻撃をすれば、玲菜はそれを容易く弾き、魔法を返してくる。

 幾度目かの打ち合いの後、俺の体が大きく揺れた。先ほどから感じていた目眩が、余計に強くなったのだ。

 膝を突きそうになり、なんとか踏みとどまる。全身を襲う倦怠感。

 どうなってんだ、俺の体。冷たい汗がダラダラと流れ落ちる。

 俺は素早く、玲菜との距離を取った。

 玲菜は一瞬、不思議そうな顔をするが、すぐにスネークを守るために引く。


「は、はぁはぁ……」


 それほど時間は経っていないのに、すでに息が上がっている。

 酸素が足りないような感覚だ。

 そこに周りを気にしつつ、戸田が駆け寄ってきた。


「大丈夫か? 今、倒れそうに見えたけど?」

「まあ、なんとかな。そっちはどうだ?」


 俺の質問に対して、戸田は首を横に振った。


「すまねえ……正直に言わせてもらうと、お前たちの動きが見えない」


 戸田はネックレスを強く握りしめる。


「む、無理だよ……あんなに……は、早いのに、あ、当てられないよ……」


 自信なさげなネックレスの声も聞こえてきた。

 まさか、当てられないとか、想定外だ。


「『破壊』って、避けられるようなスピードなのか?」

「そういうことだ。すまねえ……」


 申し訳なさそうに謝る戸田。

 魔力により強化された玲菜の動きを、素人が追うのは難しい。

 不可能と言っても過言ではないだろう。まずい展開だ。

 だけど、戸田に当たっても仕方ない。


「お前が悪いわけじゃない。動きを止められない俺の責任だ」

「そんなことねえよ! 実はお前、体調悪いんだろ? 無理してんのわかるぞ? だから――」


 もう止めようぜ、戸田が言いかけて口をつぐんだのがわかった。

 俺が諦めないと気づいたのだろう。

 少しの沈黙が流れる。


「とにかく俺が隙を作る。玲菜を捕まえたら、放ってくれ!」

「わ、わかった! 無理するなよ!」


 戸田と距離を取り、疲れを殺して、スネークに視線を向ける。

 スネークが退屈そうにあくびをした。


「話は終わったかなぁ? そろそろ終わらせて、肉奴隷で遊びたいんだよねぇ~。早く殺して来いよぉ~」


 吐き捨てるようにスネークが言うと、玲菜の魔力が急激に高まっていく。

 どうしようもないと言った表情の玲菜。


「ごめん……手加減は無理そう。逃げるコトに躊躇しないで。いいわね? 春馬ぁぁぁぁぁ――――っ!」


 大きな叫び声共に、玲菜の魔力が爆発し、襲いかかってきた。

 俺は咄嗟にソードを構え、迎え撃つ。

 魔法によって強化された玲菜の拳と、ソードが激しくぶつかり合う。

 反響する連続した金属音。その度に火花が辺りを照らす。

 派手な技を繰り出し、俺たちは大きく距離を取った。

 一撃一撃が重い。初めて戦ったあの日よりも何倍も強く感じられる。

 玲菜が強くなったのか。それとも、俺が弱っているのか……

 なんにせよ、このままではまずい。

 俺はセカンドを発動させようとする。――だが、発動は失敗。


「な、なんで……」

「マスタ-、やはり、魔力がほとんどありません」

「――くっ」


 激しい脱力感と虚無感、すでに満身創痍な状態に、魔力もろくに走らない。

 それでも、玲菜の攻撃を受け止め続ける。

 応戦の合間に、玲菜が心配そうな声を出した。


「アンタ。さっきからフラフラよ? 調子悪いんでしょ?」


 こんな状況でも人の心配か。本当に玲菜って奴は……


「大丈夫だ。お前が余計な心配してんじゃねえよ」

「……逃げないって言うなら、私を殺しなさい。アンタなら出来るはずよ」

「玲菜……」

「こうなったのは私のミスだもの。……アンタたちを傷つけるくらいなら……殺された方がマシだわ!」

「だから、余計な心配するなって! 俺が……いや、俺たちが何とかするから!」


 チラリと戸田に視線を向ける。

 動きについていけずに呆けているだけの戸田。

 少し不安になったが、アイツにしか出来ないことだ。信じるしかない。

 玲菜はスネークと戸田を横目に見て、小さな声で話しかけてきた。


「もしかして、戸田を使って何か企んでるの?」

「なっ、わかるのか?」

「……わかるわよ。じゃなきゃ、あんな素人連れてこないでしょ? 私を狙っているのがバレバレよ」

「今、なにかしても――」

「避けるわ。間違いなくね」


 玲菜の腕に力がこもる。俺を押し切ろうとしていた。

 万全でもきついのに、体調が悪ければなおさらだ。

 おまけに戦いながらでも、玲菜は戸田への注意を忘れていない。

 打つ手なしか。そう思ったとき、玲菜が真剣な眼差しを向けてきた。


「スネークは今、私がアンタを押さえ込んでいると思っている。次の指示が出るまでに、急いで作戦を教えなさい。手を貸すわ!」


 俺は魔石破壊までの道のりを手短に説明した。

 説明を聞いて、玲菜は小さく息を吐く。落胆にしてるようだ。


「ろくに練習もしてない戸田の腕じゃ、私には当たらないわよ」

「だったら、どうすれば良いんだ?」


 俺の質問に、玲菜は逡巡する。

 そして、なぜか少し困った顔を見せて、開口した。


「私が合図するそれに合わせて」

「そんなこと、できるのか?」

「私の体だもんできるわ」


 どこか棒読みで違和感を覚える。だけど、疑っているような余裕もない。

 俺が玲菜の体を押さえれば、戸田が『破壊』を放つ。

 それで全てがうまくいく。きっと、大丈夫だ。

 何度か刃を合わせて、玲菜と距離を取る。

 すると玲菜は、スネークと目を合わせた後、俺に向かって叫ぶ。


「今よ春馬」

「――わかった!」


 抑揚のない玲菜の声に合わせて、俺は玲菜に飛びかかる。

 自分で合図してきたくらいだ。完全なタイミングだったのだろう。

 玲菜は硬直したまま、動かない。いける。

 ――そう思ったときだった。明後日の方向から悲鳴が響く。


「ぐあぁっっつ――」


 戸田が吹き飛ばされ、屋上のフェンスに叩きつけられていた。

 スネークが戸田に向かって、魔法を放ったのだ。


「戸田っ!」


 俺が戸田に視線を向けると、その隙に玲菜は俺から離れた。


「げへ。一丁上がりだ。何か企んでいたみたいだが、残念だったな……げへへへ」


 スネークがゲスな笑みを浮かべる。

 今まで放置だったのに、あのタイミングで、戸田がなにかするのがわかったって言うのか。

 そんなはずはない。バレていたはずがない。誰かが漏らさない限り……

 『どこへ連れて行っても、魔石が埋まってる限り、俺の声は届くんだぞぉ』

 さっきのスネークの言葉が、なぜか思い出される。

 叫ぶ前に玲菜はスネークと目を合わせていた。


「ま、まさか……れ、玲菜……」


 玲菜の顔は真っ青になっている。

 自分の行動に動揺しているような顔だ。


「な、なんで……私……」

「アンタなんか大嫌いよ春馬」


 戸惑った声に続いて、機械的に発せられた玲菜の声。

 言った本人さえも驚いた顔をしている。


「げへっ。言動を自由にさせていたのは、あくまでオレの趣味だぞぉ。だけどなぁ、言葉だって、操れるんだよぉ~当然だろぉ?」


 玲菜の意思があるから、言葉は全て玲菜本人のものだと思っていた。

 だけど、言動が自由になっていることを、おかしいと考えるべきだったんだ。

 カッと頭に血がのぼり、スネークを睨み付けた。


「全部、お前が仕組んだことだったって言うのか?」

「げへげへげへっ! その顔ぉ! その顔ぉぉぉぉっ! 引っかかって間の抜けた顔を見るのが最高だぞぉ! メシウマぁぁぁっ!」


 発狂したようにスネークが笑い転げる。

 ダメだ。コイツ。全てが憎らしい。殺してやりたい。

 戸田はピクリとも動かない。下手をすれば死んだんじゃないのか。

 安否は気になるが、今は玲菜をどうにかしなければ……。

 でも、そのためには戸田の力がいる。ネックレスの固有能力が必要なんだ。

 どうすればいいんだ……思わず俯きそうになる。


「私に任せてよ春馬」


 俺が困っているとき、必ず聞こえてくる玲菜の声。

 ハッとして顔を上げる。

 だけど、いつもの強気な表情ではなく、困惑に満ちていた。


「……わ、私、言ってない」


 言い訳をするように、すぐに玲菜の声がかぶせられる。

 まさか、今のもスネークの仕業だというのか。


「言ったわよ信じて。もう止めて! ううん、私の為に死んでよ!」

「ち、ちがっ、今のは――お願いだから、早く死んで春馬! 大好きよ!」

「勝手に――っ、愛してるから、殺す殺す殺す! 絶対に殺してやる!」


 玲菜の独り言のようなやりとりが続く。

 スネークが腹を抱えて笑っている。

 だんだんと慣れてきたらしく、機械的な喋り方ではなくなってきた。

 支離滅裂。だけど、どっちがしゃべっているか判断するのは難しい。

 今、玲菜と話すのは危険だ。話せば話すだけ混乱してしまう。

 俺はソードを強く握る。頼れるのはもうコイツだけだ。

 

 ※ ※ ※

 

 魔石の破壊が出来ない以上、玲菜を元に戻すには、直接、玲菜の眼に張り付いた魔石を叩き切る。それしかない。例え、玲菜の眼をくり抜いてでも。

 だけど、どんなに強く思っても、玲菜を傷つけるなんて俺には無理だ。

 メルとの約束があるから……いや、それだけじゃない。俺自身、玲菜が傷つく姿を見たくないのだ。

 だから、ずっと防戦の一方だった。

 魔力が回復する兆しもなく、逆に調子は悪くなるばかり。

 もうソードを持つ手も振るえ、玲菜の攻撃を止めるのもぎりぎりだ。

 あと数撃のやりとりで、きっと俺は死んでしまうだろう。

 そんな俺に、玲菜は悲しげな顔を向けている。


「も、もうお願い……逃げて……春馬……もう、嫌だよ……」


 それが本人の声という自信はない。だけど、玲菜が泣き出しそうになるのを、必死に堪えているのだけはわかった。


「マスター、玲菜の言うとおりです。ここはいったん引きましょう。生きていれば、チャンスはまたやってくる」


 ソードにまで心配をかけている。情けなくて、泣きたいのは俺の方だ。

 だけど、そんなのは玲菜を助けてからでいい。

 玲菜を助けられるなら、俺は命だって投げ出せる。

 だから――玲菜を諦めるくらいなら、死んだ方がマシだと本気で思ったんだ。


「玲菜を置いて逃げるくらいなら、ここで殺された方がマシだ!」


 俺は強い意志を込めて叫ぶ。

 その時、背中にコツン、と何かぶつかる。

 振り返ると、戸田が無理矢理に立ち上がっていた。


「な……なに言ってんだよ……ここで、お前が死んでも雪城は喜ばねえよ……それどころか……なによりもつらいトラウマ……植え付けんじゃねえのか?」


 無理をして精一杯に伝えてきた戸田。俺はハッとして、玲菜に目を向けた。

 俺を見つめる玲菜の汚れていない左目から、涙がぽろぽろと零れる。

 それはまるで懺悔の言葉のように見えた。

 ――俺はなんてバカなんだ。

 最初から今までずっと、玲菜は俺に『逃げろ』と言い続けていた。

 俺が傷つく姿を玲菜は見たくないのだ。

 そんな奴が、俺を殺したらどう思うか……そんなことは考えるまでもない。

 戸田の言う通り、強烈なトラウマとなるだろう。

 スネークに穢され、貶められるよりも何倍も……

 誰かの為に死ぬのは、自己満だ。そんなのは美学でもなんでもない。

 一番やってはいけない行動だった。


「ありがとう、戸田。お前の言う通りだ。――俺は絶対に殺されねえ! 殺されるわけにはいかないんだ!」


 最後の気力を振り絞って、ソードを握りしめる。

 もう格好なんてどうでもいい。

 玲菜を縛り付けてでも、無理矢理に連れて帰るんだ。

 俺が覚悟したのと同時に、スネークの気怠そうな声が響く。


「もう面倒くさいぉ、殺せってぇ、言ってんだろぉ!」

「――っ、春馬っ! ダメっ、逃げてっ!」


 玲菜は苦痛に歪めた表情で叫び、魔法の詠唱を開始する。

 圧倒的な魔力の高まりに、俺は思わず後退った。

 ――チリーン

 足下から金属の音が聞こえてくる。


「こ、これは――」


 そこに落ちていたのは、ネックレスだった。

 さっき戸田は、これを俺にぶつけてきたのだろう。

 自分ではもう使えないと判断して、俺に託してきたんだ。

 拾おうとしてソードの声が響く。


「マスター、構えてください! 玲菜が来ます!」


 顔を上げると、すでに玲菜の手から魔法が放たれていた。

 轟音をあげ、魔法が迫ってくる。

 月の光しかない廃ビルの屋上が、昼間のような明るさになっていく。

 魔力のない今の俺では、喰らえば即死は免れない。

 避けようにも俺の後ろには、戸田がいる。先ほど無理したせいか、フェンスにもたれて動く様子もない。俺は強く唇を噛み締めた。


「だったら、完璧に防ぐしかねえだろっ!」


 すべての魔力を込め、強くソードを握る。

 その時、雷鳴が轟くように、大量の光の矢が空から降ってきた。

 玲菜の放った魔法を上から叩きつけて、辺りを激しく振動させる。

 誰が放った魔法なのか、すぐにわかった。


「サンキューな! 詩子!」


 詩子がにっこりと微笑んでくれたような気がした。

 今の詩子の魔力では、相殺に持ち込めないが、時間稼ぎには十分だ。

 俺は落ちているネックレスを拾い、玲菜の元に全力で駆け寄る。


「え……は、春馬……?」


 魔法を放っている状態で、玲菜は完全に無防備。その眼は見開かれている。

 チャンスはここしかない。

 魔石の力で濁った玲菜の右目に向かって、ネックレスを持った左手を伸ばす。

 スネークの言葉が本当なら、『破壊』が発動すれば壊せるはずだ。

 発動さえすれば――

 

 ※ ※ ※

 

 確信があったわけじゃない。

 だけど、他の神器と同じように、力を貸してくれるような気がしたんだ。


「ネックレス。俺に力を貸せ! あの魔石をぶっ壊すんだっ!」


 俺は強く強く、ネックレスを握り、力の限り叫んだ。

 全身から、魔力が吸い取られていく。マスターでも無い俺が発動させようとしているのだ。相当無理をしているだろう。

 だけど、諦められない。


「吸い取るなら全部吸い取れ! だから、俺に力を貸してくれっ!」


 心臓が強烈に熱くなり、右手にあるソードに熱が伝わっていく。体中の魔力が音もなく爆発しているような感覚。

 そして、それに応えるようにネックレスに光が灯る。

 ネックレスから一筋の光線が放たれ、玲菜の右目にまっすぐ吸い込まれる。

 刹那、大きな爆発が起こった。

 無防備だった玲菜の体は『破壊』の衝撃で、派手に吹き飛ばされていく。


「れ、玲菜っ!」


 自分で使っておきながら、どんな結果になるか予想もしなかった。

 地面に叩きつけられた玲菜の顔から、白い煙が上がっている。

 あれだけの爆発が直撃したんだ。下手をすれば、顔が吹き飛んでいる。

 嫌な予感が全身を突き抜け、俺は自然と玲菜の元に向かう。


「何やってんだよぉ! さっさと起きろよぉ!」


 スネークが叫ぶと、玲菜の体が不自然に立ち上がる。

 顔からいまだに白い煙が上がっており、その表情は移ろいでいた。意識があるかどうかわからないが、スネークの指示で起き上がったのだろう。

 とにかく死んではいない。だが、喜びは半分。

 無事だったのは良かったが、『破壊』出来なかったようだ。


「う、ウソだろ……無理だったのか……」

「げへへへ! オレの肉奴隷は最強だぞぉ! よし、そいつらを殺せっ!」


 スネークの声にあわせて、玲菜が飛びかかる。

 一直線にスネークの元へ――え?


「――およっ! ぐへっ!」


 玲菜の拳がスネークを貫いた。

 床に落ちた肉団子のようにスネークが地面を跳ね、転がっていく。


「ふん。このゲスが……」


 殴った手を汚げに払うと、玲菜は振り返る。


「玲菜っ! お前……」


 眼の周りを覆っていた白い煙が晴れていく。

 緑色の魔石は消え、綺麗な右目に戻っていた。


「春馬、ありがとう。助けてくれて……」


 玲菜は肩を竦めて、はにかむような笑みを浮かべる。

 なぜかすごく懐かしく思えて、魅入ってしまった。

 見つめ合っていると、玲菜は思い出した顔をして、戸田の元へ急ぐ。

 ケガをして倒れている戸田に手を当て、魔法を詠唱する。

 白い光に包まれ、傷が治っていく。玲菜はホッと息を漏らした。

 よかった、致命傷ではなかったようだ。


「す、すまねえ……助かった」

「いいえ。助けてもらったのは私の方よ。ありがとう、戸田」


 優しく戸田に返事をしたところで、玲菜の眼がスッと細くなる。

 玲菜は振り返ると、いきなり魔弾を放った。


「ぎゃふんっ!」


 爆発音と共に聞こえた、情けない声。

 逃げようとしていたスネークが、玲菜の魔弾を受け、派手に転んでいた。

 玲菜は眼を細めたまま、スネークに近づき、長い髪を払う。


「逃がすわけないでしょ。アンタには聞きたいこともあるんだから……」

「ゆ、許してくれ! もう二度とこの街には手を出さない! だ、だから!」


 鼻血を垂らして、スネークは必死に土下座。

 命がかかっているんだ。それは文字通り、必死だろう。

 だが、そんな土下座に対して、玲菜は平然と足で頭を踏みつける。


「私にあんなコトをして、生きてこの街から出られると思っているの?」


 どこまでも冷徹な玲菜の声。

 俺に向けられたものではないのに、本気で寒気がするほどだ。

 スネークはガタガタと震えて、ひたすらと地面に頭をこすりつけていた。

 玲菜はため息を一つつくと、スネークから足を退ける。


「まずは教えなさい。アンタが雪城家の結界を使えた理由を、ね」


 スネークは驚いた顔をして頭を上げた。

 その様子から嫌な質問をされたのが見て取れる。


「お、オレは……な、何も知らないぞぉ!」


 当然のようにスネークはとぼけた。

 玲菜に魔石を埋めるために、結界を利用している以上、知らないではすまされない。というか、知らないというのはウソだ。

 玲菜もそう感じているのだろう。今度は大きなため息を吐く。


「言わないならいいわよ。家に連れて行けば、脳に直接干渉して、無理矢理にしゃべらせる方法くらいあるわ。廃人になるだろうけどね……クスっ」


 スネークの顔がサッと青ざめる。

 さっきの怖い玲菜を見た後だけに、何倍もやばく感じたのだろう。

 すがりつくような眼でスネークが口を開く。


「ぐ、ぐへ、ま、待って! お、俺は頼まれただけなんだぞぉ!」

「……この期に及んで言い訳? 反省の欠片も見えないわね」

「ほ、本当だぞぉ! 本当にお前を操れって頼まれたんだぞぉ……そいつからお前の家の結界に干渉する方法も教わった……」


 玲菜の視線が鋭くなった。


「……誰よ、そいつ」

「そ、それは――」


 言いかけて、スネークの口から派手に血が噴き出した。

 いや、いつの間にか、腹から下が吹き飛んでいる。


「なっ!」


 玲菜は後ろに少し跳び、俺を守るように魔力障壁を発動した。

 辺りに目を向けるが、誰もいない。

 上半身だけになったスネークは、血の海の中に倒れこみ、息絶えた。

 壮絶な死に思わず目を背ける。

 ひどい奴だったが、それを差し引いて同情するような悲惨な死に方だ。

 玲菜も憐れむように見下ろしていた。


「な、何が起こったんだ?」

「……わからないわ。攻撃されたような気配はなかった。だとすれば、条件的なものでしょうね。――体内に仕込み、口を割ると発動するとか……ね」


 まるで呪いのような魔法だ。スネークを使った黒幕は、どこまでも冷徹に玲菜を狙っているようだ。一体誰が……


「黒幕は誰だと思う……?」

「さあね、でも、雪城家の結界を悪用できるってことは、近しい人間。多分、伊勢島でしょうね。どこまでも腹立たしい奴だわ」


 この美沢市の昔の管理者、伊勢島。

 確かに伊勢島なら、メルを暴走させたこともあるくらいだし、雪城家の結界のことを知っていてもおかしくはない。


「でも、今は手を出さないって、言ってなかったか?」


 玲菜は腕を組んで考え込む。魔闘師が入り込んでいるところを狙っても、すぐに協会が介入してくるのは明らかだ。

 仕掛けるなら、俺たちが魔闘師を追い払ってからにするはずだ。


「……この土地ではなく、私が個人的に狙われたってコト?」


 個人的な恨み。だとすれば、顔見知りに限定されるわけだから、犯人はかなり絞られる。だけど――


「土下座している奴の頭を踏むような奴だもんな。お前って……」

「あ、あれは……ムカついてたから……でも、死んだ今となっては、やり過ぎたって反省してるわ」

「もう少し早く反省しような。……恨み、買ってるかもしれないぞ?」

「アンタって、私のこと、どんな眼で見てるの?」


 薄い冷笑を浮かべて、玲菜が距離を詰めてきた。冗談が過ぎたようだ。

 怖~い玲菜から眼を逸らすと、スネークの死体が目に止まる。見たくないものだが、血の海の中で月光に照らされて、なにかが輝いていた。


「なんだあれ……?」


 近づいて見ると、それは凝った装飾で不思議な形をしている。

 俺が触れようとすると、玲菜が大声を出す。


「不用意に触らないで!」


 玲菜は俺より先に、注意深く拾い上げる。

 怪訝な目で見つめ、血を手で拭うと、舌打ちをした。

 非常に気になる態度。俺は恐る恐ると声をかける。


「れ、玲菜? それは一体……?」

「魔法具よ。魔力を通してないから、どんな効果があるのかはわからないわ」


 電気の代わりに、魔力を用いて使う便利な道具。それが魔法具だ。

 効果も様々で、記録した魔法を自由に使えるらしい。


「もしかして、それでお前を操ったのか?」

「……もしくは、結界に干渉したのかもね。……でも、今はそんなの些末な問題よ」


 玲菜は魔法具を俺の前に掲げる。

 二頭の龍が一つの玉に絡みつくかっこいいロゴが描かれていた。


「それがどうしたんだ?」

「……これは、協会のシンボルマークよ」


 いやな汗が額を伝い、激しい頭痛を感じる。

 聞きたくもない事実だった。


「ま、まさか。今回の件、協会が絡んでいたのか? ……神条か?」


 この街に攻め込んできている魔闘師のリーダー、神条。

 現状、神条には玲菜を襲う理由がある。術式を守る時間稼ぎだ。


「アイツなら、雪城邸の結界にも丸一日触れていたんだし、魔法具を使って、パスを通すくらいできるでしょうね」


 玲菜を操ってもいいし、戸田を利用して、俺の戦意を消失させてもいい。

 なんにしても、スネークが暴れれば、メリット満載だ。


「こうしちゃいられないわ! 戸田を連れて、早く屋敷に戻る――――って、春馬っ!」

「――え?」


 叫ばれた意味がわからずに、俺は呆けた声を出した。

 次の瞬間、辺りが真っ暗になる。


「……だ、大丈夫?」


 心配そうな玲菜の声が、どこからか聞こえてきた。

 何も見えないが、柔らかい弾力に挟まれ、甘くていい匂いがする。

 ――まるで天国のようだ。

 フンがフンがと、犬のように匂いを嗅ぎ、幸せを堪能していると、ブルブルとした振動を感じる。

 顔を上げると、玲菜が顔を真っ赤にして、怒りで震えていた。


「……な、ななな、なにしてるの! 土下座させて頭を踏むわよ?」

「それだけは勘弁して!」


 玲菜の胸に埋もれていたコトに気がつき、俺は慌てて離れようとする。

 しかし、その勢いのままに俺の体は、後ろ向きに倒れた。

 玲菜が何度も俺の名前を呼んでいる。

 だけど、その声に応えることは出来ず、だんだんと意識が遠くなっていく。

 ここに来て、ずっと調子が悪かった。

 一体、俺はどうなってしまったのだろう……

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